第二十五話 始祖となりうる者

 数日後、埴泰はにやす赤嶺あかみね伽耶乃かやのの元を訪れていた。

 窓の外の景色は緑なす草原が広がり、遠くには頂を白く染めた雄大な山がそびえている。もちろん超高画質映像によるもので、場所は都会の真ん中の赤嶺家のビルだ。

「あの娘が狙われる理由は何だ?」

 確認せねばならなかった。

 一度目のコンビニから出た後。あの時は不埒な行為に及ぶためと思っていたが、どこか連れだそうとする雰囲気があった。だが、これはまだ違うとも言える。

 そして二度目の襲撃。サラマンドラに焼かれた兵士たちは誰かを捕縛する目的であった。これもまだ、他の者が目的と言えなくもない。

 だが、焼き肉後の三度目は確実に九凛くりんを狙ってきていた。

「本気で守りたいなら赤嶺家の実働部隊を動かすか、そもそも当人を匿ってしまえばいい。何故こんな、陰から見守らせるような非効率な事をするんだ」

「…………」

「何を隠してる? イヴとは何だ?」

 その問いに伽耶乃は小さく息を吐き、心を落ち着けるようにハーブの香りが漂う紅茶に口をつけた。背後で控える老執事の園上は瞑目し、部屋の中は少しの音もしない。

 何呼吸か間を置くと、伽耶乃は静かに口を開いた。

「イヴとは、セカンドイヴの事よ」

「セカンドイヴ?」

「ええ、セカンドについて説明するまでもないわね。旧来の人類を超えた能力を持つ存在。そして幻想生物と戦うための強化された人類」

「もしくは生体兵器と言うべきかもしれないがな」

 伽耶乃の言葉に埴泰は皮肉げに呟いた。

「でも強化された能力は一時的なもの。後天性形質なので遺伝する事はないわね。だからこそ、新たに生まれた子供にセカンド措置を行い、能力を付与する必要があるのよね」

「赤嶺財閥の大事な財源だな」

「そうね、権力の根源でもあるわね。でも――生まれつきセカンド能力を持った女の子が確認されたのよ。それが堅香子九凛」

「……なっ!?」

 埴泰は驚愕し思わず紅茶のカップをひっくり返してしまった。

 その意味するところは実験室で生きた埴泰にはよく分かる。人間が新たな人類を生み出したという事だ。とんでもない出来事である。

 すかさず横で控えていた園上が素早く拭き取り、まるで予め準備していたかのようにお代わりまで用意されてしまう。

 だが、そちらには埴泰も伽耶乃も意識一つ向けさえしない。

「遺伝情報に何らかの変化が生じたという事ね。そうなると、堅香子九凛の子孫は間違いなくセカンド能力を受け継いでいくはず。遠い将来には全てのセカンドの、いいえ……新たな人類の祖先になるかもしれないわね」

「だから、セカンドイヴか」

「その通りよ」

 だがそうなると――。

「セカンド措置で財源を得ている赤嶺財閥にとっては大問題か。だが、待ってくれ。だったらどうして、自社に不利益をもたらす存在を護らせる? 理由が分からんな……まさか九凛が成長した後で実験に使うつもりではないだろうな」

 埴泰は語気強く言い放った。あの少女が囚われ、繁殖実験やその他のおぞましい実験に使われるなど許せなかった。

 殺気さえ込もる目に睨まれるものの、伽耶乃は物憂げな顔で両手に収めたティーカップを静かにもてあそぶばかりだ。

「するはずないでしょ。だって――九凛は私の子だもの」

 なんと言うべきか衝撃的言葉だ。

 埴泰は戸惑った。

 それまでの怒気はどこへやら、口を半開きとして目を瞬かせている。

「えっと。あれ? 独身という話じゃあ……」

「もちろん独身よ。更に言うなら男性経験だってないわよ。九凛は私の体細胞クローンを利用して産んだ子だから」

「今まで、そんな話なんて聞いた事もないが」

「すぐに乳児院に預けて隠蔽したもの。知ってる者は極僅かね」

 苦渋の表情をする伽耶乃を見れば、それが安直な選択による事でないと分かる。相手の事情も考えず、根掘り葉掘り尋ねるほど埴泰は恥知らずではない。人には人の事情があると考え口を閉ざした。

 黙り込む埴泰に伽耶乃は微笑んだ。少し泣きそうに見えるのは気のせいか。

「支援だけして、こっそり報告だけは貰い続けていたのよね。でも健康診断の血液検査で九凛にセカンド能力があると判明したのよ。セカンド措置を受けさせてないはずなのにね。もう心底驚いて近くのビルを破壊してしまったぐらいよ」

「そりゃ大変だ」

「でもね、その時の血液サンプルから通常のセカンドと違う事も気付かれたようなの。直ぐに情報は抑えたのだけど……完全ではなかったみたいなのよ」

「なるほど」

 しばし両者は黙り込む。

 窓の外を見れば、草原に穏やかな風が吹き抜け草を揺らしている。映像とは思えない光景で、このまま窓を開け寝転がってみたいぐらいだ。

 磁器の触れ合う音。伽耶乃がティーカップを手放した気配に視線を戻す。

「普通のセカンドは技術漏洩防止のプロテクトが施されているわ。でもね、能力が先天性遺伝となったセカンドイヴには、それが存在しないのよ。そうなると……さっき埴泰が言った事に関係してくるわね」

「赤嶺財閥にとっては大問題か……」

 セカンド措置の技術は赤嶺が一手に抑えた状態。

 けれど、他の企業が堅香子九凛を確保すれば、そのための技術を容易く手に入れる事ができてしまう。赤嶺を面白く思わない存在や、成り代わりを狙う存在にとっては垂涎の獲物に違いない。

「だったら、早いところ自分の手で保護すべきだろ。側に置いた方が一番安全じゃないか」

「確かにその通りね……でも私の側に居ても幸せにはなれないでしょ」

「意味が分からないが。母親の側に居られるなら……」

「ファーストセカンド、英雄、赤嶺財閥幹部。周りはそうした目で私を見て、そうあるべきと価値観を押しつけてくるのよ。そんな女の娘であると知れたらどうなるかしら?」

「…………」

「あの子は普通の人生は送れなくなって、人間関係も破壊されるわ。友人だって権力と財力に媚びてくるでしょうね」

「…………」

 九凛にとって一番の友人はユミナだ。伽耶乃が懸念するような人間に変質するような性格ではない。だが、周囲が対等な友人である事をを許さない場合だってある。少なくとも、今のような関係には居られない事は間違いない。

「おまけにマスコミだっているわ。一挙手一投足を監視されて、プライベートなんてありやしない。気軽に外を歩く事もできなくなる。それでも幸せかしら?」

「……何とも言えないな」

 埴泰は曖昧に答えるしかなかった。

 賢しげな忠告で自分の考えを押しつけるほど厚かましくはない。全ては当事者である伽耶乃が決める事であって、そこに他人が口を挟むべき事ではないのだ。

「だったら、赤嶺を使わない理由は?」

「信用出来ないから」

「またまた、さらっと言ってのける……」

「だってそうでしょ。そこは、あなたの方が詳しいでしょ」

「まあな。自社の利益の為なら、人の命なんて少しも気にしないからな」

 埴泰は肩をすくめた。

 自社に不利益をもたらすと判断すれば、赤嶺財閥は全力を持って堅香子九凛を排除しようとするだろう。伽耶乃は役員の一人であって、全ての権力を掌握しているわけではないのだ。

「という訳で、赤嶺の息がかかってなくて信用出来て、私が知る限り最も強い存在のあなたに私の一番大切な存在を任せたというわけ。お分かり?」

 冗談めかして笑う伽耶乃を前に、埴泰は軽く顔を引きつらせ笑った。

 その一番大切な存在を一度は殺そうと考え、実行寸前だったなどと誰が言えようか。自分を苦しめる発作に感謝したのは、この時が初めてだ。

「でもね、あと少しで大丈夫よ。あなたが回収してくれたデータ。それのおかげで、セカンドイヴの情報を知る者の調査は概ね完了しているの。ありがとう」

「そりゃどうも」

「会長や他の役員にはセカンドに関する研究を潰すと説明して、気付かれる前に攻撃を仕掛けるつもりよ。今度こそ徹底的に完全に情報を消してみせるわ。九凛の安全の為なら、何があっても絶対にね」

 宣言する言葉には強く激しい意志が存在し、埴泰としては細かく震えながら何度も頷くしかない。

 その様子が可笑しいのか、伽耶乃のはクスクスと笑う。やはり仕草も声も可憐で美しく、初々しい。女性としては、ある種の理想的な存在に違いない。

「ところで……九凛って、とっても可愛いでしょ。元気で明るくて素直で優しい他人思いな子なのよね。同じ施設の子がケガしたら、それを病院まで背負って走ったそうなのよ。どう、良い子でしょ。そうそう、昔のお遊戯の映像を見せてあげるわ。園上、準備して頂戴」

 ご機嫌な伽耶乃は饒舌で、素晴らしく魅力的な笑顔だ。子供自慢がしたくて堪らない様子がありありと分かる。これまで存在を極秘として隠蔽してきたわけで、つまり子供の話をできる相手は限られていたという事だ。

 埴泰は老執事に目で助けを求めたが、それはあっさり黙殺されてしまった。

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