▼3▲

 過去にさかのぼるような速さで成一は、大きく後ろを振り向いた。

 成一の背後にあったのは、真浦琴歌。皮肉屋の文学少女のおかしげな微笑。

 それは成一にとって心臓が飛び出て反応の声を無くしてしまうほど。

 ――あまりに懐かしい、面影だった。


(……何を期待しているんだ、俺は?)


 成一は現在、保健室のベッドに居た。

 授業には出ず、もうすぐで昼休み。

 もっともこんな架空の学校で仮病の成一に構ってくる者は誰もいない。もともとヒロインかイベントに付随する要因以外はプレーヤーに関わってこないとサーペントは言っていた。

 つまり他は舞台裏の黒子のような空気であり、こちらは意識されることもない。それは逆に空気なのはプレーヤーの方ではないのかという疑問もあるが、おいておく。

 だから成一は誰に憚ることなく帰宅することも出来たのだが、


「失礼します。新、もう帰ってる?」

「……いるよ。保健室に入った第一声がそれか」

「保健医もいないし、ただの確認よ。それより空腹だから学食行く、話はそっちで」

「わかった。だから待て、向かい席を取れないと面倒だ」

「ふうん。カーテン越しでも分かるのね、先に行こうとしたことが」

「……まあな」

 成一は寝ていたベッドから立ち上がり、真浦と学食まで歩く。

 その途中。


「あっ、新成一!! 保健室で無様に寝ていたのではなくて?!」

「腹が減ったからメシで起きた。また寝るよ」

「そ、そうでしたの。……どうして真浦さんも?」

「別に。私が一緒なのを気にする理由はないんじゃない?」

「な! そういう言い方は!」

「廊下で倒れてた俺を彼女が拾ってくれた。その礼に昼食を奢る約束をしただけだ」

「……。本当ですの?」

「嘘に決まってるでしょ」

「あぁもうどっちでもいいっ。じゃあな、お嬢様」

「え? え? ちょっ、お待ちなさいよー!!」


 だがお嬢様はそれっきりで付きまとっては来なかった。視線は感じるが許容範囲だ。成一は面倒がなくなり内心でほっとする。


「掛け合いなんて無駄そのものね、不毛の極み」

「まったくだ」

「でも人生なんて無駄だらけだと私は思っているのだけど?」

「……既に不毛な議論だな」

「ならくだらない掛け合いも悪くないって素直に思ったほうがいい。違う?」

「……。そうだな。反応してくれる相手がいるってことは、ありがたいことだ」

「そうね、ありがたいことだと思うべきよ。だってクラスであなたのことを心配していたのは進藤一人だけだった。休み時間中は何度も保健室に見舞うかどうかで狼狽えてて、もう端から見ててお笑いだったもの」

「ははっ、あのお嬢様がな」

「ええそうよ。――御厨じゃなくてね」

「……。カレーでいいか?」

「パスタにして」

「天の邪鬼め」

「分かってるなら先読み禁止、不愉快よ」

「別に心を読んでいるわけじゃない」

「そういうところが不快なの。……嫌いではないけれど」


 二人で学食のトレーを受け取って席に着く。

 そしてすぐに食べ終わらせて、成一は開口一番にこう聞いた。


「で、確認は出来たのか」

「その前にカフェオレな気分かな?」

「それこそ先に言ってくれ! ――買ってきた。で、確認は?」

「ああ美味しい」

「そうじゃない」

「……。誰もあなたと御厨が付き合ってたことを憶えてない。森部の宗旨替えも見事なものね、寒心した。誤字ではなく」

「……やはり、憶えているのはきみだけか」

「人前で告白なんてやった恥ずかしい馬鹿ぶりを、どうしたら忘れられるか不思議なものね」

「俺もまったく同感だよ。皮肉なことだが」

 成一は心底からため息をついていく。

 再確認できた現状と、異常事態の二つにだ。


(――なぜ、彼女だけが忘れていない?)


 今朝の廊下で声をかけられたそのときに、成一は真浦に尋ねていた。

 御厨とのことを忘れてないのか、果たして彼女は憶えていた。あちらもそんな成一の反応を訝しんできて、ゆえに成一は周囲の調査もかねて確認を頼んだのだ。


(彼女がヒロインだからなのか? いやお嬢様は忘れている、この差は何だ? まさか……)


「なに一人で考え込んでるのよ」

「あ、ああ。……一つ、馬鹿な質問をしていいか?」

「馬鹿な質問だと分かって聞くなら情報料は先払い」

「さっきのカフェオレでいいだろ。あとでデザート奢るから」

「あとでじゃ駄目、話が終わったらすぐにして」

「揚げ足取りめ。……質問だ、きみは俺が転校してくる前のことを、知ってるか?」

「本当に馬鹿な質問ね、口説き文句にしても捻らなさすぎ」

「いいから頼む」

「……新の昔のことなんて私は知らない、興味も全く湧いてこない」

「そうか、ありがとう」

 やはり杞憂だったようだと成一は安堵する。

 最初に彼女を見たときサーペントに確認したことは正しかった。

 現実世界に居た人間が、ここでヒロインをやらされていることは無いのだと。


(――いや、だとしても問題だろ。代替品じゃあるまいし、彼女をヒロインに選ぶのは……)


 それもまた最初の段階で決めていたことだった。

 真浦琴歌を現実世界に連れ帰るのは危険だと成一は考える。どんな奇跡でヒロインを現実に出現させるのかは分からないが、いくら自身の命がかかっているとしても彼女の存在は。


「で、そっちの質問はもう終わり?」

「一応は」

「じゃあ今度はこっちから聞かせて貰うけど。新の目的は何?」

「……いきなりだな」

「状況が異常すぎるもの。御厨と何があったの。この大がかりなドッキリは、そうね、世界の設定が改変されたという見方さえできるほどよ」

「ひどい中二病の妄想だ、どうして自分だけが特別なんて思えるんだ?」

「憶えてるのが私と新だけってことで十分でしょ。あと論点をはぐらかさない。目的は何?」

 真浦は変わらず眼光鋭くこちらを見る。

 けれども成一は答えることが出来ずにいる。


(……ここがゲーム世界と教えることはできない。だが言おうとしてもペナルティが課されるわけでなく、発言や行動が禁じられるだけなことは一昨日で検証済み。だったら世界の異常に気付いた彼女に対して言えるかどうか、試してみても……)


 しかし成一は躊躇った。原因はヒロインが残り二人しかいないという致命的な点にある。

 仮に目的を告げることが出来たとして、それを知ったヒロインの攻略は可能だろうか?

 前提として彼女は『攻略したくない』。

 それでも大前提は『現実に帰ること』を第一義としている。

 であれば現状で選択肢をさらに絞るのはあまりに軽率な判断だと成一は考える。だから、


「……目的なんて、俺にはない」

「なら御厨に嘘の告白をしたのはどうして?」

「少なくともそれは今の状況、御厨との記憶や関係が希薄になった事態とは無関係だ」

「つまり嘘の告白をした目的そのものはあるってことで、いいのよね?」

「……それくらいしか、今の俺にはまだ言えない」

「だったら質問じゃなくて感想を述べてもいい? 気持ち悪いのよ、自分だけがこの世界から取り残されたみたいでね。その原因を知ってるかもしれない奴がいま目の前にいるんだけど、新はどんな気分になるか想像できる?」

「恋に落ちる三秒前」

「殴っていい?」

「蹴っただろ! テーブルの下で俺のすねを全力で!」

「掛け合いなんて不毛だと言ったくせに、随分と話を引き延ばすじゃない」

「俺も混乱してるんだよ! ……正直、わからないことばかりで気持ち悪い」

「……。まあ、一応のコンセンサスは取れた、か」

 言うと真浦は立ち上がる。トレーは片付けろと言わんばかりにテーブルに置いたまま。


「じゃあ考えがまとまったら報告して。デザートはそのとき頂くから」

「ちょっと待て、もういいのか」

「話すつもりがないのに問い詰めても堂々巡りにしかならないでしょ」

「俺が報告するとは限らない」

「私は今の世界の意味不明さが気持ち悪い。新もそれは同意した。つまり害は一致してる」

「だから解決すれば互いの利を得られる……ってか」

「ええ。今は言えないっていうのなら待つだけよ。どうせ明日明後日には言うでしょう?」

 見透かしたように彼女は笑う。確かにこちらには時間があまり残っていない。

 そしてこの世界の状況が不快だと断言する彼女なら、もしかしてと成一は考える。


(……彼女はヒロインではなく協力者と見るべき、か?)


 また同じ目的のために行動を共にすれば、映画でよくある吊り橋効果になるかもしれない。

 酷く打算的ではあるが、理詰めで思考する彼女なら受け入れられないことではないはずだ。


(これじゃ恋愛ゲームじゃなくて脱出ゲームだな……)


 とはいえ本質はそうなのかもしれない。見えない檻に気がついた囚人は外の世界を目指して脱獄するのが道理だろう。ならば、


「そろそろチャイムね。じゃあ私は真面目に授業を受けに戻るから」

「……ああ、その前に言い忘れていたことがあった。いいかい?」

「手短かつ簡潔に。はい、どうぞ」

「〈月が綺麗ですね〉」

「……。残念だけど、あなたのために〈死んでもいい〉なんて返答できない」

「まったくだ。同感だ。つまらない衒学問答に付き合わせて悪かった」

「じゃあ認識も改めることね。その夏目漱石の〈月が綺麗ですねアイラブユー〉は後世の創作らしいから。二葉亭四迷が翻訳したロシア文学の原文も〈死んでもいい〉は『Love愛してる』の意味ではなく」

「『Yoursあなたのもの』だろ。流石だな文学少女」

「……意味不明、何がしたかったの?」

「きみの反応が見たかった。突然の告白を正常に断れるかの確認だ」

「つまり私は、最低な失礼をされたのね?」

「正解だ。そしてこれが御厨に告白した理由だよ。それだけは教えておこうと思ったんだ」

「……どういうことよ」

「転校初日でも好意を告げたらOKを貰えるかをテストした」

「……。そうしなければならない理由があったのね。で、私の理解力は眼鏡に適った?」

「ああ、明日には言うよ。伝わるかどうかは不明だけど」

「あっそ。じゃあ今度こそさようなら。――期待してる」

 彼女は既にこちらの期待以上に冷静だった。

 けれど成一は苦い気分を隠さずに、苛立ちながら缶コーヒーを買って一気に飲む。


(……同じ容貌、同じ名前に同じ性格――異なる記憶。わかってる、こんなのただの感傷だ)


 包帯を巻いた左手を握りしめて思い出す。

 現実時間のクリスマスイブ。自分をこのLOL世界にいざなった元凶の、ニュースサイトのバナーに表示されたゲームアプリの広告に、映っていたキャラが誰だったかを。

 だから先ほどの問答もかつての再現でしかない。ハッピーエンドで終わらなかった一年前。


(……やはり、やり直せってことなのか? 今度こそ)


 成一は答えることができなかったのだ。

 彼女のためなら、〈死んでもいい〉と。

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