竜の啼く季節

芹沢政信

第1話

 赤、茶、そして黄。

 枯れ葉に埋もれた山道を歩きながら、わたしは父の書斎に敷かれていた絨毯の模様を思いだしておりました。

 秋から冬へと衣を変えていく北の山々では、冷たい風がびゅうびゅうと吹き荒れ、ぶ厚い皮鎧に身を包んでいてもなお、肌から容赦なく熱を奪っていきます。

 まるで自然が、わたしを拒んでいるかのようでした。

 父があの日、この身を剣に捧げることを――最後までお認めにならなかったように。

 

「どうした、女。もう疲れたのか」


 前を歩く狩人に話しかけられ、わたしはふと我に返りました。

 長く伸ばした白髪の、枯れ枝のような男。

 泥で汚れた顔には髪と同じ色の髭がぼうぼうに生えており、白カビにまみれたパンのごとき有様でした。

 わずかに露出した肌の奥からぎょろりとした両眼がのぞき、じっと見すえられるだけでうすら寒いものを覚えてしまいます。

 しかし視線を合わせると、翡翠色の瞳は宝石のように澄みわたっていて、そこに一切の悪意が宿っていないことに気づきます。

 齢百と言われても信じてしまいそうな貫禄があるかと思えば、山道を歩く姿はどこか若々しい。実際のところおいくつなのか、まるで判別ができません。

 ひとつ確かな事実があるとすれば、彼が隠匿した老人のように、偏屈者ということくらいでしょう。


「わたしは女という名前ではありませんし、疲れたわけでもございません。フズム王国の筆頭騎士、ハン=シイ。新王の戴冠式に献上する供物を得るべく、この山におもむいた次第でございます」

「……長い。俺がいちいちお前の名や、その目的を覚えようとするわけがなかろう。嫌々ながらも案内役を引き受けるまで、かれこれ三年は誰とも会話をしていなかったのだぞ」

「ろくでもないことを誇らないでください。どうせなら今までに狩った獲物の自慢でもしてもらいたいところですのに。本当に、腕は確かなのですよね?」

「疑うのか」

「当たり前でしょう。ほかに案内ができそうなひとがいなかったから、あなたにお願いしただけですし。それにもし、かつて――」

のなら、か」


 わたしは足を止め、無言でうなずきます。

 筆頭騎士となってはじめて、王国議会より言い渡された任務。

 それがこの、竜狩りのお役目でありました。


「いるかどうかもわからぬ獣の角を、手に入れてこいとはな。新たな王の即位にかこつけて嫌がらせを受けるとは、お前はずいぶんと嫌われているようだ。やはり女だからか、女よ」

「頭の中まで白カビを生やしているのでなければ、どうぞシイとお呼びくださいませ」

「……ふん。可愛げもない。だから嫌われるのだ」 

「あるいはわたしよりも、新王となるお方に対する嫌がらせかもしれませんけどね。わたしからの献上品がなければ、王国の剣たる筆頭騎士にすら見放された主となるわけですから」

「ハハハ。長らく行方知れずだった長兄が即位するのでは、媚びを売ることしか能のない貴族の連中とて、心中穏やかではいられぬか。そもそも王家は国を統べるものとなる男の所在すら、いまだに突きとめておらぬのではないか」

「亡き王の長兄カ=レド殿下は放蕩者ではありますが、決して無責任な人物ではないと聞いております。時がくれば自ら宮廷に足を運び、王として名乗りを挙げるのではないかと、議会は考えているようでありました」

「誰も現れなかったらどうするつもりなのだろうな。その辺の乞食を玉座に座らせるわけにもいくまいに。いや、放蕩者を王にするのだからさして変わらぬか」

「山の中ですからあえてとがめませんが、くれぐれも王都の街中でそのような言葉を吐かぬように。三年も他人と会話していなかったわりに弁が立つようですけど、不敬罪で断頭台にご招待されてしまいますから」


 さすがに不愉快でしたのでご忠告申しあげますと、男はふんと鼻を鳴らします。

 ふもとの村でこの男の噂を聞きつけ、山の案内をお願いしたのですが……世捨て人めいた風体のわりに、ずいぶんと世俗の情勢にもお詳しいご様子。

 竜を見たと豪語するくらいですから、やはりただの狩人ではないのでしょうか。

 わたしがいぶかしんで見つめていると、ふいに男は耳に手を当て、木々の間を吹き抜けていく風の音を聴きながら、こう言いました。


「ともあれ心を静めるのだ、シイよ」

「わたしは冷静ですって。あなたが変なことを言わないかぎり」

「いいや。お前は山に入ったときから、その胸に茨をまとい、ありとあらゆるものを拒み続けているではないか。見ろ、見ろ、見ろ」

「ええと……なにを?」


 男は指さしました。

 わたしを、そして山々を。


 言われたように、まずは自分の姿を眺めてみます。

 桃色がかった金髪を箒のように一つ結びにして肩に垂らし、防寒性を念頭に置いた羊毛の上衣と下履きをぴっちりと着こんでおります。

 慎ましい胸元はぶ厚いなめし革の鎧で飾り、足元には険しい山道を歩くために出立前に慌てて買い求めた長いブーツ。腰にさげた無骨な剣もまた、竜を狩るためにわざわざ新調した一品であります。

 およそ貴族の女に求められる優雅さとは無縁の、実用性のみを追求した騎士の装いです。


 続けて視線を、周囲の景色に移します。

 うっそうと茂る草木は灰色の空を飾りつけるように赤や黄に染まっています。

 彼らは思い思いの衣服を選んでいるようでありながら、あらかじめ取り決められた舞踏会の規定にあわせ、全体として眺めたときに調和が取れるよう苦心しているようでありました。

 しかし朽ちた葉や枝の積もる山道に佇む騎士の姿は、手違いで会場に迷いこんだ闖入者のごとく浮いており、やはり自然が人間であるわたしを、頑なに拒んでいるように感じられます。

 そこで男が、こう言いました。


「違う。お前は拒まれているのではない。お前が、拒んでいるのだ」

「まさか、心を読んだのですか?」


 わたしは愕然として、男の顔を見つめます。

 すると彼はニヤリと笑みを浮かべ、


「読まずとも、顔に書いてあるからわかる。お前は見ているようで、なにも視ていない。俺の声を、吹きすさぶ風の音を、聞いているようで、なにも聴いていないのだ。ゆえに今のままでは、竜は決して姿を見せぬであろう。なぜだか、わかるか?」 

「ごめんなさい。あなたの言葉をひとつも、わたしは理解できていません」

「ならば知れ。そして識るのだ。竜とは自然、自然とは我、すなわち竜とは我であると」


 男は再び、わたしを指さしました。

 ぶ厚い皮鎧に守られた、この胸を。


「お前の内には茨が生えておる。竜という獣は、山に流れる気を、人に流れる気を詠むことができる。ゆえに静謐な心を保たねば、警戒して近寄ってはこない」

「なるほど。わたしが考えているよりもずっと、繊細な生きものなのですね」

「そうだ。お前のように。そして俺のように繊細なのだよ、竜は」


 そこでふいに山の静寂を突き破り、おどろおどろしい獣の咆哮が響き渡りました。

 わたしは慌てて腰にさげた剣に手を当て、周囲をきょろきょろと見まわします。


「異様な鳴き声ですね。さては……」 

「いや、これは竜ではない。しかしお前が招きよせた獣だろう」


 またもや言葉の意味がわからず、眉をひそめます。

 しかし直後――バキバキバキと枝葉をなぎはらいながら、凄まじい勢いでこちらに向かってくる、とてつもなく巨大な気配を感じました。

 前にいる男もまた、肩にかけた弓を構えます。

 そしてこちらを一瞥すると、それみたことかというように、呟きました。


「拒むから、拒まれるのだ。山に」

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