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「お、おおおお帰りなさいませ! ごっごゴゴご主人しゃみゃっ?!」

「……。なぜ、お嬢様がメイド姿で玄関で出迎えしてるんだ?」

「う、うるさいわね! あ、ああ貴方の嗜好に合わせてもてなそうと努力した結果ですわ!!」

「だから俺は。その、なんだ――」


 断じてギャルゲーマーではないと、今朝と全く同じことを言おうとして成一は言葉を止めた。

 代わりに出てきたのは、


「……俺の、今現在の気分を詳細に説明するならな。ひとむかし前の恋愛アドベンチャーでは複数キャラ同時攻略――それも最大8人とかいう鬼畜の所業ができたらしいんだが――それを実際にやってる感覚だ。最悪だ。あれを現実にやれるのは超絶的に鈍感な耳と神経と脳細胞を持っている人間のクズか、重婚上等でヒロイン全てにガチ惚れできる色好みの英雄だけだ」

「つまり?」

「自己嫌悪で吐き気がする」

「ではこのせっかく気合い入れたメイド服をどうしろと言いますの!?」

「知るかよ普通にしてくれよ!」

「出来ませんわよこんなメールを送られたら!!」


 進藤が勢いよく手を突き出した。

 そこに持っていたのは携帯で、その画面には。


『スク水の効果は抜群だった。名前で呼び合う関係まで発展した。そっちも精々頑張って』


「どおおおゆうことですのよおおおおおおおおおおおおお!?」

「確かに事実だが部分的に間違ってる! 俺はスク水は趣味じゃない、断じてだ!!」

「反応するのはそこですの?!」

「大事なことだろ!」

「わかりませんわよそんなこと! ではメイド服はどうだって言いますの!?」

「――……。少なくとも、メイド服にこだわる趣味はない」


 真顔で言った。

 嘘ではなかった。

 というよりも現状に至っては嘘をついても無意味なので必要なかった。


「はあ。つまりは無駄な労力でしたのね……」

「いや別にそうでもない。初見としてはギャップが強すぎて、その――」

「? どうしましたの」

「……端的に言えば、お嬢様のくせにメイド服が似合うなんて論外だ。服のフィッティングも完璧すぎて問題だ。なにせきみ専用サイズのメイド服なんて作ってあったわけがない、準備もそのメールが来てからで、仕立て直しに一時間もかけられなかったはずなのに」

「ぁ……えとっ、それはその」

「もう一度だけ言うからな? ――似合ってるから、困るんだよ」


 成一は素直に褒めて、彼女はそれに赤くなる。

 状況は酷く打算的だった。

 彼女達も自分の命がかかっている。こちらに向けてくる好意の根本が、是非もない半強制と分からないほど馬鹿ではない。それでもプライドを捨ててまで、全力で喜ばそうとする姿勢は真実で、だからこそ。


「……困らせるつもりなんて、ありませんわよ?」

「わかってる。俺は、王様になったみたいな上から目線の自惚れと勘違いをしたくないんだ」

「ふふ、本当に難儀な性格をしているのですわね。――私のご主人様は」

「……っ! 唐突にからかうのはやめてくれ! 心臓に悪い……っ」


 今度はこちらが真っ赤になって顔をそらす。

 くすりと笑う声が聞こえてきて、ごほんと一つせきを払う。


「で、この後のプランは? まさかその素っ頓狂な格好で秋葉原にでも行くつもりか」

「違いますわよ! おとなしくこの屋敷でもてなしますわ」

「一昨日と同じなら新鮮味はなさそうだが」

「上から目線は嫌いだったのではなくて?」

「……人間だからかっともなるし、むきにもなる……」

「同感ですわね。まあとにかく玄関で立ち話なんてするものではありませんわ。――どうぞ」


 そうして案内されたのは、本棚に囲まれた広い一室だった。

 どうやら彼女の持つ私室のうちの一つのようであり。


「少女漫画が多いんだな。それも割と古めなのばかり……ベタすぎる」

「なぜ頭を抱えておりますの?」

「その理由はさすがに失礼すぎて言いたくない。それよりここに来た意味は?」

「本日の趣旨どおり相互理解を深めるためですけど」

「なるほどな。……だったら俺にも、何か聞きたいことがあったら言ってほしい」


 成一は今朝を思い出す。

 おそらく進藤もそうなのだろうと、再び包帯を巻いた左手を握りしめる。

 だが。


「別に私から聞きたいことは、ないですわよ」

「……。どうしてだ、相互理解というのなら」

「本当に言いたいことがあるならば、人は自分から言うものでしょう?」

「答えになっていないぞそれ」

「私は今日、他にも言いたいことがたくさんありますの。この部屋もその一環で――貴方にはここを見知っておいてほしくて案内しましたわ。それは一方的なものかしら?」

「ああ、不公平だと俺は思う」

「そう感じるのは貴方の自由ですわ。けれど私もそう思うかは別問題かと」

「……琴歌の水着には、対抗心を燃やしたくせに」


 成一はわざと挑発した。

 もしかしたらこちらが気に掛けられていないようで、それが不快だったのかも知れないが。

 進藤は本棚に収まったうちの一つに指をかけて、


「――目の前にいなくても、真浦さんは名前で呼びますのね」

「え?」

「私の前でも、御厨さんを名前で呼べなくなったわけではないでしょう?」

「……。もう意味が、無いからな」

「ええ、やがては全て無意味になりますわ。家族も、友人も――時と共に」


 その手が開いたのはアルバムだった。彼女は自分の歴史が記された本を眺めている。

 ただ成一には分かっていた、進藤もきっと分かっていた。

 それは彼女に用意された――【設定】に過ぎないと。

 彼女はぱらぱらとページをめくりながら目を細め、


「けれども過去を想うとき、自分は空虚なものだとどうして信じることができますの。意識がたとえ毎夜に途切れて朝に目覚めを繰り返す不確実な存在だとしても、私は」

「だがここは、現実ではないと気付いただろ」

「現実でも同じでしょう。やがては何もかも泡沫のように消えてしまう。それに明確な期限が定められているというだけで、この架空の世界も本質的には現実と変わりないと言えますわ。いつ自分の意識が無くなってしまうのか、誰も知ることができないのですから」

「――進藤」

「……『みらい』と、そうお呼び下さいませ、ご主人様」

「っ! だったら俺も名前だけで呼び捨てろ! あとっ」

「も・ち・ろ・ん、冗談ですわよ? ――成一さん」

「だから俺も呼び捨てろよ。……みらい」


 目を合わせられなかった。成一はみらいの斜め下の床に視線をやった。

 主従関係でもないのに『ご主人様』などと呼ばれて照れくさかったこともある。

 だが一番に苦しかったのは。


「俺はきみを、少なくとも今は同じ人間だと思ってる。だからプレーヤーとヒロインの関係をことさらに強調しなくても、その」

「それが貴方を困らせると? 確かに成一さんには、ハーレムエンドは無理そうですわね」

「な! 一夜づけで変な知識を身につけてっ」

「くす。もう二晩たちましたわよ?」


 理解した、インターネットは有用すぎて害悪だ。

 彼女は携帯を片手に笑みを向ける。成一は右手で頭を抑えてため息して、


「俺は、きみの成長が恐ろしい」

「設定されたスペックが違いますもの、当然ですわ」

「あーはいはい。俺はおとなしくきみを褒めることに終始するよ」

「ふふ。ではそろそろ次のステージに参りましょうか」


 それから食堂に案内されて、成一は着席した。

 以前のように華やかなコース料理が振る舞われるのかと思ったが。


「――前言を撤回する。料理なんて家庭科の授業でしかやったことなかっただろ」

「ええもちろん! 全力で作ってこれですわ!」


 給仕もメイド姿の彼女だけだった。一緒には食べず隣に立ち、腰に手を当て威張っている。

 置かれた皿はごく一般的な家庭カレー。

 成一はそれを数口食べて話しかけたのだが。


「……よくあるお約束と違って味見もされている。レシピ通りの無難な出来を目指した努力も見てとれる。その結果が――」

「ええ、今の私の実力などこの程度ですの。カレーは失敗しない料理だと聞いていましたが、その……包丁の扱いからやり直すレベルでして?」

「皮むきには素直にピーラーを使ったほうがいい、注意してたんだろうけど残ってる。それにタマネギはもっと炒めたほうがいい、味にコクも出るし香りもより良くなる。でも大切なのは米の硬さだ、このルウを使うなら炊く際の水の量を――」

「……意外ですわね。カレーにはうるさい男だったなんて」


 しまったと、成一は続けていた声を止める。

 一緒に置かれた水をごくりと飲み、コップを置き。


「ごめん」

「ど、どうしていきなり謝りますのっ?!」

「いや、どう考えても俺が悪い。お嬢様が初めて一人で他人のために作った料理を食べられるなんて有難くて涙が出るはずのシチュエーションなんだから」

「……何故か微妙にイラつきますわね。シェフに手伝ってもらったほうが成長は早いかしら?」

「そりゃそうだろうけれど、俺が初めて作ったカレーに比べれば十分うまいよ」

「私は一口目に『うまい』と言わせられるくらいは上手になりたいのですけれども?」


 彼女はそれを、意図して言ったか分からない。

 ただ成一はその言葉に口に運ぶスプーンを止めて。


「……だったら、一人でやるより間違いなく勉強になるだろうし、きみならすぐに成長する。そんな簡単な目標は――きっとあっという間に達成できるさ」


 成一は半分ほど食べきった皿を見てそう言った。

 テーブルについてすぐ出てきたのだから、これは彼女が昼に作っておいたものなのだろう。

 なら気楽に気軽に口を利くのではなく、まず感謝をするべきだったのだ。

 だから。


「次があるなら、食べてみたいよ」

「……。言葉半分に受け取っておきますわ」


 みらいは薄く笑みを浮かべていた。成一はその先を言えなかった。

 彼女の歴史を見せられたこと、誰の手も借りず飾らない料理を作ってくれた心を思うと。

 けれど彼女はそんな心境さえ察してしまったのか、


「期待なんてしていませんもの。私は真浦さんと違って御厨さんを忘れていたのですから」

「なんだよそれ、関係ないだろ」

「いいえ、情けないと思いますわ。それでも私は、何にも気付かずに生きていた頃と比べればだいぶ刺激的な時間を過ごさせて頂きました。もし叶うなら、お願いだから――そんな卑屈な媚び売りや命乞いなど私に相応しくはないでしょう?」

「俺だって! 遺言を聞きに来ているわけじゃない!!」

「ええもちろんその通り。だけど成一さん、貴方は余計なことを考えず素直な気持ちで自分の進みたい道を選択すべきですわ。それが一番に私の望む結果ですもの」

「それこそただの強がりだろ……きみだってその、自分の命は」

「馬鹿にしないで頂けます? 私はこれでも少女漫画に憧れる乙女ですの。中途半端な覚悟で欲されたら無礼以外の何物でもなく論外ですわ。バッドエンドを迎えたくはないでしょう?」

「みらい……」

「求められるなら情熱的に。そうでないなら私は――……いりませんわよ、貴方など」

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