三章

▼1▲ ‐残り八日?‐

[主人公補正【R】の所持を確認。発動します]


 目が覚めた。

 成一は自室のベッドの上に居た。全身から汗が吹き出ていた。

 枕元の携帯で時刻を見る。


「……朝、七時?」

 日付は十二月十六日のまま。今朝に起きたときの再現だ。琴歌に会いに行った日の。

「……悪夢? いや」

 あまりに記憶が生々しい。いったい何が起きたのか。あれは――


「実際に起きちゃったことだよ、成一くん」


 枕の横にそいつはいた。浮いていた。

 なんとなくそんな予感はしていたと、だから成一は驚くこともなく、


「……あれは、なんだ」

「トラップだよ。良かったね、これでもう君が進むべき方向が分かったじゃないか」

「俺はなんで、生きている……?」

「最初に君に与えた一度限りの主人公補正があっただろう? その効果だよ」


 サーペントはベッドから上半身を起こした成一に、ホログラムのような画面を空中に出して例題とともに解説する。


「最初の三択【RPG】。この君が選ばなかったうち二つ、【P】はパワー。ヒロイン関連のイベントでどうやっても太刀打ちできない事故や敵に遭遇したとき、イベントが成功するまで何度でも君を復活させ、障害を突破する力を与える補正だ。【G】はガイド。運命の分岐点で選択肢を表示させ、さらに正解・不正解を教えて君を成功に導く補正だ。そして」

「……蛇野郎」

「君が選んだ【R】はリトライ。さっきみたいに【プレーヤー・バッドエンド】を迎えても、その一日を巻き戻してやり直すことができる。今の君がまさにそれだ」


「……。なんだよその、ふざけた特殊能力は」

「この世界はゲームだよ。よくあることだろう、リセット&ロードなんて珍しくもない」

「じゃあ何か、俺は一度だけなら失敗しても、良かったのか?」

「まあ【R】を選んでいたからそうなるね。もし【G】を選んでいたら、委員長のとき失敗をせずに攻略を継続できていただろう。さっき真浦琴歌を選ぶ際も予め危険と分かったはずさ。【G】は肝心要な現場で正しい道を示してくれるんだ、絶体絶命を救うヒーローみたいにね。ああそういえば、委員長のバッドエンドのとき君は選択肢を出せとわめいてたっけ?」

「……もし、【P】を選んでいたら」

「さっきのバッドエンドを力押しで打破できていた。君自身をヒーローにするわけだからね。みんな大好きな展開じゃないか、ピンチになったら覚醒してドカーン! 敵を圧倒!! って」


 サーペントはにやりと口を歪めて淡々と言う。

 それはプレーヤーである成一にも知らされていなかった情報で、

「なるほどな……効果を秘密にしておくわけだ」

「まあねえ。この補正って君が窮地に陥ったタイミングで発動するよう仕込んであるからさ、プレーヤーがそれを知っちゃうと緊張感がスポイルされる。それじゃ観ててつまらない。けど救いの手が無くても問題だ。だって君は単なる一般人で――勇者なんかじゃないんだから」



「……ふッざけんじゃねえよッ!!」



 叫んでいた。からだが震えて、止まらなかった。

「俺はなんだ、何様だ?」

「どうして怒る、プレーヤー? クレバーな君なら分かるはずだ」

「ああ分かるさ、俺が味わうピンチなんてただの茶番で、お前みたいな観劇者からすれば全てこっけいな猿芝居だったってことがなぁ!!」

「だけどそれも一度きりだ。そしてゲームらしくペナルティもまた発生する。今回のボクは、その告知に来たんだよ。まあここに至ってはもうほとんど意味が無いものだけど」

「今度は何だ……」

「今日が二度目になっただろ。でも期限は三週間。つまりは締め切りが短くなったんだ」

「……デッドラインがクリスマスイブじゃなく、十二月二十三日になったのか」

「そういうこと。でも大丈夫だろ成一くん? 君が進むべき道はもう示されたんだから」


 白蛇は満面の笑みで告げてきた。

 ――お前の決断は失敗に終わったが、今度は正解を選べるのだと。


「……。ふざけるな」

「震えた声で。何に憤っているんだい」

「あっちが駄目だったからこっちにする……? 俺の下した決断は、俺自身の感情は、そんな安くて軽いものなのか?」

「いいじゃないか一度くらい。これはゲームなんだから」

「ふざけるな!! 選択をやり直せる? プレーヤーは都合良くシステムに助けてもらえる? なんて良い御身分だよ、冗談じゃない、――ッ……冗談じゃない!!」

「だが命には代えられない。君は生きていることにほっとした。そうだろう?」

「ッ、ああそうだ! なんて生き汚さだ、吐き気がする!! 自分自身に幻滅して失望する!! この感情が蛇野郎ッ、お前に分かるか?!」

「その質問には答える必要が無いだろう。だってボクは悪魔じゃないか」

「そうだお前は悪魔だよ! だが俺は何だ!? プレーヤーである前に人間だ、人間なんだよ!!」

「そうだよ君は人間だ。限界ばかりのひ弱な生き物、君にどうにかできることはほとんどない。喜べよ成一くん、そんなふうに正気を保っていられるプレーヤーは珍しい」

「珍しい? ……珍しいだって?」


 そのとき成一は思い出す。以前に聞いたが教えられなかったこと。けれども同じことを再び聞いていけないルールはなく――荒げた声を落ちつけて。


「サーペント、質問だ。このゲームをクリアした奴は本当にいるのか?」

「そうだねえ、もう教えて大丈夫なようだから言っておくよ。確かにいる。そして成一くん、君はやり直しが出来ないことを自覚しているから、この先の重みを知っていても良いだろう。そっちのほうがボクにとっても楽しめそうだ。君は真実を知りたいかい?」


 これ以上いったい何を楽しむのか。

 成一はもう叫ぶ力もなく、俯いたまま蛇を見ずに呟いた。


「……言えよ。教えろよ」

「桃園に行きたまえ。今なら君が最も知りたかった、ハッピーエンドの先が分かるだろう」

「……。また騙しては、いないよな?」

「ボクは悪魔だからねえ。言葉の綾は使えても、嘘をつくことは出来ないんだ」

「ああ今ならよく分かる。みんなそれで騙される。人間は自分に都合よく物事を考える」

「おおむね正解だ。だから悪魔は嘘をつかない。嘘をついて騙しても面白くないからね」

「……ふざけた奴だ、どこまでも」


 成一はサーペントを責める気にはならかった。この悪魔は言葉巧みに真実を隠していたが、対して騙すために嘘をついたのも、嘘をついて騙したのも。

 ――どちらも人間だったのだ。


「さて、じゃあボクはこれでまたさよならだ。次はいつ会うことになるかなあ」

「……。お前は」

「なんだい成一くん?」

「……なんでもない。さっさと見えなくなってくれ」


 成一は言葉を止めて声にしなかった。

 告知のために来ているなら伝えてすぐに去ればいい。なのにこいつは、いつも余計なことを言ってくる。その真意がどこにあるかは分からない。

 そうしてまた「今度こそ幸せな結末を迎えてくれよ?」と三度目のハッピーエンドを祈られ白蛇のぬいぐるみは見えなくなった。


 ――息をつく。成一はまた自室で一人になった。

 状況の整理はできている。

 もう自分には窮地を救ってくれる補正は無い。

 デッドラインが十二月二十三日までと短くなり、時間がさらになくなった。

 真浦琴歌はトラップで、彼女を望んで選ぶとバッドエンド。

 だからやり直すことになった二度目の今日、成一が選ぶべきなのは。


「……。――……っ」


 泣いていた。涙が出た。

 彼女は答えてくれたのだ、「月が綺麗ね」と言ったのだ。

 なのに自分は、こうして今。


「どうして俺は……生きている」


 彼女は言った、この世界の『真浦琴歌』は一年前の彼女の幻影だと。

 そして琴歌を選んだ自分は、それに囚われて前に進めずにいるのだと。


「……そんなことは、分かっている……っ!!」


 きっと自分はあのとき死ぬべきだったのだ。

 彼女に〈死んでもいい〉と同じことを告げたのだから、その通りになるべきだった。

 なのに自分はまた――まだこうして、生きている。


「ぐ……っ、あああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 叫びとともに衝動があった。

 机の上のカッターナイフを手にとって握りしめ、思い切り自分の首に突き。


「――くそっ。くそ、くそ、くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 出来なかった。腕が止まり固まった。自傷行為さえ金縛りに封じられて許されない。

 けれど成一はすぐに思いつく、死にゆくならもっと簡単に出来るだろう。

 こうしてやり直した今日もまた再び、琴歌を選んでしまえばいい。

 今度こそ〈死んでもいい〉とはっきり告げれば、きっとその通りになってくれる。

 ――なのに。


「なんでだ……なんでだよ!! どうしてだ、間違っていたのなら、正しくなかったのならッ、そのときにちゃんと死なせてくれ! 死なせろよ!! なんでびびっているんだよ、俺はッ!? どうしてなんで、俺だけが――どうせやり直せるのなら一週間前まで戻ってくれ!! 雛子を、過ちを正せるなら、そこからだろ! それが出来ないなら間違えたままにしておけよッ!!」


 無理だった。今さらこうも命が惜しい。琴歌の元に向かえない。震えてしまう。

 成一は自身の人間性を分かっていた。自分は信念に殉じられる高潔な聖人にもなれなければ冷血な功利主義者にもなれない俗人だと。何よりも、


「どうして今さら琴歌が駄目だったからって、そんな理由でみらいを選べるんだ……?」


 彼女は言った。選ぶのなら、欲するならば覚悟をしろと。

 だから成一はみらいを選べなかった、琴歌を現実に連れて帰る望みを捨てきれなかった。

 今はもう居なくなってしまった人を取り戻せるかも知れないと、そんな期待に手を伸ばさずいられる人間がどれだけいる?

 そしてプレーヤー自身の感情がエンディングの引き金になっている仮説が真ならば。


「ッ……どのツラ下げて、俺はみらいに会いに行けるんだ……何様だよ俺は……!!」


 起きたことを無かったことにしたからと、感情までもリセットされてくれはしない。

 成一は動けずにただ固まった。己の泣き叫ぶ声がいつまでも枯れないことを嘆くまで。

 けれども確かめなければならないと、やがて来る約束の時間を前に成一は。

 あの花が狂い咲き、散り尽きぬ桃園へと歩き出す。

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