大罪人はかく語りき・上

 魔法には禁断なるもある。

 ヒトを殺す魔法。ヒトを活かす魔法。

 そんなものはありふれている。

 ありふれすぎている。

 いかに惨たらしく生き物を殺す魔法であろうと、

 いかに細やかな生き物を活かす魔法であろうと、

 その程度のものが禁断となるはずがない。


 たしかに

 万物を腐食させる魔法。

 一切を蒸発させる魔法。

 天災を引き起こす魔法。

 古の封印を解き除く魔法。

 危険な魔法は規制すべきものかもしれない。

 されど、その程度だ。


 多くの者は禁術に馴染みは無いだろう。

 当然だ。

 全てが秘匿され、厳重に管理されているのだから。

 知る必要はない。知ればヒトは使いたくなるものだ。


 禁術の基(もとい)は生活のすぐそばにある。

 だからこそ、気付かず、また知らないのだ。

 ヒトの世の深遠を覗いたからこそ、賢者が悟るもの。

 俗人が知るべきではない。

 賢者だとしても、また、知るべきではない。

 勇名であろうと、小心であろうと、死者であろうと。


 求めるな。


 求めれば最後、永久なる苦しみに身を落とす。

 己自身が。



     『望月ノ書』・秘の章より。


********


「ひっ! 鵺だ! 鵺だ!!」

「逃げろ! おいどけ! 邪魔だ!!」

「なんであの方がこんな街中に!」

「避難してください! 急いで! いやでも走らないで……急げ!!」


 闘技場が阿鼻叫喚の渦に包まれる。

 鵺の出現はそれほどまでに驚異的であり、正に民衆にとっての悪夢なのだ。たとえそれが敬愛する茨木童子の前であろうと、中立・仲介の神獣たる角王――碌星の前であっても。否、むしろ茨木童子の前であるからこそ、より恐怖するのである。


「貴様、誰の許可があってこの街に足を踏み入れるか! 畜生めが!!」

「……愚蒙メ。噛み殺されたゐのカ。失せろ、失せるがゐイ。アァ、殺したく為るとモ。手前モ。コノ姦しゐ烏合の衆共もナ」


 巨大な猿の顔に凶悪な笑みが浮かぶ。見るもの全てを嘲笑うような、しかし殺意も害意も籠っていない無機質な笑みだ。茨木童子達や騎士王のように、統治を使命とする神獣ではないのだから、当然と言えば当然ではあるのだが。


「ぬかせ」

「手前の相手は後ダ。鹿。手前、よほど死に急ぎたゐ様だナ」

「敵対する意思は無いんじゃかのぅ……お主……なぜそこまでヒトを……茨木童子殿を恨む?」


 碌星の問いに答えず、ヒョウと、鵺は甲高い吐息を漏らす。


 ☆


 茨城童子が袂から呪法に用いる札の準備をしており、それを警戒するかの如く、鵺の周囲で電撃が瞬いているのを上空のマロン達は見ていた。

 気が付けばいつの間にか碌星は闘技場に降り立っており、真正面から鵺を見上げている。


「これって……いったい……」

「何故急に角王様と鵺が……」


 上空から見下ろす二人には、闘技場内の混乱がありありと伝わってくる。先ほどまで歓声があがっていた観客席は、座っている人の数もまばらで、出入り口に怒号や悲鳴をあげながら人々が殺到していた。

 中央大陸大和に住む者達はどんな非常時でも礼儀正しく、落ち着いた行動を行うというが、それはいつもながらの習慣や地震などのよく慣れた災害だけに当てはまる事だ。

 鵺が襲来するなど、明らかな非日常中の非日常。鵺が狩りの為に森に降りてきていた所に出会う、などの相当に運悪い事故はあれど、ヒトビトの集落、それもエキドナという茨木童子の治める巨大都市に襲来するなど百年に一度程度のこと。

 瞬火の村のように先祖代々、エキドナでは恐怖の対象として扱われてきたのだ。【星屑の降る丘】地方北西部の習慣で言うならばナマハゲのようなものであろうか。しかしそれよりも遥かに強い畏怖、大和に住む者すべてのトラウマのような存在が鵺なのである。


「どういうことだ。ここ最近、おかしなことが多い」


 サーベンティンが呟く。そして、下で行われているやりとりから顔を逸らし、観客席に座ったままの一団、それでいて彼らの前に浮かぶ人型の炎と土くれを見た。


「夏の終わりごろ、星屑で騎士王の軍勢が瓦解し、畏怖之山が崩壊した。同時に機壊達が消え失せ、各地方の黒花獣達に変化が起きた」

「……」


 マロンが無表情でサーベンティンを見やる。


「そして今学期、人間に類似した姿を持つ八人組が入学し、その誰もが何かしらの分野で目立っているらしい。あくまでも、女性の学友から聞いたことだけれど」

「……それで、なんでしょうか」

「ええ、噂によれば彼らはあなたや、最近芸能活動を復帰したらしい、あなたの妹と仲が良いようで。……これはなんですか。あなた達は何を知っているんです?」


 サーベンティンは天才だ。特に多くの事実や根拠から推論し、答えを導き出すことに関して高等部でも彼の右に出る者は居ないと言われる。学者よりも警察などに向いているとされる彼だが、その特技を生かしてマロン達の正体になんとなくも行きついたのだ。

 魔法使い族は好奇心が強い。化学現象を目の当たりにし、それらを解明して魔法へと転用してきたことで彼らは繁栄してきた。魔法使いの貴族――吸血鬼族の貴族のように特権を持つわけではないが――である彼は純血の魔法使いに限りなく近く、魔法使い族の貴族たるマロンやレイラと同じく、興味を持ったことを解明することが好きなのだ。


「黒花獣の出現から今年は百年。キリの良いことも考えるなら花の騎士が出現してもおかしくは無いのかもしれない、と思いまして。もしやあなた方は……」


 マロンがサーベンティンの言葉に息を飲む。彼が「花の騎士と関係があるのか」と問おうとした瞬間、下方で事態が動いた。


 ☆


「知らんナ。妾は眠ル。狩ル。直ス。狩ル。ソして殺ス。ヒトなど、ただそこに居るから殺ス。ソれだけダ」

「では茨木童子殿は……」

「碌星! お前は黙ってろ! コイツはお前の仲介を受けるまでなく、小生らのただの敵だ!」


 吼えると同時に茨木童子は先端の鋭い、金属製の呪符を鵺に投げる。鵺が機敏な動きで背後の茨木童子へ体を向けようとするも、短剣の如き金属の呪符はそれ以上に早く、鵺の後肢に今にも突き刺さろうとした。のだが、瞬く間に金属板に雷が通り、表面が焼け焦げた瞬間に尻尾の蛇が金属板を叩き落した。

 強力な呪法を行使する上で必要不可欠な呪符は、刻まれた文字が消えると効果を失くしてしまう為、電撃対策に金属製の札を用いていたわけだが鵺の眷属たるヴォルト達の雷撃には耐えきれなかったらしい。


「アァ、そこまで殺されたいカ。塵(ゴミ)め芥(あくた)め。目障りだ不愉快だ……応共、殺してやろう、無残に、無慚に、無惨に、無慙二!」


 鵺の怒りに呼応してか、鵺の周りに激しく雷光が瞬く。

 ヒョウと鵺の喉が鳴り、同時に轟音を響かせながら爆雷が地を焼く。石畳を焼き、土を焼き、砂を焼き、空気を焼いた。雷光が視界を焼き、マロン達が目を伏せたところで、両者の間に雷が落ちる。


「マロン!」


 花の騎士として閃雷花の加護を受け、ほぼ絶対的な電気への耐性を持つアリサは鵺の恐ろしい雷を物ともせずに上空のマロンへ叫ぶ。とはいえ、圧倒的物量ともいえる立て続けに発生する雷の轟音により、その声は届かないのだが。


「落ち着きなさいな馬鹿者が! 今の鵺は話も通じない。まったく、童子めが要らないことをして……ズタズタに焼き、引き裂き殺してくれようか!!」

「はいはい、落ち着いて落ち着いて~。焦ったって仕方ないし、鵺が落ち着くまで待っとくのが良いの思うのじゃ~よ~」


 燃え盛る炎の人型と、土を人型に見えるように捏ねただけのようにも見える泥人形がそれぞれ動き、喋った。土人形は地面、というよりアリサの傍の階段に倒れたままなのだが。


「しかし!」

「うるっさいわね! あぁ、まったくもってイライラする。じゃあどうする、貴様に何か出来るか!」

「エ・ラ・フレミオ。ちょっと頭に血がのぼりすぎじゃな~い? 落ち着いて~。というか面倒くさいから頭冷やして~」


 怒っているのか、炎の人型の語気が強まるたびに炎が大きく燃え上がった。

 火炎と憤怒のエ・ラ・フレミオ。岩骨と怠惰のロア・ロックス。

 二柱の天使はそれぞれの加護を持つリリアとマロンを経由して降臨しているのだが、現在まともに会話が出来るのはアリサだけであるため、どちらもアリサの周りに集まっていた。


「ごちゃごちゃ考えてる暇があるなら、俺しか動けないんだ、体を先に動かすしかねぇじゃないですか!」

「うわ、めんどくさ~まぁがんばって~」


 アリサは業を煮やし、マロンやサーベンティン、放送席でなけなしの胆力を総動員しながら、逃げ出さずに避難誘導を続ける実況者などを助けねばならないと駆けだす。神聖銀ミスティリシスの刀を召喚し、周囲を見渡すと照明用の電線があった。電線を切断し、感電することはないため、それに捕まりながらさながらターザンの如く移動し、闘技場中央部へと足を踏み入れた。

 目の前には咆哮をあげる鵺。その右側には角王、左側には着流しの裾を焦がした茨木童子と、そうそうたる面々を前にしつつもアリサは冷静に己の武器を構える。


「きゃっきゃっきゃっきゃ!」


 一般人には雷が瞬いているだけにしか見えないが、精霊魔法への適性が高いアリサはその中に大量の生命体を視認していた。数百、いや千数百もの雷精霊ヴォルトだ。精霊は別次元に存在を持つため触れる事も出来なければ、切ることも出来ず、ヴォルト自身には攻撃されることも無いのだが……その圧倒的な数には思わずアリサも警戒してしまう。

 ヴォルト達の笑い声の大合唱のなか、天から落ちてきた爆雷がアリサに落ちた。が、電気を吸収する力を全開にしていたアリサは、多少着物を焦がした程度で済む。


「ちょいとすいません、あのー」

「ヒョォォォォ……!!」

「なんなんですかね最近。メッチャ無視されるんですけど。申し訳ありませんけどこっち向けコラ! 『雷光斬』!」


 天(そら)に向かって吼え続ける鵺。仲間内でなら、自身が普段色々やってることの報復での無視も含め、すでに慣れたことではあるためさほど気になることでもないのだが(一応何もしてないのにやられると、傷付くには傷付く)。敵と判断したものに無視をされると言うのは、剣士としてなかなか癇に障るのだ。

 効くか効かないかはともかく、接近戦を仕掛けるよりも遠距離から注意を向かせた方が良いだろうと判断したアリサは、抜刀術のような動作をしながら久方ぶりに『雷光斬』を発動させた。


 ここ最近は黒花獣との戦闘がまともに無いのだが、一日に一度は花の騎士の誰かしらと戦闘訓練をしているおかげか酷く技が鈍っていると言うことも無く、美しい半月型の斬撃が鵺に当たった。


「グァウ!」


 雷の斬撃が鵺の鎧のように強靭な毛皮を切り裂き、腹部の肉を抉った。半月型の電気が魔法であれば、ヴォルト達が魔力を注ぐことで強制的に消滅させられたのだが、“雷光斬”は花祝の力によるわざである。

 七法の相関図で言うなれば花祝は精霊召喚術の上位。精霊たちが雷を操れたとしても創造主の力を超えられる道理など無いのだ。

 故に物理的な鋭利さをもった電気は、いとも容易く鵺の体を抉り、痛みを与えることで思惑通りに注意を引いた。


「オォ久しぶりだ、此の、痛ミ。身を裂かれる此の焼ける様な苦しミ。目の前に映る愚物よりも、意識を向けざるを得ぬこの喜びと憎悪! ソうか貴様か。手前が閃雷花の騎士!」


 しかしアリサの興味を引くためだけの思惑に反して、どこか愉悦に満ちた鵺の声がもれた。

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