後悔と望月のワルツ・下
「どうして、私達が巻き込まれたんでしょう。なんで、私達がこんなに苦しまなくちゃいけないんですか! ただ、普通に生活していただけなのに……どうして……ッ」
涙が止まらない。苦しく感じるほどに息が詰まって、感情が溢れだして、だけど胸が締め付けられるように辛い。
もう一人も泣いている。だから余計に、様々な感情が己の中を駆け巡った。
恨みだとか、悲哀だとか、憤怒だとか、悪意だとか、愛しさだとか。
酷い顔になっているだろうなとどこかにある冷静な部分が感じている。滲む視界で見ると、レオンは今も手元に顔を落としていた。
そんな姿を見て少しだけ心が温かくなった。
「……私は……軽傷で助けられましたが、レイラは瓦礫の山に埋まっていて、意識不明の状態でした」
いくらかの理性を取り戻して、詰まりながらも、喋る。
「レイラはすぐに病院に連れられて、手術を受けました。人間の技術と、回復魔法の両方を駆使しての、物でしたが。まだ幼かった私た……レイラの体力がもたず、どうしても、無理だと……」
今でもその時の恐怖から、光景や音を明確に思い出せる。
医療機器の音、魔法詠唱の声、医師が看護師に指示を出す声、両親や祖父母の泣いている声が。それに吊られて、状況も良くわからずに泣く、自分の声も。
「これ以上は何も出来ないと、申しわけないとお医者さんは言いました。手術室から連れてこられたレイラに、最後の挨拶をしてくださいと、言われました」
激情が止まらなくなる。当時こそ理解していなかったが、医者はレイラを見捨てようとしていたのだ。ホープ家という名門一族を救う事ができれば、名声や栄誉が貰えるということなのだろうが、失敗して殺してしまうよりも諦めた方が良いと保身に走ったのだ。
「両親が泣いている姿や、ごめんなさいと言っている姿を見て、レイラの命が危ないのだと気づきました」
「それなのに……なぜ、あいつが?」
レオンはずっと静かにマロンの話を聞いていたが、話の内容のあまり、顔をあげて質問をした。瞳に浮かんでいるのは憐憫だが、心配する心も見て取れた。今のささくれ立った心ではその瞳を見て怒りも湧いてくるが、レオンがヒトと関わりたがらないこと知った為に、同時に嬉しさも生じている。
めちゃくちゃで何を考えているかもわからない状態で、マロンは全ての原因を語った。
「私は、レイラと離れたくなくて。既に知っていた幽霊……いや、魂に干渉する魔法を応用して。レイラの魂を、私の体に移すという魔法で“
「禁術……」
魔法学界において最高レベルのセキュリティで秘匿されている魔法がある。
それを禁術と呼び、あらゆる何者の眼にも触れさせない様にしているのだ。
魔法学界でも最高峰の権力者の一人であるグラニス・ホープですら、禁術に関する情報の閲覧は許可されておらず。情報を司る神獣が一柱の許可を得られた者のみが、やっと見ることが出来るのだ。
しかし天才とは日常の発見から、時に容易く禁術に至ってしまうのだ。
現在魔法研究の世界で天才と呼ばれるマロン。時と条件さえ整ってしまえば、閃いてしまうのは明白である。
「〔禁術・心合わせ〕。奇しくも、同じ魔法を開発し、行使したのは。私の先祖である、望月屋小町でした」
望月屋小町が残したとされる、魔術に関する書物――【望月ノ書】というものがある。そこには
『禁術の基は生活のすぐそばにある。
だからこそ、気付かず、また知らないのだ。
ヒトの世の深遠を覗いたからこそ、賢者が悟るもの。
俗人が知るべきではない。
賢者だとしても、また、知るべきではない。
勇名であろうと、小心であろうと、死者であろうと。』
などと、記されている。ドワーフ族たるレオンは、普段からさほど本を読まないこともあって走る由も無いのだが。
【永夜の山麓】地方に住む幻人類の中でも比較的短命な魔法使い族だからこそ、言い伝えというモノを解くに重要視する傾向があるのもので。さらに言えば魔法使い族の間では望月屋小町という大英雄はなかば神格化されている為に、昔ながらの知恵の一部のようにして子々孫々に語られ続けた結果、禁術の存在とそれに対する恐怖心をほぼ全ての魔法使いが持っていた。
だが、禁術の一つを望月屋小町自身が創りだしていたと言う事実は、禁術の情報の扱いから、もちろん全く知られていない。
「魔法によって私の体にはマロンとレイラ、二つの魂が入りました。特異な魔法を私が使ったことは両親も、祖父母も気付いていましたが、魂を操ったと言う事まではわかっていませんでした」
ただのヒトにすぎない存在に、魂の判別など出来るわけが無いのだ。
それこそ、リリアの『
「そこに、魔力を感知された酒呑童子様が訪れ、私は、羅刹劫宮へと移送されました。祈法の天啓によって、私が禁術を行使したと、一目見て看破したそうです」
「つってもさっきのお前、小さい頃って……」
「秘匿されてきた物を広めるかもしれないわけですし、仕方がないと、思います」
レオンは懐からミントタブレットを取り出して、数個口に放り込む。カリリと小気味良い音が静寂に包まれたベランダに響く。
マロンが眼下の街を見ると、丁度郵便局などのある区画から鳥人が飛び出すところだった。方角的に【訪神の荒野】地方へ向かう便だろうか。ある程度飛んだところで、一瞬だけ空の一部が水の波紋のように中央から外側へ広がるように青白く光り、やがて元の黒へと戻った。
「私……いや、私達はその後、神獣院の方々による審問を受けました。酒呑童子様以外とお会いしたわけではありませんが、十尾天狐様などからも、電話などで話を聞かれたりもしました」
「レイラの体は、どうなったんだよ」
「……正しい理由は不明ですが、レイラの魂が体から無くなった直後から、体の治癒力なんかが急に上がったんです。魂の維持へ使われるエネルギーが無くなって、体を治すために全てのエネルギーが使われたから、とかみたいに、私は考えてます。都合の、良い考えかもしれないですけど」
「わりぃ。続けてくれ」
「はい……」
レオンはマロンの事を真っ直ぐに見ることが出来ず、視線を自分の足元に落とした。語りだす前に比べて淡々と話しているものの、内容はとても苦しいもので。最初から自分よりも境遇がマシなどとは思って居なかったが、ヒトとの関わりを極力避けてきたレオンには酷く重く感じた。
怠惰故に逃げたくなる気持ちを殺し、レオンは自分の障害に従うことにした。
男だからだとか、心配だからとか。そう言った気持ちもあるが、無粋だし失礼だと感じた。だから、今このときだけでも、このヒトを死んでも支えたいと思う一番の欲求に従おうと思ったのだ。どんな感情を抱いているのが正しいのかなど、レオンにはわからないのだから。
レオンが再び顔を上げたのを見計らったように、レイラが続く言葉を語る。頬の涙の後は乾燥し始めていて、震えていた声も少しずつ落ち着いていた。泣いているような、自虐的に笑っているような表情ではあったが。
「神獣院の判決で、私は有罪となりました。ですが、レイラの肉体は禁術によって生きていますし、私と入れ替わったレイラが大丈夫だと」
枯れていたと思っていた涙が、一筋だけ頬を伝った。
「「私は、マロンと離れ離れにならなくて嬉しい」と、語ったので」
そう言いながら、マロンは心の奥で憎悪が渦巻いていることは言わない。
「それに、私が花の騎士であると神獣の方々は見抜いたそうです。私が花の騎士だと、破邪の騎士に教えられてから、茨木童子様が教えてくださいました」
「花の騎士だと明かされる前の事だってのか?」
「はい……そうです、けど」
レオンは口元に手を当て、何か嫌な考えが浮かんだものの。マロンの「続けますね」という言葉で、ひとまず置いておくことにした。
「私はレイラを元の体に戻そうとしましたが、〔心合わせ〕で一つの体に魂が二つ以上入った時、精神の一部が同化する性質があって……心合わせを使えば、私達どちらの魂も、失われてしまうんです」
「じゃあ、それをさらに応用して……」
「してるんです! 私だって、ずっとレイラと触れ合いたいって!! でも、全然わからない! 時間を重ねるごとに共有される記憶が多くなって、だんだん難しくなって……! 花の騎士なんて本当はやりたくないんです!! 研究を進めてレイラに、謝りたいのに……時間だけが取られて!」
「マロン」
「あ……ごめん、なさい……」
レオンは抑揚のない声で、興奮したマロンの名前を呼ぶ。冷静とも言えるその声に、自分の口走ってしまったことを思い返し、酷く悲しそうに俯く。
幼少期からずっと苦しい生活をしたためか、どこか大人びている様で仲間にも敬語を使う他人行儀にも思えるマロン。一瞬だけ想いの高ぶりを抑制できず、その影響で言いたくなかった本音の一部までもが漏れてしまったのだろう。それが本心の全てじゃないことはコミュ障でもわかる。
レオンにはそこまで痛みは無かったが、少しだけ語気を強めて言った。
「俺にはどんだけ言っても良いけど、他のヤツ……特にリリアとかには、絶対に言うなよ。あいつ、お前“ら”の一番の親友だろ」
「親友、なんでしょうか。だって私、こんな「親友にだって隠し事はあるもんじゃねぇの」……」
レオンは親友という言葉を口にしてアルマスの姿が浮かんだ。自分に妙な感覚を覚えるが、そんな物なのだろうと納得する節もある。
マロンは秘密を抱えていることなどに負い目を感じているようだが、それを言えばレオンだってアルマスに限らずアリサやマオウに隠し事をしているのだから。そもそも仲が良いからと言って隠し事が悪いわけではない。
「俺になら何でもぶつけてこい。追い詰められてむしゃくしゃしたなら殴って良い。泣きたくなったら涙を拭ってやるし。別にマゾとかじゃねぇけどさ」
「どうしてそんな」
「夢を追いかけてるから。贖罪のため、みたいな望みかもしれねぇけど。それでも十二分に俺は尽くしたいと、思うから」
本心かはわからない。けれどそれが一番の欲求だった。心も体もボロボロになりながら、頑張り続ける姿を見たため。
レオンは自分が出会ったヒトの中でも、一際強い女性だと思った。武力などでは無く、また違う部分の話だ。
料理のことぐらいしか知識の無い自分に、出来ることは限られているだろうが。どうかこの少女が、いや、マロンとレイラという双子の姉妹が、救われますようにと。
「じゃあ、すこしだけ、その……胸をお借りしても」
「背丈が低いもんだから、大層なもんでも無いが。それでもよけりゃ」
「すいません」
マロンはレオンのすぐ横に椅子を持ってくると、レオンの胸部に頭を預けた。少年のような顔に似合わず、鍛えられた筋肉によって硬いものだったが。それでも、ヒトの温もりというものは痛い程感じられた。
もう一人の自分はずっと泣いていて、自分もそれに釣られるようにまた涙が出てきた。
「ひっく……れいら……ごめんなさい、ごめんなさい……」
「……」
レオンは泣きじゃくる少女の頭や背中を無言で撫でながら、遠くに影だけが見える士遷富山を睨んだ。
大地花を象徴する聖地、士遷富山を。
そして夜が更けていく。
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