22
小清水は考えていた。
――自分のせいで亜樹に辛い思いをさせていた。亜樹は嘘をついてまでして、自分を笑顔にしてくれようとしていた。
嘘は良くない。でもそれは自分の不甲斐なさのせいだ。自分が亜樹をそうさせた。
亜樹は昔からいつも自分の味方をしてくれて。いつも助けてくれて。
でも自分は亜樹になにかしてあげただろうか。
このまま亜樹を帰らせてはいけない。
小清水は立ち上がる。
振り返ると亜樹はすでに河川敷階段を上りきっていた。
「亜樹! 待ってくれ!」
亜樹は声に気づき振り返った。
顔は涙でぐしゃぐしゃになっている。
「亜樹! ごめん! 俺がダッセぇから。お前に――」
小清水は途中で言葉を止めた。
なぜか。
それは、もの凄い速さで走ってくる海山空が目に映ったからである。
空は奇声を上げている。
亜樹もこれに気づく。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
陸上選手のように抜群のフォームで走る空。
その後ろを追うように川谷と陸が走る。
「海山? なんでここに? それに花菜ちゃんと海山妹!?」
小清水は混乱する。なぜこいつらがここにいるのかと。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
「海山君どうしたの急に!? 待ってー!」
「おいクニツル! 空ニィの体を返せー!」
奇声に川谷と陸の叫び。
海山空は小清水に向かっていく。
肘を90度にして指先はピンと伸び、膝をしっかりと上げた走り。
二人の距離は段々と近づき――。
海山空は飛んだ。
小清水は飛び込んできた空に驚き、取り合えず危ない。そう思った。
しかしこれが間違いだったのだろうか。小清水は怪我をさせないように受け止める態勢になったのだ。
そして二人は接触した。――唇と唇が。
お互いファーストキスであった。
女子たちはこの瞬間のことをスローモーションに感じたと後に話す。
「ブフェー! きたねぇ!」
「ブゴホォ! ぺっ、ぺっ」
接吻をした二人はお互いに唾を吐き、口を拭く。
そして地面に転がる眼鏡。
「おい! 海山! なにしやがる! 俺のファーストキスだぞ! てめぇ」
「ふふ。おぬしの唇。肉の味がした。これがはんばーぐとやらの味か――しかし久しいな、肉の味は」
亜樹も異変に気づき戻ってきている。
その横には川谷と陸の姿。
女子たちは異様な光景を目の当たりにしている。
仰向けに倒れている小清水春。その上に覆いかぶさるように手をつく海山空。
小清水の股の間には、海山の左膝。
小清水の右手は海山の左手でがっちりと掴まれている。
そして交差する目線。
亜樹は、このときなにかに取りつかれたのかもしれない、体に電気が走ったと後に話す。
「お前いいからそこをどけろ! 気色悪いな。ってかお前、そんな顔だったのか!? なんで眼鏡なんてかけてんだよ、もったいねーぞ」
「ふふ。俺様もそう思う。しかし、この体は本当に目が悪いのだな。なにも見えん」
陸は握っていたこんにゃくを河川敷階段に置いた。
そして、ピーカブースタイルで首を振りながら助走をつけ始める。
「はあ? なに言ってんだよ? 口調もおかしくねーか?」
「おっと。そうだったな。そろそろ戻るとするか。――おい小娘はいるか? 俺の体ブフゴォ――」
小清水は急に空の体が消えたように見えた。そして目に映ったのは海山妹、陸の腕である。
川谷と亜樹は、あのときの陸ちゃんのパンチすごかったねと後に話す。
陸は構え直す。
殴り飛ばされた海山空はむくりと起き上がった。
「フッ。小娘だな。俺様を殴ったのは。相手をしてやりたいところだが本当になにも見えんのだ。めがねとやらをグフゥ――」
瞬時に間合いを詰めた陸はまた殴る。
陸の動きは凄まじかった。
話す暇を与えず右、左と拳を繰り出す。
「空ニィを返せ! 空ニィを返せ!」
倒れた空の体に馬乗りになり陸はさらに殴る。
海山空の顔は腫れ上がり、左目は腫れにより開かなくなっている。
見ていられなくなった川谷は叫ぶ。
「もうやめて! 陸ちゃん!」
しかし陸は止まらない。
小清水も危険を感じ陸を羽交い絞めにし無理やり離す。
「離して、離してよ! 空ニィが……空ニィが……」
陸はようやく諦めたのか、力を抜きその場に座り込んで泣きじゃくり始める。
小清水、川谷、亜樹の三人は茫然とする。
なにがなんだか分からないといった表情。
海山空は手を使わずに上半身をスッと起こし、立ち上がった。
「この小娘はじゃじゃ馬にも程があるのではないか。まあいい。そこに眼鏡は落ちていないか? 誰でもいいから持ってきてくれ」
川谷は空の口調にただならぬ異変を感じ、恐怖の中眼鏡を拾った。そして海山空に渡す。
「うむ。良く見える。……小娘、安心しろ。体はきちんと返す。ただお前が結構ボロボロにしてしまったようだが。まあいいか」
そう言って、河川敷階段に置いてあるこんにゃくを拾い上げ、額にこんにゃくを当てる。
すると先ほどと同じように輝き、海山空はその場にどさりと倒れた。
****
住宅街の細い道。
街灯の明かりが五人を照らす。
彼らは空の家へ向かっている。
空は倒れた後から起きる気配がない。
小清水は空を背負い歩く。その横には湊の姿。
小清水たちの少し後ろを歩く川谷と陸。
陸は空ニィとなんどもつぶやき正気を感じらない。手にはこんにゃくが握られている。
川谷はそんな陸の側で、大丈夫と声をかけ続ける。
こんにゃくは空と同じく全く反応がない。
小清水は湊にだけ聞こえるように話し始める。
「あのさ。さっきの続きなんだけど……」
湊は続きを聞きたくなかった。涙が溢れそうになるのを我慢する。
目を閉じ、手を胸元で握る。
「俺が悪かった。亜樹に辛い思いさせたのは俺だ。……それにお前は湊亜樹。田中先輩じゃない。
たしかに中学のときは田中先輩のこと好きだったけどさ。今はもう忘れかけてたことだ」
小清水は優しく笑って続ける。
「確かに俺は本が好きでさ。田中先輩と本の話をしているときは楽しかった。……今考えると、楽しいと好きの勘違いだったのかもな。
亜樹と本の話をしてるときだって楽しいし。それに、お前は支えてくれてたからさ。だから代わりになろうとなんてするな。
んー。なに言いたいか自分で分からんくなってきた。んと。本は読みたくなるまで読むな。その代わり俺の本の話を聞いてくれ。
んでもって。今度はよ、その……」
小清水は自分が言っていることに恥ずかしくなり下を向く。
「俺がお前を支えてやんよ。嘘とかつかなくていい。なんでも言えよな」
小清水の足取りは早くなり、湊よりも前に出る。
湊は我慢していたはずの涙があふれていた。でも、この涙は覚悟していた涙ではない。
そして、水気を全く取ってくれないカーディガンの袖で涙を拭く。
目元に残る涙は、春の夜風で涼しく感じられた。
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