殺人者の動機

木野原 佳代子

殺人者の動機

N市内S地区で、殺人事件が発生した。

被害者は、市内S中学の女生徒。

女生徒は学校の帰り道、公園付近で目撃されたのを最後に消息を絶った。

遺体が発見されたのは、それから五日後の事である。


最近、この辺りで小動物を虐待死させる事件が発生しており、住人達が警戒していた矢先の事であった。



岡村おかむら 美希みき(14歳) 被害者


田辺たなべ 瑠美るみ(14歳) 美希の親友


高崎たかさき 陽平ようへい(14歳) 美希の同級生


野添のぞえ 奏多かなた (14歳) 美希の同級生


下田しもだ 修一しゅういち (31歳) 美希の担任


木崎きざき 絵里子えりこ(42歳) スクールカウンセラー


笹木ささき 元子もとこ(56歳) S中学校校長


結城ゆうき まこと(28歳) 元子の教え子


田辺たなべ 乃りのりこ(40歳)美希の母親


水原みずはら  雄二ゆうじ(40歳) 市警察 特殊殺人課  乃り子の同級生


柏木かしわぎ 竜也たつや(28歳) 市警察 特殊殺人課


八木やぎ かえで(35歳) 市警察 分析医






 精神病院前

 病院から出てくる一人の青年。その手に持った写真を眺めてから、白い建物を振り返り一言。

「お世話になりました」

 結城 誠は写真をポケットにしまうと、バス停に向かって歩き出した。その手の親指の付け根にはグルリと円を描いた古い傷があった。






 岡村 美希の葬儀会場

 焼香を終えた参列者を力なく見送る彼女の両親の姿が痛ましい。田辺 瑠美は、泣き腫らした目で美希の両親の前で頭を下げる。美希とは親友だったのだ。彼女の家にも遊びに行っては、夕飯をご馳走になった事もある。女手一つで自分を育てている母はいつも忙しく、夕飯時に一人という事も珍しくなかった。その事を知っていたので、食べていったら?と声をかけてもらっていた。瑠美が恐縮すると、娘が二人になったみたいで楽しいわと、いつも言ってくれていた。

 絵に描いたような幸せな家族だと思っていた。穏やかな父親、優しい母親。成績優秀で人気者の娘。まさか、こんな悲劇が訪れるとは微塵みじんも思っていなかった。瑠美はかける言葉を出せずにいた。

「瑠美ちゃん‥美希と‥仲良くしてくれ‥て‥ありがとう」

 美希の母親は言葉を詰まらせながらも言う。

「美希も‥、瑠美ちゃんと友達になって幸せだったと思う。ありがとう」

 涙ぐみながら父親は声を絞り出した。

 瑠美は、何も話せず再び会釈だけすると、その場を後にした。

 会場の外では、マスコミが事件の報道をしている。あちらこちらで、インタビューを受けている学生達。被害に遭った女子中学生の人物像をもっともらしく、話しているのだろう。

 瑠美も記者に囲まれた。誰かが親友だったと話したのだろうか。瑠美は、無言のまま足早に歩き、通りの向こうに停めてある一台の車に乗り込んだ。

 母の乃り子が心配して待っていてくれたのである。

「瑠美、あなた大丈夫?」

 乃り子が優しく声をかけてくれる。

「‥うん‥」

 瑠美は、か細い声で答えた。



 高崎陽平は一人、PCの前に座りキーボードを打っている。

 ふと、カレンダーに目をやり席を立つと、今日の日付に赤ペンで丸を付けた。



 野添奏多は、クラスメート数名と話をしていた。美希とは一緒にクラス委員をやっていたので、思い出も多い。皆一様に彼を慰めている。



 クラス担任の下田は、焼香を終えると沈痛な面持ちの両親の前に進みでる。

「この度は・・・」

 言葉を続けられずに頭を深々と下げる。

「・・先生・・、本当に・・お世話に・・なり・・」

 美希の両親もまた嗚咽おえつ混じりで言葉を交わした。



 校長の笹木元子は、少し遅れてやって来た。事件の対応に追われていたのだ。つい先程、スクールカウンセラーの手配を終え、急いで葬儀会場へ駆けつけたのである。






 走り出した車窓から見える景色を流しながら、瑠美は思う。

 美希は何処に行ったのかしら。この間まで、一緒に笑って泣いて過ごして来た日常はもう来ない。今は、あの時間が本当にあったのか疑わしい。感覚がどんどん曖昧になっていく。

 私はまだ泣いていない。


 乃り子は娘の状態が心配だった。

 瑠美のところにも警察がやって来て、色々質問をされた。最後に会ったのはいつなのか。何か学校で問題がなかったか。友達の仲はどうだったのかなど。聞かれた事は、よくある質問で全員に聴いているという。死亡推定時刻のアリバイもである。

 ただ、驚いたのは、中学の同級生が刑事になっていた事だ。

「水原くん?」

「・・乃り子か?」

「久しぶりね。元気?」

「あぁ、まぁ。乃り子は・・」

 お互いに瞬間的に教室にいるような感覚になった。

「ちょっと、まさか、親友を亡くしたばかりのうちの娘を疑ってるんじゃないでしょうね」

「あ、いや、田辺さん。一応全員にする質問だから‥」

 後輩の刑事の視線に気づき、咳払い一つ。

「まぁ、仕事なので。で、担当直入に聞くけど、その友達がいなくなる前に娘さんに何か変わった様子はなかった?」

 乃り子は考え込む。

「いえ、娘には特に何もなかったわ」

「そうか。何か、僕らに話しづらい事でも君になら話すかもしれない。何か気になる事があったらいつでも連絡してくれ」

「わかったわ」



「水原くん?のり子か?ですか。良いですねえ。先輩にもそんな時代があったんっすね」

「俺だって学生だった頃があるよ」

「中々、美人っすね」

「馬鹿。捜査に集中しろ」

 水原は柏木の軽口に応じながら、車に乗り込んだ。



 岡村 美希。14歳。

 塾の終わりの時間をとおに過ぎても帰って来ず、連絡を入れるも今日は来てない旨を知らされる。

 その後、両親は警察に捜索願いを出した。

 後に遺体が見つかり、司法解剖の結果、死後三日が経過していた事がわかった。

 行方不明になってから、二日間は生きていた事になる。身体の中心部に複数の刺し傷かあり、内一つが心臓を貫いていた。

 また、左手の親指の付け根にぐるりと円を描いた傷があり、鑑識の結果、生体反応があった事が分かった。生きている時に付けられた傷と思われる。作為的なその状態から警察はこの事を発表していない。



 瑠美は校長室の前に立っていた。ドアをノックすると、校長の笹木の返事が返ってきた。

「失礼します」

「田辺さん、大丈夫?って聞くのもアレよね。岡村さんと仲が良かったから、ショックを受けて当然だもの」

「はい‥」

「今日から、スクールカウンセラーを置く事にしたの。心配事でも、心の内でも何でも話すといいわ」

「はい」

 瑠美は一礼をして、校長室を後にした。


「田辺さん、大丈夫?」

 同級生の野添奏多に声をかけられた。野添は美希とクラス役員を一緒にしていたハンサムな男子で、美希と一緒にいると美男美女でお似合いだと言われていた。また、バランス感覚も良く、周りの事にも良く気がつくため、彼のファンも多い。

「うん。野添くんこそ、大丈夫?」

「正直、まだ信じられないよ」

「私もそう。何だか現実じゃないみたい。本当に美希はもういないのかしら」

「田辺さん‥」

 野添は心配そうに瑠美を見つめた。

「あの、俺じゃ頼りないかもしれないけど、何か困った事があったら遠慮なく言って」

「うん‥。ありがとう」

 友人を亡くした事は一緒なのに、こうして自分の事も気にかけてくれる。野添の優しさに、瑠美は自分もこういう人間でありたいと思った。



 瑠美には気掛かりな事があった。

 廊下を歩いていると、視界に高崎を捉えた。ちょうど考えていた人物である。

「あの‥、高崎くん」

 瑠美は、同級生の高崎が、美希の後をつけるようにして歩いていたのを見たことがあった。だが、この事を警察に言って良いものか迷っていた。

「何?」

 高崎は、じっと瑠美を見つめている。彼は表情というものがあまり変わらない。

「あの‥、あ、昨日、会場にいた?」

「いや。僕は葬式には行っていないから」

「あ、そう‥。見かけなかったから‥、ごめんね。変な事、聞いちゃって」

「別に」

 高崎はきびすを返すと、廊下の向こうに消えた。



 瑠美は放課後、特別活動室にいた。

 正直に言って、スクールカウンセラーの先生に、初対面の見ず知らずの大人に特に話す事は何もないが、ここに来なければ来ないで、また別の大人の干渉があると思ったからだ。

 今の世の中は私たちにとって、生きやすいのか生きにくいのか。

 美希にとってはどうだっただろう。

「別に話したくなければ何も話さなくていいのよ」

 スクールカウンセラーの先生は木崎絵里子さんという二十代後半の女性で、特に特徴のない人だった。街ですれ違ってもきっとわからないに違いない。笑顔は可愛い部類だとは思うが、手入のされていない髪の毛を頭の後ろで一本に束ねている。爪も爪切りで切りっぱなしなのだろう。形が整えられていない。

 こういう人がカウンセラーに選ばれるのかしら。

「先生って、どういう学生だったんですか?」

 瑠美は率直に気になった事を聞いてみた。

 絵里子は少し驚いたようだったが、ふわりと微笑んだ。

「私は普通だったわ。成績は中の上くらい。運動もたいして得意ではなくて、でも運動音痴っていう程でもなくて、体力テストもBとかCよ」

「どうしてスクールカウンセラーになろうと思ったんですか?」

 絵里子はふと窓の外に目をやる。

「笹木先生って良い先生よね」

 瑠美は驚いた。来たばかりで何故そんな事を言えるのか。

「校長先生ですか?」

「ええ。実は私、笹木先生の教え子なの。笹木先生って、どの生徒にも優しくて厳しかったわ。私って本当にいわゆる『普通の生徒』で、友達も適度にいて、でも別段目立つグループでもなくてって。そういう子って普通卒業したら覚えられないものでしょ。でも、笹木先生はちゃんと見ててくれてたのよね。再会した時に私の事を直ぐにわかってくれたの。それって、学生の頃も見ててくれたって事でしょう?嬉しかった」

 絵里子ははにかんだ笑顔を見せた。

「どんな子もね、ちゃんと自分の事を見ててくれてる人がいると信じる事が出来たら、胸の内に知らずに抱えるザワザワした感情を浄化する事が出来ると思うのよ」

 瑠美は思う。美希の胸の内にもそんな感情があったんだろうかと。

「先生。美希は頭も良くて、運動も出来て、活発で、みんなから好かれていました」

「そうみたいね」

「先生達も美希の事は自慢の生徒だったと思います。勿論、美希にも駄目な所はちゃんとありました。普段、学校では大人びてるのに、私と遊んでる時には我儘わがまま言いだしたりして、ケンカになったり」

「あなたには甘えてたのね。本当の自分を出せてた」

「でも、本当の本当に時々なんですけど、酷く‥こう‥なんていうか‥大人すぎるというか‥良くわかりません。説明出来ない」

「良いのよ。その感情を忘れないで。美希さんはそういう子だったのよ。あなたが忘れないであげて」

 ううん。そういう事じゃない。瑠美は思う。

 美希は高崎が自分の後をつけている事を知っていたと思う。それでいて、怒るでもなく、怖がるでもなく、高崎の好きにさせていた。そんな感じだった。

 それが、何だか私は怖かった。

 瑠美は高崎の事を母親に言う事にした。



「わかったわ。お母さんが伝えて置くわ」

「でも、ひょっとしたら私も疑われているかもしれないから‥」

 乃り子は瑠美を抱きしめた。

「お母さんは、あなたが犯人じゃないのを知っている。あの刑事さん。水原君も大丈夫よ。ちょっとやんちゃな子だったけど、正義感のある彼だったのよ」

「うん」

「学校は大丈夫?」

「うん。校長先生が、スクールカウンセラーを置いてくれている。良い人そうよ。校長先生の教え子なんだって」

「そう。それじゃあ、安心ね。ご飯食べましょ」

「うん」



 乃り子は夕食後に水原に電話をかけ、瑠美が見た高崎の事を告げる。

「そうか。わかった。調べてみるよ」




 翌日

 二人目の被害者がでた。S地区の中学生で死後二日が経過しており、また、岡村美希と同様に左手の親指の付け根にぐるりと円を描いた傷を付けられていた。



 分析医の八木楓は、水原のデスクに書類を置いた。

「連続殺人になったわね」

「親指の付け根の傷が目印か」

「ええ。それが今回のシリアルキラーのマークよ」

「で、八木先生の分析は?」

「昔から言われている事は、例えば女性なら毒殺が多いの。力を使わずに済むから。男性の場合は実際に首を締めるとか、鈍器で殴る、銃を撃つ、ナイフで刺すなどよ」

「なら、今回の犯人も男の可能性が高いな」

「ええ。五十年前ならそうよ。そして、その動機となるのが殆どの場合、女性は権力やお金で、保険金目的で結婚相手を殺すとか、何かしらの秘密があって、それらを守るために相手を殺すとか。男性の場合は主に性的行為が目的とされていたわ。ただ、時代が下れば物事は細分化するの。現代では、よりカテゴリーが分かれていて、異常心理がその動機の場合、必ずしも性的な接触を必要とはしない。そしてそれは男女共によ。現段階では犯人像が男性か女性かは言えないわ」

「結局、どっちの可能性もあるのか。何の為の精神分析だよ?」

「精神分析は魔法じゃないの。

 今回の被害者は女子中学生よ。大人の女性ではないけれど、十分に性的な対象になり得るわ。ペドフィリア(小児性愛者)じゃなくてもね。でも二人とも性被害は受けていない。その代わりに親指に傷を付けられた可能性が高いわ」

「つまり?」

「シリアルキラー(連続殺人者)とサイコキラー(異常殺人鬼)は必ずしも同一ではないけれど、共通点は多いの。今回のシリアルマークはサイコパス、つまり、精神病質気質の人間の仕業っぽいわ。あぁ、でも誤解しないで。サイコパスの人間が必ずしも犯罪を犯すとは限らない。精神病質気質と判断されていても、日常生活を送るのに問題のない人もいるから。まぁ、正しく言えば、本人の持つ価値観やこだわりが、たまたま、この私達の社会性と摩擦を起こさないってだけで、社会に適応しているわけではないから、一概いちがいには言えないけれど。何かしらのスイッチが入れば犯罪を犯す可能性が高くなる。そして、そのスイッチが入った人間が、その執着した物、もしくは人間に対して、何らかの動的行動が見られた時に、それが殺人の場合が多いの。そして、その執着は残念ながら、続いていくことになるわ。そこに被害者の共通点があるはず」

「女子中学生とか」

「第一はそれね。でも、ランダムに見えて、何か特徴があるはず。顔の形や目の形、髪の長さや色、職業、あぁ、これはもう出たわね。身長や性格。とにかく何か他にも身体的な理由があるはず。でも、言い方は酷いけど、被害者の数が増えない事には分析は難しいのよ。簡単に結論は出せない」

「やっぱり捜査は情報だな」

 言うと、水原は立ち上がり、柏木を呼んだ。

 その後ろ姿に向かって、楓が言葉を投げかける。

「もう一つ可能性があるわ。性経験のない未熟な男性の場合、性行為に躊躇ためらいがあるかも。その代わりに指の傷を付けた」



 調べると、二人目の被害者は岡村美希と塾が同じで、そして、その塾に高崎も通っていた。

「高崎陽平は確か、岡村美希の失踪当日に、遺体が発見されたあの公園付近で彼女を見たと証言した生徒です。それが、岡村美希の最終目撃情報ですよ」

 水原達は二人が通っていた塾に向かった。

講師達の話では、岡村美希は真面目で塾を休むという事が殆どなかった。模試での成績も良く、解らない所は個人的に聞きに来るなど、良い意味で講師を利用していたようである。

 対して高崎は成績は上の下くらいで、悪いと言うわけではないが、真面目に取り組んでいる割には中々模試の成績も上がらず、かといって焦る事もなく淡々と課題をこなしていたという。

「現代っ子特有の何を考えてるか分からない子ってヤツですかね」

「さあな。だが、岡村美希の後をつけていたという情報が入ったからな。話を聞こう」



 白い大きな部屋に高崎は座っていた。

 朝、学校へ行く準備をしていると、玄関のチャイムが鳴った。高崎は話が聞きたいという刑事に、驚く両親を尻目に、警察署に同行する事を承諾した。

 通された白い部屋は大きく、テレビドラマで見るような、いわゆる『取調室』という感じでは無い事に多少驚いた。

 先程の刑事が部屋へ入って来て、水原と名乗る。もう一人は柏木と名乗った。それからビデオカメラに会話が収められている旨を説明され、聴取が始まった。名前、生年月日、両親の氏名の確認等、色々あるらしい。

「ところで、君は岡村さんと仲が良かったの?」

「見方によると思います」

「じゃあ、聞き方を変えよう。君は岡村さんの後をつけた事があるのかな?」

 この質問に、高崎は一瞬で目つきが変わった。

「誰がそんな事を言ったんですか?」

「今重要なのはそこじゃ無い。君が岡村さんをストーキングしていたのかどうかだ」

「ストーキングなんてしていませんよ。僕達は付き合っていたんですから」

「それはみんなが知っていた事?」

「いえ。秘密にしていました」

「何故?」

「ウチの中学校は恋愛禁止です」

 高崎は岡村美希と付き合っていたと主張を繰り返した。学校では直接話す事は無いが、メールは頻繁にしていて、学校帰りにも待ち合わせをして一緒に時間を過ごしたりていたという。

「まぁ、それも美希が田辺さんとの約束が無い日にですけど。僕達の関係がバレない為には、田辺さんを優先させるのは仕方ないって言ってましたから」

「付き合っていたのなら、別に後をつける必要は無いと思うんだが、何故、そんな事を?」

 後をつけたという事実を高崎は明確に認めた訳では無いが、前提で話を進める水原。

「後をつけたのは、担任の下田先生に美希が付き纏われていて、その証拠を撮るためです」

 美希から相談をされ、高崎は止めるように下田を説得するつもりだったと言う。

「証拠の写真が僕のパソコンと携帯に保存してあります」



 その写真に写っていたのは、下田の車に岡村美希が乗り込もうとしている所だった。

 学校に電話を入れると、校長の笹木が出た。

「下田先生なら、体調を崩してまして昨日から休みを取っていますが‥、何かあったんですか?」


 刑事たちは、急いで下田のアパートに向かい、駐車場に車がある事を確認する。

「警察です。岡村さんの事件の事で少し確認したい事がありまして、開けてもらえませんか?」

 玄関のドアが開くまで、少し時間がかかった。

「休みの理由は何でしたか?」

「ちょっと風邪気味でして」

「お元気そうですが」

「今、ようやく調子が戻ってきたんです。昨日は一日中、寝ていましたから」

 水原は素早く室内を見渡す。デスクに置かれているパソコンの横に、マグカップが置いてあり、湯気が出ていた。

 水原が柏木に目で合図を送ると、柏木は二人の間をすり抜け、下田の制止を聞かずにデスクに近寄り、スッとマウスを動かす。

 パッと画面が明るくなった。

「今起動した熱さではないですね」

「ちょっと前に起きたんです。何なんですか」

 慌てた下田がデスクに近寄ろうとした時、水原は質問をした。

「岡村さんにストーキング行為をしていましたか?」

 質問を受け、一瞬何を聞かれているのか理解できないのか、キョトンとした次の瞬間、下田は慌てて否定した。

「ス、ストーキングなんかしていませんよ」

「じゃあ、この写真はどういう事だ?」

「それは‥」

 下田の話では、アプローチを受けていたのは自分の方だという。彼女は大人の方が話が合うという。あの年頃独特の感情だろう、自分は周りと比べて大人な思考をしているという。この日も帰りに偶然会い、車に乗せてくれと迫られたらしい。もちろん、生徒の一人であるし特別な感情は持ち合わせていないが、それで彼女の精神状態が落ち着くならと、家の近くまで送って行ったという事だった。

「岡村美希が失踪した日は家まで車で送っていない?」

「送っていません」

「なるほど。この家に連れて来たのか?」

「そ、そ、そんな事しません。だ、大体、あの日は岡村は塾へ行く日でしたよ」

「へぇ。生徒の放課後の予定は知っているんですか?」

「へ、変な意味じゃありません。塾を利用している生徒は名簿にもデータとして載せています。親御さんが受験に熱心な場合が多いので、面談の為の情報ですよ」

 下田が熱弁を振るっている後ろで、柏木がPCを操作しているのを、水原は見ていた。そして、作業が終わったらしい柏木が二人の方に視線を向けた。

「水原さん。パソコンの中にも岡村美希のプライベートなデータは特にありません。生徒の個人データはありますが。ファイルの中身はテストの問題とかですね」

 驚き振り返る下田だったが、少し冷静さを取り戻したのか、落ち着いた声で答えた。

「当たり前ですよ。教師なんですから」

 心外だという表情の下田に、刑事二人は詰め寄る。

「だとしても、このご時世ですよ。未成年者の生徒を車に乗せるのはやめた方が良い。それこそ、ある事ない事言われますよ」

「本当にそうですね。ところで、その写真は誰が撮ったものなんですか?まさか、父兄じゃ・・」

「いえ。違いますが、守秘義務がありますので名前は明かせません」

「あの・・それ、学校には黙ってて貰えますか?」

 教師といえどやはり人間である。心配が自身の進退なのは致し方がない。と思った水原だった。




 水原はデスクで岡村美希のファイルを繰り返し読み込む。

 岡村美希の性質が何だかわからない。対外的な評判はとても良い。が、個人的に関わった人間からは、酷く生々しい話を聞く。

 水原は乃り子に電話をかけた。

「瑠美ちゃは、彼女と仲良かったんだよね。話を聞けないかな。もう少し情報が欲しい。何でも良いんだ」


 乃り子の仕事が終わるのを待って、三人は近くのカフェに入った。

「ごめんね。呼び出して。勉強とか忙しいのに」

 水原の笑顔に瑠美は肩の力を抜いた。

「美希ちゃんってどういう子だったのかな?」

「どういうって‥明るくて優秀で、リーダーシップがあって人気者だった。でも私にとっては普通の子でした」

「それ以外に、例えば君だけが知っている彼女の秘密とかはなかった?」

「‥‥」

 瑠美は考え込んだ。この人はありきたりの話を聞きに来たのではないのだ。

「刑事さん。高崎くんは何故美希の後をつけたんですか?話を聞いたんでしょう?」

「お?話題転換だね。‥本当は守秘義務があるから話せないんだけどね、特別に教えてあげるよ」

「あ、すみません」

 恐縮する瑠美に、水原は笑む。素直に育てられたようだ。

「いいんだ。実はね、高崎くんの話だと、高崎くんと岡村さんは付き合っていたらしいんだが、君は知ってるかい?」

「え?‥知りませんし、あり得ないと思います」

 水原は、瑠美の表情や声音から、それが嘘ではないと悟った。

「何故?」

「何故って、高崎くんは美希のタイプじゃないですよ。多分」

「そっか。やっぱり女子同士はその辺の好みを話すんだね」

「それは、まぁ。一応」

「因みに岡村さんはどんなタイプが好きだったの?芸能人とか」

「芸能人とかにはあまり興味がなかったです、美希は。現実的っていうか。電車とか、図書館で見かける高校生くらいの男の人見ながら、『あの人格好いいね』とか話してましたから」

「そっか。やっぱり、ちょっと年上が良いのかな」

「かも知れません。でも、実際には美希は野添くんと仲が良かったです」

「野添くん?」

 瑠美は野添の説明をした。

「だから、美希はその内に野添くんと付き合うのかなって、思ってました」

「例えば、岡村さんが野添くんと付き合ってたとして、君にそれを打ち明けてない可能性はあるかな?」

 美希は少し考え込む。

「いえ、無いと思います。確かに私は美希が何を思ってどう行動していたか、全部を知っていたわけじゃないかもしれないけど、その辺はわかります」

「そう。じゃあ例えば担任の下田先生とかはどうかな?ほら、大人の男性がカッコ良く見える時もあるから。その辺はどう?」

「下田先生ですか?」

 瑠美は何故急に下田の話になるのか理解が出来ずに、目を丸くしたまま水原を見つめた。

「いや、実は、その高崎くんがね、岡村さんと下田先生が特別な関係にあったんじゃないかと思っているらしくて。一応、確認をね」

「そういう事ですか。流石に大人すぎますもん。驚きました。でも、確かに美希はクラス役員でしたから下田先生とはよく話をしていたと思います。その辺から高崎くんが誤解したのかも知れません」

 瑠美は、美希の少し怖い所は、伝えないでおく事にした。何故かは分からない。高崎がそう思ったのは自分が美希に対して思っていた事と同じ理由な気がするが、今は話したくなかった。

「そうか。なるほどね。ありがとう」




 校長室にて

 笹木はコーヒーを淹れたカップを木崎の前に置く。

「すみません。先生に淹れてもらってしまって」

「良いのよ。私の部屋なんだから。それに貴方も先生でしょ」

 木崎は一口飲んでから話始めた。

「田辺さんは、しっかりした子ですね。ちゃんと友達を見れていると思います」

「そう。でも、まだショックでしょうから、何かあったら話を聞いてあげてね」

「ええ。もちろんです。ただ‥彼女や他の生徒達と話して少し気になった事が‥」

「何かしら?」

「実は‥」



数日後

 三人目の被害者がでた。

 M地区の中学生で彼女もまた同様の傷を左手の親指に付けられていた。


「被害者は塾通いは?」

「していましたが、先の二人とは別の塾です」

「となると、接点はあの塾の生徒って訳じゃないな」

「もう一度、被害者の身辺を洗い直すぞ」

「はい」

 



図書館にて

「あれ?木崎先生じゃないですか」

 野添は、デスクで新聞を読んでいた木崎に声をかけた。

「あら。野添くん。こんにちわ」

 サッと新聞を閉じる。

「調べ物ですか?」

「特に何と言うのではないの。あなたは?お勉強?」

「はい。この後、田辺さんと一緒に」

「そう。頑張ってね。何かあったらいつでもまた相談室にいらっしゃいね」

 木崎は言うと、席を立った。

「はい」

 木崎と入れ違いに留美がやって来た。

「さっき、木崎先生と会ったよ。何故かはわからないけど、十五年前の新聞を見ていた」





 高崎はスマートフォンを片手に歩いている。今日は塾の日だがどうしようか。行っても行かなくても大して差はない。それが、僕と美希の共通認識だった。

 両親は自分に何か期待をしてくれているらしいが、期待に応えるために勉強をしているわけではない。

 両親は良く言えば一般的で普通である。なのに、子供には普通以上を求める。それでいて普通で良いのよと言う。何を考えてるかわからないのは大人達の方だと思うが・・。

 頭ではそんな事を思いながら、目は画面の活字を追っていた。スクロールすると画面が動く。と、その向こう、茶色の物体が灰色のアスファルトを移動してくる。

 額に白い模様のある茶色の猫は、高崎の足元で止まった。

「そう言えば・・」




 次の日の朝、出勤の支度をしている元子の携帯が鳴った。相手は亡くなった主人の母親だった。別に悪い人ではないのだが、苦手な人ではある。言葉に出す前に、一度頭のフィルターを通してもらいたいものだ。相手がどんな気持ちになるのか。

 遅くに結婚した為、子供は持たなかった。それを、暗に仄めかす。責めているわけではないのはわかるが、度々話題にされると居たたまれない思いをするのも事実だ。

 彼女の自慢の息子で夫の康二は商社マンで、海外を飛び回っていた。これから働き盛りという四十代で飛行機事故に遭い、亡くなった。嘆きは私以上であったとも思う。私達夫婦は、仲が良かったが、どちらかといえば独立独歩の個人主義者がお互いに結婚という協定を結んだと言った方が近かったからだ。もちろん、主人は魅力的であったし愛してもいた。お互い引退したら、海外を旅して歩きたいと話していたのだ。彼は会社で、私は学校で奮闘しているのだから、引退後はゆっくりと穏やかにお互い時間を共有して過ごす計画を立てていた矢先の事故であった。

「はい。お義母さん。おはようございます」

 話題は思った通り、事件の事についてだった。近所でも、どうやら話が出始めたらしい。

「そうなのよ。で、あなたがウチの嫁だと気づかれちゃって。でも、何も話してはいないわ。辛いのは、被害者の子やその家族もでしょうけど、関係者だって悲しい思いをしているのよって、さとしておいたわ。あの人達、本当にもう、私の所に群がっちゃって、困ったもんだわ。あら、ごめんなさい。別に愚痴を言うつもりは無かったのよ。ただ・・」

「ええ。わかっているわ。お義母さん。いつも、お義母さんには助けられて、本当にありがたいと思っているの。事件の事はもちろん話せないのだけど、お義母さんの方にまで迷惑かけちゃってごめんなさいね」

「いいのよ。大変なのは元子さんの方ですもの。でも、こんな時思うのよね。もし、あなた達に子供がいたら、私もこんなに冷静で対処できなかったかもって」

「それは・・」

「あ、いえいえ。違うのよ。逆にいなくて良かったかもなんて思っているから。心配もしなくて良いしね」

 これは嘘だ。本当は心配をしたいのだ。近所の人達にも、事件を笠に孫自慢をしたいのだ。本当は。

「忙しい時にごめんなさいね。でも、元子さん、校長先生だもの。帰りは遅いでしょう。朝の方が良いかと思ったのよ。とにかく、こっちは大丈夫だから、あなたも気を付けてね」

「ええ。ありがとう、お義母さん。お義母も気をつけてね」

 朝から疲れたわ。自慢の一人息子が亡くなって頼る人が私しかいないのだ。私の両親は既に他界していて、お互い一人身ではあるし致し方ないとは思うが・・。

 フゥと一息吐いてから、車の鍵を手にし玄関へ向かう。

 玄関を開けると、

「きゃっっっ」

 元子は短く悲鳴を上げた。

 その顔面は色を無くしていた。





「大丈夫ですか?」

 水原が元子の目の前に置かれた湯気の出ているお茶を勧める。

「ええ。驚きました。教育者として、いつも冷静でいようとは思うのですが、流石に・・」

「もちろんですよ。それが普通です。あんな物を目にすれば」


 玄関を開けた元子の目に飛び込んできたのは、血が赤黒く変色した茶色の猫の死体だった。額の血がついていない部分の一房が白であった事が鮮明に映像として残っている。


「一体誰があんな事を・・」

 元子の顔面は蒼白だった。お茶を持つ手も微かに震えている。

「我々も捜査をしています。実は動物虐待の事件も何件か報告が上がって来ているんです」

「それも刑事さん達の管轄なんですか?」

「分析医の話だと、シリアルキラーは人間の前にまず、動物を殺すらしいです。標的は自分と同じ人間であるが、その前に小動物から始めて自信をつける。そして、最終は人間を殺す。動機は自己顕示欲とも、支配欲とも。この事件の前から、動物虐待の事件があったんですよ」

「刑事さん。今回の事件はシリアルキラーなんですね?」

「あ、いや」

「いえ。いいんですよ。何か、証拠があるんですね。刑事さん達は捜査のプロですもの」

「まぁ、そんな所です。所で、学校まで送りますか?それとも家へ?」

「いえ。ここまで自分の車で来ましたから」

「ああ。運転には気をつけて下さい。ショック状態の時はある種の冷静さが働きますが、それを過ぎれば一気にきますよ」

「ええ。お気遣いありがとうございます。十分に安全を心掛けますわ」




 下田は一人、学校のパソコンを操作していた。

「下田先生。お疲れ様です」

 事務の真田さなだがコーヒーをデスクに置いてくれる。

「ありがとうございます」

「テストですか?」

 真田はパソコンを覗き込んだ。

「ええ。こんな状態でも定期テストはやって来ますからね」

「来月の頭でしたね。熱心ですね」

「恐れいります」

「所で、岡村さんって学年で総合一位でした?」

「・・そうですね。と言ってもほぼ全教科でトップでしたが。歴史と社会文化系は苦手だったのかな。野添がトップだったな」

「そうですか」

「何か気になりますか」

「いえ。そんな子があんな事になってって、不憫で」

「ええ・・。真田さんはカウンセリングを受けましたか?」

「ええ。木崎先生が言うには、彼女の思い出を共有する事が大事だって。もちろん辛さの程度によるでしょうけど、目を背けていては傷が深くなるからって。下田先生もそうでしょ?教え子だったんですもの」

「確かに。僕も、木崎先生の所に行くべきかな」

「あら、まだでしたの?」

「・・忙しくて」

 下田は複雑な心境になった。

 




 警察署にて、資料を読んでいる水原。

「今日は電話してないんですか?」

 柏木にからかわれ、水原は肩を殴るふりをした。

 と、ある事に気付いた。

「なあ、岡村美希は両親と本当の親子ではないな。血液型が違う」

 岡村夫妻はともにO型だが、美希はAB型だった。O型からAB型は産まれない。

「そうですね。確か、養子縁組だったんじゃないですか?岡村夫妻に話を聞きに行きますか?」


 岡村夫妻の話では、当時、不妊治療を2年ほどしていたが、なかなか状況は良くならなかったと言う。そこで、カウンセラーから養子縁組という手段も一つの選択であると聞いた。

 夫妻は悩んだ末に、養子をもらう事に決めたのだ。

「その事を美希さんは知っていましたか?」

「ええ。あの子は聡い子でしたので。小学校の四年生の時だったかしら、学校で血液型の検査をしてくれたんです。私達の子供の頃は保健の授業の一環でありましたけど、今はもう任意になってましたから、珍しいなって思ったんですけど、特別授業の一環でと言う事でした。

 その時に、気付かれました。下手に嘘をつくよりはと、本当の事を話しました」

「美希さんの反応は?」

「驚いてはいましたが、納得もしていた様な感じでした。頭の良い子でしたから、何となく気付いていた部分があるのかも知れません」

「大変だったでしょう」

「いえ。納得したからなのか、逆に明るくなりました。その前の方が沈んでいた様でしたので」


 S医科大学での養子縁組だった。

 美希は産まれてすぐに、連れて来られたらしい。だが、直前まで産院からの知らせはなく、その産院も院長が老齢で今はもう閉院しており、昨年亡くなったとの事。当時いた看護師も助産師も今はどこにいるかはわからない。


 産院の隣の住人から、一月ほど前、男が訪ねて来て同じ質問をしたという情報を得た。





 瑠美は学校の帰りに、ふと美希の歩いていた道を歩いてみる事にした。

 何故、そう思ったのかはわからない。こんな時にと、自分でも思う。でも、彼女の歩いていた風景を見てみたいと思った。

 美希の発見された公園を通りかかった時、遠くにいる人の顔がわからないくらい辺りは暗くなっていた。

 彼女の帰り道では公園の中は通らない。あの公園は住宅街より少し奥にあって、夕方以降は人通りも少なく、皆遠回りをしていた。

 塾へ行くときの近道だったのかしら。

 そう思った時、瑠美は後ろに人の気配を感じた。それまでは何とも思っていなかったのに、急にこの場所にいる事に恐怖を感じた。美希が殺されたという事実が一気に現実として押し寄せてくる。鼓動が早くなると同時に走り出す。 と、人影も走り出した。

 瑠美が公園の角を曲がった時、人にぶつかった。

「きゃあ」

「わあ」

「ごめんなさい」

「いてて‥、田辺さん?」

「野添くん?どうしてここに?」

「こっちのセリフだよ。君が一人で歩いているのを見たから、声をかけようと思ってたら見失っちゃって。会えて良かった。ニュースを見ていないのかい?もう三人も被害者が出ているんだよ」

「‥わかってるわ。でも‥」

 俯いてしまった瑠美。

「あ、いや。怒ってるわけじゃなくて」

「うん」

「心配だったから・・」

「うん」

「怖がらせちゃったよね。ごめん」

「ううん」

「送って行くから。帰ろう」

「うん」



 家の近くまで来た時、車に乗った水原に声をかけられた。

「あれ?瑠美ちゃん?」

「あ、水原さん」

 野添に刑事である事を説明し、水原には野添を紹介したが、既に知っていた様である。

 野添が公園での出来事を説明する。瑠美から聞いていた、後をつけられていたかもしれない事も付け加えて。

「何だって?何でそんな所を歩いていたんだっ」

 思わず声が大きくなってしまった水原だった。

「・・ごめんなさい」

 恐縮する瑠美。

「いや、怒ったわけじゃなくて、心配してるんだよ。君に何かあったら、お母さんも悲しむよ」

「はい」

「刑事さん。犯人の目星はついているんですか?」

 野添が聞くと、

「それは教えられないんだ」

 と言ってから、一呼吸置いて話を続けた。

「と、格好をつけたい所だが、実はまだ何もわかっていなくてね。だから、用心してくれ」




 木曜日

 八木楓は、カフェで人を待っていた。

 程なくして、一人の女性が入って来ると楓に気付き手を上げる。

「久しぶり。珍しいじゃない。楓から連絡なんて。どうしたの?」

 緑川優子みどりかわゆうこ。医学部生時代からの友人である。

「あなた今、S医科大病院にいるわよね」

「ええ。それが?」

「ちょっと調べて欲しい事があるの」

「ちょっと、守秘義務あるの知ってるでしょ?」

「ニュースソースは明かさないわ」

 言うと楓は、オペラのチケットを差し出す。

 優子は無類のオペラ好きなのだ。しかも、このコンサートは人気で、中々チケットの入手が困難である。

「何を知りたいの?」

 チケットはかくして、優子のバッグの中に消えた。



 水原は乃り子の働いている美術館へ寄った。

 乃り子の仕事終わりに、カフェで軽く食事を取ることになった。

「この間の事、聞いたかい?」

「ええ。十分にお説教したわ。本当に。あちこちに迷惑かけて、あの子ったら」

「それ以来は何か変わった事はない?瑠美ちゃんは大丈夫?」

「ありがと。水原君。そういう所、変わってないね。嬉しいわ」

 学生時代も、一人で本を読むのが好きだった自分。友達がいない訳ではなくて、一人で行動することに躊躇ためらいがなかっただけだが、水原は時折気にかけて声をかけてくれていたのだ。仲間外れにでもされていると思ったのかしら。

「ありがとう。あの子は大丈夫よ。でも、大丈夫な事が心配ね。多分、まだ泣いてないわ」

「そうか。気をつけて見てあげたほうが良い」

「ええ。そうね。そういえば、笹木先生が入学式の時に言ってたわ」

「何て?」

「校長会で話があったんですって。

 幼児期は肌を離すな。しっかり抱っこをしてお乳を飲ませる事や、抱き癖なんて言わないで子供が望んだ時にはしっかり抱っこをしてあげるって事ね。

 小学校は手を離すな。もう、常に抱っこをしてる必要は無いけれど、ちゃんと愛されている事を子供自身がわかる事が必要だって事。実際に手を繋いで歩くのは低学年までだものね。

 中学校は目を離すな。もう、手を繋ぐ必要は無いけれど、あなたの事をしっかりと見ていますよ。関心がありますよ。愛していますよ。と態度で示す事が大事。

 それぞれの歳の親子の関わり方なんですって」

「そうか。中学生は難しい歳だからな。所で・・」





「あなた、美希ちゃんが養子だって事、知ってた?」

 乃り子は家に帰ると、瑠美に聞いてみた。

「うん。一度、聞いた事がある。でも、赤ん坊の頃に引き取られたから、両親は分からないと言ってたわ」

「そう。・・探したい様な素振りとかあったのかしら?」

「ううん。今のお父さんとお母さんが好きだからって。探してなかったと思うよ」

「そうなの?」

「・・ねぇ、お母さん。今日、水原さんと一緒にいたの?」

 瑠美に探るような眼差しを向けられている事に気が付いた乃り子は、仕方ないというように笑う。

「そうじゃないわよ。軽くお茶しただけ」

「そのまま、デートして来ても良かったのに」

「こら。水原くんは既婚者よ」

「なんだ。残念」

「貴方が残念がってどうするのよ」

 乃り子は瑠美が言葉では残念がっていても、心の内ではホッとしている事がわかった。

 母親の幸せを願ってはくれているのだ。ただ、まだ心の中にざわめきが生じる年頃ではある。


 実際に、カフェの帰りにそんな雰囲気になったが、言うつもりはない。

「田辺さん・・いや、今は乃り子でもいいか?」

「何よ、急に」

「・・いや、乃り子の旦那さんって・・」

「あぁ。病気がわかったのが瑠美が五年生の頃だったかな。ガンだったのよ。若かったから進行も早くて・・一年後には・・」

「そうか・・」

「水原君は?お子さんは?」

「今年の春に生まれたんだが、中々、ゆっくり家に帰れてないからな。数回しか会って無いんだ。きっと、俺の顔を覚えてもないよ」

「じゃあ、今日は早めに家に帰ってあげたら?」

「いや、嫁さんと子供は嫁さんの方の実家に帰ってるんだ。一人で世話は大変だからって。俺が家に帰れても夜勤明けで一日中寝てたりするから・・」

「そうね。まだ小さいと色々大変よね」

「あぁ・・」

 見つめ合う二人。一瞬、そのまま唇が重なるかと思えたが、

「じゃあ、水原君がするべき事は一つね。今から、奥さんの実家へ行く事。手土産にケーキを持って行けばいいわ」

「はぁー。・・だな。そうする。じゃないと本当に顔を覚えてもらえなくなる」

 

 



「あなたと岡村美希の秘密を知っている」

 暗がりの中で二人は向き合っていた。





 乃り子と別れた水原はその足で、警察署に戻った。

 乃り子にはああ言ったが、今は妻の実家との関係もあまりいい状態ではない。十分やそこら顔を出したからと言って、急に関係性が進展する訳じゃない。必要なら、十分に時間の取れる時に話し合う方が良い。

 また、実際に仕事の途中であった事は事実である。だが、その事を説明する気はなかった。





 次の日の朝も警察署にて、水原と柏木は再度資料を読んでいた。何か見落としは無いか。


 と、楓がデスクに近づいて来た。

「新情報。今回の被害者達は皆、S医科大で養子縁組をしていたわ」

「本当か?柏木。裏を取るぞ」

「はい」



「確かにそうです。その三人は同時期に養子縁組をしていますね。ただ、情報は非公開で、里親達にも明かされていませんよ」

 S医科大学の船木教授はパソコンの画面に映し出されたファイルを水原達に見せた。

「詳しい情報を」

「ウチは民間の斡旋事業社と提携をしています。産婦人科・小児科に回って下さい。そこが密に連絡を取っていますから」

 水原達は教授からメモを受け取ると、部屋を後にした。


 その後、産婦人科・小児科の医局へ出向いた後、倫理委員会まで話を聞きに言ったが、結局、大した情報は得られなかった。

 病院の倫理委員会と何とか話をつけ、民間の斡旋業者に話を聞きに行ったが、資料自体には実親の情報は年齢と既往歴きおうれき(病気の履歴)しか載せない事になっているという。そして、

「結局、特に目ぼしい情報がありませんでしたね。全員既往歴無し、年齢は十四歳、二十六歳、二十九歳とバラバラ」

「あぁ。だが、ここにも岡村美希の事を聞いた電話があった事は重要な手がかりだ」

 と、水原の携帯が鳴った。

「はい。・・・そうか。監視をつけろ」




 学校からの帰り道。瑠美は市の図書館へ寄る事にした。気になっていたのが、木崎が十五年前の新聞を調べていた事である。

 十五年前って、木崎先生がまだ学生の頃で、笹木先生が担任をしていた頃よね。

 地方紙は、ここN市内を中心とした近隣市区の情報が載せられている。

「あー。どこの中学校か聞けばよかった」

 瑠美が独り言を呟くと

「誰の中学校?」

 と、後ろから声をかけられた。

「野添君。どうしてここに?」

「勉強。テストが近いからね。僕は塾通いしていないから」

「そうだったんだ。それで、学年二位なの?凄いね」

「別に。僕の場合はそれが得意ってだけだから」

「スゴい。そんなセリフ言ってみたいわ」

「所で、田辺さん。新聞見てたの?」

「うん。木崎先生の見てた十五年前って何かあったのかなって。私達が生まれる前?生まれた頃?」

「僕たちが生まれる前だね。でも、お母さんのお腹にはいた頃だよ」

「あぁ、そっか。それで、新聞って地方紙だったでしょ?」

「うん。日付は〇〇月〇〇日だよ」

「スゴい。覚えてるの?」

「映像記憶って訳じゃないけど、一瞬だけど確認した」

「スゴい。普段から見てるところが違うのかー」

「・・」

 顔を背ける野添。

「どうしたの?」

「いや。あんまりスゴいスゴい言われると、照れるなって。あと、凄くない所見られたらどうしようってプレッシャーが・・」

「あ、ごめん。そういう訳じゃないから。単純に感想なだけで」

 野添はほんのり顔を赤らめた。

「・・田辺さん。それワザとなの?」

「えっ?何が?」

「いや。気がついてないなら良いよ。何でもない。それより、新聞見たいんでしょ。取りに行こうよ」

「うん」



 過去新聞のコーナーへ行くと、

「待って。あれ、高崎じゃない?」

 野添が指差した先には高崎がいた。

「本当だ。高崎君、今日、学校に来てなかったよ」

「そうだね。ずっと図書館にいたのかな?」

「何してたんだろ。っていうか、高崎君も新聞見てる?」

「あ、戻した。多分、アレだと思う」

 二人は高崎に見つからない様に反対側から回り込んだ。果たしてそうであった。

 そして、

「十五年前に、女子中学生が連続で行方不明になってるみたい」

「そうみたいだね。W市って隣だよ。同一犯の可能性があるって書いてある」

「なぜかしら?」

「多分、警察は何か共通点を見つけてたんじゃないかな」

「そうなんだ。何だろ」

「田辺さん、明日W市まで行ってみる?土曜日だし。もっと詳しく書いてある新聞があるかもしれない」

「うん」



「じゃあ、明日。駅で待ち合わせで良い?」

「うん。十時に」

「わかった。でも、本当に送っていかなくて大丈夫?」

「うん。ここからならバスで直ぐだから。野添君も電車、乗り遅れないで」

 瑠美は駅へと向かう野添を見送り、自身はバスへ乗るべく、反対側へ歩き出した。

 と、その様子を背広を着た目つきの悪い二人組が見ていた。

「はい。・・いえ、別々です。・・はい」

 





 

 翌日、身元不明の男性の遺体が発見された。持っていたのは家の物と思われる鍵だけであった。

 体の中心部に複数刺し傷があり、その内の一つが肺に達していた。空気が入って即死状態だったと思われる。

 そして左手の親指の付け根には、ぐるりと円を描いた傷があった。だが、それは相当に古い傷であった。

「この傷って‥」

 柏木が左手を持ち上げてみせる。

 と、その時、水原の携帯電話が鳴った。


 岡村美希の母親からで、家に下田がやって来たのだが、娘のパソコンを勝手に見ていて、咎めたらそのパソコンを持って逃走したという事だった。

 水原はすぐ様無線に手を伸ばす。

「非常線を張れ」

 数十分後、橋の下で岡村美希のパソコンをコンクリートの壁に投げつけている所を発見された。



 広い部屋の中、下田は俯き加減で何やらブツブツ言っていた。こちらが何を聞いても、宥めても透かしても反応は無く、終始俯き加減であったが、部屋に警官が一人入って来て、水原に耳打ちをした後、

「君のパソコンの中を見せて貰ったよ。消去してあるデータも復元させて貰った」

「‥」

 ふと視線を上げた。が、その目は異常者が持つ独特の眼差しだった。

 下田のパソコンを調べると、児童ポルノが沢山あった。

「彼女に手を出そうとして抵抗されたから殺したのか?」

「違う。彼女は大人だ。俺の範囲外だ」

「だが、」

「違う。ね、年齢じゃ無いんだ。あの純粋さは。歳だけじゃなくて幼さの持つ独特の雰囲気は、俺にはわかるんだ」

「お前っ」

 柏木が今にも胸ぐらを掴みかねない勢いで怒鳴る。二人の間に身体を入れて制止する水原。

「じゃあ、何故殺した?」

「殺してない。だが、脅されていた・・」

 ペドフィリアである事をネタに美希に脅されていたらしい。テストの中身を教えろと。

「最初は、俺の教科だけだったが、どんどん要求が増えていった。学校で作業をしながら、盗めるヤツだけは何とかしてたけど、もう限界だったんだ」

「それで、殺した?」

「だから、俺じゃないっ。第一、彼女はそんな事をしなくても実力でトップを取れる筈だ。キチンと勉強さえしていれば。それとなく言った事もあるが無駄だった。彼女は何だか怖かったよ。正直、誰かが殺してくれてホッとしているんだ。もう脅されなくて済むってね」




 マジックミラーの向こう。

 八木は取り調べの一部始終を見ていた。

 ドアが開き水原が入ってくる。

「どうだ?」

 先程まで水原は柏木と取調室にいたが、ベテラン刑事が来たので、尋問を交代した。

「彼がペドフィリアかという質問ならイエス。彼が岡村美希を殺したかという質問なら、恐らくノー」

「何だ、その恐らくってのは」


 鏡の向こうでは、下田が如何に幼児性が素晴らしいかを恍惚とした表情で語っている。それに対して我慢の限界が来たであろう柏木が殴りかかろうとした所を、ベテラン刑事に止められていた。


「小児性愛者は外国でも殺人者よりもレイパーよりも蔑まされていて、重罪な理由があるの。

 小児性愛者の九割は最終的には子供に手を出すのよ。そしてその欲望は別れるわ。自分の性的な欲求を満たす為なのか。それとも、今彼が語っている様に、対象者の幼児性を保つ為か。大人になる事は汚れる事だと考えている人間は後者を選ぶ。そして彼は恐らく後者」

「だから、下田の言うところの大人の岡本美希は殺さないって?もう脅されたくないから殺したって可能性だってあるだろ」

「いえ。そうではなくて、ホッとしたと言ったでしょう。その思考は、自分は手を汚したくないけど、問題は解決したい。だから面倒な物事を誰かに代わりにやって欲しいという子供っぽい気持ちの現れなの」

「演技かもな」

「真っ直ぐ斜め下を見つめたわ。人間は想像で嘘を吐く時は聞き手じゃない方の少し上を向く傾向があるの。もしくわ、自分に自信があれば相手の目を見つめるのよ」




 十時に待ち合わせをした二人は、W市行きの電車に乗り込んだ。

 W市へ着くとさっそく市立図書館へ向かった。

 昼になり二人はマックへ寄ってお昼ご飯という事になった。

「結局、大した情報なかったね。全員中学校もバラバラで特に共通点も無くて」

 言うと、瑠美はハンバーガーを一口齧る。

「そうだね。結局見つかったって報道は無いから、生きているのか死んでいるのかもわからないんだ」

「やっぱり、中学生探偵はここまでが限界かしら」

「ふっ。田辺さん、いつから中学生探偵になったの?」

「え?今よ今」

「あははは。田辺さんって面白いんだね」

「そう?」

「全然知らなかった」

「野添君は美希とばかり話してたものね。私の事は眼中になかったでしょ」

「そういうわけじゃなかったんだけど、岡村さんとは委員の話だったり勉強の話をしてたから、そんな印象かもしれないけど、本当は田辺さんとも話をしてみたいと思ってたんだけど・・いや、今更だよね」

「ふふふ。いいのよ、別に。美希は魅力的だもの。野添君も美希の事好きだったでしょ?」

「え?僕が?」

「みんな言ってたわよ。その内、二人は付き合うんじゃないかって」

「ええ?全然、知らなかった。あり得ないよ」

「どうして?」

「どうしてって・・」





 日曜日は生憎の雨だった。もし、天気が良かったら野添君を散歩に誘いたかったのに。

 瑠美は窓を伝う雨の雫に指を這わせた。

「もう」



 野添は自室で勉強していた。

 ふと窓の外に目をやる。雨が降っているので、今日は図書館へ行かず、家でやる事にしたのだ。

 もし、田辺さんが一緒に勉強をしても良いなら、自分が分かるところを教えても良いし。今度、誘ってみようかな、などと考えていたが、ふと、パソコンのファイルを開いた。

 本当に映像記憶では無いが、覚えたい映像を少しの間、記憶に留めて置けるのだ。その能力を使って、岡村美希とテストの答え合わせの時に彼女の答案の不正解の箇所を覚えて、記録していた。さして難しくは無い。何故なら彼女は殆どの教科を満点を取るのだから。

 だが、おかしいなと思い始めた点がいくつかある。普通勉強していると、関連で覚えるべき箇所があるのだが、彼女はそれがバラバラなのだ。その事を指摘すると、ほんの一瞬だが彼女の雰囲気が変わったのだ。

「別に一位を取る事に拘りはないけど、そこに不正があったのなら、許せない事だよね」

 



 ブーー ブーー ブーー

 高崎は携帯を手に取った。新着でメールが届いていた。

「うるさいな」



 

 明けて月曜日、学校で瑠美は移動教室のため、野添と一緒に廊下を歩いていた。

 と、向こうから高崎が現れた。手にはナイフを持っている。

 騒ぐ生徒達。場は一瞬でパニックに陥った。

 高崎は瑠美を目掛けて走るって来る。瑠美は動く事が出来なかった。周りの音も一切何も聞こえず、鈍い銀色のナイフの先が、窓から差し込む日差しを受けて一点光っているのがやけに鮮明に見えた。

 刃が近づいてくる。そう思った時、腕を引かれ、身体がズレると同時に野添が瑠美を庇う様に抱きしめた。

 視界が遮られたと思った次の瞬間には高崎は警察に取り押さえられていた。



 猫の死体の爪から高崎のDNAが検出された事を告げると、高崎はこうべを垂れた。

 その後、ナイフから、第二、第三の被害者の血液も検出された。

「でもね。刑事さん。美希を殺したのは僕じゃありません」




 マジックミラーの後ろ側、水原と楓は腕組みをしながら高崎を見つめている。

 と、その時、楓の携帯に着信があった。科捜研からである。

「もしもし。‥え?‥‥‥そう。わかったわ。ありがと」

 通話を切ると、水原にそっと耳打ちした。

 猫の死体には他にビニール紐も巻きついており、その切れ端から、高崎陽平ともう一人別の人物のDNAが検出されたというのだ。




 学校帰り瑠美と野添は一緒に歩いている。

 学校側は、生徒達をすぐに帰して臨時休校扱いにしようか検討した結果、本日は通常通り授業を行い、明日の臨時休校を決めた。そして、明後日の課外活動は予定通り行うと言う事になった。

「ごめんね。野添君、反対方向なのに送ってもらって」

「いや。心配だったから。だってショックだよ。やっぱり」

「うん。怖かった。身体が動かなかったもん」

「カウンセリング室行ったんでしょ。田辺さんだけでも、早く返して貰えば良かったのに」

「うん。でも、何だか帰りたくなくて。逆に学校にいる方が、周りに人がいる方が安心するって言うか」

「そうなんだ。田辺さんが無理してたんじゃなかったら良いよ」

「うん。でも、木崎先生、様子が変だった」

「どんな風に?」

「なんていうか心ここに在らずって感じ」

「あんな事があったからね。先生だって怖かったんだと思う」

「そうね・・」

 確かにそうなのだが、他の大人達は怖いくらいの表情で生徒の心配をしていたのに、彼女は何かに酷くイライラしているようだった。それを悟らせまいとしていたのだが、時折、小声で何かを呟いていた。

「ところで、ごめんね。田辺さん」

「え?何の事?」

「ひょっとしたら、田辺さんが襲われたのって俺のせいかもしれない」

「・・どうして?」

「実は、昨日、高崎にメールしたんだ。『田辺さんに近づかないで』って。高崎の神経を逆撫でしたのかもしれない」

「・・何でそんなメールを?」

「関わらせたくなかったから」

「私に?」

「うん。この間、俺、田辺さんに言ったよね。岡村さんと付き合うとかはあり得ないって」

「うん。理由は教えてくれなかったけど」

「実は以前に高崎に言われたんだ。秘密だけど、自分は岡村さんと付き合ってるから岡村さんに近づかないでって」

「え?それは・・多分、嘘だと思う」

「うん。俺もそう思った。だから、誰にも言ってなかったんだけど、こんな状況になったから言うけど、高崎は思い込みが激しいタイプなんだと思う。だから、その、田辺さんに何かあったら嫌だなって思ってメールしたんだけど、軽率だったよ」

「うん、でも、それは、私の事を心配してくれたって事でしょ。だから、そんなに気にしないで」

「ありがとう。田辺さん、優しいね」

「え?私?野添君の方が優しいと思うけど」

「そんな事ないよ。・・田辺さん。一つ確認させて」

 野添の声のトーンが少しだけ下がった事に瑠美は気がついた。

「何・・を?」

「岡村さんから何か聞いている事ってない?」

「・・何かって何?高崎君の事?」

「高崎の事でもそうだし、・・例えば、模試の事とか」

「テストの事?特に何も。テスト期間中は一緒に勉強する事もあったし、美希が塾の時は私は家で一人でしてたし、別に普通だと思うけど」

 瑠美は野添を見つめたが、彼は視線を合わさない。

「ふーん。・・ねぇ」

 野添は瑠美の両腕を掴んで、顔を覗き込んだ。

「何?野添君。痛い」

 そんなに強い力ではなかったが、心が驚いていた。いつもの優しい野添とは雰囲気が違っていたので。

「本当に?」

「だから・・何が」

 声が震えた。

 野添は答えず、瑠美の目を見つめる。

 薄ら涙の浮かんだ瑠美の瞳は、動揺を隠せずに左右に揺れた後、わずか0.2秒ほど野添から視線を外し、また見つめた。

「うん。本当みたいだね」

 野添は瑠美から手を離す。

「ごめんね。怖がらせて。痛かった?そんなに強く掴んだつもりなかったけど・・」

「ちょっとだけ痛かった。男子の力のそんなにって、女子には十分強いよ」

「あ、そっか。ごめんっっ。大丈夫?アザにならないと良いけど」

 慌てた様子の野添に瑠美は、ふふっと笑った。先程までの雰囲気が嘘の様に柔らかくなったからだ。

「うん。大丈夫よ。アザになるほどじゃなかった」

「良かった」

「でも、野添君。怖かったよ」

「うん。ごめんね」

 野添は思考を巡らす。

 恐らく、岡村美希は何らかの方法でカンニングをしていたか、もしくは試験の問題を知っていたに違いない。それを高崎が知っていたか、あるいは共犯か。高崎もトップというわけではないが、悪い成績ではなかった。

「もう。何でみんな、美希の事をそんな風に聞くのかな?」

「え?」

「刑事さんも、木崎先生もみんな、『美希ちゃんってどんな子?君だけが知っている秘密は無い?』って。美希、良い子だったよね?そりゃあ、ダメな所もあるし、ちょっと怖いところもあるけど、多かれ少なかれ、私達みんなそうじゃない?」

「そうだね」

 野添は微笑みながら頷いた。

 田辺瑠美は、岡村美希の本性を知らない。野添はそう確信した。だとしたら、わざわざ知らせる必要はない。ここ数日、田辺瑠美と一緒に行動していて、本当に良い子だなと思った。高崎に関わらせたくないと思って、牽制したつもりが、予想以上の行動で驚いた。まさか、ナイフを持ってくるとは思わなかった。瑠美に怖い思いをさせてしまった。






 月が変わり、暦の上では秋が訪れていた。

「本当に、こんな時に、課外活動をするんですか?」

 教頭が笹木に詰め寄る。

「前から決まっていた行事だわ。それに、中止をした方が生徒に動揺を与えます。明日からテスト週間に入る事ですし、私も一緒に行きますから、何かあれば私が責任を取ります」

「下田先生の事だって・・」

「それも、当面の間は生徒には伏せておきます。警察も公にしないと約束してくれましたし、岡村さん夫妻にも理解して頂けましたから」

 演劇鑑賞会の為、生徒は市の公会堂へ向かう。演目は「サロメ」である。

 バスに揺られながら、瑠美は景色を流した。

 そういえば、美希、サロメ好きだったな。見たかったよね、きっと。と思った瞬間、唐突に涙が出て来た。そして涙は止めようと思っても止まらず、次第に嗚咽へと変わった。

 クラスメイトが何事かと心配をしてくれる。

「先生、田辺さんが・・」


 乃り子は車を走らせた。学校から連絡を貰ったのだ。演劇鑑賞会へと向かうバスの中、突然、瑠美が号泣し出したと。

 その後、どうにか落ち着いた瑠美は、演劇は鑑賞したい旨を臨時の担任へ伝えたが、精神的な問題を懸念した木崎の判断で、帰りは保護者引き取りという事になった。

 もうそろそろ終わる時間だと思われる頃、乃り子は公会堂へ到着した。乃り子は駐車場からホールへと足早に向かった。

 ちょうど、生徒達がホールから出て来た。臨時の担任が乃り子に気付き、瑠美を引き渡す。瑠美を抱きしめた乃り子は、そのまま瑠美の肩を抱いて駐車場へと向かった。

 と、その時、険しい表情をした柏木刑事がエレベーターから降りて来た。駐車場で人が殺されているらしい。そして、館内の入り口から刑事達が一斉に入って来る。その刑事達の視線の先にいたのは、笹木元子。


 乃り子は元子と目があった。乃り子と瑠美を見つめるその慈愛の眼差しに、乃り子は気がついた。

「あなた‥」

 次の瞬間、元子は刑事達に拘束された。

「岡村美希の母親ですね」

 笹木は警察に連行された。




 高崎が、美希の跡をつけていた時にもう一人、後ろをつけていた人物がいたと証言した。

それが笹木元子であった。

 



 身元不明の男性の遺体は、歯の治療痕から結城誠である事がわかった。笹木の元教え子である。そして、その時期にその付近で行方不明になっている女生徒がいた事がわかった。


「美希を殺したのは、私です」

 伏せていた顔をすっと上げた。


「結城真は教え子でした。聡明で、大人で優しかった。まだ、中学生なのにとても魅力的な男性だった。そう、あの子はもう男性然としていたんです。当時、女子中学生が行方不明になる事件が起きました。あの子は、私に言ったんです。犯人は自分だと。公表されていない生徒の情報も、殺した手口も教えてくれました。そして家の庭に埋めたと」

「結城誠のポケットに入っていた鍵の場所だな」

「はい。私の両親の家です。私が誠にあげました。二人が合う場所として。当時既に両親は亡くなっていて、私は学校の近くにマンションを借りていましたから。その家で、死体が埋まっている家で、あの子は私を抱いていたんです。その狂気がとても怖かった。でも、私の妊娠はもう堕ろせないところまで、来ていた」

 昔を思い出している元子。

「私は、美希を産みました。ですが、直ぐに養子に出しました。彼には、もちろん知らせていません。誠は頭が良すぎて、周りの子達と会話が成立していませんでした。妊娠に気づかれる前に、あの子は特殊教育機関へと移りましたから。その後、精神病院の入退院を繰り返していたようです。それは木崎先生から聞きました」

「彼女を殺害した理由は?」


演劇鑑賞会の最中

「サロメ」の終盤は、サロメが大王の前で長尺で踊り倒すシーンが見せ場だ。

 その少し前、元子は静かに舞台袖を後にした。開演前に校長挨拶があり、終わった後、席へと促されたが、ここで良いと断っていた。

 携帯で相手を駐車場に呼び出す。

 暗がりから現れたのは、木崎絵里子だった。



「ごめんなさいね。鑑賞会中に呼び出して。でも、私も忙しいから。今なら話を聞いてあげれるわ」

「先生。美希さんは先生の娘さんですね。私、思い出したんです。あの時、先生が妊娠していた事を。でも、気付いている人はいなかったと思います。その後も先生のお腹が大きくなる事はなかったから、私、堕ろしたのかと思ってました。でも産んでいたんですね。


 相手は結城先輩ですね?」



「木崎先生は、生徒達のカウンセリングを終えた後、私に教えてくれました。美希の対外的な評判を聞いて、あの子に違和感を覚えたそうです。やはり公認心理士ですね。その辺は熟知しているのだと思いました。

 彼女は私の役に立ちたかったと言っていました。それで色々調べた様です。十五年前の事も。

このままだと、いずれ真実に辿り着くと思いました。

 私は生徒達の精神的なケアを望んでいただけで、美希の本性を暴かれる事を望んではいなかった。

 可哀想な被害者としての美希を守りたかったんです」




 木崎が一生懸命に説明をしているが、その言葉は笹木の耳には届いていなかった。

「・・それで、先生。私、思ったんですけど・・うっっ」

「木崎先生、ごめんなさいね」

「え?」

 笹木の手元を目で追うと、その視界に捕らえたのは自身の胸の真ん中に刺さっているナイフ。

「先・・せ・・い」

 笹木はナイフを引き抜いた。






「田辺瑠美の後をつけたのもあなたですか?」

「ええ。もし、あの子も美希の正体に感づいていたらと思うと怖くてたまりませんでした。でも、彼女は・・木崎先生の言った通りに普通の中学生でしっかりした所もあるけど幼さもある子で、美希の親友なのがわかりました。

 美希が田辺さんに見せていた姿は、恐らく美希の理想の自分だったんだと思います。内に眠る狂気なんかに気がつかないで、いえ、狂気を持たずに生きて行きたかったんだと思います。自分は養子かもしれないが、優しい両親に愛されて、仲の良い親友と学生時代を過ごし、大人になって、当時を振り返った時に笑い合える。そんな人生を歩みたかった筈です。私も、そんな人生を歩ませたかった。


 ですので、美希の事を一度も探した事はありませんし、尋ねたい衝動にかられる事はあっても実行に移す事は無かった。でも運命の悪戯か、私のいる中学にあの子が入学して来ました。私は一眼見た時に、娘であるとわかりました。ですが、このまま、校長と一生徒として卒業するまでの関係でいようと思いました。でも、ダメですね。我が子を見ると、どんな風に生活を送っているのか気になって、学校の帰りに後を付けたりしてしまいました。その時に見てしまったんです。

 美希が動物を虐待している様子を。そして自分に気がある高崎君にもそれを強要していました。


 美希は誠の血を受け継いでしまった」


 元子は静かに俯いた。


「私の家に、猫の死体を置いたのは、高崎君ですか?」

「あぁ。本人がそう証言している」

「美希の後をつけていたのを見られていたのは気が付きませんでした」

「高崎は、岡村美希が結城誠といたであろう時間にメールを受け取っている。そのメールの中に貴方が本当の母親だと書かれてあってそうだ」

「そうですか。では、美希の遺体が発見された時、彼は結城が犯人だと思ったでしょうね。猫の死体は自分はその事を知っていると思わせる為かしら」

「あぁ。恐らく」

「被害にあった女生徒達の殺害の計画も高崎君がした事ですか?それとも・・」

「・・そのメールに岡村美希から指示があったそうだ。結城誠の経験と一緒に。いつ、誰を、殺すか。そして、シリアルマークを残す事。それらを実行するにあたって必要な道具等も書き込まれていたよ。準備しておくようにって」



「では、私が美希に呼び出されたのは、その後の事ですね。

 本当に十五年ぶりに中に入りました。家は人が使っていなければ直ぐに朽ちてしまいますね。まるでお化け屋敷になっていたわ。

 そして、美希の傍らには、半裸の男の死体がありました。誠なのはすぐにわかりました。美希が殺したであろう事も。恐らく、誠と格闘したのでしょう。美希の顔も腫れていて、鼻血が出た跡がありましたから。

 そしてその横に美希は悪びれもせず立っていたんです。微笑みを浮かべて。誠にそっくりな笑顔で」

 元子は辛そうに眉根を寄せた。


「この人が、私の生物学上の父親なんでしょう?生物学上のお母さん。でも、男ね。私を犯そうとしたわ。だから、殺したの」

 美希はナイフで喉を引き裂く真似をした。


「今度の課外授業、演劇鑑賞だったわよね。サロメの。

 大人は一々理由をつけたがるし、様々の解釈をしたがる。

 サロメはヨカナーンにキスがしたかっただけよ。欲情したの。

 させてあげれば良かったのに。馬鹿みたい。あははは。あーーーはははは」

 言いながら、両手を広げてクルクルと回り出した。


「それから、あの子は自分の親指の付け根にナイフを押し当て、ぐるりと円を描く様にして傷をつけました。流れる血をあの子は笑いながら、舐めたんです。一瞬、誠に見えました。あの子も私に殺人の告白をした時に、同じ事をしました。私は、怖かった。それと同時にこの子を守らなければと思いました。

 それで、殺しました」


 取調室の椅子に座って伏し目がちな元子は何とも儚げな表情を見せている。

 すっと顔を上げた。

「サイコキラーは遺伝する」

 その頰を涙が一筋伝い落ちた。






「あの時、確かに彼女は母親の目をしていたわ」

美術館の中を乃り子と水原は歩いていた。

「母親の目?」

「ええ。あれは、そうよ。眼差しは聖母なの。とても、人を殺した直後とは思えない。でも、人を殺した直後なのがわかる」

「どういう事だい?」

「聖母って慈悲深いでしょ。そうね、清濁併せいだくあわむということわざがあるけど、多分、同じ解釈だと思う。良い事も悪い事も一緒に取り込むのよ。それが出来るという事は、例えばその心の中に袋があるとして、慈悲の袋もとっても深いの。それと隣にある業の袋もとっても深いのよ。そんな心境にあるという事よ」

 水原は何とも言えない顔をしている。

「君のいう事は、昔から時々わからない」

「ふふふ。そうね。水原君は昔から素直だった」

 二人はモネの蓮の葉の絵の絵画の前へ。

「これ、何かわかる?」

「蓮」

「蓮って綺麗よね」

「あぁ。あとは、お釈迦さんの花だろ」

「そう。じゃあ、この池って綺麗だと思う?」

「いや・・。悪いけど、暗い色してる」

「そうなの。蓮って泥水の上に綺麗な花を咲かせるのよ」







 


 事件前夜

 岡村美希は塾をサボろうか悩んでいた。さっき、学校の駐車場で下田にあった時に、次のテストの問題を渡す様に脅しておいたし、秘密を知られたくない彼はそうする筈だから、何も気分が乗らない日に勉強をする必要がない。

 でも、あまりサボってばかりだと、塾から家に連絡が入るだろう。それも面倒だ。と、思いながら公園の中には入った。何か小動物がいたら、殺してから塾に向かってもいい。

 と、目の前で男が立ち止まった。

 美希はジッと見つめた。変質者かしら。だとしたらどうしようか。襲われて怪我でもすれば、塾を休む言い訳になるわね。適度なところで、この男のアキレス腱を切ってやれば追いかけては来れないだろうし、良いかもしれない。怖がるフリをしなきゃ。

 そんな事を一瞬のうちに考えていた美希だが、男の言葉は美樹の想像に反したものだった。

「今晩わ。僕の可愛い分身ちゃん」

 美希は驚きながらもジッと見つめた。目が私と似ている。

「お父さん?」

 誠はニッコリ微笑んだ。



「何処に行くの?」

「んー。君のお母さんの実家」

「私のお母さんって誰?」

「ふふふ。後で教えてあげるよ。おいで、良い事を教えてあげる」

 二人は電車を使い元子の両親の家へ向かった。

「ここだよ。入って。あぁ、靴は脱がなくて良いよ」

「何ここ。大きい家だけど、お化け屋敷?」

「だよね。昔は綺麗だったんだけど」



 リビングルームのテレビのチェストの上に写真が飾られている。大学の卒業式らしい女の人が両親と写っている。

「誰?」

「君のお母さん」

「だから、誰?ついて来たんだから教えてよ」

「んー、その前に良いもの見せてあげるよ。きっと気に入る」

 誠は、テレビのチェストに近づくと、引き出しを開けた。中からビデオテープを取り出す。

「これ、見せてあげたいけど、電源が無いから見せてあげれないや。後で見て。・・と、これだ」

 誠が引き出しの奥から取り出したものは、写真の束だった。


 美希と同じ年頃の女の子達。全員、違う学校の制服を着ている。

 どれも一枚目は泣きそうに歪んだ表情なのが、口に貼られたガムテープ越しにもわかる。

 二枚目、三枚目と見ていくと、段々と女の子達の肌が露出し始め、また傷も増えていった。

「これはねぇ、もう死んじゃうちょっと前」

 そう言って誠が指した写真の女の子は顔も倍に膨らんで、目もアザだらけてマトモに開けていられない状態だった。

 身体の前で縛られている手首も、長い拘束時間である事が、擦れて赤黒くなった手首から見て取れた。

「最初、キツく縛りすぎて、血管止めちゃってね。紫になっちゃった時は焦ったよ。これから楽しみたいのに、まだ早いよって。僕のせいだったけどね。思わず殴っちゃった」

 ニッコリ笑顔の誠を見ながら、本当にこの人は私のお父さんに違いないと思った。そして、写真をよく見てみると、

「ねぇ。この親指の傷。お父さんの指にある傷と一緒?」

「うん?そうだよ。こうやって全員に、僕の獲物っていう印をつけたんだ。君も真似して良いよ。僕の分身だから。・・ナイフ持ってるでしょ。貸して。教えてあげる。折檻の仕方を色々と」

「わかった」

 そう言って取り出したナイフを、誠は奪い取った。

「君を使ってね」

 誠はナイフを美希に突き付けた。



 椅子に座り、手足を投げ出しダラリと首を垂れている美希。その手には・・。


 の目の前に、両手と両足を縛られた誠が転がっていた。

「ちょっと、疲れたんだけど。お父さん。これからは大人の男を襲う時は気をつけるわ。後が大変だもの」

 言うと、椅子から立ち上がり、手にしたスタンガンのスイッチを入れた。

「今のご時世、変質者避けにスタンガンはマストなの。それに、私の事を分身って呼ぶ人間に、何の警戒もせずにナイフを渡すわけないじゃない。馬鹿なの?」

 誠は片目を開けて美希を見やると、薄らとわらった。

「んー、流石だねぇ。僕の分身ちゃん。それで、どうしたい?」

「まずは、聞きたい事があるわ」

「お母さんの事?」

「それもあるけど、どうやってここに連れて来たの?あの女の子達」

「・・・あっはっはっはっはっ。くくっっ。聞きたい事ってそれ?」

「あとどうやって拷問したの?」

「折檻」

「何が違うの?」

「拷問は、尋問で欲しい答えが得られない時に身体及び精神に与える快楽及び苦痛の事さ。折檻は、質問も答えもない。ただ、相手に与えるだけさ」

「わかったわ。やり方は?」

「ふっ。わかったわかった。順番に教えてあげるよ。でも、その前にトイレに行きたい」

「どうぞ。そこでして」

「後ろ手に縛られているからズボンが脱げない」

「そのままして。私は気にしない」

「ふっ。わかった。嘘だよ」

「でしょうね」

「まぁ、したくなったら漏らすさ」

「ええ。どうぞ」



「まず、君の母親は、笹木元子さ」

「・・・そう」

「ショック?」

「・・そうでもないわ」

「あれ?気付いてた?」

「・・そうね、もしかしたらっ」

「ふん。嘘だね」

 誠は美希の顔をじっと見つめる。美希は、先に視線を外した方が負けとばかりに誠から視線を外さなかった。

「あぁ。そうか。あんなに近くにいたのに、母親って気づけなかった事がショックなんだ」

「・・・」

「自分なら、母親に会えばわかるって思ってた?夢見てた?『なぜ私を捨てたの〜?』って責めて、『事情があったのよ〜』って言い訳して、最後は仲直りして仲良く暮らす。そりゃあ、残念」

「・・私は貴方の分身なんでしょ。そんな事思うと思う?」

「いや」

「じゃあ、馬鹿な事言わないで」

「でも、元子の反応にはショックを受けた。娘を前にして顔色一つ態度一つ変えない。果たして、気がついているのか、いないのか。気がついていて、他人然としているならそれはそれで傷付くし、娘と気がついていないならそれはそれで傷付くしっ」

「っっ」

 美希は思わず、手にしたスタンガンを誠の体に当てる。

 バチバチッ「うっっつ」

「・・ふっ。それが折檻の極意さ。いっってー」





「で、どうやって連れて来たの?」

「ナンパ」

「ふざけないで」

「ふざけてない。僕は見た目も良くて話し方も柔らかいからね。うちの中学の制服は学ランだったから、どこの中学かは自己申告しなきゃわからないけど、自分と同じ中学生って事は分かる。警戒が薄れるのさ」

「獲物はランダムに選ぶ方が良い?」

「まぁ、どっちでも。全く接点がないのも良いし、逆にミスリードの為に何かの接点を利用するのも有りさ。それはそれでやり方がある」

「なるほどね」

「でも、もっとも重要なのは、死体を発見されない事さ。死体がなきゃ、それ以上捜査の仕様がないからな。いずれ行き詰まる」

「あの女の子達の死体は?」

「庭に埋めてある。後で場所を教えてあげる。必要になるだろうから。埋める場所が被らないように」



「・・それか、もしくはこういう風にすると一瞬で死ぬ。出血多量を狙うのは案外難しいから。早くても二十分くらいかかるしね。それよりなら、って、おぃ。聞いてる?人の話」

 美希は誠に説明をさせながら、携帯をいじっている。

「聞いてる。メールしてるだけ」

「へぇ。誰に?元子?」

 美希は手を止め、顔を上げて誠を見やる。その視線はやや鋭い。

「私の操り人形。何でも言う事を聞く子」

「ふぅん。公園から出て来る時に、僕らの事をジッと見ていたあの男の子かな?」

「あぁ、見てたんだ。あ、大丈夫よ。あの子、この事誰にも言わないから。私の命令がなきゃ何もしないもの」

「正に操り人形」

「でも、この子にナンパは無理ね。陰気だし見た目も良いってわけじゃ無いから」

「君なら女同士、声をかけやすいんじゃ無い?試しにやってみれば?俺のリュックに書類が入ってる」

 美希は警戒しながらもリュックの中身を確認した。

「君を探すのに調べたんだ。その子達で試してみたら?」

「お父さんの獲物じゃないの?」

「ここに連れて来れたら、実践授業してあげる」



「ねぇ。喉が渇いたよ。流石に、しゃべりっぱなしだから。何か飲みたい」

「何かある?飲み物」

「無い。だから買ってきて」

「じゃあ、我慢して」

「わかったよ。僕のリュックに水が入ってる。ペットボトルの。それで良いから飲ませてよ」

 美希は誠を警戒しながら、リュックの中を探る。ペットボトルを手に取り、誠に近づく。

「流石に飲ませてくれよ。手は自由にはしてくれないだろ?」

「お皿か何かあれば、犬飲みさせたのに」

「ふっ。それ、僕もやった。やっぱり親子だね。思考が似てる」

 美希は一旦後ろに周り、手を縛っている縄が緩んでいないか確認した。キャップを開け、飲み口を誠の口に持っていく。

 ペットボトルの水が誠の口に移ろうかと言う時、誠は両足で美希の腹を思い切り蹴った。

「うっっ」

 後ろに吹っ飛び、うずくまった。

 その隙に誠は足抜けの要領で手を前に持ってくると、足の縄を解き始める。

「待ってろよ。可愛子ちゃん、直ぐに可愛がってやるから」

 誠は走り近づくと、蹴られた時に弾き飛んだナイフを拾いに腹ばいで移動している美希にニ度三度と蹴りを入れた。そのまま髪を掴んでフローリングに顔面を打ち付けた。

「うっっ、ゲホッ、ガッ・・」

 誠はナイフを拾い上げると、慎重に近づいた。スカートのポケットを探り、スタンガンを取り出す。

 バチバチッ

「うっっっつーーーー」

 誠は美希を仰向けにさせ、その両手を靴で踏みつけた。

「っいっっ」

「いーねー。その顔。久しぶりに興奮する。あれ?泣いてる?」

 美希の目には痛みの為に薄ら涙が浮かんでいた。

「・・どいて」

「いいねぇ。何だか楽しくなって来た」

 言うと、誠は更に腕や太腿も踏みつける。これだけでも、相手の体力を削ぐ事が出来るし、また逃げる気力を奪う事も出来た。

 案の定、美希も大人しくなった。誠は美希の上に馬乗りになると、美希の顎を掴み、その顔をじっと見つめた。

「やっぱり似てるね。元子に。つっ」

 美希は誠の顔に唾を吐いた。

「反吐が出る」

 誠はニヤリと嗤う。

「あーー。ダメだ。興奮して来た。犯るね」

 そう言って誠が着ていたシャツを脱ごうとした時、視界から外れた一瞬を狙って、美希はシャツごと誠の手に握られたナイフを掴み首元に押し込んだ。

「っっっがっ」

 捻ると即死した。


「はぁはぁはぁ。ほんっと疲れる。大人って馬鹿みたい」

 起き上がると美希は携帯を手に取る。涙で画面が良く見えない。

「何でっっーーあたし、岡村のパパとママの本当の子じゃなかったんだろうーーーーううっっ。もぉ、痛い痛い痛い痛い。あり得ないコイツ。父親だってっっっーーーーー。痛い痛い痛いよ。ーーーーー。ーーーーー。

 

 はーーー。あの、人にも、教えなきゃ。


 お母さん」


 美希は涙を拭くと、携帯の電話帳を開いた。何かの時の為にと、始業式に部外秘で学校の固定電話番号と学校長、担任の携帯電話番号が学校メールで送られていた。

 学校長 笹木元子 を押す。


「もしもし。お母さん、私。お父さんに会いに来て」






 留置場の中で膝を抱えて壁に寄りかかっている高崎。

 いつかの光景が思い浮かぶ。


 早朝

 僕達は時々、朝の早い時間に会っていた。家族には朝自習の為と嘘をついて。

「ねぇ。美希。田辺さんも仲間に入れようよ。そしたら一緒に遊べっ」

 バチンッと頬を張られた。

「馬鹿言わないで。言ったら承知しないから」

「痛い。何でさ。美希の友達なら、わかってくれるんじゃないの?美希の趣味」

「ーーーーーー」

「何?聞こえなかった」

「とにかく、瑠美はダメ」

「でもさ」

「でもじゃない。瑠美に手を出したら殺すわよ」

「ふーん。じゃあさ、僕との時間をもっと作ってよ。コレ以外にもさ。まぁ、コレも楽しいから良いけど」

 高崎は動物の死体をビニール袋に入れた。コレは、自分達が殺した訳では無い。車に撥ねられたのだろう。道路に落ちていた。そして、カラスにその死肉をつつかれていたのだ。

「で?コレどうする?」

「いつも通り捨てて」

「ふーん。何?急に可哀想にでもなったの?」

「違うわ。カラスが入れ替わり立ち替わり楽しそうにしてたから、しゃくに触っただけ」

「楽しそうにって、食事だろ?」

「そうよ。彼らは生肉を食べる。私達は調理して食べる。対して変わらないわ」

 高崎はビニール袋をゴミ集積所へ投げ入れた。

「また、見つかって騒がれるかもね」

「別に興味ない」

 美希はもう見ていなかった。




「趣味じゃない。抑えられないんだもの」

 あの時の美希の言葉、ちゃんと聞こえていたよ。つまり、美希の本当の秘密を知っていたのは僕だけって、事だよね。

 わかったよ。田辺さんには手を出さない。

「でも、野添奏多は殺したかったなぁ。目障りだったもん」














  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

殺人者の動機 木野原 佳代子 @mint-kk1001

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ