七章:集結_concentration
「やっとそいつはちゃんと唄になるんだ」
夕暮れの駅前の雑踏の中で音楽が始まろうとしている。
ストリートで演奏するときの
ドラムセットを持ってこられないから、ドラマーの牛富は機械いじりに徹する。打ち込み音源のドラムを流しながら、音響の調整や録音、DJ的なことまで。
シンセサイザーの雄も、持ち運びが簡単な軽量型のキーボードだ。効果音の種類がちょっと変わる。そのわずかな違いをあれこれと熱く論じるファンがいる。
スタジオバージョンではどうのこうの、ストリートバージョンのほうが云々かんぬん。すっげーコダワリをぶつけ合う議論を、暇つぶしも兼ねて聞いてたんだけど。
どっちだっていいじゃん。優劣つける意味、ある? どっちのバージョンだって、あいつら全員が合意して納得して創ってる音なんだってば。
サウンドチェック、チューニング、音量調整、と流れるように準備が整っていって、メンバーが牛富にアイコンタクトを送る。牛富はうなずいて、手早くパソコンを操作した。
スピーカーから流れ出すドラムの音色は、心地よいエイトビート。すかさず、ギターの
真っ当なロックンロールだ。ストレートな響きが、正面からズドンと意識を撃ち抜きに来る。
心臓の鼓動がリズムに同期する。体温が上がるような、呼吸が弾むような、高揚感が体じゅうに満ちていく。
「腕、上げたじゃん。もともと文徳のギター、すげーうまかったけどさ~」
でも、ただうまいだけじゃないんだよな。人を惹き付ける何かがあるんだ。
何をするときよりも楽しそうな顔で、文徳はギターを弾いてる。吹っ切れたような疾走感。ときどきギュンッと激しくひずませるのがアクセントになって、オーディエンスを油断させない。
玉宮駅北口の広場は、瑪都流が現れたときにはもう、演奏を待ちかねた人たちでにぎわっていた。インディーズ音楽が大好物ってグループと、襄陽学園の制服のグループと、ストリートパフォーマーのグループと、あからさまに不良っぽいティーンズのグループと。
もともとこのへんは、不良って呼ばれるやつらがたむろするエリアだったそうだ。警察が頑張っても頑張っても、風紀はよくならなかった。
文徳はだいぶ無茶をするやつで、わざわざここをストリートライヴの会場に選んだ。最初はバトルになったらしい。でも、文徳たちは見事に全部やっつけた。タバコ吸ってたやつら、スケボーやってたやつら、ダンスやってたやつら、酒飲んでたやつら、全部。
そんなふうだったのに、敵じゃなくてファンがどんどん増えたってんだから、文徳のカリスマ性というか人徳というか、すげーよなーって思う。
ヴォーカリストの
電車が駅に滑り込んできた。と同時に、おれのスマホに届くメッセージ。
〈今、着いた〉
姉貴だ。
友達のバンドのライヴに行くって言ったら、姉貴もライヴに興味を示した。もしかしたら、姉貴が興味を持ったのは、瑪都流の音楽じゃなくて、おれが「友達」って呼ぶ相手のことかもしれない。
レトロなヨーロッパ風の駅舎から流れてくる人波の中で、朱い髪をした長身美人の姉貴は目立っている。おれはちょっと手を挙げて、姉貴に合図を送った。姉貴が同じ仕草で応じる。
そのとき、後ろから声を掛けられた。
「あっ。
おれは振り向いた。さよ子がいた。外灯のくすんだ光の下でも、ショートボブの髪にはツヤツヤの天使の輪が見て取れる。
「さよ子ちゃん。やっぱ聴きに来たんだ? 鈴蘭ちゃんと一緒?」
「はい! だって、ライヴだったら、煥先輩のこと見つめ放題ですもん。すーっごく楽しみです!」
「張り切ってるみたいで何よりだけど、このへん治安がよくない場所もあるから、気を付けなよ?」
「パパと同じこと言うんですね。大丈夫ですよ。わたし、ボディガードいますから!」
「頼もしいなー。ボディガードって、さよ子ちゃんのファンクラブ?」
「違いますって! ファンクラブなんて、そんなのいませんもん」
「うっそー? さよ子ちゃん、すげー美少女じゃん。モテるでしょ、絶対。おれが言うんだから間違いない。気安く声かけてくるようなやつがいたら、油断しちゃダメだよ?」
「理仁先輩こそ、男の人だからって、気安い人を相手に油断しちゃダメですよ。先輩は色っぽいとこがあるので、男女問わずモテちゃうと思います。連れてかれないように気を付けてくださいね」
「あー、それ実際、経験あるゎ。国外での話だけど」
「さっすが! やっぱりモテますよね。だって、先輩はスターオーラが出てるというか、パッと晴れやかな何かがありますもん!」
「そお? おれと正反対なあっきーにお熱のさよ子ちゃんが、そこまで言っちゃう?」
「言っちゃいますー。煥先輩は異次元の別枠として、理仁先輩がカッコいいことだって、疑いようのない事実ですから」
「おっ。嬉しいような悔しいようなビミョーな気分」
しょうもない話をしていると、姉貴がおれのとこに来て、さよ子に会釈した。さよ子は目をパチパチさせた。
「先輩のおねえさんですか?」
「さよ子ちゃん、見る目あるね~。一発目でそう訊かれること、めったにないんだよ。たいていは恋人同士かって訊かれる」
「えーっ、よく似てらっしゃるから、パッと見でわかるじゃないですかー。初めまして! わたし、平井さよ子といいます。理仁先輩とは、昨日たまたま廊下でぶつかって知り合いました」
「その自己紹介、どーなの?」
おれは噴き出したし、姉貴も笑った。さよ子はキョトンと首をかしげた。
さよ子は鈴蘭に呼ばれて、オーディエンスの列の前のほうへと進んでいった。おれの姿に気付いた鈴蘭は、ペコリと頭を下げた。
姉貴は、子犬か何かを見るときみたいに目を細めて、さよ子の後ろ姿を見送っていた。
「かわいくてキレイな子ね」
「しかも、すっげーおもしろいし」
「今日はガールハントしてたわけじゃなかったの?」
「いやぁ、最初はあの子のこと引っ掛けようと思ったんだけど、引っ掛かってくれなかったんだよね。
「え? じゃあ、四獣珠の?」
「違うらしい。別系統の宝珠を預かってる家系の子だって。あの子自身は異能の持ち主じゃないけど」
「別系統か。あるのね、本当に」
「ひいばあちゃんの古文書によると、ね。でも、預かり手の家系が途絶えたり、自分から宝珠を神社に寄贈する預かり手もいたりして、昔ほどきちんと全部がそろってる宝珠もあんまりないんじゃないかって話だったけど」
「全部っていうのは、四獣珠だったら四つともが現存しているって、そういう意味よね?」
「うん、それ。でね、四獣珠の預かり手が、この場にあと二人いる。さよ子ちゃんの隣にいる髪の長い子と、バンドのヴォーカリストだよ。ほら、今からフロントに出てくる銀髪のやつ」
おれは煥を指差した。
白い長袖Tシャツの胸には、殴り書き風にプリントされた尖ったメッセージ――Stick it to the man、つまり「権力に反旗をひるがえせ」。ズボンは履き替えずに制服のままで、足元も革靴だ。うつむきがちで、目元は銀色の前髪に隠れてしまっている。
煥は何も言わず、オーディエンスのほうを向かずに真ん中に立った。ひどく静かでおとなしそうに見えた。オーディエンスの期待の歓声に呑まれて押し潰されちゃうんじゃないかって心配になるほど、孤独っぽく透き通った存在感だった。
文徳たちが奏でる音楽が、ふっと表情を変えた。
インストのイントロが鳴りやんで、唄の一曲目が始まる。まっすぐな響きの軽快なアップテンポ。走り出したくなるような雰囲気は、文徳が書く曲のメインエッセンスだ。
ああ、こいつの作る曲調やっぱ好きだな、と思って。
煥が息を吸ってマイクに口を寄せた。次の瞬間に紡ぎ出された声に、その声の溶け込むバンドサウンドに、心臓をつかまれた。脳ミソごと揺さぶられた。
これがなきゃ眠れないんだと
ポケットから取り出す鎮痛剤
ラムネみたいに噛み砕いてみせるアンタが嫌いだよ
まるで鏡の中の自分みたいで
ポケットに隠したジャックナイフを
アンタの前では見せびらかさない俺のちっぽけな見栄
眠れやしない夜更けに
街灯の下に集まる
蛾の群れよりも不自由な
いつか聴いた唄みたいに
バイク奪って走って
ガラス割って殴り合ったら
くたびれて眠ってしまえるかな
詞を書くのは煥だって、文徳に聞いた。いつも心を堅く閉ざしてるみたいな、あんなやつが、なんて無防備な言葉を編むんだ。
しなやかで澄んだ声が歌い上げる言葉が、一つひとつハッキリ刺さってくる。
煥の喉が操るのは、耳で聞き取る声だけじゃなくて、桁違いの立体感と力感と情感を載せた思念そのものだ。手で触れることができそうなくらい、煥の歌声は、目に見えない形をしっかりと持っている。
嫉妬するよ、ほんと。もしも煥がおれのチカラを使えるんなら、世界の一つや二つ、簡単に征服できるんだろうな。
間奏で顔を上げた煥は、マイクのそばを離れて、文徳や亜美や牛富や雄を振り返る。うなずき合うメンバーの顔に笑みが浮かんだ。オーディエンスに背中を向けた煥も、きっと笑ったんだろう。
こっちに向き直ったときにはもう、煥は詞の世界に戻っていた。空っぽな表情を装って胸の痛みを隠すような、切なそうな顔だ。
お気に入りだったスニーカー
つま先が痛くても履いてた
いろんな大事なモノを一つ一つ覚えてられたあの頃
ウサギのぬいぐるみを
みすぼらしく汚れてても大事だった
ある日消えたウサギを探したら 再会できたゴミ捨て場
こんな風にちょっとずつ
壊して捨てて忘れて
大人になっていくのなら
子供の死体が大人なのかよ
ゴミ捨て場からの帰り道
泣きながら生きてたのに
ゴミ捨て場に棲み付いた今の
俺は 大人でもないタダノシカバネ
痛いなあ。すっげー痛いとこ突いてくるもんだ。
昔っから大事だったはずのモノが、怖くなったり
あっ、逃げたほうがラクじゃん、って。
それで、投げ出して逃げ出してさ。だいぶ時間が経ってから、もっかい気付くの。大事なモノがいつの間にか、ボロボロにぶっ壊れて修復できなくなってることに。
逃げるしかないって思ったんだよ。でも、ほんとにそうだったかなって、昨日、めっちゃ後悔した。一年ぶりに病院にお見舞いに行ったら、想像してた以上に胸が痛くて、苦しくなって。
いっそのこと何も感じないくらいまで、この心が死んで腐ってりゃよかったのに。おれって、かなり
強くもなければ弱くもなくて、正直になる方法だけはまったくもってわからない。
努力しろよ頑張れよって
ありがたく頂戴した言葉は
未開封のまま賞味期限
たぶんとっくに腐っちゃってる
こんな俺にしたのは誰だ?
犯人捜しに意味があるかい?
時間の無駄だろ 気付いてんだろ
ゴミ捨て場から出歩いてみようか
生き返る魔法を探しに行こうか
くたびれて倒れるまで足掻いてみようか
唄のタイトルは『リビングデッドブルース』っていうらしい。
煥は歌い終わったとたん、そそくさとセンターマイクの前から離れた。MCの文徳がそれを叱って、煥をうながしてマイクの前に立たせて、タイトルを言わせた。書いたばっかりの新曲だそうだ。
何を思いながらこの詞を書いたのかって、文徳が煥に訊いた。煥はちょっと顔をしかめた。
「別に、普段どおり。思ったことそのまんまだ。オレが書く詞でいいのかどうか、いつもわからなくて、最初に兄貴の前で歌うときも、最初にバンドで合わせてみるときも、最初にライヴで披露するときも、何ていうか……手が冷たくなってくような感覚」
怖い、って言いたいんだろうか。
自分自身の心を正直に書き綴った詞を、煥がいちばん信頼してる兄貴や、バンド仲間やオーディエンスの前にさらけ出す。受け入れられなかったらどうしようって、煥は思うんだろうか。
煥の言葉を待って、沈黙が落ちる。煥は、ふっと空を見上げた。どこでもない場所に視線を投げ掛けながら、煥はマイクの前でささやいた。
「オレが独りよがりで唄だと呼んでるモノが、本当に唄なのかどうか。兄貴とか、誰かが聴いて、唄だって認めてくれて。そしたら、やっとそいつはちゃんと唄になるんだって思う。人に届く言葉じゃないと、オレは、瑪都流の唄だって言いたくない」
スッと耳に染み入ってくるような声で、
歌うことに対して真剣なんだな、って思った。おれにはそういうもの、ないよな。おれも何かほしいな。
いや、手に入れるよりも先に、ボコボコの穴だらけになっちゃってるところを埋め戻さなきゃなんないかな。ゼロになるまで修復して、全部そこからかな。それってけっこう途方もないよな。
考え始めると、しんどくなる。
姉貴がささやいた。
「ステキなバンドね。いい曲」
横顔を見下ろしたら、目がやけにキラキラしていた。涙だ。
姉貴はさりげなくおれから顔を背けた。くるっとカールしたまつげが、せわしないまばたきに揺れる。細切れにされた涙が、ラメみたいにマスカラの上に引っ掛かった。
同じこと思ってたのかな、姉貴も。一年ぶんの親不孝への後悔。
意識がないんじゃなくて人格だけ眠っている。そんなタイプの植物状態がある。目が開いていて、定期的にまばたきをして、体を起こしてやったら腰掛ける体勢を保持できて、眠くなれば目を閉じて眠って。だけど、呼んでも手を握っても、応えない。
ものを飲み込むのは、最初からうまくできなかった。チューブとか点滴とかで命をつないで、ちょっとずつやせて弱っていって、小さな変化を毎日見に来るんだったらおれも気付かなかったかもしれないけど、一年だ。
一年ぶりにお見舞いに行ったら、五十歳の眠り姫は、信じられないほどやせて小さくなって弱々しくなって、今にも死にそうな病人同然になっていた。母親がこんなに早く、こんなにちっちゃくなるなんて、さすがに想像もできなかった。
声も出ないほど後悔した。後悔に追い打ちをかける医者の言葉に、何か視界が真っ暗になっていくような感じで、立っていられなかった。
おかあさんの体は、うまく栄養を取れなくなってきています。体が弱ったことに起因する疾病がいくつか出てきていますし、このタイミングでお子さんたちが会いに来てくれて……間に合ってよかったと思いますよ。
よかった、って。何がよかったんだろう?
おれさ、別に、親の死に目に間に合いたくて帰ってきたんじゃねぇんだよ。
何かが死ぬところなんて、命が消えるところなんて、相手が何者だとしても、見たいもんじゃないでしょ、普通。しかも、何で親? どうして母親が弱って死んでいくとこなんか、じっくり付き合わなきゃけないわけ?
イヤなんだよ。お見舞いとか、毎度すっげー苦しいんだよ。母親には見てもらえもしないのに、花粉の出ない花を店で尋ねて、お見舞い用に整えてもらって買ってくの。それで、その花束を見てくれる看護師さんたちから「いい息子さんね」なんて言われんの。
違うんだってば。おれが必ず花を持っていくの、母親のためっつーより、引っ込みがつかなくなってるだけなんだよ。ナースセンターで「あのお花の子」って覚えられてんの知ってて、途中でキャラを変えるとかできなくなって。
本当は花なんて全然わかんねぇよ。花なんて、名前も旬も花言葉も全然、頭に入ってこねぇし。
てか、母親だって、別に花が好きな人でもないんだよね。母親が本当に好きなのは、アレンジした果物。果肉が丸ごと入ったゼリーとか、ドライフルーツとかナッツとか、コンポートとか、酸味バリバリのベリー系のジャムとか。
だけど、そんなもん、自力で食事しようとしない人へのお見舞いに持ってきたって仕方ないし。持ってきたいけど。喜ぶってわかってんのに。
ねえ、もうそろそろスパッと目ぇ覚ましてよ。
そしたら、「一年ほっぽり出してたんだけど覚えてないでしょ、ごめんねー、あはは」って感じで、あっさり孝行息子に戻ってやれるよ、おれ。弱った体でも、果汁のゼリーとかなら食べられるんじゃない?
だから、ねえ。起きろよ。返事しろよ。目ぇ開いてんなら、おれのこと見つめ返せよ。頼むから。
後悔と反発がごちゃ混ぜになっている。掻き乱される胸の内側はどろどろで、ざらざらで、濁っていて汚くて醜くて、情けなくて涙が出そうになる。
電車が駅に到着する音。お決まりのメロディとアナウンス。人混みの気配。
文徳のMCが一段落して拍手が起こって、それを断ち切る照れ隠しみたいなタイミングで、次の曲が始まる。一生懸命に疾走する音に呑まれて、おれのぐるぐる迷走した思考がストップする。
そうだよ。
ガンガン鳴らしてよ、ロックサウンド。
今だけ、悩み事も何もかも忘れさせてよ。
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