魔王のいない朝がくる

左安倍虎

愚か者の語り

 若者に知恵があったら、老人に力があったなら。

 「銀の時代」の詩人が粘土板にきざんだ詩句を、わたしは思いだしていました。

 まだ若いわたしには、知恵がたりなかった。どうしようもなく、愚かだった。

 けっして光のさすことのない深い井戸の底に突きおとされたら、こんな気分だろうか──そう思わずにいられないほど、そのとき、わたしは憂うつな気持ちでした。

 

 わたしの足もとにおかれている、オレンジ色の球体。そのなかには、五つの星がまたたいています。この魂石ソウルジェムのせいで、わたしは、この世界のありようを、取り返しがつかないほどにゆがめてしまったのです。


「ねえリズ、どうしてそのお肉食べないの?」


 鉄串にさしたおいしそうな牙カモシカのお肉を手にしつつ考え込んでいるわたしに、犬耳をぴんと立てた少女が問いかけます。

 彼女とともにたき火をかこむ三人も、私にけげんそうな目をむけました。


「い、いや、なんでもないよ、ノーラ」


 獣人の少女に、私はぎこちない笑みを返しました。

 夜空をみあげると、ふたごの月が寄りそい、満天の星がまたたいています。

 ここ、「天の台座」フォンモート山のいただきは空気がすんでいて、手をのばせば届きそうなくらいに、星々も大きくみえるのです。


「そう?なんだかとてもつらそうだよ」


 獣人のするどい感覚で、ノーラは私のようすがおかしいことに気づいたようです。

 ノーラはふしぎそうに小首をかしげたあと、わきの草むらによこたわっている巨大な遺体に目をむけました。

 そのからだはは虫類のようなうろこにおおわれ、獅子の形の長いしっぽがはえていますが、二本の足はたくましい馬のようで、頭からは鳥のような鋭いくちばしが突きでていて、背中にはドラゴンの翼がはえています。

 

 この生きもの──わたしたちの生きるウィルダニア大陸をおびやかしていた魔王グラニコス──と、わたしたちは今日のお昼ごろまで戦っていました。

 はげしい戦いにようやく勝ったので、わたしたちはお互いの健闘をたたえつつ、こうしてたき火をかこみながら、ようやく手ごわい魔王を倒すことのできたよろこびにひたっているのです。こんなにすばらしい経験は、生まれてはじめてのことです。


 いえ、今わたしは嘘をつきました。

 ほんとうは、魔王を倒したのは、これがはじめてではありません。

 

「なんだ、おまえ、ハラ減ってないのか?それ、食わないんだったら未来の勇者様ゼノスがいただいちまうぜ」


 うす笑いを浮かべながら、となりにすわっている重戦士ゼノスがわたしのお肉に手をのばしてきます。

 古代竜の骨からつくった無骨なよろいに身を包みながらもひとなみ以上に軽快に動き、魔王のうろこを深々と切りさいたのはこのゼノスの剣です。

 五人の仲間がちからを合わせて魔王を倒したとはいえ、この戦いでいちばん活躍していたのはゼノスです。かれには魔王の首を故郷にもちかえる資格があります。そしてきっと、ウィルダニア大陸でもっとも名誉ある「勇者」の称号をあたえられることでしょう。


「きみはもう十分食べただろう?リズのぶんまで取らなくてもいいじゃないか」


 ゼノスをたしなめたのは、ゆったりとしたローブをまとった男のひとです。

 黒く塗りつぶされた丸メガネをかけているせいで、かれがどんな目でゼノスをみているのかはわかりません。

 大賢者アルド。まだ二十くらいなのにそうよばれているかれは、あらゆる魔法を使いこなし、歴史や地理や天文にも通じている知識人です。


「オレはリズに、未来の勇者様に食事をゆずる名誉を与えてやろうっていってんのさ。なんたって、『灰の時代』の訪れをふせいだのはこのオレなんだからな」


 いにしえの預言者テメレアによると、歴史は「金の時代」「銀の時代」「銅の時代」「鉄の時代」「灰の時代」という順番ですすむそうです。いまは「鉄の時代」で、魔王グラニコスの炎が世界を焼きつくすと終末の「灰の時代」がおとずれるのだと考えられていました。


「彼女にもきっと、なにか気がかりなことがあるんだろう。それを確かめるのが先だよ。リズ、なにか僕たちに話したいことがあるんじゃないのかい?」


 アルドにはなんでもお見通しです。ノーラが直感で気づくことを、アルドはつみあげた知識で察するようです。つとめておだやかに話すアルドの態度に、私も重い口をひらきます。


「……あの、これは信じてもらえるかどうかわからないんだけど」

「なんだよ。言いたいことがあるならさっさと言えよ」

「ゼノス、今は口をはさまないで。リズ、話してごらん」


 むくれるゼノスを横目に、私はいいます。


「実はわたしたち、らしいの」


 一瞬、みんなが静まりかえりました。

 アルドまでが、なにを言っているかわからない、といった風に、けげんそうにわたしを見つめています。


「すまない、リズ、もう少しくわしく話してもらえるかな」

「わたし、今朝起きたら、きのう──いや今日なんだけど──とまったく同じ一日をくり返していることに気がついたの。三千階段をのぼりきってフォンモート山の頂上にたどり着いたことも、ノーラが弓で牙カモシカをしとめてくれたことも、トグリルがウィンディーネを呼び出してグラニコスの炎をふせいでくれたことも、そしてゼノスが切りさいた魔王のおなかからこの魂石ソウルジェムが出てきたことも、そっくりそのまま、ぜんぶわたしがいちど体験したこととおなじ」


 わたしは足もとの魂石ソウルジェムをゆびさしました。

 この石にふれるもののどんな願いでもかなえてくれるという、太古の時代の遺産といわれているものです。


「つまり、ぼくたちは二度めの今日を生きている、ということなのかな?」

「そう……だと思う。そうでないと、あのグラニコスを二回も倒すなんてことがあるはずがないし」


 わたしがそう言うと、ゼノスが片頬をゆがめました。


「へっ、今日を二回もくり返してるだと?そんなわけがあるかよ。それが本当なら、なんでオレたちはそのことを覚えてねえんだよ」

「たしかにそうだ。ぼくにも、今日が二回目の今日だという記憶はない。トグリル、きみは今日がくり返されていることをおぼえている?」


 問いをむけられたトグリルは、だまって首を横にふりました。

 頭から黒ずくめの衣服をすっぽりとかぶり、頭巾の穴から赤く光る眼だけをのぞかせているトグリルは、すご腕の精霊使いであるということのほかは、すべてが謎につつまれています。性別すらもわかりません。


「ノーラも、今日ははじめての今日だよ。リズ、なにかわるい夢でも見たんじゃないの?」


 どうやら、今日という日がくり返されていることを知っているのは、わたしだけのようです。


(ここでも、わたしはひとりぼっちなんだ)


 胸の奥にちいさな痛みが走ります。「神の嫁」といわれるほどに大きな治癒の力をさずかっていたわたしは、この力ゆえに、聖職者のみなさんからも邪魔者あつかいされていたことを思いだしていました。


「あれは夢なんかじゃないよ。わたしたちは、今日をほんとうにくり返している」

「ふん、そんな証拠がどこにあるんだ。お前以外のだれも、今日が二度めの今日だなんて言ってねえぞ」


 ゼノスはばからしい、といったふうに笑います。


「リズ、きみがもしほんとうに今日のことをおぼえているのなら、これからなにが起きるかもわかるんじゃないかな?」


 アルドはわたしのことを信じようとしてくれているようです。その期待にこたえるよう、私はアルドにそっとささやきます。


「そろそろ、いっせいにオオカミの遠吠えがきこえる。ノーラの耳がぴんと立って、ゼノスが剣の柄に手をかける。トグリルが大気の精にオオカミの様子をたずねる」


 そこまで言ったとたん、ほんとうにオオカミの遠吠えがきこえてきました。

 びくりと身をふるわせて剣の柄をにぎるゼノス、あたりに気を配るノーラ、そしてなにものかに話しかけるトグリル。やがてトグリルは、


「だいじょうぶ、危険、ない」


 と、ようやく聞こえるほどの小さな声で言いました。


「なるほど、どうやらきみの言っていることは本当のようだね。しかし、どうして今日が二度もくり返されているのか……」


 あごに手を当てて考えこむアルドが、ふとたき火のわきに置かれている魂石に目をむけました。その大きなまるい玉は、あかあかと燃える炎を照りかえしてオレンジ色にかがやいています。


「たしかこの魂石は、昼にみたときはなかに七つの星があったはず。でも、今は五つしか星がみえないね」


 アルドの言葉に、私は思わずうつむきました。どうやら彼には、すべてお見通しのようです。魂石ソウルジェムは、願いをかなえるごとに、その中でまたたいている星がひとつ消えるという言い伝えがあるのです。


「リズ、きみがこの魂石にどんな願いをかけたのか、教えてくれるかな」


 黒い丸メガネ越しにわたしを見つめるアルドが、どんな目をむけてきているのか、わたしにはわかりませんでした。

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