第二幕  ハンスたちが

1

「指の中では、どの指が一番大事?」

 姫は自分の爪にマニキュアを塗りながらそう聞きました。

「男の人が悪いことすると小指を切るのは、どうしてかしら?」



 ある街、ある事務所に、キシという前髪の長いヤクザがいた。さかずきはシンデレラがケツモチを務める『かぼちゃ組』。前夜、シマの外れにある事務所が野いちご組に襲撃を受けた、その調査を担当したのが彼だった。

「クルミがパクられた?」

 そう凄む穂村ホムラという男の彫りの深い顔から目を逸らさぬよう努力しながら、岸は改めて報告を繰り返した。

「はい、およそ20個ほどのクルミが、まるごと」

「見せしめじゃないのか? 撃ち込まれたのは末端の事務所と聞いたんだが……」

「カチコミの理由がスパイブヨの見せしめだったことは間違いないと思われます」

「それが、なんでドレスがパクられたって話になる?」

「事務所の金庫に、、クルミのない杖が20本ほど」

 穂村の目付きが鋭くなる。「フェイクじゃないのか? 照合はしたか?」

「まだ全ては完了してませんが、うちで作ったものなのは確かです。中には<太陽>が7、<月>も3、それにまずいことに、<星>も1着」

 穂村は唸り、ジャック・オ・ランタンの灰皿に灰を落とした。「組員の横領か」

「恐らく」

 鋭い目がまた岸を睨む。「お前、知ってたな?」

かしらの指令で内密に調査中でした。まだホシの当たりはついてませんでしたがね」

「そうか……」穂村は呟いて、浅黒い額に這う汗を拭った。かぼちゃ組若頭補佐の一人である穂村は、筋肉質な見た目に反して経済ヤクザとしての強かさに満ちたやり手の男であり、ゆえに岸が多くを語らずとも、状況の胡散臭さに気がついたらしい。何事も回りくどく話すクセさえなければ、穂村はかぼちゃ組の中で最も理想の上司と呼べるものに近い男だと岸は評価していた。

「……ビスケットボーイは誰だ?」低い声が岸に聞く。

「吊るされていたのは佐久間。下で指切られて死んでた裏切り者は鈴木ってやつです」岸は淡々と答える。「鈴木は指を5本切られていました。死因は喉裂かれたみたいですが」

「ああそうかい」そう毒づいて、穂村は苦々しくタバコを噛み、鼻から煙を吐き出した。「つまり、あらましはこうだ。野いちご組のロリコンどもがうちのブヨを嗅ぎつけ、お馴染みの後にクリーム塗って配送……その後、その場にいた鈴木に拷問まがいの暴行を加えた挙げ句殺害し、金庫からドレスを杖だけ残してパクっていったと」

「はい」

「……岸、お前は体は細いが頭のキレる男だ。俺も知らされていねえような内部調査をかしらに任されるくらいにはな。そうだろ?」

「恐縮です」

「意見を言ってみろ」

「明らかに不自然です」岸は当然、そう答えた。「たかだかブヨの報復に、あの等級のドレスを強奪することそのものがあまりにも喧嘩腰です。もはや戦争を吹っかけているに等しい。そもそも、自分ですら所在も規模も知らなかった横領品の在り処を野いちご組が知っているのが腑に落ちません。鈴木がクルミを野いちごに流していた可能性も否定できませんが……」

「その場合、なんらかの交渉決裂の可能性がある。ブヨの死体はカモフラージュだったというわけだ」

「しかし、それですと……」

「杖が残っているのはおかしい」さえぎるように、穂村が答えを継ぐ。「それだけは絶対におかしい。クルミが欲しかったんなら杖ごとこっそり盗みゃいい話だ。情けなくも、ウチはあの事務所にブツがあることなんぞ親指小僧トム・サムの金玉ほども気づいちゃいなかったんだからな。杖がなけりゃ、俺たちゃそこにクルミがあったことすら知り得なかった。ではこれは宣戦布告か?」

「それも疑問です。先手必勝で戦争を仕掛けてくるなら、もっとデカい事務所を狙うでしょう」

「偶然見つけた宝の隠し所ゼムジのお山に目がくらみ、出来心で盗った……としても、やはり杖は残さんわな。お前の結論を聞こう」

「二つの線があります」岸は説明する。「一つは、襲撃された事務所に後から杖だけを運び込み、鈴木と野いちごに罪を擦り付けようとしたウチの誰かの犯行という線。矛盾はありませんが、行動があまりにも早いのが気にかかります。もう一つは、状況をうまく利用した火事場泥棒の可能性。こちらはどうにも都合の良すぎる話ですが、杖の問題を単純に『運びきれなかった』と説明できます」

「いずれにせよ、第三者の存在は確実か」穂村は椅子を回して、沈みつつある夕日に広い額を晒した。「いいだろう。"事実"の話はここまでだ。そろそろ"政治"の話をしよう。鍵は閉まっているな?」

「はい」岸は頷く。ようやく話が必要なところまで進んだようだ。

「知っての通りうちの組長オヤジは、野いちご組と戦争したがってる」穂村は言う。「ゆえに間違いなくこの件は『野いちご組の仕業』ってことになるだろう。組長は返せないことをわかって、クルミを返せと無理な要求をする。向こうの対応次第じゃこじれるが、当然最後にゃ戦争だ」

「はい」岸は頷く。

「だが一方で組長は、俺たちをコケにしたこの第三者とやらを決して許さねえ。いや、それは俺も許さん。何があっても踵を削いで目玉を引き抜き、ついでに釘の樽に詰め込んでヒラメの海に叩き落としてやるさ」

「しかし、表向きにはかぼちゃ組は『野いちご組の仕業』として動く」今度は岸が先を継ぐ。「つまり、自分一人で調査にあたれというわけですね?」

「入り用ならキツネかオオカミくらい貸すさ」振り返った穂村が、デスクに肘を乗せて身を乗り出す。「お前、この件の本当に厄介な部分がわかってるか?」

「……説明願います」

「第三者を許さねえのは、野いちごの連中も同じってことだ」穂村は指を一本立て、頭に突きつけるジェスチャーをする。「むしろあちらとしては組を上げて大々的に、舐めたマネしたイタズラ狐を狩りに行くだろう。その中でお前は、そいつの存在を否定しながら、俺たちのクルミを誰よりも早く取り返さにゃならねえ」

 流石の岸も、これには閉口した。

「……命の木からりんごを取ってこいというわけですか」努めて冷静な顔で、岸はそう呟いた。

「精々動物どもをうまく使うことだ」穂村は鼻から息を漏らして立ち上がり、岸の肩に手を置く。「ちゃんと愛のりんごにしてやるのは約束しよう。お前、贔屓の女の名前は?」

「……リンダです。先月、やっとデートさせていただきました」

「仕事を完遂した暁には、お前はリンダちゃんに<星>のドレスを贈れる」

「は?」

 岸は再び閉口した。

 かぼちゃ組最大のシノギ、高級ドレスには3つの等級がある。<太陽>が3、<月>が2、そして最高級が、王子が姫を思い出すための<星>のドレス。

 それ一着で女とのセックスが確約される、正真正銘の男の夢である。

「やる気が出たようで何よりだ」穂村の太い手が、彼の背を叩いた。「……速度が肝だ、岸。戦争が始まれば手遅れになる。まだ交渉が通じるうちに動け。俺たちの知らない第三者の正体を野いちご組が知っている可能性は大いにある。逆にないなら、それは俺たちの組に裏切り者がいる証拠だ。さあ、走ってこい」


 幾つかの<道具>の使用許可を確認して足早にオフィスを後にした岸を見送った穂村は、この後の自分の仕事を思い苦々しく舌打ちした。無論、岸のことなど羨ましくない、それこそ親指小僧の金玉ほども羨ましくはなかったが、それでも純粋な難題に知恵を絞って立ち向かうのはおとぎ話の主人公のように痛快な気分だろう。かつては穂村もそういう男だった。

(おとぎ話にゃ政治なんてねえだろうに……)心のなかでそう呟きながら、穂村はケータイを取り出し、この時間にはもうクラブにいるであろう組長……に付き添っているかしらの番号にコールを入れた。

 全く面倒な仕事である。

 しかし、それでもまだ、組長と直接話すのが自分ではないのはありがたい。

兄貴かしらにゃ申し訳ねえがなぁ……)

 コール3回で、カシラが出た。

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