第2話 彼と彼女の出会いのお話 2

「フィニアー、フィニア王女ー、生きてますかー」


 アザレア国のフィニア王女の護衛を勤める男ロットーは、やる気無い声で暗い地下書庫の扉に向けて声をかける。反応は無い。しかしそれはいつものことなので、ロットーはかまわず言葉を続けた。


「王女ー、ここにご飯置いときますねー」


 腰に銀の片手剣を吊るした端正な顔立ちの男は、ほかほか湯気の上がる野菜スープやパン等食事の乗ったトレーを扉の前にそっと置く。これが彼の現在の主な仕事だ。王女護衛というより食事運び係りの今の彼には、腰の剣は重いだけで不要な物と化していた。


「王女ー、ご飯冷めないうちに食べてくださいよー」


 もうかれこれ三年ほどこの書庫に引きこもっている王女に、ロットーは青い瞳を諦めに細めてそう声をかける。


 王女は風呂とトイレと、あとたまに気まぐれで城内を散歩する以外この書庫から出ることは無い。今日もまた王女は書庫で、怪しい魔術書グリモワールを読み漁っているのだろうか。


「……っはー、仕事変えたいな……でも給料いいからなー、この仕事……」


 溜息が出る。短く切った茶色の髪を乱暴にかき上げ、ロットーはゆっくりと立ち上がった。



 その頃書庫の中では護衛泣かせのひきこもり王女が、魔道具のランプの明かりを頼りに一人黙々と怪しげな魔術書を読みふけっていた。


「そうか、この場合の魔法陣の図形には二重の円の中に三人のマギの名を刻んで……あれ、でもそれじゃ魔人は呼べないよな……」


 ぶつぶつと独り言を言いながら本に熱中する王女の名はフィニア・ロイメルナ・アザレア。アザレア国の第一王女で、世間一般には病弱な姫ということで姿を見せない王女だ。だが魔術書に熱中するこの王女、声といい服装といい容姿といい体格といい、どっからどうみても男だった。


 母親に似た優しげな顔立ちをしたフィニアだが、顔の印象は輪郭など間違いなく男性だ。とくに女顔ということも無い。ついでに特別美男子でも無い、ごく普通の穏やかそうな雰囲気の青年の顔だ。


 女性のように長い桃色の髪の毛は、ただ単に切るのが面倒で伸びてしまったものなのだろう。


 胡坐をかいて読書に熱中する彼は、服装も一般市民の男性が着るラフなシャツに黒の皮製のズボンで、煌びやかなドレス姿ではない。背はあまり高くないし体格は十八の男にしては頼りない痩せた体だが、でも間違いなくその体は男で、薄い胸板に女性のふくらみなんてあるはずも無かった。


「やっぱこの魔術の系統で魔法陣描くのがそもそも間違いなのか? でもイレインの流派は召喚術の始祖だし、多くの召喚の術がこの流派だし……ん、待てよ、イレインじゃなくてローノットの一族の術は……」


 書庫の外で護衛が声をかけてきても、研究に熱中する彼にはその声は聞こえない。


 腰まで届く長い桃色の髪は読書には邪魔なのか、フィニアはまだブツブツ言いながら上着の胸元を押さえていたリボンを解いて、それで自分の髪の毛を頭のてっぺんで一括りに結う。読書に集中しやすくなると、彼は満足そうな笑みを口許に浮かべて「そうだ、ローノットが書いた最初の魔人召喚のグリモワールが確かどっかに」 と、別の魔術書を捜す為に立ち上がった。


「あー、あの本どこにあったかなー……あれ見つけたときはあんま興味なかったから、どこにあったかとかおぼえてないっての」


 ぼりぼりとだらしなくお尻を掻きながら、フィニアは魔道具の照明を片手に書庫をうろつく。そういえば最後に風呂入ったのいつだっけとか考えながら天井まで届く本棚を見上げていると、彼は自分が散らかした足元の本に躓いた。


「のあっ!」


 バランスを崩し、フィニアは側の本棚におもいっきりぶつかる。その衝撃に本棚は揺れ、そして予想通りの惨劇がフィニアを襲った。


「お、お、おっ? ぬおぉぉーっ!」


 フィニアのマヌケな悲鳴と本棚が倒れる凄まじい音が地下書庫から響き渡り、運良くそれは立ち去ろうとしていたロットーの耳に届いた。

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