十幕:初恋_my_first_love

「変わり者の大秀才が、どうしたのよ?」

「海牙くん」


 リアさんの声に呼ばれて、ハッと跳ね起きた。まわりを見渡す。カフェレストランTOPAZの気取った内装。脱出できたんだ。


 みんな、まだ倒れている。唯一、起き上がっているのは、赤いドレスを着たリアさんだった。


 立った瞬間、軽いめまいがした。どうにか踏ん張って、視界の揺れが落ち着いてから、リアさんに駆け寄る。


「体に異常はありませんか?」

「わたしは大丈夫」

「でも、タイムリミットが」

「お坊ちゃま基準で測らないでもらいたいわ。わたしはそんなに軟弱じゃないの」


 リアさんは身軽な動作で、寝かされていた台から下りた。


 改めて見ると、すごいドレスだ。肩は全開で、胸元もきわどい。マーメイドラインのすそは長いけれど、スリットが深くて、太ももまで見える。


 大丈夫とは言ったものの、リアさんはよろけた。ちょうどぼくの胸に倒れ込んでくる格好だった。ぼくの肩に手を掛けて、体を支える。


「やっぱりゴメン、ちょっと貧血みたいな感じ」

「だ、大丈夫ですか?」


 真上から胸の谷間がのぞける。

【絶景だ】


 思わず、その一つずつの直径をあてずっぽうに目測した。ああもう、力学フィジックスが戻っていれば……。


「こら」

 視界がリアさんの手のひらでさえぎられた。


「す、すみません」

「正直なのよ、きみは」

「ごめんなさい」

「そういう軽率な視線を誰にでも向けちゃダメよ」

「しません、やりません」

【リアさん以外の人には向けません】


「……そういうトコかわいいから、ひとまず許す」

「すみません」

【やった】


 そのときだ。


「おいおいおい、ちょっとちょっと、いきなりそういうの困るよ~。お二人さん、何をイチャついてんのかね~?」


 ひとくんの声と、起き上がる気配。ぼくに目隠しをしたまま、リアさんが嬉しそうな声を上げた。


「よかった、理仁! 鈴蘭ちゃんもあきらくんも! みんな大丈夫そうね」

「おれらもそんなに軟弱じゃねぇし~」


 駆け寄ってくる足音は鈴蘭さんだろう。と思った三秒後、ぼくはリアさんに押しのけられた。リアさんは、飛び付いてきた鈴蘭さんを抱きしめる。


「リアさん、目を覚ましてくれてよかったですー!」

「苦労させちゃってゴメンね」


 ダメだ、あのドレス。どうしても胸に目が行く。小柄な鈴蘭さんの顔の位置がうらやましすぎる。

 ざらざらとした呻き声が聞こえた。


【こ、ここは……現実世界か。せっかく手に入れた肉体的自由が……】


 黄帝珠が、祥之助の頭のそばに、四つに割れた姿で転がっている。チカチカと発光するものの、浮かび上がるのがままならないらしい。祥之助はまだ意識が戻っていない。


 ぼくは笑みをこしらえて、黄帝珠に歩み寄った。


「くたばりぞこないの鉱物が、一人前に気絶していたんですか? 予告しましたよね。後で徹底的に対処する、と。今がそのときですよ」


 割れた破片の四つをまとめて蹴り飛ばして、祥之助から引き離す。逃げ出そうとしてフラフラと浮かび上がるところを、ぼくと煥くんで蹴落とした。


【わ、我を足蹴にするとは、無礼な! おぬしら、ただではおかぬぞ!】

「男に蹴られるのが不満だそうです。リアさん、鈴蘭さん、踏んであげてください」

【ふざけるな!】

「まあ、喜ばせてやる義理もありませんね」


 わめく黄帝珠の形状を観察する。氷を乱雑にアイスピックで割った感じだ。割れ目がギザギザしている。細かなひびも入っている。


「海牙、こいつをどうする?」

「そうですね。すでにずいぶんともろそうですが」


 球は、あらゆる形の中で最も表面積が少ないから、最も安定した形だ。かつての四獣珠の預かり手が完全体の黄帝珠と対峙したとき、球である宝珠を破壊するには、きわめて大きな力が必要だっただろう。


 黄帝珠は今、かなり安定を欠く形をしている。硬い上に不安定となれば、負荷の加え方次第で、簡単に割れるはずだ。


「そうだ、煥くんの障壁ガードは薄くて硬い板状のモノで、形を自由に変えられるんですよね?」

「ああ。単純な形なら作れる」

「鋭角の三角形はできますか?」

「大きさは?」

「これに先端をぶつけやすいサイズで」


 ぼくは黄帝珠を指差した。


 納得した顔の煥くんが、左右の手を胸の前にかざした。空間が白く光って、障壁ガードとは名ばかりの武器が出現する。煥くんの胸から膝までの高さを持つ、鋭角十五度の二等辺三角形。まるで、巨大な槍の穂先だ。


「ひびに突き込めばいいんだな?」

【や、やめろ、白虎! そうだ、おぬしにチカラを貸そう! 白獣珠よりも強いチカラで、おぬしを……】

「黙れ、耳が腐る」


 煥くんは容赦なく、白い光の三角形を黄帝珠に突き立てた。二本同時に、一点を狙って。


 黄金色の破片が割れる。さらに新たなひびが走って、また割れる。白い光に焼かれながら、細かく砕けていく。聞き苦しい悲鳴が神経を引っ掻く。


 破片は、一定未満の小さな粒子になると、存在を保てないようだった。試験管の中で起こす水素爆発みたいな、頼りない爆発音が連なる。黄金色の残光も消えていく。


【白虎、また今回も、きさまぁぁああっ!】

「またですか? かつて同じことが起こったと?」

「オレの先祖がこいつを割ったのか。もっとキッチリやっておけよな」

【我を侮辱するなぁぁああっ!】

「侮辱じゃねえ。軽蔑してんだ」


「察するに、黄帝珠自身なんでしょうね。禁忌を冒したのは、預かり手と呼ばれる人間ではなく黄帝珠。明確な人格を持ったり、預かり手の肉体を乗っ取ったりと、かつても好き放題にやったんでしょう。運命の一枝を揺さぶるほどの影響力に、四獣珠が危機感をいだいた」


【玄武、その気取った口をいつまでも利けると思うな! 怨んでやる……怨んでやるぞ。人間に感情の存する限り、我が司る怨みは不滅。四獣珠、きさまらの引き合うチカラの中心に、我は必ず復活する!】


 煥くんが二つ目の破片に白い光を突き込んだ。


「復活するなら、そのときは、またぶっつぶしてやるだけだ」

【き、消えていく! 我が存在が、我がチカラが、ああぁぁ……!】


 煥くんが白い光を振り上げて、振り下ろす。黄帝珠が悲鳴を上げ、黄金色の粒子が飛び、すぐに四散する。


「この白い光にはこんなに破壊力があるのに、煥くんはこれを障壁ガードと名付けたんですね」

「人を守るためのチカラがほしかったんだ。破壊したり奪ったりするためのチカラなんて、弱ぇよ」


 低い声で吐き捨てて、煥くんは正確に、白い光で黄帝珠の最後の破片を貫いた。悲鳴が一瞬だけ高くなって。すぐに途絶えた。


 そして、凄まじい衝撃が来た。

 脳を直接殴られたかのように、刹那、意識が真っ白になる。


「おい、海牙!」

 揺さぶられて、目を上げた。


 慌てた様子の煥くんの顔に、数値が重なって見えた。顔の縦方向の中心軸から各パーツへの距離。各パーツ同士の位置関係。

 整然とした数値の群れは、ぼくの目にとって、きわめて美しいものだ。


「やっぱりイケメンですね、煥くんは」

「は?」

「心意気だけでなく、顔のパーツの座標もね。黄金比って知ってます?」


 支えてくれていた煥くんから体を離す。煥くんが目を輝かせた。


「チカラ、戻ったのか!」

「ご心配をおかけしましたが、無事にね」


【もちろん、おれもね~。ってことで、早速お仕事! 隠れてる黒服の皆さん、全員カモ~ン!】


 忘れていたけど、そうだった。このホールには、黒服の戦闘要員が、あちこちに潜んでいるはずだ。


 五十九人、黒服が出てきた。麻酔銃やボウガンを構えている者、倒れたままの祥之助に呼び掛ける者。仕事とはいえ、ご苦労さまだ。


【全員、武装解除! さっさと武器を捨てろ! 捨てたら寝てろ! 手間の掛かるやつは、あっきーが殴るぞ!】

「オレかよ」


 理仁くんに逆らえる黒服はいなかった。気迫が凄まじい。帯電しているかのように、ビリビリと振動する空気。膨大で解析不能な情報が理仁くんから噴き出して、荒れ狂う嵐の様相を呈している。


 武器や防弾チョッキが投げ出される音のせいか。それとも、理仁くんの気迫に感応したのか。


【おんや~、お坊ちゃまのお目覚めかな?】


 祥之助が、そろそろと体を起こした。

 リアさんと鈴蘭さんが、思わずといった様子で身構えた。ぼくと煥くんが祥之助に近付こうとした。その誰よりも先に、理仁くんが動いていた。


 理仁くんは、祥之助に駆け寄りながら命じた。

【立て!】


 祥之助が、飛び跳ねるように立ち上がった。黄帝珠の影響が消えて、号令コマンドが通っている。


 駆け寄った勢いのまま、理仁くんは祥之助の頬を殴った。ガクリと倒れかける祥之助に、理仁くんは再び命じる。


【誰が転んでいいと言った? 立てっつってんだよ!】

「な、何を……おまえ、ボ、ボクを殴った?」

【他人に殴られたくねぇか? じゃあ、自分でやれ!】


 祥之助の手が、ベチン、と自分の頬を打った。みるみるうちに頬が腫れる。

 リアさんが呆れ顔をした。


「訴えられたらどうするのよ?」

「この後、こいつの記憶消すから平気」


「できるの? 記憶の操作は大仕事だって言ってたじゃないの」

「こいつ相手なら、簡単だと思うよ。無駄にプライド高いもんな、お坊ちゃまは。敗北の記憶なんて、さっさと消したいでしょ? 余計な騒ぎを起こしてくれやがった黄帝珠のことも、ぜーんぶ忘れたいよね?」


 祥之助が後ずさった。理仁くんは長い腕を伸ばして、祥之助の胸倉をつかんだ。


「お、おまえら、大勢で寄ってたかって、ボクを……」

「何十人もの黒服に護衛させといて、それ言う? おれって温和なナイスガイだけど、今、さすがにけっこう怒ってんだよね~。きみにかける暗示はさ、自分史上最大級にパワー出せる気がするんだ。ねえ、どんな命令されたい?」


 理仁くんの両眼は危険そうに朱く燃えている。祥之助はもはやおびえ切って、悲鳴すら上げられない。

 煥くんが止めに入った。


「気持ちはわかるが、やりすぎるなよ。こいつ、軟弱そうだから、すぐ死ぬぞ」

「今、殺意あるよ、おれ」

「だから、こんなやつのために自分をすり減らすなって」


「理屈じゃねーんだよ。姉貴をこんな目に遭わされてさ、ねえ、何て言やいいんだよ、この感情?」

「それでも、落ち着け。あんたが本気で命じたら、こいつ、本当に死ぬかもしれないんだぞ。そしたら、一生、こんなやつの記憶があんたに付きまとうことになる」


 理仁くんが肩で息をついた。


「自分で自分に号令コマンドできりゃいいのにねって、しょっちゅう思うよ。気持ちを切り替えたいとき、スパッとやれりゃ楽なのにね」


 理仁くんは頭突きをするように、祥之助に顔を寄せた。至近距離で祥之助の目をにらむ。


【次があったら許さねえ。おれたちに危害を加えた場合、てめぇ、死ねよ】


 絶対的な暗示。測定できないエネルギーを持つチカラが、祥之助の心臓にくさびを打った。

 理仁くんが祥之助を突き放した。よろめきつつも、祥之助にはまだ、倒れてはならない指示が効いている。


【姉貴の服と荷物、どこ? 素直に出してくれたら、おれら、撤退してやるから】

「この店のスタッフルームだ。ロッカーに入れてある」

【意外とまともな待遇じゃん。さっさと案内してくれる?】


 店の奥へと歩き出す祥之助に、理仁くんがついて行く。煥くんが理仁くんに並んだ。


「オレも行く。今の理仁は、ほっとくと危険だ」

「あっきー、ひどぉい。じゃなくて、ツンデレ? おれと一緒にいたい?」


 普段の様子でおどける理仁くんに、煥くんは面倒そうに黙った。クスリと笑った鈴蘭さんが、ぼくを見て、リアさんを見た。小走りで二人を追い掛ける。


「待ってください、わたしも行きます! リアさんの荷物や服を男性がさわるのはダメです!」

「おいお~い、おれは姉貴の弟だよ?」

「それでも、です。あ、わたし、さよ子に電話しますね」


 最後の一言は、ぼくを振り返りながらだった。さよ子さんに連絡すれば、KHANにぼくたちの無事が伝わる。すぐに迎えの車を送ってもらえるはずだ。


 でも、荷物と着替えはリアさん自身が取りに行けばいいんじゃないですか? このドレスからもとの服に着替えられるし。

 と、言おうとして。


 思考も呼吸も吹き飛んだ。後ろから、ふわりと抱き付かれたせいだ。

「ちょっ、え、なっ……あの、リアさん?」


 しなやかで白い腕がぼくの体の前で交差して、後ろ髪の掛かるぼくの首筋に、リアさんの額が押し当てられている。背中に、柔らかい膨らみを感じる。


「ちょっとこのままで」

「あ……め、めまいでも、しますか?」


 一瞬のうちに加速した鼓動を、きっと聞かれてしまう。体が熱くほてっていく。

 リアさんが少し笑った。吐息のくすぐったさを、ひどく敏感に背中が知る。


「ありがとう」

「な、何のことです?」

「覚えてるから。見えていたから。きみがわたしのために言ってくれたことも、わたしのために戦ってくれたことも、涙を流してくれたことも。全部、ありがとう」


 恥ずかしい、苦しい、くすぐったい、痛い、苦い、じれったい、切ない。そして、甘くて熱い。

 胸の中に沸き返る感情のせいで、また涙が出そうになった。変だな。そんなの、柄でもないのに。


「リアさん」

「何?」


 口が勝手に動いた。

「ぼくは頑張りましたから、ごほうびにデートしてください」


 支離滅裂だ。

 リアさんが胸を震わせて笑った。


「変わり者の大秀才が、どうしたのよ? 何を言い出すかと思ったら、急に普通の高校生になっちゃって」

「先入観や固定観念があれば、そこから逸脱したくなるんです。ぼくだって、恋くらいしますよ」


 言葉の持つチカラは絶大だ。恋、と口に出した瞬間、この気持ちから逃れようがなくなった。

 ぼくは、リアさんのことが好きだ。

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