ポテラバ
古川
1杯目 : 愛が熱いのは芋をほくほくに揚げるのに油が高温でなくてはならないからである
やっぱり、食いたいと思うのは間違っているだろうか。
俺は、佐藤を食いたい。
佐藤というのは同じクラスの女子である。食いたいというのは性欲から発生するあれではなく、純粋な食欲として、佐藤を食いたい。
それは、唐突に湧いた食欲だった。
昼休みだった。弁当を食い終わった後だった。腹は満たされていたのだ。にもかかわらず、俺の横を友達と共に通過していった佐藤に、腹から突き上げるような食欲を感じた。ほぼ、飢餓的なやつだった。
空腹で生死をさまよった経験などないが、そういう状況の中で食料を渇望するかのような感覚。今すぐそれを体内に摂取し、生きるためのエネルギーに変えたいという、直線的で生物的な欲求だった。
かと言って、頭とか腕とかに食らいついて骨や肉や内臓をばりばり食う、なんていう真っ赤なビジョンが浮かんだわけじゃない。具体的映像を伴う欲求ではなく、ぼんやりとした、しかし確かな質量を持った抽象的概念だった。
そんな形のないものを扱った経験などほぼなかった。俺がこれまでの人生の中で本気になって扱い続けたのはサッカーボールくらいのもので、そこには物理的な法則が当然働いていた。だから、入るシュートにはそれだけの理由があって、外れるシュートにも同じことが言えた。
しかし、今俺の中に湧き上がるこの得体の知れないものはなんなのか。法則も原理もなにもわからない。なにも掴めない。なぜ俺は佐藤を食いたいのか。その疑問だけが、ずっと脳内を旋回している。
食べ物など腐らせて捨てるほどある現代社会を生きながら、そうした通常のレベルを逸した食欲を、人間に対し、それもクラスメイトの女子に対して抱くというのは、我ながらちょっと、いや、かなり重度に頭がおかしいんじゃないかと思っている。
「お前頭おかしいんじゃねーの?」
真山に言われる。
「毎日毎日いもばっか食ってよく飽きないよな。この一週間でバケツ一杯分は食ってる。まともな人間のすることじゃないだろ」
ふがふがとフレンチフライポテトLサイズを口に詰め込みながら、
「俺もそう思う」
と、真山に同意する。せざるを得ない。
こいつの言うことは大抵において正論であり、だからこそ俺はいつも頷かなかった。正しいことを言うのが、いつも正しいとは限らない。大した哲学のない俺の、唯一のポリシーと言えば格好がつくか。しかし今はそれさえも貫けない。
反発の意思を見せない俺を横目に、真山はコーラを吸った。
佐藤への食欲を紛らわすために、俺はいもを必要とした。
学校から徒歩5分、ベアーズバーガーという名の小さなハンバーカー屋にて、放課後ほぼ毎日、フレンチフライポテトLサイズを三つ注文して貪り食うのである。
いもの箱に書かれた、何かに襲いかかる瞬間の熊のイラストを睨み付けながら、一心不乱に、食う。ほくほくに揚げられた上に、絶妙な塩加減が施されたいもを、食う。俺がこれまで食ってきた中でナンバーワンに君臨するうまさのいもを、食って食って食う。
そうしてやっと、佐藤への食欲を自分の内部に押し込むのだ。
これはもしかしたら、ただの恋愛感情なのではないかと、希望を持って推測したりもした。
実は俺は変態で、食欲と性欲の区別もつかないような、そんな猿でもわかってそうなことを理解できない、特殊な性癖の持ち主なのではないかと。それはそれでショッキングな事実ではあるのだが、この食欲の出所がわかれば、それだけでも少し落ち着くような気がしたのだ。
実のところ、佐藤はそこそこの容姿をしているし、笑った顔なんかはわりと可愛いとは思う。が、言っちゃ悪いが、好みのタイプではない。痩せ過ぎている。
繊細な感じならまだ許せる。でも完全にあれは、取り扱い注意の部類に入る。俺には無理だ。俺には扱えない。
つまるところ、そういった身体的な印象というのは生理的なところに結び付くのであって、俺は佐藤に女子としての魅力を感じない。
そうした理由から、俺が佐藤に抱く食欲というのが、恋愛感情から来ているのでも、変態的性癖から来ているのでもなさそうなのだった。
じゃあこの飢餓感はなんだ。
熊のイラストに問う。俺はなぜこんなにもいもを食う必要があるのか。いや、お前はうまいぞ。間違いなくナンバーワンだ。死ぬ前に食べる最後の一品には、迷いなくお前を選ぶだろう。お前を食べると、俺は身も心も満たされ、この上ない幸福感に包まれる。もうお前なしでは生きていけないかもしれない。
が。
人間を食いたいと思う気持ちを押さえ込むためにお前を食い続けるというのは、どう考えてもおかしい。なぁそうだろ? お前にしたってそんな食われ方、本望じゃないはずだ。なぁ熊。そうだろ?
「誰に喋りかけてんだよ。いも食い過ぎて幻覚でも見てんのか? かなり危険だぞお前。俺が真面目に心配して言ってんのわかってないだろ」
真山に言われる。俺はふがふが食いながら、
「俺も自分が心配」
と、同意する。せざるを得ない。
そう、心配なのだ。
明らかに俺は太ってきた。揚げ物を毎日たらふく食らっているのだ。腹回りがすでに3センチはでかくなった自覚がある。
サッカー部を引退して一ヶ月半、現役時代に比べたら運動量も相当に落ちているのだ。消費が減ったにも関わらず、この異常摂取だ。このままこれを続けたらやばいことになる。
俺は立ち上がる。
「糞を、出してくる」
入れるのをやめられないのであれば、出すより他ない。俺は重たくなった腹を抱え、トイレへ向かう。
そこに、いたのだ、佐藤が。
ほとんどどの席からも死角になる、店内の最も奥、トイレの前の席に、佐藤がいた。そこで、食っていたのだ、いもを、ふがふがと。
俺と目が合うと、佐藤は口に運んでいた途中のいもを止め、少し考えてから、ゆっくりとまた口へ運び、食った。すでに口の中にあったいもと共に咀嚼し、ごくんと飲み込んだ。それから、これから怒られることを覚悟している子供のような目で、俺を見た。
俺はその、佐藤がいもを食う、という行為を目の前にして、これは見てはいけないものだ、と本能の部分で思った。見てはいけない行為であるが故に貴重であり、頭の中にしっかりと刻み付けて保存し、後日脳内で繰り返し繰り返し再生したいと思うような、そういう場面に遭遇しているのだと思った。
佐藤が、いもを、食っている。
俺がこの世で一番うまいと思ういもを。
伝えたい、と思った。声に出して伝えないことには、熱過ぎて、俺の内部が焦げつくと思った。その熱から逃れるように、俺は言った。
「俺それ、すげぇ好き」
佐藤は驚いた顔をしたが、すぐに笑った。
「私も、大好き」
それが始まりだった。
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