夏がキライな君のコト。

霜月透子

初日(午前)

 ジュワジュワと強火で炒められているかのように蝉が鳴く。

 日陰が小さくなっていく。僕は、座り込んだまま膝を強く抱え込んだ。それでも体は日陰に収まりきらず、むき出しの脛を日射しがジリジリ焼いた。


 日が高くなってきた住宅地に人通りはない。もっとも通行人がいたら、玄関先でうずくまる男子高校生を怪しんで通報でもされていることだろう。


 ジュワージュワー……ジリジリ……


 蝉の声なのか、自分の肌が焼ける音なのか曖昧になってくる。


 ちくしょー。朝からどこに行ってるんだよ……。


 勢いに任せて、何着かの着替えと財布だけを持って飛び出してきた。スマホがないのに気付いたのは電車に乗った後だった。

 一言断りを入れてから訪れるつもりだったが、連絡手段がないのではどうしようもない。週末の午前中なら家にいるだろうと安易に考えていたのが間違いだった。


 もしかしてまだ寝ているのかも?


 わずかな期待を胸にのろのろと立ち上がり、再びチャイムを鳴らす。耳を澄ましても蝉の声が聞こえるだけだった。


 一旦どこかで涼んで、出直してくるか。


 このあたりを頭の中で巡ってみるが、公園や神社といった木陰くらいしか思い当たらない。駅前まで戻ればカフェやコンビニがあるが、二十分ほど歩かなければならない。この辺りはなにもない、いわゆる閑静な住宅街ってわけだ。

 座っているだけでも暑いのに、歩き回ったら溶けてしまう。

 観念してリュックを枕にして横になってやろうかと真剣に考える。けれども引き寄せた黒いリュックは、思わず一旦手を離してしまうほどに熱くなっていた。


 一瞬、家に帰ろうかと思う。

 でもそんなのだめだ、と即座に思い直した。だって、さっき出てきたばかりじゃないか。これは反抗なんかじゃない、抗議なんだ。


 それに、この暑さには身の危険を感じないでもないが、夏という季節は好きだ。日射しはギラギラと力強くて、厚みのある入道雲は生き生きとしている。見るものすべての輪郭がくっきりと浮かび上がり、ここにあるんだ! と主張している。そんなあらゆるものの堂々たる様を見ていると、いても立ってもいられなくなる。身体中の細胞がグツグツ沸騰して弾け、どこへでも散らばって、どんなことでもできる気分になる。


 だけど実際はどこにも行けないし、なにもできない。やりたくないことをやらなくちゃならないし、望まないことを突きつけられたりする。


 夏空のエネルギーに当てられた気がして、視線を落とした。日陰はますます縮んで、今はもう膝まで焼かれ始めている。


 と、ふいに影が落ち、僕の足は日射しから守られた。顔を上げると影の主が覗き込んでいた。

 思わず仰け反って、頭を強く玄関ドアに打ち付けた。


「いってぇ……」


 後頭部を撫でながら再び見上げると、女が仁王立ちして見下ろしていた。Tシャツにインド綿のロングスカート、それにサンダルというラフな格好。逆光で顔はよく見えないが見知らぬ人なのはたしかだ。


「えっと、誰ですか?」


 普通に聞いただけなのに、女は「はあ?」と攻撃的な返事をして、僕の正面にしゃがみ込んだ。

 日射しの位置がズレて顔が見えた。二十代と思われるが、まったく化粧っ気がなく、リップさえ塗られていないようだった。だけど、なんだかそれがこの人にもっとも似合うメイクのように感じられた。手つかずのままが気持ちいい原っぱみたいだ。


「誰ですか、はこっちのセリフなんだけど?」


「僕は――」


 いや、待てよ。やっぱり誰なのか問うのは僕のセリフじゃないだろうか。だって、間違いなくこの女はこの家の人ではない。

 なのに女は言った。


「私はこの家のもんだけど?」


「うそだ」


 とっさに反論する。


「うそじゃない。鍵だって持っているよ」


 そう言って女は、肉球型のキーホルダーがついた鍵を揺らして見せた。


 え? なぜだ?


 僕は立ち上がり、数歩先の門に掲げられた表札を確認する。「原田」とある。うん、家を間違えたわけではない。じゃあ、なぜ?

 僕が門のところで首をひねっていると、女は足で僕のリュックをよけながら、玄関の鍵を開けていた。


「ちょ、ちょ、ちょっ……! なに人の荷物を蹴ってるんだよ!」


「なにを偉そうに。他人んちの敷地に入っておいて。さっさと出て行きな。不法侵入で通報するよ。補導されちゃうよ、少年」


「少年じゃない! 高校生だ! 高校三年生だよ!」


「君が何年生でも何歳でもいいから、さっさとおうちに帰りな」


「僕はここのうちに用があって来たんだ」


「へえ。このうちの知り合い? それにしちゃあずいぶん歳の離れた知り合いだねぇ」


 女はまったく信じていないような口調で言った。


「和幸さんは僕の叔父さんだ」


 そう言うと、女はやっと笑顔になった。


「なぁんだ。それならそうと早く言いなよ」


 周りの光が増した気がした。もちろん気のせいだ。初めから辺り一面、ギラギラとした強い光が溢れているのだから。

 夏みたいな女だな、と思った。夏そのものみたいな。


「だ、け、ど!」


 女は開きかけていたドアを後ろ手に閉めて立ちふさがった。


「まだ信じるわけにはいかないよ。確認させてもらうからね」


「確認って?」


 返事の代わりに女はいきなり僕の写真を撮った。そのままスマホを操作し、通知音が鳴り、なにか操作し、通知音が鳴り……と繰り返すこと数回。


「おっけー。原田健人くん、との確認が取れました!」


 得意げに見せられたスマホの画面には、和幸さんの奥さん――僕の義理の叔母とでもいうのだろうか――ともかく、真理子さんとのメッセージをやり取りした様子が表示されていた。

 僕は、僕の身元を納得してもらえたのと、この人が真理子さんの知り合いだということがわかってホッとした。

 ホッとしたら、なんだか急に目眩がして、ヘナヘナとその場に倒れ込んだ。敷石が焼けるように熱かったけれど、僕はそのまま動けなかった。

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