第8話 崖下のバス
あの日のバス事故は偶然ではなく、故意に起こされたものだった。
後輪のタイヤのボルトが何者かによって緩められていた。そこへ険しい山道が続いた事で、タイヤが外れ、コントロールを失い崖下へ転落した。
数日前、シェリアが情報収集で出向いた際に得た情報だった。
「バスが落ちて、あなたが力を使った後に彼等は現れたのよね?」
シェリアの問いに、リゼは小さく頷いた。
シイナの隣に座り、不安そうに皆の顔を見回した。泣き腫らした目が赤い。
「リゼの正体が分かっていたって事?」
「正確には、リゼちゃんが天使だという確証を得る為に、事故を起こしたってところかしら」
「ひどい話だな」
シイナの呟きにシェリアが険しい顔で頷く。
「あなたのお兄さんは、そこで捕まったのね」
やっと止まった涙が、また溢れそうになり、慌ててシェリアは明るい表情を作った。
「大丈夫よ! 私が明日から例の研究所で働く事になっているから、上手くいけば近い内にあいつら全員取っ捕まえてやるから!」
ね? とリゼの顔を覗き込む。
「大丈夫なの、シェリア。話を聞くだけでも相当危ない奴らなのに、中に潜入なんて……」
柔らかな茶色の瞳が、心配そうに細められた。
シェリアはちらりとミクラスを見て、またすぐにリゼへと視線を戻す。
「どこかの誰かさんみたいに、ドジは踏まないから大丈夫よ」
皮肉交じりにそう言うと、ミクラスがうーんと小さく唸った。
「……ねえ、僕一応心配してるんだけど」
第二ラウンドが始まりそうな気配をシイナが遮る。
「本当に気をつけろよ、シェリア」
「はい。ありがとうございます」
己に対する時とは明らかに違うしおらしい態度に、納得がいかない表情でミクラスは鼻を鳴らした。
「それじゃあ、そろそろ明日の準備もあるので、私はこれで――」
立ち上がりながら、リゼの頭をかるく撫でる。
「リゼちゃん、あなたが助けた人達ね、夢かもしれないけれど、きっと天使が助けにきてくれたんだって。不思議な力で命をくれたんだって、そう言って泣いてたわ。
必ずお兄さんを助けるから、だからあなたが取った行動を後悔しないで」
リゼが戸惑いながら『ありがとう』と書いたスケッチブックを見せると、シェリアが微笑んだ。
「それと、シイナさん」
申し訳なさそうにシェリアはシイナを見た。
「キナ様がお呼びです。近日中に王都へお越しください。出来ればお一人で」
その名前を聞いて、シイナは軽くため息をついた。
まあ、そうだろう。リゼを保護した時点で、近々呼ばれるだろうとは思っていた。
「分かった」
隣に座る小さな頭を見下ろしながら、シイナは答えた。
何度も同じ場面を夢に見る。
父さんが亡くなった日の夜の事、それから――
強い衝撃の後、意識が飛んだ。
目を覚ますと、先程まで乗っていたバスが少し先に見えた。
上を見上げると、茶色い山肌の上に、今さっきまでバスで走っていた道がある。
あそこから落ちたのだ。落ちて車外に放り出されたのだ。
少しずつはっきりする頭で状況を理解する。
自分の身体は、即死でもない限り傷はすぐに癒える。
セラは?
はっと思いだし、辺りを見回し双子の兄を探す。
少し離れた場所にセラはいた。頭から血を流し、意識はない。
急いで口元に耳を寄せ、呼吸を確かめる。息をしている。怪我も大きな怪我ではないようだ。
ほっと息をつき、もう一度辺りを見回すと、バスに乗っていた人が同じように転がっている。原型を留めていないバスの中にも数人が取り残されているのが見えた。苦しそうなうめき声が聞こえた。
固く目をつぶり、深く深呼吸すると、私は自分に問いかける。
母さんならどうする? きっと助ける。
ううん、母さんは関係ない。私は――?
ゆっくりと目を開くと、私は決めた。
幸い、皆即死を免れていた。これなら助ける事が出来る。
昔、父さんとした約束が頭をよぎる。
外で力は使わない――
ごめんなさい、父さん。
「――うぅ、リゼ?」
苦労して車内から引きずり出した最後の一人を癒した時、セラが目を覚ました。
駆け寄ってその身体に抱きつく。
「――これは、一体」
手にしたハンカチで、セラの頭に付いて固まった血を拭いながら『ごめんなさい、ごめんなさい』と声の出ない口を動かす。
セラは辺りを見回し、地面に転がり、意識はないが穏やかな表情をした大人達の様子を見て、それからボロボロになったバスを見た。そしてセラは理解した。
力を使った事を――。
謝り続ける口に手を当て止め、セラはぎゅっと抱きしめてくれた。
「いいよ、僕もきっと同じ選択をする」
温かくて、今にも泣き出してしまいそうだった。
「これはこれは、想像以上だねー。ね、アスティ」
突如楽しそうな声がして、振り返るとバスの裏から二人の男が出てきた。
「いいからさっさと回収するぞ、変態」
アスティと呼ばれた方の青年が、冷たい視線でこちらを見た。
「冷たいなぁ、自分だってシスコンの変態のくせにさぁ」
「黙れ、ド変態」
少し長い髪を無造作に束ねた、もう一人の男が肩をすくめる。
「こんにちは、リゼ。やっぱり君が天使だったんだねぇ。ずっと探してたんだよ。だって、あの家の焼け跡から、君達の遺体は見つからなかった……」
ねっとりとした喋り方をする男だった。
「お前! あの時の!」
セラが守るように私の前に立つ。
「ひどいよねぇ、天使を知っているなんて思わせぶりな事言ってさ、自分が天使なんじゃないか。でも……」
ふふっと男が笑う。
「はじめから、そうなんじゃないかと思っていたよ。だって、君のその見た目、あの人とそっくり――」
うっとりとした表情で私に触れようとするその手を、セラが叩き落とした。
「……うっとうしいね、君」
恐ろしく冷たい声だった。
そのすぐ後に、素早く何かが空を切る音がした。
「行け! リゼ! 行けっ!」
ナイフを振り回し、セラが叫んだ。でも足が動かない。
もう一人の青年が、表情を変えずに足を踏み出す。
「早く! リゼ!」
青年に体当たりしながら、セラが必死に叫んでいる。
同時に崖の上がにわかに騒がしくなった。
「救助隊か。長居は出来ないな」
二人の視線が崖上に向いた時、私は走り出した。
青年が追おうとすると、セラは叫んだ。
「僕にも同じ力がある!」そう言いいながらナイフで自らの腕を切った。「連れて行くなら僕を連れて行け!」
すうっと消えた傷を見て、男は初めてセラをちゃんと見た。
「へぇ……?」
男達は追って来なかった。
無我夢中で山の中を走りながら、父を亡くしたあの日のように私は自分を罵った。
私は家族を見捨てたのだ――。
父だけでなく、兄さえも見捨てたのだ。
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