第1章『無才能者』(2)



 中高一貫学校に在学していながら、人間関係を極小規模に維持し続けたぼくに同級生との交友関係は存在しない。そもそも小学校の頃から孤立しがちだったような子どもに、友人作りの機会があろうとも、それが叶うことはなかっただろう。


 もしかしたら機会はあったのかもしれない。ただ、ぼくはそれに気付いてなかったのかもしれないし、いずれにせよ、ぼくは中学以降誰とも親しくなれなかった。いや、親しくなろうとしなかった。


 ……かつてTMIを生み出した当事者の一人として、他の子どもに対する後ろめたさがあったことが最大の理由だろう。


(現在、TMIとして日本の教育業界に根付いた美作大地――父さんによる脳科学研究。それに協力するために、ぼく自身が幼少期から多大な時間を費やしてきたことも原因の一つでもあるのだろう。他にも理由はいくらでもあるけど)


 研究の一環で多種多様な子供達と関わることになった時も〝数少ない子ども〟を除いて、誰とも友人関係を築くことはなかった。

 なぜなら、この子どもたちは〝実験体〟であり、ぼくは父と肩を並べて研究と開発に没頭している、いわば当時の彼ら彼女らにとっては〝偉い人たち〟の一人でしかなかったから。


(……ぼくには特別な〝能力〟がある。でも、それはけっして誰かを幸せにするような、素敵な力じゃなかった。他人を傷付けたこともあるから、他人と親しくなることを恐れているのだろう)


 でも、それらの事情における例外として、その頃の〝数少ない子ども〟とは交友関係が続いている。

 そのうちの一人が、ぼくの真正面で注文した料理を待っている〝都城道継(みちつぐ)〟だった。


         *


 ぼくの帰りを待ってくれていた彼は、色々と気遣いの言葉をくれながら夕食に誘ってくれた。時刻は午後五時過ぎ、ちょっと早いけれど彼がオススメする中華料理屋に訪れていたのだった。


「俺は……エビチリ定食で」

「五目あんかけラーメンひとつ」


 注文を終えると、そう言って、道継はテーブルに備え付けられたピッチャーを持ち上げ、ぼく達のグラスに七分目ほど注いだ。


「……どうも」

「なぁに水臭い。って、洒落を言っちまった」


 道継は自分の言葉に顔を顰めながら、くい、とグラスの水を飲む。

 半分ほどの水を飲み干してグラスを置いた道継は、ぼくの頭上を見上げながら言った。


「またやってんな、〝あいつら〟」

「うん」


 彼の視線の先にあるのは、近年増加している特殊な少年犯罪を報じているテレビだ。

 相槌を打ったぼくは、それが他人事ではないということを話し始める。


「無才能者――いや、〝超過能力者〟による暴動だね。シンナー、ドラッグの次は、超常現象というのは飛躍しているような気もするけど。そもそも――」

「あいつら超過能力者が生まれたのは、俺たちがTMIの開発に関わったせいだって言いたいのか?」

「…………」


 ぼくは無言で、被害を受けて倒壊したビルの映像を眺める。

〝超過能力者〟――それは最近になって現れ始めた、犯罪を繰り返しては度々暴動を行う反社会的な新しい不良少年の超能力者として報道されている。


 その正体は己の才能事情に絶望し、裏社会で手に入れた違法の改造TMIを過剰に用いたりなどをして、危険な超能力――〝超過能力〟に覚醒した無才能者たちだ。


 才能計測器TMIと超能力……何も知らない人には、まったく異なる事柄のように想えるだろう。しかし、ぼくらが彼らを超能力者ではなく〝超過能力者〟と呼ぶ理由は、そのTMIと深い繋がりがあるという真実と、その力の正体を知っているからだ。


 ――過ぎた才能を得ようとした結果の、己の身に超え過ぎた能力であることを。


「次は……また同じようなニュースだ」

「ああ、まだ捕まってないらしいな。泳がせて他の無才能者との関連性を探ってるのか、それとも中学生ということで学校側も退学処分にする訳にいかないから、犯人生徒の対応に職員たちも頭を悩ませているのか」


 今日の暴動だけでなく、先日のニュースも繰り返し報じられる。

 とある中学の近くにあった書店が、どこからともなく発生した炎の弾によって出火するというものだ。どうやら犯人は近隣に住まう無才能者の中学生であるらしい。


 超過能力者は無才能者しかなれない。無才能者の割合は一校に一人、二人いるか程度なので、ほとんど犯人は特定されているだろう。


「……やめとけよ、いまさら過去を悔いても仕方ない。あいつらも放っておくとして……おまえ、進路どうするつもりだ?」

「就職だよ。今日、土曜才能開発過程もビジネスマナー講座を受けることにしたし」

「まあ悪くないか。俺にとっても都合がいい。もちろん、おまえのコネ的にもな」

「どういうこと?」

「一般企業に就職活動する必要性が、俺たちには有るか? 俺が都城家の当主を継ぐように、おまえも立花家の人間として〝裏財閥〟の仕事を引き継げばいい」

「――〝亜人〟の斡旋業に携われって言うのかよ、君は」


 睨みつけるように彼を見ながら、ぼくは実家のことを思い出す。


 古くから世界に存在する、異能などを含む特異体質の希少人種である〝亜人〟

 それを管理し、利益を生み出すための〝人材〟として用いることで莫大な資金を蓄え、そして権力を得た一族が裏財閥だ。立花、都城の家は二つとも裏財閥で、さらにいえば、ぼくらは二人とも亜人の血が少なからず混じっている。


「ぼくは嫌だ。怪人同然の存在だとしても、商売道具として用いるなんて無理だ」

「そうだな、空。おまえには似合わん仕事だ。俺も、おまえが裏財閥でやっていけるとは思えんよ」

「でも、ぼくは無才能者だ。自業自得の癖に、その選択肢があるだけでも恵まれている」

「だから都城家に来い、空。親友が辛い目に遭うのを見るのは勘弁だ、そう遠くないうちに俺が当主になったあとは、少なくともおまえが嫌がるようなことにはさせん」

「どういう、意味だよ」


 彼の意図がわからず、ぼくは身構えて聞き返した。 


「卒業後は、うちで働け。仕事もおまえの嫌がるようなものは用意しない。そうだな、都城家の者と結婚すれば婿養子として、おまえを立花家から引き取れる。これさえ妥協すれば、おまえの人生は無才能者事情も含めて不自由することはなくなるだろう。都城家の関係者であれば、相手の女は誰でも構わんよ」

「やっぱり君は、そっち側だよ。政略結婚を持ち出すなんて、なに考えてんのさ」


 ぼくのためにと言っておきながら、家の都合で平然と〝他人を勝手に選んで使おうとする〟道継の習性は紛れもなく、亜人を非道の人材にして稼ぐ裏財閥そのものだった。

 道継も自覚があるのか、苦虫を噛み潰したような顔をして言う。


「仕方ないだろう。結局は俺も裏財閥、それも筆頭といえる立場になるであろう人間だ。おまえは否定したが、俺だって自分の意志とは無関係の許婚がいる。向こうの事業を、俺の実家に一部譲渡してもらう代わりに、おまえと同じ無才能者の末娘との婚約を条件にされた。ま、結果的には美人で気に入ってはいるがな……都城家の関係に限られるとはいえ、おまえの意志で選べられるよう俺が配慮している分だけマシだろ。せめて親友だけでも自分と同じような立場になって欲しくはない。これは俺の、押しつけのエゴか?」

「……ごめん、言い過ぎた」


 政略結婚は、なにも裏財閥の中では珍しいことではない。当事者であるはずの彼に強く当たってしまったのは、浅ましかったとしか言いようがないだろう。


「いいさ。さっきの俺を嫌ってこそ、おまえらしいからな。結婚は無理強いが過ぎるが、うちで働くことくらいは考えておいてくれ。だが、近いうちに返答を貰うことになる。そろそろ俺も都城家の次期当主として本腰を入れにゃならん。これから忙しくなる前に、おまえのことは何とかしてやりたい」

「わかった。考えておくよ……ありがとう」


 ただ、道継の厚意は嬉しいけれど、ぼくは彼のように割り切れるほど大人ではない。

 ……ぼくは人としても未熟な、無才能者の子どもでしかないのだから。


「エビチリ定食と、あんかけ五目ラーメン餃子セット、お待ちしました」


 しばらく裏財閥のことから離れて雑談に興じていると、注文したときと同じ店員さんが料理を運んできて、ぼく達のテーブルに並べてゆく。

 そのとき、ぼくは視界の端で同じ映像ばかりを流すテレビが気になった。


「ずっと同じ内容を報道しているね、テレビ」

「ああ、あいつら無才能者も鬱憤が溜まって仕方ないんだろう。日々、ああいった超能力犯罪が酷くなっていくばかりだ」


 テーブル横の入れ物から箸を取り出して、目の前でエビチリ定食に手を付け始めた道継は、呆れた口調で返事をする。

 ぼくは目を伏せながら、セットに備え付けられたサラダから指で摘まんだレタスを右手に乗せる。そして、それを手で握りながら〝能力〟を使った。


「――いつか彼らも、こうなってしまう」

「自業自得だろ、それは」


 冷淡な声で返してきた道継は、ぼくの握りしめた手から蒸気が〝しゅーっ〟と音を立てながら放たれてゆくのを見つめている。

 しばらくして開いた手のひらの上には、無惨にも茶色く枯れて、朽ち果てたレタスの成れの果てしか残っていなかった。


「おまえはあいつら超過能力者とは根本から異なる亜人混血者で、本物の超能力者だ。紛い物のあいつらがリスクを背負うのは必然でしかない」

「……他人事みたいに言う君も亜人との混血だろ」

「おまえより濃いさ、ハーフだからな。ま、おまえみたいな異能なんて持ち合わせちゃいない、普通の有才能者だが」

「普通じゃないだろ、この天才」

「今の世界では普通が天才さ。俺は常人よりも、TMIで得られた才能の数が多いってだけ。俺たち亜人混血者は、生まれ持った潜在能力(ポテンシャル)が常人とは違うからな」


 彼はぼくに箸の先を向けながら、肩をすくめる。


 ……優れた身体能力、知性だけでなく、一種の奇跡のような力を持つ一部の亜人。

 その異能力を〝超能力〟として、ぼく達のような混血児以外の、一般人に転用するべくして研究が行われた。


 しかし、それは失敗して、TMIへと姿かたちを変えてしまう。


 失敗したということは、テレビでやっているような〝超能力もどき〟――すなわち超過能力が、重大な欠陥を残したままの未完成品でしかないということを意味している。 


 ……それでも将来の可能性を根こそぎ奪われた無才能者(ぼく)たちは、超過能力という出来合いのアイデンティティに惹かれてゆく。

 なにも無い彼らにとって、超過能力は惨めな運命を払拭する希望の一筋だから。


「ラーメン、伸びるぞ。ほら、箸。残さず、がっつり食えよ。おまえ細いんだから」

「……うん、ありがと」


 割り箸を道継から受け取り、割る。ぱきっと小気味のいい音を響かせた箸を、そのままラーメンの中に突っ込んで麺を少し引き上げた。それと同時に、今まであんかけに閉じ込められていたスープの匂いが、麺と絡むことで湯気と共に開放される。


 思わず食欲を刺激されたことで、衝動的に口へかき込みたくなったけど、まだ『いただきます』とすらも言ってなかったことに気付いた。


「……いただきます」


 箸は持ったまま、当然、麺も箸に引き上げられたまま、ぼくは合掌して呟く。そして、引き上げた麺を口に運んだ。


 美味しい。醤油ベースのスープもさることながら、ストレートの麺に絡んだあんかけが、ごま油と出汁の風味をはっきりと主張してくれている。スープとあんかけに負けない、中太麺自体の味もしっかりと感じられるし、たっぷりと盛られた具材も相まって、かなりのボリュームをぼくに感じさせた。


「旨いだろ? この辺りの中華料理屋なら、ここが一番なんだよ。ありがちなスープ――清湯の弱さもなく、かつボリュームも十分。まあ旨すぎるのも難点で、時間帯をミスるとめちゃくちゃ混むんだな、これが。車道にまで溢れるほど行列ができるくらいだ」

「うん、これは……本当に美味しい。そういえば座席も埋まってきてるし、そろそろ店内も騒がしくなりそうだね」

「ああ、おまえと早めに来てよかったよ」


 ラーメンを啜り込んで頬張っていたので、声が出せないぼくは頷いて道継に返事をする。

彼もニカっと笑うと、次々にエビチリを御飯に乗せて、そのまま口に掻き込んだ。


         *


「さて、どうする? 今日は俺も予定が空いてる。よければ一緒に、どっかで遊ばないか? 夜の虹ヶ丘市を堪能しようぜ。ゲーセン、大型書店だけじゃなく深夜までやってるホビーショップとかさ……十八禁コーナーも、俺と一緒なら恥ずかしくないだろ?」

「いや、もう帰るよ。というか友達と一緒だからって、最後の所は行きたくない」


 ぼくらは食事を終えた頃合いで、すぐ談笑に浸ることもなく席から離れることにした。

 込み合っていた店内からは客が外に溢れ、このテーブル席からも店外の行列が窺える。これ以上の長居は、他のお客さんに迷惑であることは明白だった。

 椅子から立ち上がりかけたとき、道継がお絞りを手に当てながら訊いてくる。


「なんだ、つれないな。他に用事でもあるのか?」

「うん、母さんの夕食を用意しなきゃ」

「……おまえ」

「な、なにさ」


 目を細めた彼に、ぼくは気が引けてしまう。

 しばらく無言のまま見つめ合っていたけれど、彼は手にしていたお絞りをテーブルに放り投げると同時に口を開いた。


「今日、俺が都城家に引き入れようとしたとき、おまえは相手の女性に迷惑だからと言って断ることを考えていたな。そんでもって倫理的にも政略結婚を認められないと」

「そ、それがどうしたの。だって、そんなの普通の感性なら当たり前じゃない」

「まあな。だが嘘だろう、さっきのは」

「嘘、なんて」

「本当の理由は、おまえが母親を――」


そのとき道継の言葉が止まった。

 きっと彼は、ぼくの表情を見て躊躇ったんだと思う。今にも涙が零れそうなほど泣きそう――とかではなく、心の奥底に淀んでいる昏い本音を察してくれたのだろう。

 大切なものを貶されそうになったからじゃない。むしろ大切に思うことに疲れて、張り詰めた弦が錆びついて切れてしまいそうな限界に、彼が触れようとしていたから。


「すまなかった。言い過ぎだな、これは」

「……別に。君の言おうとしたことは間違ってないし。ぼくが悪いんだよ、下手な嘘を吐こうとしたせいで、君を不快にさせちゃった。ぼくは本当に駄目だな、親友相手に隠し事をしようだなんて」

「違う、そういうんじゃない」

「ここのラーメン、すごく美味しかったよ。また来られたらいいなって思う。君も、今度は昔馴染みの〝子ども達〟だった彼ら彼女らも誘ってみたら?」

「それは……難しいな。そもそも俺自身が、自由からコンサートの招待状を貰ったのはいいが、当日は用事で来れないと断っているんだ。当分、あいつとは顔を合わせるなんてできやしない。あいつ以外とも似たような感じさ。正直、けっこう気不味い」

「彼女、昔から君のことが好きだもんね。彼女だけじゃない、皆が君に憧れたり慕っていた。今となっては君に許嫁がいる訳だけれど」

「いや、それは……いつかは、きちんと断ろうかと」


 今度は道継の方が目を逸らして、なんだか後ろめたい感じになってしまう。

 そんな彼に、ぼくは気にすることはないよ、と笑いかけながら言った。


「大丈夫、ぼくにも招待状が届いてる。だから代理に行ってきてあげる。君の分まで彼女の演奏を聴いてくるからね」

「あ、ああ」

「許嫁のことは黙っててあげるよ」

「……マジで、よろしくな」

「いいって、これでチャラだからね。お互い様ってことで。ここ、内税?」

「ああ」

「なら、これがお代ね」


 伝票の上にラーメン代の小銭を置いて、ぼくは立ち上がる。

 

「別に支払わなくていいぞ、俺の方から誘ったんだから。都城家の方で経費として計上するつもりだったしな。おまえ相手なら立花家との交際費で通じるんだ」

「いいよ、前だって同じこと言って強引に払ったでしょ? 今度はしっかり払うよ。友達同士でそういうのは好きじゃないし。なんなら道継の分も払っていいよ、たしかにぼくが払ってしまったら経費にならないかもだし。こういうのはグレーだから」

「……わかった」


 ゆっくりと首を縦に振った彼を見て、ぼくは少し安堵する。

 最近の彼は、なんだかぼくに申し訳なさそうな態度を取りがちだったから。どうしてかは知らないし、お互い様なのだけれど隠し事をされている気がしてならなかった。


「じゃあね、また学校で」

「ああ、またな」


 別れの言葉を交わすと、ぼくは中華料理屋から立ち去る。

 出入り口の人だかりを超えて店から出たら、すっかり外は暗くなっていた。


「……早めに買い物を済ませて帰らないと」


 これからぼくは母の夕食と、その他諸々の家事をこなさなくてはならない。

 おかずは……仕方ない、スーパーのおつとめ品を中心に、あとは適当に残り野菜を具にした味噌汁でいいか。そう、いつもの日常的な思考へと、ぼくの意識はシフトしていく。何事もない。嫌なこと、悪いことは忘れる。そうでもしなければ、ぼく達二人――壊れかけた母と息子しかいない家族は終わりを迎える。


 遠くより訪れる現実から逃避するため、目の前の現実に逃避する。


 走るために走るみたいな、いつか必ず糸が切れてしまいそうになる現実逃避。それが、ぼくの選択した選択(みらい)。


(無才能者の自分のことで一杯になっちゃ駄目だ、ぼくは。そもそも自業自得でもあるのだから、いなくなった父の代わりに母さんを守らないと)


 頬を両手で張って、ぼくは気分を切り替える。

 それから道継を中華料理店に残して、ふたたび帰路に就いた。


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