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「うまい」

 成一は素直にそう言った。昼食は御厨の作ってきた弁当だ。一緒のベンチに座っていて、

「あーよかったあ! 勢いで作っちゃったから、お口に合うかが不安で不安で」

「いや、昨日の学食よりも美味しくて驚いた。それによく屋上の鍵も借りられたな」

「うん、委員長だから♪」


 けれど御厨は明るいトーンをすぐに落とし、


「……あのね、実はなんていうか、ぜんぜんよく分からないの。彼氏がいたことも無かったし、好きとかって気持ちも、わからない。ただあんなふうに人前で直球の告白されたのは初めてで、その――断るよりも進みたいなあって、OKしちゃって。ああだけど、彼女になったからには何かしないと、あれもこれもやらないと! ってもう朝起きてからパニくっちゃって……」

「……気持ちは分かる」

「もう、簡単に言ってくれないでよっ、ぜんぶ新くんのせいなんだよ?」

「ありがとう。好きな人にそんなふうに想っていただけて感激です」

「き、急に敬語にならないのっ!! ……恥ずかしすぎだよ、屋上にしておいてよかったあ……」


 そう言うと彼女は真っ赤にうつむいた。

 サーペントが声かける。


『いやー、順調に青春しているね。気分は結婚詐欺師かい?』

『その口にコンクリ流して縫ってやろうか蛇野郎』

『むしろ歯が浮かなくなって助かるね。で、告白して彼氏彼女の形にはなったけど、これから君はどうするの?』

『案内役の分際で観劇者の口ぶりだな。……この手のゲームの基本構造は、ほとんどの場合でヒロインの抱える問題解決が主題になる。その成否によってエンディングが確定するわけだ。だからヒロインをよく観察し情報を集め、何がそのキーになっているか探るのが肝要になる。それには距離が近い方が有利に進められるんだ。――テンプレ通りならな』

『それで君は、さくっと告白してルート突入して効率化を図ったわけかい』

『ああ。だから少しは黙って見てろ、集中できん』


 成一は御厨に話しかける。内容は、

「でも御厨さんは本当凄いな、料理もこんなにできるなんて。俺なんて一人の時にはほとんどレトルトかカップラーメンで済ませるから。もしかして普段の食事も自分で作ってる?」

「うん。小さい頃からやってるの。昨日までなら、お弁当は作らずに済んでたけど」

「そいつは嬉しくて涙が出ます。……小さい頃から?」

「あ、言ってなかったね。うちは新くんと逆で、お母さんがいないんだ。父子家庭」

「……ごめん」

「気にしてたら言わないから大丈夫だよー。お父さん仕事で遅くて、だから料理は自然とね。新くんだって、掃除や洗濯くらいの家事は自分でするでしょ?」

「それは確かに。でも大事な娘が急にお弁当を二人分作り始めてさ、その。お父さんから何か言われたりしなかった?」

「ううん。……お父さんは、私には無関心だから」

 ――ヒット。

 成一は狙い通りの情報を手に入れて内心胸をなで下ろす。これが彼女のキーの一つだろう。


『うわあ。手口があくどい』

『なんとでも言え。あと母子家庭は事実だよ、布石には使ったが』

 いわゆる〈自己開示の返報性〉だ。昨日どさくさに紛れて自分の事情を伝えたのは、会話に働く心理の力学を知った上での計算だった。だがこれ以上の追求は逆効果なので止めようと、ほかの話題を振ろうとして。


「そういえば新くんは、転校初日にいきなり告白したってこと、お母さんには話したの?」

「えっ、ああ。……してないよ。親子仲は悪くないけど、恥ずかしくて」

「そっかー。私なんてもう『どうしよどうしよー!!』って友達にメールしたり電話したりで。新くんは、そういうことは誰にも話さないタイプ?」

 先に笑顔であちらに誤魔化され、さらには。

「話せる奴もいるけれど、どいつもこいつも彼女ナシのぼっちでさ。それにもうクリスマス時期だし、自慢話は後でして思いっきりひんしゅく買ってやろうと思ってる」

「あはは! こっちでもそういうこと話せる友達、出来るといいね!」

「しばらくは無理だって。昨日そのフラグをバキバキに叩き折ったはずだから」

「えへへー。こう見えて割と人気のある私です♪」

「割とって、それはひどい謙遜だ。……言い遅れたけど、OK貰えて、嬉しかった」

「どういたしまして。じゃあ昨日のお返しに、私も唐突な質問いいかなあ?」

「何でしょう。はい、どうぞ」

「新くんって、私と付き合う前に彼女いたでしょ」


 ――こちらの地雷を、ピンポイントで踏み抜かれた。


『……蛇野郎。こっちの世界の人間は、転校前の事情は聞いてこないんじゃなかったのか』

『それは時季外れの転校や、君の出自に疑問を持たないってだけだよ。君が開示した情報から推察できることに関しては、彼女らは真っ当に思考して判断する』

『迂闊な発言は自分の首を絞めるってか。先に言え』

『残念ながら君に与える情報には限りがある。ハッピーエンドの条件を開示しないようにね』

『お前が嘘をついてないって、信用することはできるのか?』

『ボクが嘘をついていたらゲームが成立しないじゃないか! ――言葉の綾はあるけどね!!』

『そいつは正しく悪魔が吐くセリフだな。自身を証明しているとして、信じてやる』


 成一は言い放って息を吐く。

 なんとも触れてほしくないところを掻かれたものだ。だがこんなことでミスをするわけにもいかないと、成一は覚悟を決めて言おうとして。


「あっ、別に詮索してるんじゃなくってね!? その、なんか告白の時も余裕あって、今だって全然あわててるようじゃないしっ、だからもしかしてっていう単なる疑問系でしかなくて!」

「去年に別れた。一方的に振られたんだ。好きだったわけじゃない、向こうから告白されて、クリスマスの時期だからと付き合ったら見抜かれてて、しかも向こうもそのつもりだったのか二十四日付けでお別れされた。要するに掌の上で遊ばれました。以上、嘘偽りない報告です」

「あ、ええっと」

「ちなみにファーストキスさえ未だしてない、全身くまなく清く恥ずかしい身体のまま。なお付き合ってた期間の二ヶ月は、延々とお預け喰らわされていた模様。まんまと釣られた俺は、エサも与えられずそのままリリースされて今ここに。捨てる神あれば拾う神あり、と」

「ぷっ」

「こんなところでどうでしょう、御厨さん」

「それで私は、その笑い話を鵜呑みにすればいいのかな?」

「情けないことに事実だよ。だから言いたくなかったんだ。……恥ずかしくて」


 言って成一は肩をすくめてみせ、彼女と一緒にあははと笑う。

 先ほど語った話は嘘ではない。確かに自分は一年前にそのような経験をして今ここにいる。さらにその上なぜか今、こんな理不尽な世界に入っている。クリアできなければ殺される。

 だからこそ。

「じゃあ新くん、今日の放課後、釣った私に早速エサをくださいな♪」

「……直球だなあ」

「ちーがーいーまーす! 昨日あのあと、近々に街を案内してって言ったでしょ。引っ越してきたばかりで分からないことだらけだから、そっちの意味でも付き合ってって!」

「はい、言いました」

「で! 今日は生徒会が休みなのっ、依頼も全部キャンセルしたの! 頭いいなら考える!」

「了解であります、委員長。ご案内して頂く代わりに、お好きなデザートをいくらでも」

「よしっ、契約成立!」

 演技もするし道化もやる。生き抜くために、傷痕を隠すために。


 そうして放課後になって成一は、御厨と共に架空都市の中心に繰り出した。


「――さて、じゃあ次は何を食べよっか! 焼き桃アイスか桃タルトか、それともシンプルに桃ジュースにする?」

「……ジュースでいい」

「ならお勧めのジューススタンドがあるんだよ。行こっ」


 これで五件目のハシゴであった。

 時刻は既に十八時過ぎ。架空都市といえ街はイルミネーションで飾られており、冬の空気が冷たく肌に染みてくる。そんななかで立ちながら飲むジュースはというと、


「うまい」

「くすっ、新くんって必ず一口目にそう言うよね」

「うまいときに言うクセなんだ。けど恐ろしいほど桃づくしでびっくりした」

「でしょ? 市の特産品なんだ。なんかもう東京都内っていうより山梨県か! って感じ」

「ああ、確かにそうだな。そうだった」

 思い出す、ここは東京都にあるという設定だった。ふと閃いたので問いかける。


『サーペント、ここから別の都市に行くことは可能か?』

『可能だよ。市内を走る路線の先が、新宿と八王子になってるから。どっちも二十分くらい』

『中央線かよ……』

 架空都市のくせに妙に現実に配慮した作りだなと成一は呆れていた。しかし、


「じゃあ新くん、そろそろメインディッシュに行こっか」

「え、まだ食べるの?」

「ちーがーうー! 日曜に越してきたばかりなんだよね。だからここの観光名所、市の名前の由来を見せてあげようと思ったの」

「由来?」

「うん、ついてきて。すぐそこだから」

 彼女は足早に駆けていく。デザート巡りをしていたときよりはしゃいでいる御厨に、成一は何が待っているのかと期待半分に思って付いてゆき。

「はい、とーちゃーっく!」

「……。――え」


 吐く息は白かった。十二月の夜の音は澄んでいた。雲のない星空と、ライトアップが木々を照らし、その光と色のグラデーションが瞳にあざやかに飛び込んだ。そこは桃園だったのだ。

 一面に花が咲き乱れる、桃園だった。


「あ、ゆき……!」


 薄い紅の花色が、降るはずのない白に染まっていく。

 他にここには誰もいない。迷い込んだわけではない。なのにいつの間にか人影が自分達しか見あたらない。成一はふるえを感じながら、けれど来た道を振り返ることができずにいる。

 冬を彩る桃の花。

 自然な笑顔を見せる彼女。

 成一は否応もなく理解する、ここは紛れもなく異世界だと。


「すごい……嘘みたい! 雪だよ、雪っ!」

「ああ。ここはその、花が」

「そう、散り尽きることのない桃の花園。それに花があるのに果実も獲れるの!」

「だから、この市の名が――」

「言葉がないくらい見惚れてる? でも雪が降るなんて、私……うん、来てよかった!」

 御厨は当然のように説明し、素直に景色に感動する。

 その不自然さに強烈に眩暈する。


『……おい。なんだこのふざけた場所は』

『驚いたかい? ここが桃花市の中心部、プレーヤーにヒロインと二人きり気兼ねない時間を楽しんでもらうために作られた桃源郷だ。気に入ってもらえたかな?』

『エンディングに関わる場所なのか』

『違うとも言えるし、そうであるとも言える。全ては君次第さ』

『ご都合主義の塊だな。……彼女、気がふれたかと思ったぞ』


 そして思い知らされる、物理法則を無視するこの現象を受け入れてしまえる彼女は、やはり現実の人間ではないのだと。

 この晴天の夜に降る雪のように、幽玄の夢の中で生きる存在だと。


『――あれっ、あたらしいこたちかな』『くすくす。くすくす』『しあわせそう?』


『……!? っ、サーペント、何か言ったか』

『いいや、ボクは何も言ってないよ?』

『……。とにかく俺は、吐き気がする。この場所は』

 けれどそんな雰囲気を壊す言葉は彼女に告げず、平静に。


「御厨さん。案内してくれてありがとう、最高の思い出になった。寒くない?」

「ぜんぜんっ、凄く綺麗だから! って言いたいけど、雪も降ってて……あ、やんじゃった」

「ちょうどいい。夜も遅くなると危ないし、帰ろうか。家まで送るよ」


 それに御厨が頷くと、成一は逃げるように踵を返し来た道を戻っていく。

 そして途中で連絡先を交換して家の場所も把握して、

 ゲームの三日目が終了した。

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