記憶の記録者

藍雨

終末の音を聴き、記憶を視るわたしのこと

 


 その日、わたしは耳に届いた終末の音を頼りに、木星の軌道周辺を進んでおりました。土星のリングが美しく視界の隅で存在感を放っておりました。

 手にした史書は、数千ページ目。わたしは今日も、終末の瞬間に出会うため、広大な空を旅しています。






「きみには、惑星史の担当をしてもらう」

「惑星史、ですか?」

「ああ、そうだ。きみの目と耳はよく利く。終末の音に耳を澄ませることは容易だろうし、惑星の記憶を詳細に視ることも叶うだろう。特に終末の音は、一度聴き逃すと二度と聴くことができない。きみの注意深い性格を見込んでの選択でもある。よろしく頼んだよ」

 

 修行を終えたわたしは、その日初めて仕事をいただきました。惑星史の記録、それがわたしの仕事になりました。

 わたしの目と耳はよく利きます。これは、天使という種族にとって、どうやらとても珍しく、重宝する力のようでした。なぜなら天使は、あまりに多くのことを知りすぎず、視すぎず、聴きすぎず、感じすぎないために、脳の神経の、視力の、聴力の、触覚の一部を産まれた段階ですこしずつ奪われるからです。

 わたしだって、ほかの天使と同じように、それらをすこしずつ、失くしていたはずでした。しかし、どうやら視力と聴力が、特別に強かったようなのでした。

 

「お、来たな。待ってたよ、エンジェ」


 わたしは記録に必要な史書を受け取るために、記録課を訪ねました。わたしを迎え入れてくれたのは、責任者のアンジェロでした。


「二代目惑星史者さん、どうぞこちらへ」

「……そんな呼び方は、やめてください。まだ、くすぐったいです」

「いいじゃないか。先代との連絡が途絶えて三百年だ。その期間にだって、惑星は消えていくんだ。おれは、そろそろ新しい史者を、とずっと申請してたんだよ」


 そう言いながら、アンジェロはわたしの目の前に、どさりと紙束を置きました。


「記録課の弱弱しい聴力で拾い上げた、三百年の空白の期間に消えてしまった惑星たちの記録だ。これ、おまえに編纂しなおしてもらうから」

「この量をですか!?」

「ああ、そうだ。手始めに、史者の厳しさを教え込んでやるよ」


 機嫌よさそうに笑うアンジェロを、この時ばかりはすこし憎らしく思いました。けれどアンジェロは、わたしに仕事の詳細をたくさん教えてくれました。いきなり史者を任されて右往左往していたわたしの指標になってくれたのです。

 わたしはそれから、多くの終末の音を聴き、その惑星の記憶を視て、史書に記録しては、空を飛び回る日々に追われるようになりました。惑星は、毎日どこかで生まれ、また、どこかで消えていくのです。史書は千ページを優に超え、その冊数は一年で二百にまで達しました。


 惑星の終末に出会うとき、わたしはいつも不思議な感覚を覚えます。惑星の記憶は、橙色から始まります。それから緑、青、とすこしずつ変化していき、紫、グレー、黒……暗く、沈んでいきます。最後には無になって、そうして、惑星は消えていきます。

 初めのころは、自分の始まりを喜んでいても、いずれ滅びゆくのだと悟ると、惑星は悲しみ、静かに心の準備をするのでした。

 天使はやはり、感情も奪われていきます。喜びすぎず、悲しみすぎず、怒りすぎないために。だから惑星たちの感情の豊かさに驚かされ––––––––––どうしようもない憧憬を、覚えるのです。持っていたはずの、けれどもう生まれたころの明度では、鮮明さでは、激しさでは、二度と手にすることのできない、尊い、「生」を象徴するもの。欲しくてたまらない、というほどではありません。激しく燃えるほどの欲求さえ、持ち合わせないのですから。


 だから、その青い惑星の記憶に出会った時、わたしは羽の力を失い、落ちてしまいそうになりました。落ちた天使など、もうそれは天使ではない。わたしは、なんとか正気の裾を掴み、その記憶と向き合いました。

 羽ペンの先が震えていました。その記憶を、どのように記録していいのか、すこしもわかりませんでした。

 この惑星のなまえが『地球』というなまえであることを、わたしはそれから何千年もあとに、知ることになります。

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