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手を汚したコガは、喉を切り裂いた男の死体を、わずかな同情をこめて見下ろした。首を裂かれる直前、その男が最期に残した言葉が胸に引っかかっている。無論、初めて人死にを見たときのあの、魂が凍えあがるようなショックとは比べるべくもないほどに幽かな身震いだったが、今や両手ではとても数えられないくらいの死人を見てきたコガにとっては珍しいことだった。
「せめてもう少し……」
彼は最期、そう言って果てた。
何が、もう少しなのか。
もう少し姫を見たかった?
おそらくそうだろう。
"死神は女の顔をしている、それも、この世で最も美しい女の顔だ……"
誰かが下町で言っていた妄言を、コガは思い出していた。
「あぁ……殺しちゃった」
喉を切り裂かれた男を見下ろしながら、死神のような顔の"チビ"は口に手を当て、ゆっくりと優しくため息をつく。
コガは舌打ちし、左手で彼女の耳をつねった。
「お前がドレス着たいって言うからだろ? 女がいるなんてバレて、生かしておけるわけがない」
「ひー、ご、ごめんなさい……」謝りながらも、その目はいつものように愉しげな魔性で笑っている。「ねえねえ、このクルミって、ぼくたちが持っていってもいいんだよね?」
「……かぼちゃ組に喧嘩売れってこと?」
「野いちご組が盗んだようにしか見えないよ、今なら」
「喧嘩売る相手が変わるだけだ」コガはチビの耳をはなす。「ハセさん……野いちご組には、俺がここに来たこと、すぐバレる。もう野いちご組で仕事できない」
「いいじゃんそんなの! お願いお願いお願い!!」
彼女は両手を合わせ、上目遣いでコガに乞う。
コガはハーっと深く息を吐いて、倒されずに残っていた窓際の椅子に腰掛けた。右手のハサミをポーチにしまい、額に手を当てる。
「勘弁してくださいよ……姫様」
つい、本音がこぼれた。
キュッと、チビの表情が変わる。わかっていたことだが、怒らせてしまった。
「敬語はやめてよ」彼女は言う。
「無茶ですよ……俺は男で、あなたは……」
「女だよ」チビと、そう自分を呼んでくれと言っていた
ヒメとは、女。
女とは、おとぎの存在。この街の価値の全て。
普通の仕立て屋として下町を生きてきたコガには、喜びよりも恐怖が勝ってしまうような栄誉だった。
「女は、生まれたときからみんなお姫様」ヒメは耳元でささやく。「男たちは女に気に入られるために必死で、みんなご機嫌伺いの言葉ばっかり。そんなの嫌よ、つまらない。ぼく、強引な人のほうが好き。『チビ』とか『お前』とかって言われたらドキドキしちゃう」
「……どうして、俺なんですか?」
「かっこいいから」彼女はすぐに答えた。「だからコガは、他の男たちみたいなことしなくていいの。ぼく、コガが大好き。ぼくのなんでもあげちゃうし、なんでもするよ……ねえ、本当になんでもだよ? それじゃ、ダメ?」
「俺なんて所詮……仕立て屋です。天国には行けないし、王子にもなれない」
「そんなことない」寂しそうな声が、コガの耳を責める。「そんなこと言わないでよ……バカ」
「すいません……」
勇気を振り絞って、コガはゆっくりとヒメの背に腕を回したが、強く抱きしめることはできなかった。
あまりにも、身に余る。
しばらく気まずい時間が流れた。
「……わかった」やがてヒメはそう呟いた。コガの肩を押すように体を離して、彼を睨む。怒ってるようにも笑ってるようにも見える奇妙な表情が白く小さな顔に浮かんでいた。もう機嫌が変わったようだ。「自信がないから、コガはそんなこと言うんだ」
少し嫌な予感がした。「ヒメ?」
「チビって呼んで」
「……どうした、チビ?」
「いいこと思いついたの」ヒメ……チビは、その小さく柔らかな両手をコガの頬に添えて、麗しく微笑む。「ぼくはね、コガに演技じゃなくて、本気でぼくのことつねったりイジめたりしてほしいの。そのためにはコガがいかに強くてかっこいいか、ぼくが教えてあげないとダメなんだ」
「えっと……」
「ヤクザが何よ! ぼくは姫だよ? 女には男と違って序列なんてないの。シンデレラも白雪姫もグレーテルも、キャシーもヨリンデもエルシーも、そしてそうじゃないぼくみたいな普通の女の子たちも、みんなお城の中ではオトモダチ。力の差なんてないの。そんなぼくが大好きなコガが、ヤクザになんて負けるわけないじゃん」
「あの……」
「どうせならあのクルミで、みんなに喧嘩売っちゃいましょ? ぼくの王子様」
ヒメは本当に愉快そうに笑う。
その笑顔を見て、コガは思い出す。
この街の女は、生まれた時からみんな姫であり、そして魔女だということ。
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