86:兄より優れた弟など、いないって話


 物語は少し時間を遡る。

 場所は旧ゴールデンドーン、現ザイード村。

 主人公はもちろん……。


 ◆


 私の名はザイード・ガンダール・ベイルロード。

 マウガリア王国で一番広大な領土を支配する、ベイルロード辺境伯の次男である。


 母は当時第二夫人のベラだ。

 正妻であったイルミナが死亡したことで、現在の正妻は私の母であるベラとなった。だというのに、父はどうもイルミナの子を優遇している節がある。


 だが!

 次期辺境伯に相応しいのは、誰よりも能力があるこの私だろう!?

 父の血を引き継いでいる以上、えこひいきは許されない!


 私はもともと辺境伯領の一部地域を治めていた実績だけでなく、ベラの助言で弟のカイルが見捨てた・・・・土地を支配しているのだ!

 当然私が評価されるべきこの状況で、聞こえてくるのはカイルの評価ばかりだ!

 一体どんなインチキをやっているというのか!


 兄を越える弟の存在など許される事ではない!

 しかし、カイルの功績はたしかに見栄えがよいのは確かだ。

 もっとも耳触りだけがよい、中身のない功績なのは、調べずとも間違いないだろうがな。


 だから私も、見栄えのよい成果を出さなくてはならない。

 そんな事をぐるぐると考えていると、ようやく扉にノックがあった。


「お呼びですかな? ザイード様」

「遅いぞ! ジャビール!」


 部屋に入ってきたのは、私に仕えている……正確には少し違うが、まぁにたようなものだ。仕えている錬金術師のジャビールだ。

 ジャビールは昔、妙齢のナイスバディーで私好みだったというのに、実験の失敗とかで、子供のような体型に変化してしまったのだ。初めて見たときは驚いたが、それ以上になんともったいないことか。


 だが、幼女の姿にも関わらず、その頭脳は変わらず優秀だ。融通が利かず、わがままである点を除けばだが。


「私は論文作成で忙しいのじゃがのう」


 ジャビールは続けて「あのバカが次々と新しい製法を送ってくるせいなのじゃ」と呟いた。


「ん? 何か言ったか? 声が小さいぞ」

「独り言なのじゃ」


 私はふんと鼻息を鳴らす。


「何の役に立つかわからん論文も結構だがな、頼んで置いたヒールポーションは完成しているか?」

「もちろんなのじゃ。しかしこんな大量のヒールポーションをどうするつもりなのじゃ? 前にも伝えたが、販売目的に使われるのはごめんなのじゃ」

「契約は覚えている。安心しろ。これは兵士用だ」

「それにしても大量なのじゃ」

「ふむ。貴様には伝えておくか、近日中に湿地帯の魔物を一掃する!」

「なんじゃと?」


 ふふんとザイードが鼻を鳴らす。ジャビールの驚いた顔を見てご機嫌らしい。

 もっとも、ザイードがジャビールに抱いた思いと、ジャビールの驚いた理由には格差があったが。


「ザイード様。それは少々無謀というものなのじゃ。あそこはとても広大なのじゃ、ゴールデンドーンですら、魔物の駆逐を諦め……」


 私はそこで強く手を打った。

 ジャビールが最後に言った事こそが要なのだ。


「そう! カイルが不可能だったというのが重要なのだよ!」


 私はジャビールの言葉を遮って、ご機嫌で両手を広げた。

 ジャビールは続けようとした言葉を飲み込む。


「すまん、言い直すのじゃ。駆除を諦めたというより、湿地帯はザイード村の方が近いから、カイル様は開拓を遠慮しているというのが実情じゃとおもうのじゃ」


 私はもう一度鼻を鳴らした。


「ふん。開拓地の主張は早い物勝ちだろう。カイルのからしたら例の湿地帯は確かに距離があるのだろうが、別にこの村から目と鼻の先という話でもないのだ。それで手を引いたのだから、諦めたのだよ!」


 私は真理にして正解を語ってやる。

 久しぶりにジャビールを言い負かせたと確信していたのだが、この女、ため息交じりで腰に手をやるのだ。


「湿地帯の魔物一掃なのじゃがな、弟子から聞いたかぎりじゃと、今のゴールデンドーンの戦力であれば、充分に可能じゃと思うのじゃ。じゃから今手をいれておらんのは、単純に興味がないのか、準備をしているのか……」

「はん! 臆病風に吹かれたに決まっているだろう! 湿地帯を開墾できれば、大量の米が手に入り、食糧に困らなくなるのだからな!」

「あそこは今、バカ弟子が関わっている大農園があるから、食糧に困っておらんだけなのじゃ……」

「ええい黙れジャビール! 今までどんな手品を使ってきたのかわからぬが、見栄えのよい成果を次々と上げていたカイルが諦めたのだよ! 普通に考えたら、ドラゴン討伐より、湿地帯の開拓の方が楽だろう!?」


 そう!

 どう考えたところで、湿地帯の一掃とドラゴン討伐を比べたら、難易度は湿地帯殲滅の方が下なのだ。それこそがカイルがドラゴン討伐に手品か反則技を使った証拠でもある!


「いや、距離を考えたらそうそう大部隊を送れぬじゃろうし、広大な湿地帯に大量に点在する強力なヒュドラを一掃せねばんのじゃぞ? ドラゴン討伐よりもよっぽど厄介なのは明白なのじゃ。そもそも今のゴールデンドーンの規模を考えたら、防衛と周辺駆逐で手一杯なのじゃが……うむ。聞いておらぬな」


 誰がお前の戯れ言など聞くか!

 いつも屁理屈ばかりで、真実が見えていないのはお前だろう!


「私が湿地帯開墾を成し遂げることで、カイルの今までの成果が誇大であったことを知らしめ、かつ私が優秀である事を内外に示せるのだ! やらない手はないだろう!」


 再びジャビールが絶句した。

 どうやらようやく私の言葉の意味を理解したらしい。私は満足げに頷く。


「私兵三〇〇名の全てを投入し、まずはある程度目減らししたあと、時間をかけて徹底的に駆除していくつもりだ! 本当は一度に全てを一掃するつもりだったのだが、兵士長から助言があってな。ふん。慎重にすぎるが、確実に成功させなければならぬからな」

「ちょ、ちょっと待つのじゃ! 今回の討伐に、冒険者は雇わぬつもりなのじゃ!?」

「ん? 当たり前だろう。この村に出入りする大半の冒険者は、忌々しいことにカイル村に登録している冒険者が大半だからな」


 そう。

 私の村に出入りする冒険者の大半は、商隊の護衛として雇われた者か、くだんの湿地帯にヒュドラ狩りへいく者なのだ。

 どちらもこの村に宿を取っているだけだったりする。

 この村を拠点に活動している冒険者は皆無である。


 おそらく兵士長の助言というのも、不可能という言葉をオブラートに包んだ結果なのだろう。

 ジャビールは兵士たちに同情するしかない。


「ザイード様。それはもう決定事項なのかの? あれじゃ、もしかしたら兵士長の助言というのは、不可能という言葉をオブラートに包んだ結果なのではないのか?」

「私の兵に軟弱ものはおらぬ!」


 ジャビールは小さく息を吐いた。


「わかったのじゃ。ならばあとでバカ弟子謹製のスタミナポーションを差し入れよう。持って行くがよいのじゃ」


 ジャビールのバカ弟子……あのクラフトの事か!

 奴のスタミナポーションは貴重品だぞ!?


「なに? あれはなかなか高く売れるぞ? 兵士に配るのか?」

「売るのならば、提供はしないのじゃ。そもそも私物なのじゃ」

「ふむ……お前が作れぬ品質のポーションだったな。少し惜しいがその様に手配してやろう」

「うむ。バカ弟子から、手土産兼サンプルとしてもらったものじゃが……兵士の安全を考えたら奴も許してくれるじゃろ」


 ジャビールは深く深く息を吐いた。


「ま、私が毎日飲む分には困らぬし。すでに論文は提出済みじゃから、サンプルが残っていなくても問題ないのじゃ。それよりも死人を減らす確率を増やすのが大事なのじゃ」

「細かい話は知らぬ。とにかくもらっていくぞ……。クラフトに売る分のスタミナポーションを寄越すようには言えんのか?」

「それをやれというのであれば、私はもうザイード様の下にはおれんのじゃ」

「……わかった。忘れろ」


 ふん。どうでもいいところで弟子思いなのだな。

 やりにくい。

 まあいい。これからは私の時代だ!


 こうして満を持して、我が精鋭たちが勇ましく湿地帯に旅立って行った。

 旅立っていった訳だが……。


 ◆


「なんだこれは!? どういう事だ!?」


 戻ってきた兵士たちは満身創痍。死者がいなかったことが不思議なほどだった。

 包帯を巻いた隊長が、片膝をついてかしこまる。


「ザイード様! 申し訳ありません! 我ら全力で挑んだのですが、湿地帯は広く、休みなくいつまでも襲ってくるヒュドラの群れに撤退するほかありませんでした!」

「な……なんだと!? おかしいではないか! カイル村からくる冒険者どもは、素材感覚で狩っていくだろう!?」

「現地でその冒険者の戦いを目撃したのですが、彼らはおかしいです! ガンダールのBランク冒険者に匹敵する実力があるのではと思うほどで……!」

「所詮冒険者だろう!? 訓練を重ね、金をもらっているお前たちが、ならず者の冒険者より劣るというのか!?」


 隊長は奥歯を噛みしめる。


「……冒険者パーティーは魔術師や、神官の紋章持ちなどもおり、全体のバランスが良かったことと、彼らの目的が、ヒュドラの魔石と素材であることから、無理をせず、少数を狩っては移動するという方法をとっており、敵を全滅させるという私たちとは、戦い方が大きく異なるという事情が……」


 隊長の言葉に、ふむと腕を組む。

 自分の兵士を無能と罵るのは簡単だが、冒険者より格下と考えるには感情が許さない。

 それに言ってることは間違ってはいないだろう。

 特に今回は初めての攻略作戦だったのだ。少しくらい多めに見てやるのが良き指導者というもの。


「ならば、戦略を立て直せ! お前たちは私の兵士だろう!? 冒険者どもに負けるなど許されぬぞ!」

「はっ! はああ!」


 一斉に頭を下げる兵士たち。

 うむ。今回責任を問わぬ事でこやつらは私に感謝し、より一層の忠義を持ち、次の作戦は必ず成功させるであろう。

 やはり私は優れた指導者だな!


「ザイード様……」


 声に振り返ると、ジャビールだった。


「なんだジャビール。お前は兵の治療を任せたはずだが?」


 この幼女。錬金術だけでなく、医者としての知識もあるのだ。こういうとき使わなければ、飼っている意味がない。


「もちろんそれはやっておるのじゃ。しかし、この惨状を見て、策もなしにまた繰り返すのかの?」

「策を考えるのは兵隊の仕事だろうが! 今回の責任を不問にしているだけでは不服か!?」

「うーむ……」


 ジャビールはしばらく腕を組み唸っていたが、決意したように顔を上げた。


「ザイード様。何度も言うのじゃが、湿地帯は広いのじゃ。たしかに成功すれば偉業なのじゃが、さすがにこの戦力では無理があるのではないかのう」

「ふん。だからこその偉業だろう。カイルが諦めたこの事業をなせば、兄すら蹴落とせる」

「じゃが……」

「しつこいぞジャビール! これは決定事項だ!」

「……わかったのじゃ」


 ジャビールはため息をまき散らした後、自らの研究室へと戻っていった。途中、奴の独り言が零れる。


「さて……しばらくは研究を諦め、兵士用のポーションを作っておいてやるしかないのじゃな」


 ふん。最初から素直に薬を作り続ければよいというのに。

 だが、ジャビールにヘソを曲げられると、困るのも確かだからな。まったく扱いに困る幼女だ。


 私はままならい部下に囲まれつつ、貴族としての職務を全うすべく、執務室に向かった。


 そして……。


「た……大変ですザイード様!」

「なんだ騒々しい」


 それは兵士が戻って数日後の事だった。

 書類仕事を進めていると、文官が血相を変えて執務室に飛び込んできたのだ。


「そ、その。これをご覧ください!」


 文官が抱えていたのは大量の木簡だ。羊皮紙を使っていないところを見ると、そんなに重要な書類には見えないのだが。


 木簡を一つ手に取り、文字を追うと、私の顔から血の気が一気に引いた。

 それは兵士の退職届だったのだ。

 私は木簡を次々に手に取る。


「これも……これもこれもこれも! 全て退職届けではないかぁ! どうなっている文官んんんんん!」

「ど、どうなっているも、ごく普通の退職届で……全てが退職金と年金を辞退するから今すぐやめたいと」


 血の気が引いて冷え切っていた頭が、一気に沸騰する。


「ふ……ふ……ふざけるなぁああああああ!!!! 隊長をすぐに呼び出せ!」

「その、今ザイード様が手にしている木簡が、隊長の退職届けでして……」


 文官が顔を真っ青にして、手の木簡を指さす。

 頭の中で、なにかがぷつーんと切れた音を聞いた気がした。


「そうか……そうか……全員か……」


 ふふふと意識していないのに、笑いがこみ上げているのがわかる。


「よし……退職したい奴は認めてやろう。きちんと退職金も払ってやる」

「え……え?」


 文官が二度、目をしばたかせた。


「だが! それは湿地帯の攻略が終わってからだ! あそこの魔物を一匹残らず駆逐するまで辞めるのは許さぬ! それでも辞めるというなら敵前逃亡、脱走罪で即時処刑する!」

「そ! それは! 確かに私兵ではありますが、有事の脱走は死刑と契約をしておりますが、現在の状況は……!」

「すでに湿地帯の魔物と交戦状態ではないと、お前は明確に言えるのか!?」

「そ……それは……、しかし流石にそれはいささか……」

「うるさい! 現在我が軍は交戦状態につき、いかなる理由の除隊も認めん! すぐに全員に通達しろ!」

「は……は!」

「それと……」


 私は壁に掛けられている、名剣を手に取った。

 片刃の長剣で、細身で反りがあり、大きなハンドガードがあるサーベルだ。

 父から成人の祝いとして贈られた名剣で、ミスリルをふんだんに使った魔法の剣である。

 石をバターのように切り裂くことが可能だ。


 久しぶりにサーベルを鞘から抜き、一振り。

 わずかに魔法の軌跡が残る。


「私も出ると、伝えておけ」


 政治でも、剣でも、カイルより優れていると見せつけねばならない!


 次の日、久々に鎧を身に纏い、馬に跨がる。

 私は居並ぶ兵士の前に出て、高々とサーベルを掲げた。


「それでは我ら人間の領域に巣くう邪悪なる魔物を殲滅に行くぞ!」

「「「おおおおおおお!!!」」」


 兵士たちの咆哮が響くと、街の住民たちも期待の眼差しで応援を贈ってきた。

 そうだ!

 その賛辞こそ! 私にもっとも必要で似合うものなのだ!


 こうして私は、三百名の兵を引き連れ、湿地帯へと出立したのだ。

 もちろん。

 まさかあんな事になるとは欠片も思わずに。


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