第6話 一撃
華の顔がまるで見てはいけない者を見てしまった様な困惑した表情で止まった。
「……え? ?? あ……じょ、冗談ですね? 」
華の返答がつまらなかったとでも言いたいように、谷寺は鼻息で返事する。
「来る時に、継葉の奴が海外ファンに捕まっていたろ?
日本では、クライミングはマイナーなスポーツなんだが、海外……特に山の多い所では、野村と継葉の名前は日本で言うとこの女性アイドルの人気に等しいくらいだ。
特に、継葉に至ってはまだ中学生だしな」
華は、困った様に首をかしげて、目を点にして谷寺を見つめるだけ。
「……そろそろ、始まるな」
間もなく、谷寺がそう言うと周りの席が次々と埋まっていく。
見ると確かに日本人より、欧米の雰囲気の者が多い。
「やれやれ……世界大会以外なら
谷寺が、その名を口にした事で、華の中に小さな疑問が宿った。そして華はそれを口に出してみる事にする。本当はあまり積極的に質問をする事は無いのだが。
「つ、継葉先輩がそんなに、すごいんなら……い、一花先輩は……? 」
その言葉に「ん? 」と、首を横にして一花を捜していた谷寺が振り向く。
「……予選と言えども、これは世界大会でな。出場するにも国内公式戦でそれなりの成績を残さなければいけない。そう言った意味では一花はあの舞台へは未だ立つ資格がないんだよ」
そこまで言うと、谷寺は深く椅子に身体を預け大きく鼻息を放つ。何かに不満を持っているように。
「あいつは、あいつなんだから妹の影に惑わされずに実力を出したらいいんだがな……」
続くその言葉を谷寺は己の中でだけ呟いた。
「し……失礼しました」
間もなく、一花が足早に席に戻って来た。
「遅かったな」と、言葉少なく谷寺は返し、華は谷寺と二人きりだった時間の解消に素直に喜びを見せて彼女を迎える。
そして、2人の間に座ると華に「ごめんね」と一言だけ掛けて、真直ぐに舞台に視線を移した。
やがて会場内に日本語と英語? だろうか外国語で順にアナウンスが入ると。
会場内から拍手と、歓声が上り。
舞台の中央の壁の隙間から数人の女子選手が駆け足で現れる。
華が意外だったのは、そこから出てきた選手達が比較的自分に近い年齢の容姿だったのと、陸上選手の様な殆ど肌が露出している服の人も居れば、普通にTシャツとデニムの短パンの娘も居ること。
体格も、想像していたのとは違うし……しかも、皆日本人に見える。
「あの……」と、華は一花の方を向く。
「……大会予選は、実績の低い選手から開始になるの」
今度は、その理由を訊きたそうに餌を待つ子犬の様な彼女に、一花は微笑む。
と、そこで話に混ざりたかったのか、少し遠くから谷寺が口を挟んだ。
「さっきの――オブザベーションのくだり……憶えてるか? 」
華はうんうんと首を縦に振る。
「要するに、成績上位者ってのは、身体機能だけでなくそのオブザベーションも強い。
ほとんどの課題の解き方……登り方と言うべきか。それを短時間で読み取ってしまう。
だから、先にそいつらを出すと成績で劣っている奴らだけが有利に進めてしまうんだよ」
華が、眉を傾ける。
「そ、そんな見て考えて、登り方を真似するだけで有利になる物なんですか? 」
「なる」谷寺は即答した。
「同じクライミング種目であるスピードと違ってボルダリングは特に掴むホールドの順番や使用する技術などが重要となる。……一花、オンサイトの説明はまだしてないのか? 」
その言葉に、一花は申し訳なさそうに頷いた。
「そうか、なら丁度いい。華。今から、アナウンスの言っている事を聞いてみろ」
いつの間にか、名前で呼ばれていたが華は言われた通りに耳を澄ませる。
「ゼッケン……番、オンサイト一級。レッドポイント二段」
その言葉を聴くと、素早く首を谷寺の方へ向けた。
「……オンサイトってのが、事前にその課題の情報を何も持たずに、自身のオブザベーションとトライのみで一回も失敗せずに完登する事だ。選手らは『一撃』と呼んでいる。
そして……誰かが登っているのを見てから登ると、これの名称が『フラッシュ』というものに変わり。
そして、最初のチャレンジで失敗した後は完登しても『レッドポイント』に変わる。
故に『一撃』はこの競技で特別視される。それ程に困難なものだからだ。
だが、先のアナウンスでも聴いた通り。
一撃では登れなくとも、ルートの手順が判明した課題は一気に難易度が下がり、完登率が上がる。だから必然的にレッドポイントの方が段位が高くなるんだよ」
そこで、谷寺は顎に手を置き、頬杖の様な姿勢を取る。だが、それを聞いて華は目を輝かせた。
「じゃ、じゃあ。わたしも一花先輩や継葉先輩の登り方を見たら、出来るでしょうか? 」
あまりに嬉しそうにそう言う華に、谷寺も一花も目を点にして固まる。
「一花、華の今の成績は? 」
一花は、少し困った様に。
「は、八級を……先日……」と返す。
谷寺はしばし、天井を眺めた後。
「すごいじゃないか、華。うん。たった1ヶ月程度で八級なんて、才能が有るよ。うん、一花と継葉を見習うとすぐに二人くらいの実力になるだろ」
と、棒読みにスラスラと口にする。ここまで清々しいと逆に本音かと思う程だ。そう思う程あまりに感情の抑揚もくそも無いただ並んだ言葉だった。
「……失敗しました」一花が無念。とでも言いたそうに続きを口にした。
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