日和-07 思い出日和
「みらい、そういや、なんで4月の後半というなんとも微妙なタイミングで転校してきたの?>
<話すと長くなると思うんですがいいですか?
いいよ!暇だしw>」
ということで、さっき教えてもらった連絡先を使ってメッセージのやりとりで、みらいが微妙なタイミングで転校してきた理由を聞くことになった。(いや、
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周りの子は小学生といわれる時期は、私は、家から1歩も出ずに、家庭教師の先生と勉強してた。私はこのころから人見知りが激しかったかは外に出ていないから分からないけど、家庭教師さんは、住み込みで働いていたので、家族同然の人だった。ちなみに、私は、2歳のころからほぼ完璧に日本語を使えていたようで、家庭教師さんは日本人の人だった。家庭教師さんと勉強していた時間は、1日6~7時間ほどで、1日中勉強というわけでもなかった。さらに、週に2日は勉強は休みで、1日中遊べる日があった。お父さんの話では、家庭教師さんは、すごく教え方がいいらしくて、私自身も、教えてもらっているときが、遊んでいるときと同じくらい楽しくて、気分的には遊んでいるのか勉強しているのか分からない感じだった。
ある日、家庭教師さんに、小さいころは何をしていたのか聞いてみたら、小学校に行って、友達とたくさん遊んで、中学校に入って、少しおとなしくすごして、高校で友達と離れてしまって、でも、新しい友達が出来て、大学は、友達と一緒にご飯食べたり、旅行に行ったりしていたらしい。
そのとき、私が知らない言葉がいくつもでてきた。小学校、中学校、高校、大学、そして"友達"。小学校や中学校などは、私みたいに勉強している子がたくさん集まった場所ってことは、家庭教師さんに聞いた。友達もなんなのか聞いてみた。家庭教師さんは、何か驚いたような表情を見せたが、すぐになにか納得したそうな表情を見せて、「歳が近くで、一緒にいたいなとか思う人たちのことだよ」と教えてくれた。そのとき、私は、家族のことじゃないの?と聞いてみたが家庭教師さんは、少しくすくすしながら、「違いますよ」と教えてくれた。よく分からなかったので、お母さんに"友達"とはなんなのか聞いてみた。返ってきた答えは家庭教師さんと同じ内容で、私はさらに分からなくなってしまった。お父さんに聞いてみたら、「よし、なら外に出て実際に友達を見てみるか」といってくれた。お父さんは、百聞は一見にしかずとでも言いたそうな感じで、私に外に出てみるか?と聞いてきた。
当時の私は、外に出るなんて考えもしなかったので、一切外には出なかった。外に出たといえば、もう覚えていないけど、日本から海外に引っ越したときくらいじゃないのかなと思う。
そして、お父さんの一言で少し外にも興味が沸いてきた。なので、少し外に出てみた。それまでずっと家に引きこもっていたので、太陽の光が当たったとたん、私は倒れたらしい。(お母さんから聞いた)なんと3日も寝込んだらしくて、私をもう外には出さないでおこうとお母さんは言い出した。しかし、お父さんは、何とかして外の世界を私に見せたかったのか、それとも、少し外に興味を持ったと気づいたのか、今度は、日傘を持ってきて、外に出てみないか?と誘ってきた。お母さんは反対したが、私も外を窓からじゃなく見てみたくなったので外に出た。日傘のおかげか、天気が曇り気味だったからか、今度は倒れなかった。そして、公園に行ってみた。そしたら、私と同じくらいの子や、私より少し大きな人たちが一緒に遊んでいた。おそらく、私の人見知りは少なくともこの時点であったようで、お父さんが「一緒に遊んでくるか?」と聞いてきたが、話しかけるのが怖く、お父さんの後ろに隠れるようにして公園を見ていた。ここまでが限界かと思ったのか、お父さんが、「もうそろそろ家に帰るか?」と聞いてきた。私は、早く帰えろうと答え、家に帰った。時間にしてみれば20分程度のことらしいが、私には、大冒険をしたような感じがした。家に着くと、お母さんが、駆け寄ってきて、体に異変はないかと聞いてきた。無理もない。つい数日前外に出ただけで倒れ、そして3日も寝込まれた直後にまた外に行ったのだから。体には問題ないよといったが、それでも心配なのか、額に手をあてて熱がないかとか調べた。家庭教師さんも、私の体を心配して、そして、勉強はすごく進んでいるから、今日は休みでいいよといってくれた。過保護なのか?と思う人もいるかもしれないが、3日寝込んだ原因をもう一度し、それでなお体の心配をしないほうがおかしいと思う。
当時私は気づいてなかったが、年齢的に、日本で言うところの小学4年生だったが、勉強内容は、小学6年生の内容を勉強していた。最終的に、日本では小学卒業の歳には、中学2年までの内容はほぼすべて理解していた。
日本では小学6年生にあたる歳の誕生日に、お父さんに、"学校に行ってみたい"と言った。お母さんは、2年前、外に出ただけで寝込んだ私の体を思って、「勉強は出来ているのだから、別に今までどおりでもいいのよ」と言ってくれた。今ままでどおりでもいいとは言っていたが、家にいてと言いたそうな感じだった。実際、内心はそうだったんじゃないかなと思う。お父さんは、逆に大賛成だった。私を中学校から学校に行かすとして、どこの学校にしようかとか勝手に話を進めていた。お母さんは、「何言ってるの!?」と言い、気が立っているお母さんを家庭教師さんが「まぁまぁ」と沈ませていた。それからしばらくお父さんとお母さんの議論が続き、日本の学校で、お父さんは仕事の都合上、一緒に住めないが、お母さんは一緒に日本に行く事になった。家庭教師さんは、「もともと、そろそろみらいちゃんには教えることがなくなってきているので・・・」といって、自ら退職しますと言い出した。家庭教師さんは、私に勉強を教えるのが仕事で、私に勉強を教えなくなったら家にいる理由も無くなるので、出て行きますと私に説明した。小さいころからずっと一緒にすんでいて、家族も同然の人が突然いなくなるのは嫌だったので、お父さんやお母さんにやめさせないでと言ったが、「実際、みらいの修学スピードは速すぎて、家庭教師さんも限界なんだろう」などといって、私の話を聞くどころか、説得しようとした。どうにかして家庭教師さんが家庭教師をやめないですむ方法を考えていたら、家庭教師さんが、
「私は、少し勉強してきます。みらいちゃんは勉強がすごく出来るので、私はもう少ししたら多分みらいちゃんに追いつかなくなってしまうと思います。なので、少し勉強してきます。ずっとお別れになるわけではありません。私が勉強してまたみらいちゃんにたくさん教えて、一緒に遊べる時間がでるようになったらまた絶対に帰ってきます」
この言葉が、泣きそうになって家庭教師さんが出て行かない方法を考えていた私を説得させた。家庭教師さんは今でも勉強中なのか、いまだ連絡はない。
いろいろあったが、日本の中学校に入学した。私が学校に行きたいと言ったときは、現地の学校のつもりで言ったのだが、日本生まれで、日本語を話してずっと生活してきたので、どう行くなら日本の学校がいいだろうということで日本の学校になった。
中学校で、今まで見たことのないたくさんの人を見た。特に部活にも入らず、公立中学校だったのが影響してか、周りの人たちは、もとの小学校の友達同士でグループを作っていた。海外からの転校生であり、人見知りの激しい私は、そのグループにはもちろんのことながら入れず、特にやることのない生活が続いた。勉強も、歴史以外は、すでに習っていることなので、復習程度にしかならず、本当にやることがなかった。ちなみに、歴史以外なのは、家庭教師さんが、まさか学生のうちに日本に行って勉強することはないだろうと、日本史ではなく、世界史のみを教えてくれていた。なので、世界史のところは、それ以外の教科と同じように復習程度にしかなっていなかった。
あまりにもすることがなかったので、勉強していなかった日本史を勉強し、少しずつだけど、中3の内容も勉強していった。
こんな感じで中学の生活を送っていたが、中3の夏休み直前、みんなは、部活引退の話をたくさんしていた。そのとき、私は、何か部活に入ってもよかったなと思った。そして、高校になったら何か部活に入りたいな、出来れば運動部以外で、と考えていた。
まわりのクラスメイトは、受験で大忙しだったが、私は、そのときすでに、高校3年の後半の内容までは全部分かっていたので、あわてる必要もなく、今までどおり過ごした。
中学校卒業式の日、校長先生から卒業証書を渡された。そのとき、校長先生が「私が高校の卒業証書も渡せるなら君に中学の卒業証書と一緒にわたしていたんがな」といっていた。3年の夏休みが終わってちょっとしていたころ、クラスメイトのみんなが模試とかに行っているので、私も行ってみたが、なんと満点。さすがにうそだろと聞いたが、本当に満点だった。そのことをお母さんに言ったら、「大学の過去問やってみる?」といわれた。普通に考えて、大学の過去問を中学3年にやらせるなんてありえないらしいが、そのとき、高校3年の内容はもう全部分かっていたので、といてみることにした。そしたら、なんと、ほぼ満点という結果が返ってきた。そして、それを見たお母さんがすごく驚いて、お父さんと家庭教師さんに連絡した。お父さんもすごく驚いて、「そうだ、実質大学入学したようなもんだし、高校も余裕だろうし、ちょっと早いが、入学祝をやろう」と50万程度はするパソコンを送ってきてくれた。家庭教師さんは、「いったいどこまで勉強したらみらいちゃんに教えに戻れるんだろう」と電話越しに言っていた。
そこからも、独学は続けて、高校入試の日を迎えた。みんな緊張しているみたいだが、私は、そこまで心配していない。それよりも、面接をどうしようか必死に考えていた。筆記検査のあとに面接があって、本当に面接どうしようかと考えていた。中学校でも、クラスメイトはもちろん、教師ともまともに話せなかった。ある意味処刑ともいえる面接をどうやり過ごすか考えていたら、高校の先生が私を別室に呼んで1枚の紙を渡してきた。合格通知だ。私は、お母さんや、家庭教師さんに入試がどんなものか聞いてみたことがあるが、面接は絶対あるって聞いてたし、なにより、入試当日に合格通知をもらうなんてありえないことも知っていた。なのになぜかもらった。不思議そうに合格通知をみていると、高校の先生が、「偽者じゃないよ。ただ、君の実力はうちの高校にはあ合わないと思う。もっと上の高校にも余裕でいけると思う。正直私は、こんな結果を見たことはない。委員会とも話し合ったが、この高校で本当にいいのなら、今すぐに合格にしよう。まさかあの会社の社長の娘がこんな高校の入試にきて、満点を取っていくなんてみんな夢にも思ってなかった。先ほど、君の父親から連絡があって、君は人と話すのがものすごく苦手で、家族以外とはまともに話せてはいなかったということも聞いている。君の面接は、父親がやってくれて、元々面接などする必要もない点数なのだが、生徒のことを知るためにも面接はしないといけない。が、君の父親が全部教えてくれた。委員会も承諾して君は現時点をもって合格とすることになった。しかし、本当にこんな高校でよければの話だが、そこも父親から聞いている。体も少々弱いから、近くの高校にしたそうだね」といってきた。多分お父さんは、私にとって面接は処刑みたいなものだと分かって高校に連絡してくれたのだろう。通常なら、そんなもの聞き入れてももらえないのだろうが、お父さんが会社の社長だということを知って、少し耳を傾けてくれたのかもしれない。しかし、お父さんの仕事に関してはあんまり知らないけど、パソコンを扱っている中小企業くらいだと思うのに、よく聞いてくれたよね。(注意:みらいは、まだ自分の父親が大企業の社長だということは分かってない)
しかし、合格して入学したが、先生が、何も教えれなくて、別の高校を紹介してきた。そこの高校には、県内でも1位を争うほど頭のいい先生がいて、そして、この高校から家までの距離を比べたら、実質500mくらいしか変わらないので、転校することになった。別に私は、どこの高校でもよかったので、特に嫌がることもなく、転校した。
そして、転校先の高校で前から考えていた部活に入ろうかなと部活紹介の掲示板を眺めていた。そしたら、文化部のところに、[コンピューター部]というのを見つけた。ちょうど、お父さんが送ってきてくれたパソコンがあるけど使い方が分からなくて困っていた。ここなら機械に詳しい人もいるんじゃないかと思い、部活見学として、行くことにした。
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「<と、こんな感じですね
えっ、頭いいの?>」
感想そこかよと
「<私ってバカっぽいですか?
いやいや、そういう意味じゃなくて、どれだけ頭いいの?って意味だよ>
<あっ、そういう意味でしたか。私は、さっき言ったように、高校入試は満点で通れますよ
なら、今度私に勉強教えて!>
<いいですよ
よっし!ありがとう>」
きた、これで今度のテストは点数良くなるぞ。
この後、少し雑談をしてみらいとのトークをきった。
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