その少女は、刃物で背中と左胸を一度ずつ刺されて死んでいた。


 仰向けに倒れていて、開いたままの瞳は上から見下ろしている刑事たちを見つめ返しているようにも見えた。

 紺と白のボーダーのTシャツを着て、その上に白地に紺の縁取りの入ったニットのカーディガンを羽織っていた。丈の短い紺のプリーツスカートはめくれ上がり、白い太股を露出している。

 白のヘアバンドに白のソックス、紺のローファーを履いていた。右足の方は脱げて、紺のボックス型のバックとともに水たまりに転がっていた。

 長いストレートの髪が似合う清楚な感じの美少女で、もし生きていたら自分の洋服がこんなに血で汚れてしまっているのをきっと嘆くに違いない。小降りだが決して途切れることなく落ちてくる雨が、背中から流れた血をすぐ脇の側溝へと運んでいた。

「──ひでえな。ここまで深く刺したら殺った方もさぞたっぷり血を浴びてるぜ」

 芹沢は傘を肩に回し、空いた手をズボンのポケットに突っ込んだまま少女を見下ろして言った。隣に並んだ鍋島は少女を見ると、その顔をゆっくりと芹沢に向けてじっと彼を覗き込んだ。

「何だよ。俺の顔に何か付いてるか?」

 芹沢は少女を見下ろしたまま言った。

「いや──」と鍋島は俯いた。

んじゃねえかって思ってるんだろ」

「別に。そんなことないよ」

 そう言うと鍋島は決まりが悪そうに腕を組んだ。「通り魔かな」

 現場は地下鉄南森町みなみもりまち駅を地上に出て東に百五十メートルほど行った小学校のすぐ裏の路上だった。時刻は午前三時をまわっており、場所的にも時間的にもほとんど人通りはなかった。今もこうして多くの捜査員が現場を中心にあちこち動き回っているのに、足を止めてその様子を眺めるような人間は一人としていなかった。


 やがて担架が運ばれてきて、濡れぼそった少女はその上に乗せられた。するとその拍子にスカートが揺れて、さっきは見えなかった右の太股の裏あたりが露わになり、そこも大きく掻き切られているのが見えた。少女には毛布と青いビニールシートが掛けられた。

「目撃者を捜すのは至難の業だな」

 芹沢はあたりを見渡して言った。「誰もいねえよ」

「ああ。あそこまでしっかり刺して、そのあと逃げる時間があったんやからな。防犯カメラは――」

 鍋島は顔を上げて周囲をぐるっと見回した。「あ、あそこにある。ちょっと遠いか」

「期待薄だな」

 芹沢は言うと通り掛かった一人の鑑識係員に声を掛けた。「あの、ちょっと」

「なんや」

 振り返った鑑識係員は、二人より少し年上らしき男だった。

「あのバッグの中から身元を割り出すようなものは?」

「向こうにまとめて置いてある。勝手に探し出せ」

 係員は親指を立てて自分の後方を示した。雨の中のはかどらない作業に苛立っているらしい。

 二人は係員が示した方向に停めてあったワゴン車まで行き、開けっ放しにした後部座席にまとめて置いてあった遺留品を調べた。

「──これ、定期入れや」

 中には、阪急電車の梅田うめだ岡本おかもと間の六ヶ月定期と、大阪市営地下鉄の東梅田─南森町間の同じく六ヶ月定期が入っていた。ともに通学定期だった。

「学生か」と芹沢は言った。「……まだ十八だ」

「岡本って言やぁ──六甲ろっこう女子大かな」

「そっちに学生証がある」

 芹沢に言われて、鍋島は座席の遺留品から一枚のカードを取り上げた。

 やはり彼女は六甲女子大学の生徒だった。しかもまだ一年生だ。

山蔭やまかげ留美子るみこ」鍋島は名前を読んだ。「たった二ヶ月の大学生活か」

「いくら新生活で浮かれてたからって、こんな時間までほっつき歩いてたら何があっても不思議はないさ」

 芹沢はにべもなく言った。

 鍋島はふんと短く溜め息をついて学生証を座席に戻した。確かにその通りだが、だからと言って人を殺すようなやつがいていいことにはならない。芹沢もそこは分かっているし、彼なりの正義感も持っているのだろうが、それでも鍋島は相棒の聞き慣れたはずの冷めた言い草がときどきひどく嫌になることがあった。

 二人が署を出た頃から、頭上では雨に加えて不気味な雷鳴が響いていた。そして今、遠くの空で稲妻が走ったかと思うと、とうとう激しく降り出した。

「おまえがスーツなんて着てくるからだぜ」

 乗ってきた車を目指して走りながら、芹沢は鍋島に向かって吐き捨てるように言った。

「……俺もそう思う」鍋島はぽつりと呟いた。




 突然、耳元で聞き慣れた着信音が鳴った。

 素早く電話を取ると布団の中に引き入れて音を消し、それからゆっくりと布団から手を出して枕元の電気スタンドのスイッチを回した。小さな池に小石を落としたように、あたりの視界が開けた。

 馴れた手つきで画面を触って、現れたメールを読んだ。眠っていなかったので目は冴えていた。

 短い文章のメールだった。

 映し出された文字は、 『指令完了』 の四文字のみ。

 まず、一人済んだ。

 薄笑いを一つ浮かべて、明かりを消した。

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