▼5▲ ‐残り二日‐

 成一は過去の何もかもを吐き出した。そのとき日付は変わっていた。

 ほんの少しの沈黙が、暗い部屋に訪れたが、


「終わりが、近付いていますわね」

「……分かっただろう、帰ってくれ」

「帰りません」

「どうしてだ? 俺はもう決断したんだよ、何もかも放棄して無様に終わる、それが俺の」

「嘘ですわね」

「……。なんて答えれば納得する?」

「貴方の痛みの、その本音を」

「これ以上、俺に何を言えっていうんだよ……」

「だって貴方は、苦しんでる。死が本音の望みなら、どうして閉じこもっておりますの?」

「言っただろ、俺はヘタレの臆病者。きみのような清廉な意志も崇高な信念もない不純物だ。それに俺は――一度は琴歌を選んだ最低な男じゃないか。覚悟を決められなかったこの俺が、いまさらきみにどう接しろと?」

「私は気にしませんと、そう言っても?」

「……っ、だからだよ!!」


 叫んでしまう。冷静だったみらいの瞳がびくりとする。

 成一はそれにはっとなるが、言葉が口から、勝手に出て。


「きみはどうして、俺に構う? 最初からそうだった、明らかに避けてた俺に突っかかって、何度も何度も話しかけて」

「で、ですからそれはっ、前にも言ったはずでしょう?」

「じゃあ今はどうなんだ? 警告したぞ、連絡してきたら選ばないと。なのにみらい、きみは躊躇せず連絡してきやがった。俺に説教する前に、命が惜しくないのかよ?」

「私はっ、私の信じる正しさに則って……!!」

「なら俺の、プレーヤーの好きなようにさせてくれ! 理屈に合わない干渉はうんざりだ!!」

「だったら! だったら私が――貴方に生きていてほしいとっ、恥を忍んでそう告げても?!」


「――ッ、だからきみは〈〉なんだよ!!」


「……。え」


 絶叫した。

 抑えがきかず、止まらない。


「俺はみらい、きみが嫌いだ。そんな極めて情動的で不確かな理由で好意を向けられるなんて一体どうして信じられる? 俺がきみに何をしたよ? 冷たくあしらっていただけだろう? きみの存在自体がうっとうしいよ、どこまで俺を苦しめれば気が済むんだ?」

「成一さん……何を」

「俺の言ってることを理解しろよ、きみはそういうテンプレートなキャラなんだよ! だから俺に構って好意を向けてきて……っ、本当のきみは、そんな安い女じゃないだろう!?」

「分からないわよッ、貴方は何を言ってるの!?」

「俺がきみに釣り合う男かよ! きみが俺に向ける好意は操作されているものだッ、俺程度の男がさ、きみのような高潔でかっこよくて何でもできる――女神様みたいな女性に、どうして好かれているなどと勘違いして自惚れられる?! おかしいと思って当然だろう!?」

「私を侮辱しないでよ!! そんなふうに勝手な尺度で測らないで! 貴方は私に、振り向いてくれたじゃない、私と向き合ってくれたじゃない! そんな程度で喜んで、心が熱くなって、嬉しくなって――っ……好きになって執着する! そんな安い女で何が悪いの!?」

「わるいにきまっているだろう!!」

「どうしてよッ?!」


 ああ、駄目だ、言ってしまう。

 成一は。みらいの目をはっきり見て。



「おれが……俺がきみを――、

〈金髪・巨乳・お嬢様〉がッ大好きだからだよ!!」



「……。――えっ?」



 言ってしまった。

 成一は魂から叫んでいた。

 ずっと隠し通していたかった。

 こんな醜態でしかない――真実は。


「……欲しかった。この世界に来てすぐきみに会ったとき、俺はきみのことが欲しくなった。何故かって? 俺は〈金髪・巨乳・お嬢様〉が、この世で一番好きだからだ!! 愛してる! ようするに偏執属性の趣味嗜好! きみがこの前、戯れに俺を『ご主人様』って呼んだときの俺の気持ちが理解できるか? めっちゃくちゃにしてやりたいって思ったよ!! キスしたい、抱きしめたい、ぐちゃぐちゃになるまで求めたいってな!! 俺がどれだけこの世界が十八禁でないことを嘆いたか――っ……こうやって教えてやりたかッた!!」 


 彼女をベッドに押し倒した。涙が出た。

 こんな恥をぶつける自分があまりに無様で。


「っ、成一さん……?」

「……俺は、そんな卑小で醜い劣情を必死で隠してた俗物だ。ふざけてるだろ、あの蛇野郎を女衒だなんて責められる善人かよ? 俺はきみを、初めからそういう目で見ていたんだよ! 付き合うのなら、俺の女にするのなら、きみだって! 最低の上から目線だろ? 何が断じてギャルゲーマーではないだ、二次元やフィギュアに欲情するオタクと変わらない、征服欲と所有欲に衝き動かされるエゴイストそのものだ!! ……だけど俺は、きみを現実に連れ帰っても不幸にしかできない、無一文にしてしまう。サーペントが言ったんだ、現実に持ち込めるのは手持ちの物品だけだとな。だからすぐに諦めた。でもその直後に俺は琴歌に会ったんだぞ? 俺がどれだけ自己嫌悪に苛まれたと思う? ……誇張でもなく、死にたくなったよ」


 この世界で初めて会ったのがみらいでなく琴歌なら。自分が理性ではなく情動で生きる汚い人間だと痛感することはなかったろう。だがまだだ、全てを言う。


「だけど一番怖かったのは、現実に帰ってからのことだった。プレーヤーでなくなった俺を、きみは好きでいてくれるのか? 今の俺には単にフラグを立てる補正が掛かっているだけだ。その魔法が解けたとき――きみに嫌われて避けられるなんて耐えられない。それに俺自身も、いつかきみに飽きて離れてしまうんじゃないかって――そんなくだらない自分勝手な妄想を、出会った瞬間に思い募らせたくらいには俺はきみが欲しかった! だから、だから……っ」


 あのとき欲するなら覚悟を決めろと言われて成一は、安心した。

 そんな先の見えない結末と、ハッピーエンドの後日談と向き合わなくていいのだと。

 琴歌を捨てず、理性という常識的な良心に従っても――いいのだと。


「は、はは……笑えるだろ。笑ってくれ、現実に帰った後先の心配ばかりしてた俺が、誰より現実味の無いおとぎの国のお姫様に恋い焦がれてたなんてさ。……本当にどの口で俺は琴歌になんて言えたんだ? バッドエンドになって、当然だろ……!!」


 成一には分かっていた。どれだけ自己批判を重ねても自分自身の正体は、品性下劣な衝動に逆らえきれない卑しいジェンダーの奴隷だと。外で愛人を作り家族を捨てた父と同じ、こんな自分が人を好きになっていい資格は……無いのだと。

 だから桃園の木霊になった他のプレーヤー達を責めることなどできなかった。

 人は誰でも美しいものに憧れる。不滅の存在に敬服する。幸福に終わる生を渇望する。

 ならば自分もそうありたいと願うのも――醜い現実を忌避することも――当然だ。


「……怒れよ、全力で俺を拒絶してくれよ。脱がすぞ?」

「確かに――聞いてて気持ち悪くなるほどですわ。それが貴方の、新成一の底ですのね?」

「だろう、だから早く帰ってくれ。今ほど全年齢対象のゲーム世界に感謝したことはない」

「だったら私も、自分を批判しなければなりませんわね」

「……。え」


 彼女がほほえむ。ふうと小さく息をつき。

 みらいにとって天井側にあるこちらの目を見つめ、


「私が貴方にとって魔性の眷属だというのなら、きっとお互い様ですわ。私は貴方のような、どうしようもなく自分に対して否定的で陰のある――そのくせ他人には優しくあろうと必死な頭でっかちのお馬鹿さんが、どうにも愛しくて仕方ないようですから」

「……ッ、嘘を言うな!! そんな俺に都合いい褒め方して!」

「そうやって自分に都合のいい褒め言葉を否定したくなるのは私も同じと分かりませんの? 確かに求められるなら情熱的にと言いましたが……これほど想われていたとは想定外ですわ。だいたいさっきから貴方が私に何を叫んでいたか分かってますの? 一言一句そのすべてで、私のことが誰より好きで大切で――……愛してると」

「やめてくれ!! その認識は酷いバイアスがかかってる、俺をどんな色眼鏡で見てるんだ!?」

「恋は盲目と言いますでしょう?」

「っ、じゃあそれが見開かれたらどうなる!? 吊り橋効果で結ばれたような刹那的な関係は、ほとんどが長続きしないって定説だぞ?!」

「そのときは、貴方以外の人を好きになるかもしれませんわね。現実に行って視野が広がり、恋の魔法が解けたなら」

「――!!」


 想像する。自分以外の男が彼女と話し、笑いあい、触れ合って――結ばれる。

 答えは一瞬で導かれた。理性や常識の鎖は役にも立たず千切れて砕け、過去すら振り切り。

 ――そんな未来は、断じて許すことなどできないと。


「……、ふざけるな。そんな現実を、俺は絶対に認めない!!」

「では貴方はこれからどうします、私は高嶺の花なのでしょう? おとぎの国から摘まれれば寒さで凍えて枯れるのに、他で春を探してくれと暖を与えてはくれませんの?」

「ッ、だったら……!」


 分かっていた、この先は登り坂なのだと。きっと茨ばかりで痛く苦しい道行きだろう。

 だから成一は後ろの遠くの眺めに手を伸ばした。変わらずにある昨日の景色を求めていた。

 だがもう決断する。どちらかを捨てる覚悟でなく、己が明日に進みたいと望むのは――


「俺は!! きみに相応しい男になってやる! もっと勉強して億を稼ぐ男になる、身体だって鍛えるさ、強くなる! あらゆるセンスを磨いてやる! 他の男に目移りなどさせてやるか、俺はそんな重い男だぞっ、きみを手放してなんてやりはしない!!」

「それでも永遠は保証されないのに?」

「努力する!! ――!」


 断言した。想いに清く殉じる〈死んでもいい〉が琴歌への正しい返答だったら、これこそがみらいへの正しい返答だった。その姿勢こそ今の自分が身につけるべき生き汚さと確信した。

 彼女は「はい」とそれに頷いて、


「私も同じですわ。私も貴方に飽きられないように、努力して成長します、一生涯――いえ、この想いが枯れない限り」

「はっ、手厳しいヒロインだな。いつ三行半が来るか分からない」

「だって貴方が言ってくれたでしょう、私は人間だと。人間は、生きている限り汚れていく。もし無垢な赤子のままで生きていけるとしたら、それは人間ではなく人形ですわ。人形ならば愛でられるだけで満足でしょう、ですが私は一口目に『うまい』と言わせたいんですもの」

「……みらい」

「私は人形ではありません、泥にまみれ汚れてそれでも生きていたい。だからこの綺麗すぎる世界から私を連れて……汚して下さい、ご主人様」

「ッ、わざと言ったな! わざと言ったな!!」

「ええもちろん、――本気の冗談ですわよ? ……んっ?!」


 キスしてやった。成一は思いきり強く抱きしめた。みらいの身体はやわらかかった。

 幸いなことにここまでだったら許されるようで、システムから拘束は喰らってない。


「……俺を利用してくれよ、みらい。きみはこんな先の無い世界に居ちゃいけない」

「ええ、ですから貴方も私を現実への帰還のために利用しなさい。それが私たち二人の最初の共同作業になりますわ」

「了解だ、戻ったらすぐに婚約するぞ。あっちでも青少年育成保護条例が邪魔してきやがる、俺たちはまだ十七歳だからな。何かあっても結婚前提ならノープロブレムだ」

「まあ、少々切り替えが早いのでは?」

「決断したら回り道しないタイプでね。不毛なことも面倒ごとも大嫌いだ」

「だったら恋愛なんて貴方のもっとも苦手な分野でしょうに……ああ、面倒ごとが嫌いなのは自分の性格が一番面倒だからでしょう? 感情の起伏があまりに激しすぎですもの」

「うるさい金髪巨乳お嬢様! 天才まで付くのは余計だぞ!」

「そのほうが貴方の相手として都合がいいなら変わりますわよ、何にでも」

「……。一生勝てそうにないぞ、俺……」


 とんでもないヒロインだ。成長速度が異常すぎる。手玉に取られている感覚が、既に誰かと同レベルだ。これはもう前向きに理想の相手が見つかったと考えよう。それに――


「でもまあ、お陰でハッピーエンド条件に当たりが付いた。最終日にはなんとかする」

「いきなり頼もしい限りですが、大丈夫ですの?」

「今度は失敗しない、何せ一度死んだ身だ。春に咲く花も必ず散る。そしてまた咲くんだぞ?」


 にやりと言って笑い合う。

 なんとも久しぶりに気分が良い、上々だ。みらいが聞く。


「ところでその、貴方のふざけた嗜好はどこからやってきましたの?」

「琴歌だよ……あいつに見せられたアニメや漫画やラノベ――気付くとその手のキャラばかり追いかけてた。でもきっと、本当の原体験は違うだろう」

「原体験?」

「昔に見た絵本が童話で悲劇なのにエロくてさ……何度も読んだよ、人魚姫――んっ?!」

「ん……だったら私を、泡になんてさせないで……っ、やっと私に、気付いてくれた……っ」

「ッ、みらい!!」


 このあと滅茶苦茶セックスした。……かった。


「本ッ当に全年齢対象はクソだなおい!!」

「まったくですわ! なぜ胸をさわられたらそこで金縛りにあうんですの?!」

「下着も脱がせられないとか冗談にもほどがある! 絶対現実に帰ってやる、絶対にだ!」

「ええもちろん!!」


 見解が完全に一致した。

 もう心配なんて何もない無敵だと、そう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る