第三章 装備【ギア】

第9話 ベルクロ

 その日は、暦に相応しい雨模様の放課後だった。

「ねぇ、華ちゃん。足のサイズ、いくつ~? 」

 部室に、そんな継葉の呑気そうな声が響いた。


「へ? に、21㎝です……」

 何事かと思いながら、華が目をパチクリして答えると、穏やかそうな声で一花が付け加える。


「そろそろ、華も入部して2カ月だからね。継葉と谷寺先生と相談して華の道具を揃えようって事になったんだ。

 ボルダリングで使用する道具は、主に2つだ。

 チョークを入れるチョークボックスと、そして最も選手に大事な専用靴。

 これを、今日は選んでもらおうと思っているんだ」

 華の顔がパーッと明みを増した。


「え?? え?? わ、わたしの……ですか?? 」

 声がポンポンと飛び跳ねる様な抑揚を帯びて、その表情と相重なって華の心がまるで表に溢れだしている様だ。

 その様子が可愛らしくて、2人は顔を見合わせて華に微笑を浮かべる。


「実は、アタシのサイズが合わなくなった使ってない靴がいっぱいあってね? 今日持って来てんだよっ」

 継葉の言葉に、一花が眉を落として申し訳なさそうに呟く。


「ごめんなさいね? 本当は部費が出て直接お店に買いに行く方が華にとってもいいだろうけど……」一花はそこまで言うと、もごもごと口を動かして続きの言葉を飲み込んでしまった。


「い、いえ‼

 大丈夫です‼ う、嬉しいです‼ 」

 そして、気が付けば継葉がその場に居ない。


「よいしょ~~~」神輿でも担いできたのか、不在に気付くとほぼ同時に、部室の戸が継葉の掛け声と共に開かれた。


「あいっ、好きなの選んでね」

 すると、華の前に担いできた段ボールを落とす。

「ボスン」と、そこまで重くない音をたてると同時に、幾つかの靴が慣性の法則に乗っ取って、蓋を蹴破って飛び出してくる。


「いや~、丁度親に邪魔になるからって、言われてたからさ~。もし何だったら、全部持ってっちゃってよ。華ちゃん」

 その言葉と同時に、一花の手刀が下される。

「こらっ、調子に乗って適当言わない‼

 使えなくなった靴はスポンサーメーカーさんに返却しなさい」

 スポンサーメーカー……華は、それを聞いて息を呑んだ。

 テレビで見た事がある。すっごく有名なプロスポーツ選手は、企業の宣伝を兼ねて用具や食事の一切を援助してもらえるという事を。

 そんな継葉が得た物を、自分が譲り受ける事は果たして良い事なのか。華は葛藤して表情を曇らせた。


「どったの? 華ちゃん。気に入ったの無かった?

 まだ、家に少し有ると思うから、全部持ってこよか? 」

 と、継葉がその様子に声を掛ける。

 だが一花は、それに気付くと継葉に聴こえない様に華の傍に近付き耳元で囁いた。


「いいのよ、華。

 確かにこれはツグが貰ったものだけど、当の本人が成長してもう入らなくなってるんだから。そりゃあ、返すのが筋だと思うけど……1つくらい……

 実は、私も2つ程……貰ってるしね? 」

 華が目を輝かせて一花の瞳を見た。静かに一花は頷く。


「ふ~ん……お姉ちゃん、そうかそうか、通りで何かお姉ちゃんの好きなホワイト系の靴がちょいちょい無くなってると思った」

 いつの間にか2人の背後に回っていた継葉が怪談でも話す様な声を出した。


「なっ、つ、ツグ‼ 盗み聞きなんてたちが悪いわよ‼ 」


「本当の泥棒のお姉ちゃんにだけは言われたくないな~」

 一花は「ふぐぐ……」と、歯痒そうに奥歯を噛みしめた。

「まっ、いいじゃん。

 アタシが貰ったもんは、この『ボルダリング部』の物だし。

 それならそれを、部員のお姉ちゃんと華ちゃんが使うのは全然問題ないじゃん」

 ぷるぷるしている一花の頭をポンポンと叩くと、継葉は「にゃはにゃは」無邪気に笑いだした。


「じゃ、じゃあ……これ……にします」

 そんな2人の様子も気ならない程集中した華は、桃色の可愛らしいそれを頭上に抱えた。


「あ~、華ちゃんらしい」

「ホント、可愛くてよく似合うと思うわ。ベルクロのストレートタイプで初心者の華にも使い易そうだし」

 一花の言葉に、華は首を傾げた。


「べるくろ? 」

 一花が説明しようとすると「ドン」と継葉が前を遮り、華に説明を始める。


「せ~つめい、しようっ‼ 

 クライミングシューズには、大きく分けて3つ‼ 」

 そう言うと、せわしなく継葉は段ボールからシューズを取り出した。


「レースアップタイプは、紐で足を締めて固定するタイプだね‼ アタシ、めんどっちくて嫌い‼ 」

 それをポイっと段ボールに戻すと、次に用意していたシューズを見せる。


「これが……え~~っと?? スリッパタイプ? 」

「スリップオン」一花が継葉の頭を掴むと、グイッと横に突き放す。


「……まぁ、あながち……スリッパタイプというのはあ・な・が・ち・、間違っては無いわ。でもどちらかというと『ズック』に近い感じかな。スリップオンは、その名の通り『滑って入る』の通り、着脱が容易なの。レースアップは紐、そして華が選んだベルクロはマジックテープのベルトで足を締める事が出来るからその手間があるけど、スリップオンにはそれが無いの。でも、それは同時に足のフィットで弱さを見せるから、大会等で使用する選手はあまり居ないわね。軽くボルダリングを楽しむ人なら需要は高いけど、初心者におススメするのは……やっぱり、華が選んだベルクロかな」

 一花のその言葉に、華は心が嬉しくなった。やはり偶然とは言えど自分が選んだ物を褒められたのは嬉しいものだ。


「それと、最後は形。これは2タイプあって

 基本的な靴の形そのものの『ストレート』とそして、フットホールドをより強固に掴めるようにトゥつま先が下がった形状の『ダウントゥ』ね。まずはストレートタイプで足使いを上達させてからダウントゥに変えるのが王道かな」

 そこまで説明が終ると「因みにアタシはダウントゥだよ~」と継葉がふふんと鼻を高くして割り込んできた。


「華、早速履いてみるといい」

「そうそう、履いて見せてよ~」

 と、2人が何故かウキウキとした様子でそれを促す。そして華もやぶさかではない。早速ふんふんと鼻息を荒くして、そのシューズに履き替える。


「少し……きつい」

 履き替えての最初の感想だった。

 それを聞くと、2人がそそそっと、華に近付き靴の先をクイクイと曲げる。

「いや、これは丁度良いな。

 華、クライミングシューズは履きたての頃は少し窮屈なくらいが丁度いいんだ。

 素足で履く事が前提で、しかも普通の靴と違って随分と厚みが薄いだろう? 使っていると、自然に靴が広がって直ぐに足に馴染むから、直ぐにきつさは気にならなくなるさ」

 華は、それを聞いてマジマジと足元を見つめる。

 ピカピカと教室の蛍光灯を反射させるそのピンクの蛍光色を見ると華の小さな胸が躍った。


「んじゃっ、早速靴合わせも兼ねて行こっか‼ 」

 その明るい声の方に向き直ると、2人が鞄を肩に掛けている。

「え? 」

 訊き返す華に、一花が「今日、用事が悪かった? 」と申し訳なさそうに尋ね返した。

 華は、慌てて首を横に振る。

「ど、どこに行くんですか? 」

 それを聞いて、今度は継葉が人差し指を立てて、華の鼻先にチョイっと当てるとニカーっと周囲に花が咲く様な満面の笑みを浮かべる。


「ボ・ル・ダ・リ・ン・グ・ジム」

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