生命のテンソル 〜崩れる倫理〜

第23話 生命のテンソル

 騒がしかった住宅地は静まり、どこの家庭も電気を消して静かに寝入ったようだ。


 身動き取れず、姿を潜めるだけだと、時間を潰すのが難しい。

 おまけにモルタと、倫理観の違いで言い争ったがために、気まずい空気を作ってしまった。


 気を紛らわすかとも兼ねて、地ベタにあぐらをかいたクロトは、パントマイムでギターを引くモーションをとる。


 彼が胸の辺りで片方の指を動かすと、アコースティックギターのような、懐かしさを奏でる。


 それを見たモルタは感心する。


「ほぉ? パースの線を三味線のように使うとは、面白い」


「違うよ、ギターだよ。三味線って」


 彼がギターの構えをする両手の間には、5本のパースの線が通り、その先は空き缶へつながるパース。

 今のクロトにとって、覚醒し始めた力は、乳児が自分の指の使い方を覚えるのと同じく、ただ無邪気に遊んでいるに過ぎない。


 何億年も歳を重ねたモルタは、歳下の弟に呆れたように言う。


「主の力なら、世界を支配すること可能ぞ?」


「世界を支配って、そんなだいそれたこと、出来ないよ」


「力の使い方をわかっておらんのだな」


 モルタは背後に回り、後ろから囲むように手を伸ばすと、こちの手の甲を掴む。


 昔、ワイシャツ1枚で轆轤ろくろを作る彼女を後ろから抱きしめるように、彼氏が手を重ね合わせてラブシーンに突入する映画があった。

 その後、彼氏が幽霊になって、彼女を守る

為に側に寄り添う話だけど、何て言うタイトルだったかな?


 などと、クロトが思い出す暇も無く、モルタは彼に顔を近付ける。


 ちょっとでも振り向けば、彼女の唇を奪えそうなくらい大接近している。


 今だかつて、女子にここまで急接近されたことないクロトにとって、それは、何万も宇宙空間を旅していた隕石が、地球に大接近し、大気圏で花火のように燃え上がっているのを眺め、その幻想的な光景に、興奮を覚えるくらい、胸の高鳴りを感じた。


 空き缶は、2人の男女の手から放たれた、パースの線を伝い、クロトの胸の位置まで移動する。


 すると、空き缶が、スライムのように不定形に変化。

 球根のように頭から角が伸び、角が四方八方に別れると鮮やかなアサガオが顔を出した。


 モルタは美しい声と裏腹に、冷淡な言葉を発する。


「命なんぞ、たやすく造れる……」


 次に、開いた花びらが渦を巻いて中心部に吸い寄せられると、リボン状に羽を伸ばし、美しいアゲハチョウへと変化する。

 アゲハチョウはその場で羽を動かし頭上へと舞い上がる。


 信じられない、これは自分が蝶の夢見ているのか、それとも胡を舞う蝶が、自分達の夢を見ているのか。

 眠りの中の、まどろみなのかすら解らなくなる。


 少年は脳が身体から、引き離されるような感覚に陥った。


 しかも、このアゲハチョウは、クロトの指先から伸びるパースに繋がれている。


 妙な錯覚、いや、錯覚ではない。

 間違いなく、このアゲハチョウの行き先の自由、そして生き死にも全て、このパースに繋がれた指先が支配している。


 モルタが指を絡め、強引にクロトの指を動かすと、アゲハチョウはねじれて、細いロープ状に変化しると、片方の端が二股に裂ける。


 少し膨らみを持つと、小さな目と鼻の穴が開き、蛇の頭が形作られる。

 宙に浮いた蛇に、クロトは驚き身体をのけぞらせた。


 自らが生まれ、どこに産み落とされたのか理解出来ない蛇は、しきりに周囲を見まわす。


 そしてクロトと目が合うと、蛇の瞳孔は細く切り傷のように収縮し狙いを定め、舌を忙しく出し入れしていた。


 蛇は創造主たるクロトを、外敵とみなし、威嚇している。


 恐怖を感じたクロトは状態を逸らして、蛇から逃げようとするが、背後に被さるモルタに阻まれ、逃げ場がない。


「モ、モルタ? ねぇ、これヤバいよね?」


 聞こえているはずのモルタは、彼の懇願を明らかに無視した。

 蛇はクロトが逃げられないと知ると、細長い身体を螺旋らせん状に縮めて、バネのように一気に飛び出す。

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