コラム「微分積分学の真の発見者 ~ダニエル・マルタン~」という虚像について

まろうソフトウェア工房

第1話 (一話完結ものです)

ある日、インターネットのポータルサイトに次のようなコラムが載った。


微分積分学を発見した人物として広く信じられているのは、イギリスのアイザック・ニュートンとドイツのゴットフリート・ライプニッツであるが、これについては近年疑問が呈されている。というのも、当時すでに発表され公刊されていたフランスのダニエル・マルタンという神父の著した「トリアド」という論文が先行するからである。では、なぜニュートンとライプニッツの名だけが独り歩きしたのだろう。これについて、数学史がご専門で、この問題について長く研究をしてきたミュラー教授にお話を伺ってみた。ミュラー教授は、こう打ち明ける。「この問題は、科学界の神学論争でもあるのです。どういうことかというと、当時のドイツの科学界では、マルタン神父の論文を認めることができないという事情がありました。つまり、ドイツ30年戦争の影響です。マルタン神父は当時一般に異端として知られていた一派に所属していたのです。そのためか、この論文はフランスとドイツで発禁処分となったのです。ゆえに、微分積分学の発見は通俗的な見解よりも、さらに5年は遡ることとなります。」このような事情については、大陸固有のもので、イギリスでは異なっていたと、ミュラー教授は付け加え、こう断言する。「当時、イギリスで名君として知られていたジョン2世は、大陸で発禁処分となった書物を収集し、バッキンガム宮殿の図書館の一角に置いていたのです。それをニュートンが見ていた可能性については、定かではありません。しかし、これだけは断言できます。微分積分学の発見は、最低で4~5年は遡るというのが、通説的見解です。」・・・では、こういうことは、科学の世界では良くあることなのだろうか。ミュラー教授は言う。「歴史は、常に書き換えられるものです。私たちにとって必要なことは、どのような固定観念も疑ってかかることです。そういう姿勢が常に必要だと思います。不確かな情報が蔓延するという現象は、どの時代でも、残念なことに現代でも起こりうることなのです。」




そのコラムのコメント欄には、様々なコメントが寄せられた。いいねマークの多かったのは「インチキ科学に使う金があれば、もっと社会の役に立つものにまわせよ!」というコメントなどであった。

その日、このコラムを読んだある大学の教授は、「このコラムを読んで感想を書け」という課題を出した。

その日の夕方には、知識の袋というサイトに質問が立った。

「Q:微積分の発見者のダニエル・マルタン神父について、詳しいことを知りたいです。」

その質問に回答はつかなかったが、検索上位に浮上し、話題となった。




やがて、とある大学入試の試験で「明らかに微積分の発見者でない者を次の4名から1名選べ。ライプニッツ、ニュートン、マルタン、アインシュタイン。」という問題が登場した。すると全国の予備校も高校も、マルタンの名前に言及するようになっていった。そして、学者たちも、ライプニッツやニュートンが発見者であるという説を、にわかには採用しなくなっていった。やがて、百科事典は「ライプニッツやニュートンが発見者であるとされるが、近時、異説もある。」と、記述を修正することとした。




ダニエル・マルタンは、微積分の発見者となった。




(このストーリーは最初から最後まで、架空のものです。コラムもそのあとの出来事も、すべて架空のものです。)

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