女の遺跡

@mamiorbunta

第1話

その随所に、彼女の痕跡を見た。

小さな街道を突き抜けた風が、満開のラベンダーを運んでくる。ラベンダーの柔らかな装いと、淡い紫が駆け巡るようにして私の鼻腔を刺激した。人々が一層営み、豊かに暮らすこの街では、何か1つの思索にふけりながら人の流れをただ眺めるのも一興だろうと思って、近くにあるカフェのテラスでサンドウィッチをつまんでいたところだった。

ツヤの良い赤いリンゴに、子供騙しのルビー、赤いセロハン、赤いアミュレット…ピンクのハイドランジアの…造花だろうか。

次々に置かれて、席が飾られていく。

この街では、一人でランチを過ごす人間を放っては置かない。それは面白い習わしみたいなもので、こうして手元にある赤いものを置いておいておくことで、次の出会いの幸運を祈るものらしく、置く側としては、自分のパートナーとのいざこざを避けるためだとか、そんな意味合いもあるそうだ。要するに、失恋したばかりで傷心中の男というような認識であるらしいが、あながち間違いではないのかもしれない。

しかし新鮮だった。目に映るものすべてが目新しい。日が差すと、活力に満ちた若者の喧騒が聞こえてくるような、賑やかなオレンジ色。道も、家々も、多少くたびれた様子のそれもあったが、大概はそんなようだった。

夜には明かりがついて、酒屋が騒ぎ出した頃に広がるだろう風景を浮かべた。

闇が深くなるにしたがって、広がり出す客の駄々話も、湧き出す高揚感も、愛おしい。しかし、私がこの街を訪れたのは今日を含め片手で指を折るほどしかない。別段、この街を気に入ったわけでもない。ただ、幼い頃の彼女が、つい先ほどに、私の座る席を玩具のルビーで飾ったあの幼女ような、おぼつかない足取りの彼女が、そこらを退屈そうに歩き回る姿が、とても印象的だったのだ。勿論、それを実際に見たわけではないのだが。

席を立ち、ささやかなご好意に別れを告げる。思いとどまって、よく熟している食べ頃であろうりんごを、ありがたく頂戴して店を出た。

手を引かれるような、不思議な感覚だ。こちらにいらして、旦那。細長い指をヒラヒラさせて、魅惑的に、非常に官能的に、私を誘うあの顔が、まさにこの道だった。彼女のお気に入りの、少し色褪せた茶色のスーツがなびいて、今度は陽の満ちきった昼時の匂いを満喫した。

あなたの渋いそのスーツは、私の目にはとても新鮮で、とても印象深いのよと彼女は言う。還暦を迎えた今日に、まだまだ私も青臭いなと、帽子を深くかぶり直す。それから、今にも浮いてしまいそうな足取りで、歩を進めていった。

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