それはとても残酷な。

匙丹小海

それはとても残酷な。




 静かな教室には私の声だけが響いていた。


 いや、私の声だけではない。

 長年使われて日焼けたクリーム色のカーテンがサラサラと音を立ててなびいていた。


 グズグズと水音の混じった汚い嗚咽は止まらない。体を大きく震わせて、顔をグシャグシャにして泣く。こんな醜態、誰にも晒したくない。


 「いつまで泣いてんだよ」


 「うるさい」


 しかし今、なぜか隣の机には男友達、と言って良いと思われる間柄のクラスメイトが座っていて、泣きじゃくっている私を見つめている。

 最初はさっさと帰るように彼に強く言ったものの、頑として私の言葉を聞き入れるつもりは無い様に見えたため帰すことを諦めた。


 「もう一時間経ったぞ?」


 「嘘つけ」


 机にのせているお尻の痺れはピークに達していた。一時間と言うのはあながち嘘ではないのかもしれない。


 「なんであんたまだいるのさ」


 「そりゃ泣いてる女の子を放っておく訳にはいかないでしょ?」


 「うざ」


 なるべく毒を込めて吐き捨てるように言った。涙はまだ止まらない。

 でも次第に、涙がこぼれ落ちる感覚が気持ちよくなってきているのだ。不思議なことに、泣くことが楽しくなってきた。


 もう、悲しいから泣いているのか、気持ちいいから泣いているのかわからない。


 「ちょっと質問していい?」


 「なに」


 「今どれだけ悲しい?」


 どんなつもりでそんなことを尋ねるのか。ぶっきらぼうに答えたかったのに、口にしようとした言葉は喉に引っ掛った。私は不自然な間を開けてから、答えた。


 「…しにそう」


 喉に引っ掛かってしまう程大きな言葉を無理矢理吐き出したせいか、喉元から口内にかけて熱を持った鈍い痛みが走る。


 「そうか」


 彼の返答はあまりにも淡白だった。瞬かせた両眼からポタポタッと涙が続けて落ちた。


 これ以上こいつと一緒に居ては、私はもっと傷付いてしまう。

 そんな気がした。


 「ごめん、帰る」


 「俺ね、今すごく嬉しい」


 私の言葉に被せるように、彼は大きな伸びをしつつ、はっきりとそう言った。


 「は?」


 「お前が死ぬほど悲しそうにしていて、すごく嬉しい」


 つい先ほど空いた心の穴に彼の言葉がするりと入ってきた。それは心の真ん中にある「私そのもの」とも呼べる部分にサクリと突き刺さった。

 爽やかな笑顔を浮かべながら衝撃的な発言をする彼の意図が全く読めない。怖い。早く帰らないと。素早く机から降り、足元に放っておいたスクバを拾おうと身を屈める。


 「気づかなかったとは言わせねぇよ?」


 「ちょっと!?触んないでっ!!」


 勢い良く背中を硬い机にぶつけて眉間にしわが寄る。

 目線は地面に向けられていたはずなのに、視界には僅かに黒ずんだ白い天井を背景に、私に覆い被さる彼が映し出されている。


 「俺の好意知ってたでしょ?」


 「知らない」


 「嘘つけ」


 否定できなかった。


 知ってた。

 授業中にいつも静かな視線を注がれていたことにも、私が困っているとさり気なく助けてくれることにも、私の名前を呼ぶ声音に柔らかい甘さが含まれていることにも、ずっと気が付いていた。

 けれど、彼から向けられてきた好意を私は今まで適当に受け流していた。


 彼は言葉に詰まる私を見て満足そうに微笑む。元から少し垂れている目じりはさらに下がり、薄い唇は緩い弧を描いている。

 その表情には神々しさのようなものがあった。


 「人の好意を蔑ろにしないでよ、俺かなり傷ついたんだけど」


 「うん」


 「うん、じゃねぇだろ。ごめんなさいだろ」


 「ごめんなさい」


 突然その声に温もりが消え、ゾッとした私は反射的に謝罪した。


 好きな人に振られて泣いていたら、自分に好意を寄せていた友人に謝罪を要求され、その通りに謝った。


 なんて滑稽なんだろう。腹の底でおかしさがぐるぐると渦巻いて、口元が不自然に吊り上がりそうになった。

 涙がまた一筋流れ落ちた。


 「心こもってねー。ははは、」


 ため息をつく様に漏れた彼の乾いた笑い声は、そのまま床のタイル上にころりと転がった。


 「ごめんなさい」


 「もういいよ。だからちょっと黙ってて」


 彼の顔が近づいてきた。

 ギュッと瞼を閉じてとっさに顔を背けたが、顎に手を添えられて強引に正面を向かされる。

 悲しみと絶望と怒りと嫌悪感でぐちゃぐちゃになっていた私の気持ちは、そうされた途端に全て消えてしまった。


 「嫌なら叫べばいいのに」


 楽しそうな声音。

 いや、いいよ。別に。

 もうなんでもいいや。




 熱を持った柔らかさが頬に触れた。




 「え、なんで」


 瞼を恐る恐る開くと、彼は私から離れて自分のスクバを背負おうとしていた。


 「なんで、じゃねぇよ。お前さぁ、もっと自分のこと大事にしな?叫ぶくらいの誠意は見せて欲しかったなぁ」


 「はぁ…」


 薄く笑う彼を見て、口から気の抜けた空気がこぼれた。安心したからではない。呆れたからだ。 


 「まぁいいや、復讐はこれくらいで終わりにするわ」


 「復讐」


 「ああ、復讐」


 「ぬるいね」


 「無理矢理にでも襲えばよかった?」


 「それはやだ」


 はははっ!と笑った彼の声はやっぱり乾いていた。そういえば、元から乾いた声で笑う奴だったような気も、しなくはない。

 彼はニコニコと笑いながら帰っていった。



 静かな教室の中、カーテンだけが音を立ててサラサラとなびいている。


 そうか、復讐されるとこんな気持ちになるのか。



 おさまったはずの涙がまた流れ始めた。

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それはとても残酷な。 匙丹小海 @Small__Sea_

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