第十七話 ネコの手貸します

「うぐっ! があああっ!」

 突然響いた声に、ユミナは目を見開いた。喉元を掴まれた痛みと驚きに困惑していたが、相手の力が緩んだ隙に拘束を逃れる。

 実技館の土の床に尻餅をつくと、素早く身を起こし這って逃げ数度咳き込んだ。

 振り向いた先には、苦痛に喘ぎ痙攣する乃南講師の姿がある。

 ちょっと変わっているが何度も助けてくれた良い人。そう評価した相手の豹変ぶりが理解できなかった。プロトセカンドという都市伝説に対する反応は冗談だと思っていたが、今の行動は明らかに首を絞めようとしていた。

 よく分からなかった。

 辺りに散乱する神器刀や、切り刻まれ破壊された幻想生物を模した標的たち。これまで見た事のないような能力であったが、セカンドの能力によるものである事は間違いない。本当にプロトセカンドなのだろうか。

 呆然としつつ考え込んでいると、九凛くりんが駆けてくる。

「大丈夫!?」

 心配しきった顔で息せき切らせ、途中にある箱など思い切り跳び越えている。背後のポニーテールが大きく跳ね、制服のスカートが大きく広がり、相変わらず元気だとユミナは思った。そして心配させないように、自分は大丈夫だと微笑む。

「ええ、私は平気ですから」

「そっか良かった。なんだか分かんないけど、助かったみたいだね。さあ、今のうちだよ。先生たちに知らせなきゃ」

「…………」

「まったくもう何なの、こんな危ない人だなんて思わなかったよ」

 九凛に肩を借り立ち上がるユミナであったが、その目は地面で苦しむ相手へと向けたままだ。

 顔をしかめ歯を食いしばり、呼吸は浅くて早い。シャツの胸元を握りしめる力は指が白くなるほど。そして、声は苦悶に満ち低く圧し殺したもの。うずくまった状態のまま、殆ど動けないでいる。

 ここまで辛そうな状態は見た事がなかった。

「苦しんでます」

「そうだね。だからチャンス! 今のうちに逃げるよ、って何する気!?」

「苦しんでいるので助けてあげないと」

「うわっ、出たよ。ユミナのお人好し病が……ダメ、絶対にダメ。こんな危険な人を助ける必要なんてないんだから。助けた後に何されるか分かんないよ」

 強く言った九凛はユミナの腕を掴んだ。

 ほっそりとした手足だが、どこにそんな力があるのか意外な程の力をみせ引っ張る。きっと力の使い方が子供なのだろう。しかし体格差は如何ともしがたい。

 ユミナは優しくゆっくりと振り解いた。

「……ごめん、九凛。やっぱり助けてあげないと。だって、この人には何度も助けて貰ってるでしょ。私が面倒を看る間に、誰かを呼んできて下さい」

「ちょっと本気で助けるの!?」

「確かに今ここで襲われましたが、二度も助けられた恩があります」

 はっきりとした口調であるのは自身に言い聞かせるためでもある。

 コンビニ帰りの危ない相手。回帰教という怪しい集団。その両方から助けられたのは間違いない事実だ。ユミナの心境としては、警戒と感謝に心配を加え、僅かな興味を添えた状態であった。つまり、自分でもよく分からない。だからこそ、一番自分らしい行動を取る事にしたのだ。

「うー、はいはい」

 言われた九凛は渋々と頷く。こちらも警戒心が大きいだけで、実は似たような心境なのだ。

「全くもうね、ユミナってば頑固だよね。もう止めないから。でも、反対するわけじゃなくって真面目に考えてみて。この状態で、あたしたちに何ができるっての?」

 これが怪我であれば絆創膏を貼るとか止血するとかだ。または原因が分かれば対応する市販薬を飲ませるとかは出来る。けれど、目の前で苦しむ相手はそうした状態ではない。

 そうなれば医療知識のないユミナと九凛に出来る事は、おっかなびっくりで様子を見ている事ぐらいだ。それは無意味以外の何ものでもないだろう。

「確かに……何もできませんね。そうですよね」

「やっぱりユミナって、どっか抜けているんだから」

「むっ、失礼ですね。ですが困りました……こうなれば病院に連れて行くか擁護の先生を呼ぶべきかするしかありませんね」

「ま、そーだね。それがいいと思うよ」

 しかし、その時であった。

 病院との言葉に対し、相手が朦朧としながら反応したのだ。

「ダメ……だ……実験。あそこは……戻りたくない……」

 震える手をもどかしいほどの速度で動かし、少しでも逃げようとする意思をみせだす。その仕草は必死であり懸命であり、激しい恐怖が存在していた。

 九凛とユミナは顔を見合わせる。

「何なの? この人は何言ってるの……」

「プロトセカンド。あの都市伝説で語られた内容が事実だと考えれば、そういう事では?」

「死んだ方がマシな実験って事? 嘘、本当にそんな事……」

 二人の少女が見つめる先で、相手は怯える子供のように背を丸めていた。

「そっか……じゃあ……病院とかダメだよね。でも、このまま側にいる事しか出来ないの?」

「手を握ってあげる事ぐらいしか……あれ、なんでしょう?」

 不意にユミナが視線を入り口の方へと向け呟く。

 そちらには神器刀を収める細長い箱が幾つか積まれているのだが、その向こう側に何か縞模様の長いものがピンッと伸びていた。それはヒョコヒョコと揺れながら移動している。

 二人が目を瞬かせ見つめていると、角から姿を現わしたのは銀地に黒の渦模様がある生物であった。

 目が合うなり、にゃあと鳴かれる。

「ネコ? それはいいけど。あれ? いつの間に中に?」

 学園の敷地は広大であるため、野良ネコが何匹か居着いている。教師たちも特には追い払おうともせず、生徒たちにとってネコは身近な存在ではあった。

 ただし、建物の中には入った場合は追い出され、それを知るネコもそうそうは入り込まない。

 あげくにネコは倒れたままの相手に近寄ると数度頭を擦りつけ、にゃあと鳴いている。顔見知りに挨拶したというよりも、もっとフレンドリーな様子だ。

 反応がないとみると、ちょこんと座り込むと尻尾を縦にパタパタとさせだす。

「これは何か考え込んでますね」

「だね、そんな顔をしている」

 くるりと振り向いたネコだが、それまで少しも存在を気にしてなかった九凛とユミナの顔を順に見つめ、にゃあと数度鳴いた。

 腹から声を出すような力強く要求するような声色。そして前足で倒れ苦しむ者の胸をトントンと叩く仕草。

 二人は顔を見合わせた。

「えっと、何か言ってるようですが?」

「どうでしょうか、私は猫語は分かりませんのでなんとも言えません」

「あたしだって分かんないよ」

「ですが、雰囲気的には理解できない事もない感じですよね。つまり、そこに何かあると?」

 にゃあと少し苛立った感じのある鳴き声に促され、ユミナは慎重に手を伸ばした。ポケットの中に金属製の小ぶりなケースを見つけた。裏面には細かな文字で幾つかの注意事項が記されている。薬品名とある横に、文字が記載されていた。

 ユミナが読み上げると九凛が頷く。

「待って、その名前で検索してみる……えっと、セカンド処置が失敗した人に生じる副作用を一時的に緩和する薬ってあるわね」

「なるほど、この人はやっぱり……」

 プロトセカンドという言葉をユミナは胸の奥に押し留めた。

「これを飲ませれば良いわけですね。もちろん憶測段階ではありますが」

「よし、飲ませちゃおう」

 言って九凛はユミナからケースを取り上げた。止める間もなく中の錠剤を意識の朦朧もうろうとした相手の口へと放り込んだ。所持していたペットボトル飲料を逆さに突っ込み無理矢理流し込もうとする。

 あまりにも酷い扱いの理由は、まだ怒りが残っているからに違いない。

 なんにせよ水と薬は溢れ出た。

「ちょっとなんで飲まないのよ。飲まなきゃ駄目じゃないの」

「あのですね……当たり前でしょう。いいですか、意識レベルの落ちた人は簡単に飲めませんよ。この状態で飲ませようとしたら……」

「したら?」

「困りました。方法は思いつきましたけど、それはその……どうしましょう」

「それってどんな方法なの?」

「ええっと――」

 その疑問に対しユミナが説明をすれば、九凛は頭の上で腕を交差させる。つまり×の字だ。

「そこまでする必要なーし。後は救急車を呼んでお終いね。はい決定」

「…………」

「殺そうとしてきた相手だもん。無理に薬を飲ませなくたっていいじゃない」

「……いえ、やります」

「そうそう、やめときなさい……って、やるの? 本気で!?」

「このまま見捨てるのは、私の性に合いませんから」

「いや、それそうかもしれないけど」

 驚く九凛の前で、ユミナはまず薬を軽く口に含む。そしてペットボトルをあおり、意を決すると苦しむ相手へと顔を近づけた。

 それから――ようやく錠剤を飲み込ませる事に成功したのだった。

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