漢文翻訳ごっこ 回顧と展望
ここまでの漢籍自分訳シリーズの
回顧と展望でもしましょう。
○回顧
劉裕を始める前は
全く漢文読んでこなかったワイ氏が
このままだとやべーと気付き、
「答えのある」漢文で慣れてこうと
世説新語を始めて、
この時河東さんに殴られました。
「その前に読むものあるんじゃね?」
知ってる知ってるゥー!
でも「答えがない」やつ怖くて無理!
なのでひとまず三国志と、
「崔浩先生の五胡十六国講座」
にいる人物くらいは攫ってから考えよう、
と思い。で、
やってく内に他の人物にも興味が出て、
気付けば全訳に舵を切っていました。
南無三。
世説新語の何がいいって
「基本短い」「全訳が注付きである」
なんですよね。
訳わかんないやつは
割とスパッと処理して、
一日一編ならさほどタスク的に
負担でもなく。
まぁ時々くっそ重いやつとかに
死にましたけどね!
それこそ詩経が絡むと半日仕事とかザラ。
けど、お陰で「漢文に慣れる」ができた。
これでようやく、河東さんのおっしゃる
「その前に読むべきもの」
の下地ができた。
なので三国志とか孫子みたいな、
やっぱり答えのあるやつに手を広げて。
そして思ったのは、
「史書の漢文、
世説新語に比べりゃまだ楽ー!」
と
「先秦の漢文、全く魏晋期の
漢文センス役立たねえー!」
でした。
いやほんと、
いま世説新語の漢文読み返しても
ちょくちょくさっぱり意味取れないやつに
出くわしますもん。なにあれ。
一回訳した体験があってもそれですよ。
イミフ。
あと孫子、老子、論語、それから詩経ね。
あいつら俺から見たら
「文法? なにそれおいしいの?」です。
わかんない。まじかこれ。
そんな感じでぴーぴーしつつ、
三国志の蜀漢五虎将を経て、
劉裕のベースともなる宋書へ。
宋書→晋書→載記→魏書と
行くつもりでしたが、
世説新語が終わったところで
北側への欲求がこらえきれなくなり、
南北並行を開始。
はじめは一日でどちらもやってましたが、
まもなくパンク。
一日に「答えのない漢文」2件は
だめだった。
小休止を入れた後、
日替わりで進めることに。
そしたら中原戦記の方では
屠喬孫十六国春秋の原文に行き当たり、
さらにそこには高僧伝に載るような
僧たちもいたので、
そのへんも交えるように。
想定の3倍くらい
中原戦記の歩みが遅くなりましたが、まぁ。
で、合わせて
「答えのある」漢文にタッチ。
つまり老子、詩経ですね。
老子はもともと好きで読んでました。
なので改めてやるのに
迷いはなかったんですが、
詩経については、これまでも
「これタッチできとらんと
ヤバそうだろいろいろ……」
って感じてたのです。
で老子はともかく、
詩経、詩経ですよあなた。
はじめはどういうふうに
進めるべきかで迷ってました。
なので進めるうちにやり方を模索。
現在のスタイルに行き着くには
国風が終わり、
小雅も結構進んでからでした。
なんか気付けば引用サンプル
千こえたよねw
で、詩経をやってると、
ちょくちょく論語にニアミスするんです。
そして金谷治論語を買ったまま
二十年くらい死蔵してたワイ氏、
「えっ、そもそも論語やっとかないと
魏晋南北期の詩経理解って
めちゃくちゃ土台グズグズじゃね?」
と気づき、
キャパオーバーと知りつつも、
論語を追加。
論語については、
老子、詩経と交えることで
「孔子以前の世界の
ボキャブラリー、倫理観」
みたいなところに関心が出てきてます。
論語と老子って同じ言葉使ってるけど、
用法がまるで違う。
この辺に研究もあるみたいですが、
自分なりの見立てを組んだ上で
参照したいところ。
現在、詩経を読むに当たっては、
左伝、史記、漢書、後漢書、三国志、
晋書、宋書、魏書、世説新語を
並行して参照する状態になってます。
論語はどうしよっかなー。
目的は
「史書の世界観を少しでも
見えやすくしたい」
で変わりませんが、
付帯的に覗いてみたいタスクにも
結構遭遇するわけで。
なお、論語及び詩経が終わったら、
いったん「新規漢文読み」は止めます。
浮いた時間で、
・三国志に絡む世説新語
・五胡十六国講座
の同人誌化を進めたい所存。
ただ晋宋春秋、中原戦記は継続。
このふたつは、晋書列伝、魏書列伝が
無傷で残ってますし、
完走はまだまだ先そうです。
水経注、高僧伝もやるしね。
そして詩経は、一旦終わったところで、
改めて頭から春秋〜世説新語について
引用句の検索を実施。
詩経引用データベースは、
誰よりも俺がその完成を
心待ちにしているのですよ……
出来上がったらマジで
遊べるもんになりますよ……
データベースと言えば、
漢文が怖くて仕方なかった時期に
「官位変遷/戦績なら拾い上げられる!」
つって作ったデータベースも
あるんだよなぁ。
アレも世説新語データベースみたいに
放流すれば、どなたかが面白おかしく
調理してくださるかしら。
○展望
ひとまず劉裕をやりながら
こういった勉強のアウトプットを始めて、
明確にやらかしちまった
デメリットが、一つ。
書きたくなるんですよねぇ……
故事を、典拠を……
いや、俺が語るべきは
劉裕のスゲーとこであって、
中国史ごっこのマニアックな楽しみ方、
じゃないからね?
ただ、盛大に盛り込み、盛大に捨てる、
のはすっげえ大事だとも思ってる。
劉裕を語るに当たって、
どんな周辺要素があるのか、は、
まだまだ摂取が足りてない。
ガンガン摂取して、
ガンガン反映させまくるべきなのだ。
そしてそいつを、
「一つの完結したパッケージにする」
ため、ガンガン捨てる。
ここまでの一応短からぬ人生において、
様々な寄り道を決めてきた。
で、今積み重ねてるもんを語るのが、
とにかく楽しい。
その語れる量をマックスにしたい。
世代的な印象としては手塚、
やや時事ネタちっくに言えば三浦。
書きたいものを書ききれず、死にたいか?
世説新語や詩経引用のように、
色んな人が遊べるデータベースを
作ってけるのも、また面白い。
けどそいつらは、究極的には
自分が書きたい物語のための参考資料。
脳内で孔子が踊り、竹林七賢が歌う。
彼らを脳内に飼うだけで
終わりにしたいのか?
そして、語りたい物語ってやつは、
自分が語りたいって形のまま吐き出して、
本当に読み手に理解してもらえるか?
お前は漢文を読んで、一体何回
「もうちょいこっちにも
理解しやすい形で……」と呻いた?
楽しかったときもあるよな?
けど楽しくないときもあったはずだ。
読み手を突き放すような
文章に食らいつく、そいつも楽しい。
さして呻吟せずするする読み進められて、
楽しく頭に事跡が入ってくる。
そいつも楽しい。
どっちの楽しさも味わい、
満喫できてきたってんなら、
自分の文章でも
それができるようにならにゃならん。
自慢じゃないが「先人の言葉に学ぶ」を
とことん疎かにしてきたわけだけど、
結果論としては今、
こうして浴びまくっている。
ならこの機会を、
自らの表現力向上の糧にしたい。
伝えたいことを、もっと的確に
伝えられるようになりたいね。
そんなふうに思うのでした。
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