第25話 人間の風邪はネコには感染らないとは思うが、猫又にはどうなんだろう? ~晴人、寝込む2~

 教室に戻っても、タマは晴人の事が気になって仕方が無い。授業が始まっても心ここにあらずといった感じでぼーっとしている。そして午後の授業も全て終わり、放課後となった。健一は淳二と透の部屋に世話になるので着替えを取りに足早に部屋に戻った。タマも一人寮母室に戻り、溜息を吐いた。


「あら、どうしたのタマちゃん。元気無いわね」


 心配そうに言う智香にタマは晴人が風邪をひいて寝込んでいる事を話した。すると智香はタマの心配を払拭するかの様に笑った。


「晴人君も人間だもの、風邪ぐらいひくわよ。まあ、若いんだから二~三日大人しく寝てれば大丈夫よ」


 言ってしまえばその通りなのだが、頭ではわかっていても心が追いつかないのが人間という生き物だ……って、タマは人間では無いか。


 いつもなら寮母室に戻ってもすぐに「晴人君のトコに行ってくるにゃ」と遊びに行くタマが今日は寮母室の隅でしょぼくれている。タマにとって晴人の存在がどれだけ大きいかをあらためて感じる智香。静かな時間が流れ、夕食の時間が近くなった。


「ご飯食べてくるにゃ」


 元気無く言うとタマは学食に足を向けた。しかし、タマは途中で向きを変えた。もちろん向かった先は男子寮、晴人の部屋だ。


「晴人君……」


 タマはおずおずと声をかけ、ドアを開けた。晴人はまだベッドで横になっている様だ。タマが部屋に入り、近付いて晴人の様子を見ると、晴人はガタガタと震えていた。


「晴人君!」


 タマは焦った。


「どうしよう、晴人君が……」


 焦るタマの頭に古い記憶が蘇った。子猫だった頃、寒さに震える自分を母猫が身体で暖めてくれた懐かしい記憶を。タマは晴人のベッドに入り、晴人を抱き締めた。高い熱を出しているのだろう、晴人の身体は熱かった。どうすれば良いかわからなかったが、タマはここでまた母猫が自分にしてくれた事を思い出した。そして、その記憶に従って晴人を、晴人の顔を優しく舐め始めたのだ。


「う……うーん」


 晴人が身体を包む温もりと頬に伝わる温かく柔らかい感触に目を覚ました。薄目を開けた晴人の目に映ったのは間近に迫るタマの顔。自分の置かれている状況を理解した晴人は危うく声を上げるところだったが、寸前で声を殺した。


「おい、タマ……」


「あっ、晴人君、起こしちゃったかにゃ?」


 タマは自分が母猫に舐められていた時、その気持ち良さと安心感とで心地良く眠りにつけたのだが、自分は逆に晴人の目を覚まさせてしまったのだ。申し訳ないという気持ちと共に、少し悲しくなってしまった。しかし晴人は優しくタマの頭を撫でた。


「タマ、ありがとな。でも、風邪を移しちまうからダメだって言ったろ」


 晴人の言葉にタマは目を細めて答えた。


「風邪なんか移らにゃいから大丈夫にゃ。私、人間じゃにゃいもん」


 いつもの晴人なら「んなわけあるか!」などと突っ込むところだろうが、晴人は更に優しくタマに言った。


「そっか……でもな、こんなトコ見られたら大騒ぎになっちまうぞ。ヘタすりゃ二人共退学だ」


「大丈夫。今、ご飯の時間だからみんにゃ学食に行ってるにゃ。だから、もうちょっとだけこうしてたいにゃ」


 言いながらタマは晴人の顔を愛おしそうに舐め続けた。初めは驚いて目を覚ました晴人だったが顔を舐められているうちにだんだん気分が良くなってきた。これは猫又に治癒能力があるとでも言う事なのだろうか? それともタマの晴人に元気になって欲しいという思いが届いたのだろうか? 晴人はうっかり眠ってしまいそうになったが、なんとか気を取り直した。


「でもな、ご飯の時間だったらタマも学食に行かないとダメだろ?」


「そうにゃけど……でも……」


 晴人の言葉にタマは寂しそうだが、それは晴人も同じ事だ。晴人だって出来ることならこのままタマに顔を舐めていて欲しかった。それ程までに心地良く、風邪の苦しみが薄れていくのだから。しかし、一時の感情に流されて全てをぶち壊すわけにはいかない。


「そうだ、またメシ持って来てくれよ。お前がちゃんと食べてからな。俺はその間、着替えとくから。ほら、汗でベタベタだ。これじゃ治るものも治らねぇ」


「わかったにゃ」


 タマはベッドから出ると、名残惜しそうに部屋を出ていった。晴人はゆっくり起き上がり、タマが舐めてくれていた頬に手をやった。晴人の頬に初めて女の子の口が触れたのだ。もっともタマは人間の女の子では無いし、キスされたわけでも無い。しかし、キス以上に濃厚な時間だったと言って良いだろう。晴人の頭がまたぼーっとしてきた。それは熱のせいだろうか? それとも……



 晴人が着替えを終え、またベッドに入るがとても眠れたものでは無い。目を閉じれば晴人の顔を懸命に舐めるタマの顔が浮かんで来るのだ。もぞもぞしている間に十数分の時が経ち、ドアをノックする音が聞こえた。


「タマ?」


 晴人の口から小さな声が漏れた。しかし、ゆっくりと身体を起こす晴人の耳に届いたのは耳に馴染んだ太い声だった。


「晴人、大丈夫か?」


 もちろん健一の声だ。タマが一人だったらノックなどせず「ご飯持って来たにゃ!」と、いきなりドアを開けるだろう。


「お、おう健一。悪いな、迷惑かけちまって」


 晴人が言うが、健一は迷惑だなんて全く思っていない。それよりも晴人の顔が赤い事に気付き、心配そうな声で尋ねた。


「おい晴人、顔、赤いぞ。まだ熱があるんじゃないか?」


 健一の言う通り、まだ熱はあるかもしれない。しかし晴人の顔が赤かったのは、ノックが聞こえた時、タマだと勝手に思ってしまった自分が恥ずかしかったからだ。もちろんそんな事、健一は知る由も無いのだが。


「晴人君、本当に大丈夫なの?」


 健一の陰で見えなかったが、一緒に来ていた綾がひょこっと顔を出した。


「ああ、大丈夫。心配してくれてありがとうな、綾」


「ううん、大丈夫なら良いの。良かった」


 綾は晴人の声を聞いて安心した様に微笑むと、食事を差し出した。もちろん今回もきつねうどんだ。


「どう? 食べれそう?」


「ああ、もちろんだ」


 晴人は丼を受け取ると勢い良くうどんを啜り出した。もちろんまだ本調子では無いが、タマのおかげだろうか、悪寒は消え、頭痛もだいぶ治まっている。明日はもう一日様子を見るとして、明後日には授業にも出れるだろう。


「それだけ食えりゃ大丈夫だな」


 健一が笑うと彩も目を細めた。と同時にドアを開ける音が響いた。


「晴人君、大丈夫にゃ?」


 言うまでも無くタマだ。晴人の部屋に寄っていた分食べ始めるのが遅れた為、晴人が腹を空かしていると健一と綾が先に食事を持って晴人の部屋に行ってしまったので、結衣に「お行儀が悪いわよ」と言われながらもご飯をかっ込み、大急ぎで飛んできたのだ。


「おうタマ、大丈夫だぜ。ありがとな」


「良かったにゃ」


 晴人の笑顔にタマも笑顔になった。晴人が綾には『心配してくれてありがとうな』と言ったが、タマには『ありがとな』とだけ言った。この違いの理由を知る者は晴人のみであり、また、その理由は誰にも言えるものでは無い。順子がこの場に居れば何か気付いたかもしれないが。



 翌日、朝起きると晴人の頭は昨日の頭痛が嘘の様にすっきりしていた。「やはりタマには治癒能力があるのかもしれないな」などと思いながら制服に着替えると軽い足取りで教室へと向かった。


「晴人、もう出て来て大丈夫なのか?」


「おう、おかげ様でもうすっかり元気だぜ」


 晴人の顔を見るなり驚いて言う健一に晴人は笑顔で答えると、由紀と結衣、順子と綾も晴人が来たのに気付き、近付いてきた。しかしタマの姿は見えない。


「あれっ、タマはどうした?」


 晴人が不思議そうに言うと、みんな今日はまだタマを見ていないと言う。まさか……嫌な予感がした晴人は教室を飛び出した。もちろん向かった先は寮母室だ。


「晴人君……失敗しちゃったにゃ……」


 嫌な予感ほど当たるもので、、タマにしっかり風邪は移っていたのだった。晴人は溜息を吐きながら言った。


「昼にメシ持ってってやるからな。きつねうどんで良いか?」


「うん!」


 タマは病人とは思えない笑顔で頷いたが、頭がくらくらする様でふらついてしまった。反射的にタマを抱き支えた晴人の耳元でタマは言った。


「晴人君にペロペロして欲しいにゃ」


 真っ赤になった晴人を見てタマは残念そうに言った。


「でも、風邪をまた移しちゃいだから我慢するにゃ」


 智香さんが居なければ……ちょっと思ってしまった晴人だった。


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