第二回 インパクト


 現実は荒唐無稽で訳が分からない。半年前に交通事故で妻と子を亡くしたオレは、彼女らの墓参りの帰りに土砂崩れに巻き込まれてしまった。偶然にも生き延びたオレは、そこで奇妙なキノコを食べてしまう。そしてオレは、そのキノコに化けていた夢幻亜人イリュージョノイドとかいう化け物と融合したそうなのだ。

 自分でもなにを言っているのか分からないほど、安っぽい三流SFのような流れである。だが、その不可解な流れによって、公安の機密特殊科学捜査課とかいう長くて面倒くさい名前をした組織の管理下に置かれたわけだ。無論、ただ管理下に置かれた訳ではなく、オレは夢幻亜人イリュージョノイドとかいう化け物の駆除とやらに協力する破目になった。

 オレは少し回想する。

 研究室でそれぞれ芹沢せりざわ悟郎ごろう一文字いちもんじダン、みさき涼子りょうこと名乗る三人と一緒にいた時のことだ。

 芹沢博士が言う。

「では、早田はやたくん。なぜ君が夢幻亜人イリュージョノイドと戦わねばならぬかという点なんだが――」

 早田というのは、オレ……つまり、酒井さかい佳春よしはるが彼らから貰ったコードネームである。

「――我々はすでに二体の夢幻亜人イリュージョノイドを駆除し、その休眠状態である、君が食べたキノコの状態で保管しているのは先も述べた通りだ。だが、夢幻亜人イリュージョノイドと融合してしまった君を元に戻すには、まだ研究が圧倒的に足りない」

「だから、その実験代わりに、私に戦えと仰るんですか?」

「話が早くて助かる。まさにその通りなのだよ。夢幻亜人イリュージョノイドは、我々人類からすれば全く未知の生物であり、超能力と言えるような特殊能力を持っている」

「特殊能力?」

「我々はそれを『特殊効果エフェクト』と呼んでいる」

 一文字だ。

「そもそも、夢幻亜人イリュージョノイドという呼称は、連中を発見した当初、奴らの特殊効果エフェクトを超能力ではなく、手品や特殊な機材を使った現象だと考えていたからだ」と続けて説明した。

「だから錯覚イリュージョン

然様さよう」と芹沢。

夢幻亜人イリュージョノイドはそれぞれに、発見した順番に沿った番号と、特殊効果エフェクトに合ったコードネームが付けられている。例えば、君が融合した夢幻亜人イリュージョノイドは【№《ナンバー》4】ビーストだ」

「ビースト」

「その名の通り、獣になる特殊効果エフェクトを持つ夢幻亜人イリュージョノイドです」

 今度は岬だ。彼女の視線がモニターに移ったので、オレもそれに目をやった。

「これを御覧下さい」

 モニターに獣の静止画像が映る。沼のように汚らしい緑色に濡れた化け物である。頭は熊のようだか、耳は狼のように立っている。体格はゴリラを思わせるように筋骨隆々である。鳩尾みぞおちから腹、てのひら以外はすべて黒い体毛が生えている。露出している肌は黒っぽい青色である。

「これが、ビースト」とオレは呟いた。

「そうだ。これが、お前が食べた脳味噌の持ち主だ」

 一文字だ。

「ちなみに、その濃い青緑の液体は、奴の血だ」

 言われなくても察しは付く。オレは一瞬だけ流し目で一文字を睨み、すぐにモニターに視線を戻した。そして気付いた。

「この写真、土砂崩れがあった川の近くじゃ?」

「そうだ。岬くん……」と芹沢が促す。

「昨夜、あなたが山道さんどうを移動しているのとほぼ同時刻・同じ場所で、我々はビーストの駆除を行っていました」

「つまり、私はその駆除作業にたまたま巻き込まれたと?」

「そうだ」

 次は一文字だ。

「駆除の途中に、ビーストが馬鹿力で土砂崩れなんか起こしてくれたもんだから、お前は無駄に巻き込まれるわ、我々はビーストを回収できないわ、散々な結果になった」

 よく憎まれ口をたたく奴だ。さらに「なんで態々わざわざ、気味の悪いキノコなんか食べようと思ったのか。全く理解に苦しむ」と付け足した。確かに自分でもそうだと小さく苦笑した。

 とにもかくにも、オレはその捜査課の研究対象として管理下に置かれた訳だが、唯一の希望は、その夢幻亜人イリュージョノイドの生態や能力を駆使すれば、死んだ妻と息子を生き返らせることが出来るかも知れないという事だ。このたった一つの事柄だけで、オレの心に空いていた大きな穴が、少しだけ塞がったような気がしたし、捜査課の実験台でも化け物退治でもやってやろうという気持ちになれた。


 オレは今、目が覚めた時にいたあの部屋にいる。真ッ白で殺風景な部屋だ。最初は気付かなかったが、ベッドの脇にサイドボードが置かれている。ほかにも壁には受話器が付いていた。ボタンが一つしかなく、どうやら此方こちらとオレの世話係かなにかと繋ぐための回線なのだろう。ただ、それ以外は天井にカメラが付いているだけで、窓すらない殺風景な部屋である。やることのないオレは、ベッドに横になってボンヤリとする。それからどれだけ時間が経ったのか分からない。なにせ時計すら無いのだ。

 突然、警報が鳴った。何事かとオレは上体を起こして、受話器に手を掛けようとした瞬間、扉からノックがした。

「僕だ。一文字だ。開けるぞ」

 声がしたかと思えば、一文字が扉を開けた。オレは扉の前に移動する。奴はさっきまでしていなかった眼鏡をしている。

夢幻亜人イリュージョノイドの出現情報があった。今の警報がその合図だ。覚えておけ。じゃあ行くぞ」

「早速ですか?」

「そうだ。急げ」

 言われるがままにオレは一文字に付いて行った。オレはすでに病衣から普通の洋服に着替えている。一文字に導かれるまま建物の中を小走りで移動した。そしてガレージにあった一見普通の自動車の助手席に座り、運転席には一文字が乗った。車が発進して、長いトンネルを走った。

「このトンネルは?」とオレは、一文字に尋ねた。

「公安の特別施設から出るんだ。簡単に居場所が知られるような仕組みになっている訳がないだろう」

「はあ」

 川の支流が本流と合流するかのように、オレを乗せた車は恐らく別のトンネルに入る。このトンネルは一般のトンネルなのだろうか。

「そうだ。現場に着く前に、お前に言っておく事がある」

「なんですか?」

「まず、うちの捜査課だが、夢幻亜人イリュージョノイドに対しては調査班・研究班、そして駆除班の三班に分かれて行動している。僕らはその駆除班になる」

「はあ……」

「次に、前にも言ったが、お前は酒井佳春ではなく、今はもう早田猛たけしという架空の人間だ。それを忘れるな」

「はあ……」

 こいつ、ちゃんと分かったのか? そう思ったのだろう。一文字は小さく舌打ちする。

「そして、今から夢幻亜人イリュージョノイドを駆除しに行くわけだが、場所は郊外よりもっと離れた山奥の寺だ」

「寺?」

「ああ。小さい寺の上に、電気も通ってないらしい」

 トンネルを抜ける。すでに夕方であった。オレは黙って、山々の向こうに沈みゆく赤い夕陽を眺めた。

「それで、一般人と遭遇する可能性があるから、僕とお前は従兄弟いとこという事にする」

「従兄弟ですか」

 オレは一文字を見た。

「そうだ。従兄弟同士で親戚の家に行く途中、行き慣れない場所で道に迷った。カーナビは故障していて、僕の携帯電話は電池切れ、そしてお前は携帯電話を家に忘れて来た……。まあ、不自然な感じもするが、ありそうと言えば、ありそうな話だ」

「はあ……」

「そして、僕に対して敬語を使うな」

「え?」

「当たり前だろ。従兄弟同士なんだ。一緒に行動するくらいなんだから、他人行儀で行動するのは不自然だ」

「分かりました」

「おい!」

「わ、分かった」

 一文字は鼻から息をく。

「現場に着いたら、お前の自動車の免許証を渡す。年齢や住所はそれを基に行動してくれ。ちなみに僕は、名前はそのまま一文字ダンで、年は二十八だ」

「ああ」

 そこから互いに一言も発することなく、現場だという山まで車は走り続けた。その山のふもとに着いたときには、すでに日は沈んでいた。さらに中腹まで、まるで迷路のような山道やまみちを上り、駐車場で車を止めた。駐車場といっても三台も止めれば満車という小さな場所だ。オレ達は車を降りて周囲を見る。明かりは全くない真ッ暗な場所である。

「ここから歩くぞ」

 一文字はそう言って、懐中電燈で周囲を照らした。

「えっと、一文字――」

「ダンだ。下の名前で呼べ。忘れてたのなら、いま覚えろ」

 一文字はオレに近づくと、オレの免許証を手渡してきた。オレの名前、生年月日、住所もすべてデタラメである。オレは酒井佳春・三十四歳ではなく、早田猛・三十二歳という事になっている。

「言い忘れていたが、お前は独身ということになっている。忘れるなよ」

 そうかい。

「じゃあ、行くぞ」

 そう言って歩き出した一文字に、オレは黙って付いて行く。駐車場から寺に向かう道の左右には無数の地蔵が並んでいて、その奥には墓石はかいしが並んでいる。そして更にその奥は森である。

「なんだか気味が悪い」

 夜中だから一層そう思う。

「寺だからな。近くに地蔵や墓地があるのは珍しくもなんともない」

 一文字がそう言って吐き捨てる。確かにそうなのだが……。

 しばらく歩くと寺の門があった。掲げられた寺の名前に光を当てるが、木製の表札はすでに朽ちていて「寺」の字しか読めなかった。門をくぐると広い庭があったが、暗くてよく見えない。奥には小さな寺がポツンと建っているのだが、いつ崩れてもおかしくないほどに朽ち果てているように見えた。

「この辺に夢幻亜人イリュージョノイドがいるのか?」とオレは、一文字に訊いた。

「こんな辺鄙なところでも、どこで誰が聞いているのか分からない。夢幻亜人イリュージョノイドのことは『奴』と言え」

 一文字は小さな声で言った。

 一文字が寺の戸を開ける。部屋の奥に十本ほどの蝋燭に火がともっているのが見えた。

「どなたですか?」

 暗闇から声がした。オレは驚き緊張する。不思議そうな顔をした山伏姿の男がこちらを見てきた。

「すみません。道に迷った者なんですが……」

 一文字は落ち着き払って答えた。

「この辺の道が思っていた以上に複雑で……」

「この辺の道は、地元の人でも迷うような所ですからね」と、山伏の男は小さく笑った。

「ええ。こんなときにカーナビは壊れるし、携帯電話の電池は切れて災難続きですよ」と一文字も笑顔を見せる。

「道に不案内なら夜道は危険だ。この辺は電気も通っていないので電燈なんて無いし、車道にはガードレールもない。悪いことは言わないから、今日はここで泊まりなさい」

「では、お言葉に甘えて。お邪魔しよう」

 一文字が寺に上がり、オレも失礼しますと後に続く。オレ達三人は三角形を作るように向かい合って座った。

「ところで、この寺は一体?」

 一文字が尋ねた。

「この寺は、誰も住んでいない寺ですよ。今は修験者や道に迷われた方が寝泊まり出来るように、基本戸締まりもしていません。それが祟ったのか、何年か前に泥棒に入られましてね。この寺にあった仏像も盗まれたんです」

「仏像を?」とオレだ。

「ええ。そこに置かれていました」

 山伏の男が、蝋燭立てのあるほうを向く。壁にはなにかの梵字が書かれた掛け軸が吊るされている。手前には木魚もあった。どうやら仏像を安置する場所だったらしい。

「金属を狙った泥棒だったらしく、金属製のものは殆ど盗まれてしまいました。まあ、六十年ほどしか歴史のない寺なので、文化的な損害は大してないようですが、まったく罰当たりな者もいたものです」

 そう言いつつ山伏は笑っている。

蒲団ふとんも五人分あるので、まあ今日はなんとかなるでしょう」

 オレはあとで気付いたが、オレの背後に和室があり、本堂の礼拝場所と合わせれば大人五六人は寝転べるはずである。ただ、山伏の男が言ったように電気は通ってないらしく、天井には電球すら無かった。

「お腹が空いたのなら、押し入れの下に食糧と飲み物があるはずです」

「勝手に戴いても構わないんですか?」とオレ。

「構いませんよ。確かに、欲張って全部取られると迷惑ですが、ここの食糧などは困った人のためにあるのですから」

「ところで、あなたも道に迷われたんですか?」

 一文字が山伏に尋ねた。

「いえ。私は山の麓にある寺で住職をやっています。ああ、ちなみにこの寺自体は別の方が管理しています。そうだ、名乗るのを忘れていましたね。私は伊藤いとうと申します。管理している方も、もう少ししたら来ると思いますよ」

「そうでしたか。ちなみに私達は、私が一文字で、こっちが早田です」

「ほう。失礼だが、どのような御関係で?」

「従兄弟ですよ。親戚の家に行く途中に、迷子になってしまって」と一文字が笑った。

「それは親戚のかたも心配してますでしょうな」

「いえ。用事自体は明日あすなので、今日は行けたら行く程度に伝えておりましたので」

「そうですか」と伊藤は頬笑んだ。

「失礼ですが、貴方はどうしてこんな所にいらっしゃるんですか?」

「私ですか? 私は見ての通りの山伏ですよ。週末は山に引き籠もって修行をしております」

「修行ですか?」

 オレがそう返すと、伊藤は「ええ」とうつむいた。気付けばさっきまでの笑みが消えている。

「以前、大病をわずらいましてね。生死の境を彷徨さまよったことがあるのです。恐らく死ぬであろうことは、医師に聞く前になんとなく分かりましたし、覚悟もしました。自分の死後、自分の寺はどうなるのか、家族はどうなるのか、私の人生は一体なんだったのか。余命幾許いくばくもない状況で、病院のベッドの上でずっと考えておりました。ですが、天の気紛れか、たまたま私の運が良かったのか、私は奇跡的に生き延びて、そんな時にふと思ったのです。私はなぜ生きているのか、はたまた生かされたのか。心の中で自問自答をしました。幸か不幸か、私の実家は仏門で、しかも長男だったこともあり、嫌々ながらではありますが、実家の寺を継いでおりました。その影響も大きかったのでしょう。私は、同様の病で死んでいった数多あまたの命を見つめながら、彼らからすれば卑怯にも生き延びました。運が良かったと言ってしまえば、それでしまいではありますが、同じ不幸の下にありながら、私は生き延びた理由、彼らが死んでしまった理由を、仏の道を通して知りたかったのです」

 オレは黙って伊藤の話に耳を傾けていた。

「まあ、実家が寺でなければ、恐らくはここまで深く考えなかったかも知れませんがね」

 そう言うと伊藤に笑みが戻った。

 オレは自分と妻と息子のことを考えた。半年前に事故に遭って、家族は死んで不運にも自分だけが生き延びてしまった。しかもその、土砂崩れに遭い、さらには変なキノコを食べてもまだしぶとく生きている。なぜあの事故で妻と息子が死ななければ成らなかったのか。なぜ自分だけ生き延びてしまったのか。そう細々こまごまと考えているうちに、もう二人の笑顔も、ねたり怒ったりした顔も永遠に見ることがないばかりか、時の流れと共に二人は記憶から風化していくかと思うと、胸が苦しくなった。

 入り口の戸からノックの音がした。戸が開いたかと思えば、筋肉質の相撲取りを思わせるガタイのいい坊主頭の男が立っていた。

「いやあ、伊藤さん。遅くなりました。おっと、ほかにお客さんで?」

 男が笑顔で言った。

山寺やまでらさん。遅いじゃないですか」と伊藤も笑った。

「ええ。道に迷ってしまってね。おっと、失礼。私はこの寺を管理しています、山寺と申す者です」

「こちらの方々は、一文字さんと早田さん。親戚のお宅に向かわれる途中で、道に迷われたそうです」

「そうでしたか。どうも」

 山寺が軽くお辞儀をしたので、オレ達も釣られて「どうも」とお辞儀を返した。

 そのあとは四人で向かい合いながら、他愛もない雑談をする。伊藤や山寺の問いかけに一文字はうまく受け流すが、オレは四苦八苦しながら受け答えをした。一文字も、オレが質問の受け答えや話をうまく処理できるかヒヤヒヤしていただろう。正直なところ、なにを訊かれてなんと返したのか、まるで覚えていない。

 ふと、一文字が腕時計を見る。

「おい、猛」

 そうオレを呼ぶと立ち上がった。

「どうされました?」と山寺が尋ねた。

明日あすの相談ですよ」

 一文字がそう言って頬笑むと、オレのほうを向くなり外に出ろと言いたげに首を振った。

「では、ちょっと失礼して……」

 オレは一文字と一緒に外に出る。回廊を歩いて和室の端まで移動する。その少し奥には小屋があり、回廊と渡り廊下で繋がっていた。

 小さな声で一文字が言う。

「あの山寺が夢幻亜人イリュージョノイドだ」

 唐突に言われたものだから驚いて、思わず「え!」と声を上げてしまった。

「静かにしろ。奴に聞こえる」

「なんで分かったんだ?」

「この眼鏡で分かるんだ」

 一文字が掛けている眼鏡だ。

「お洒落じゃなかったのか」

「当たり前だ。夢幻亜人イリュージョノイドは特殊なエネルギーを発している。この眼鏡はそれを感知して奴らの正体を見破るんだ」

「で、奴のなんとかっていう特殊能力は何なんだ?」

「そこまでは分からない。なんせ夢幻亜人イリュージョノイドは最近現れた未知の生き物だ。奴らの特殊効果エフェクトを見破る機能はまだ開発されていない」

「じゃあ――」

 オレが喋ろうとしたとき、一文字は片手でオレの口を塞ぎ、もう片方の手の人差し指が、奴の口の前で天を指した。

「誰か来た」

 小さかった声が、更に小さくなる。オレが振り向くと、懐中電燈の光らしき点が床を這っている。オレは息を呑んだ。すっと伊藤が現れる。

「おや、此処ここにいらっしゃいましたか」

 伊藤は頬笑んだ。

「ええ。どうしました?」と一文字。

「ちょっと用事がありましてね」

「用事?」

 オレの言葉に、伊藤は小屋のほうを指差して「ちょっとトイレにね」と苦笑した。

「そうでしたか」とオレ達は本堂に戻った。

 本堂では山寺が笑顔で迎えてくれた。一文字は見た感じ普段と同じ……というか、普段より柔和だが、オレは目の前に例の夢幻亜人イリュージョノイドとかいう訳の分からない化け物がいると思うと、自然と顔が強張ってしまう。無論、普段通りの表情でいるために努力しているし、腐っても元役者である。本堂には蝋燭のわずかな明かりしかないのもあって、山寺に悟られている様子もない。

「ところで、山寺さんも修験者かなにかですか?」

 一文字が尋ねた。山寺は笑って答える。

「いえ。私はただの住職ですよ。住職と言ってもこの寺ではなく、何キロか離れたところにある寺ですが。この寺は他界した父が管理していたのを受け継いで、まあ……しぶしぶ管理しているようなものなのです」

「修行……みたいな事はしないんですか?」

 今度はオレが尋ねた。

「ええ、私は。……こんな風に言ってよいのか分かりませんが、私にはあまり信仰心といったものが無いんです」と山寺は、苦笑するかのように笑った。

「私は実家の寺を継いで住職になりましたが、ほとんど惰性です。今さら申し上げるのは恥ずかしいので割愛しますが、もともと私はとある夢を志していましたが、途中で挫折したのです。そのあとは就職して嫌な上司にき使われたり、お得意先の駄々を聞いて頭をペコペコ下げたりというのが嫌だったから、寺の坊主になった……という感じです。毎朝、満員電車の地獄を見ずに済みますしね。まあ、早い話が、私はただのダメ人間なのです」

 ここで山寺が一息つく。

「それに比べて伊藤さんは立派な方だ。あの人が、修行なさる理由をお聞きなりましたか?」

「ええ」と一文字。

「あの方の話を聞いて、私はいささか恥ずかしくなりましたよ。同じように寺の住職をしているのに、片方はただの惰性で毎日心にもない念仏を唱え、もう片方は仏徒に相応ふさわしく真理を追求しようとさっている。まるで月とすっぽんだ。こんな対極にあるような二人が出会うというのも奇妙なものです」

 山寺が言い終わるのとほぼ同時に伊藤が戻ってきた。

「おや、なんの話をなさっていたのですか?」

「いやあ。あなたが素晴らしい方だと、お二人に申し上げていたのですよ」

「それはお恥ずかしい」

 そう伊藤は笑って床に座った。

 山寺が夢幻亜人イリュージョノイドである以上、オレと一文字は山寺をたおさないといけない。山寺はオレ達が夢幻亜人イリュージョノイドを斃すためにここに来たと気付いている様子はない。出来れば不意打ちで仕留めたいと一文字は思っているだろう。だが、無関係である伊藤を巻き込むわけにもいかない。この寺に泊まる表向きの理由は、単に夜を明かすためである。四人分の蒲団が敷かれて、あとは睡魔が訪れるまでオレ達は明日あすになれば忘れているであろう雑談をする。以前にも言った通り、オレは酒井佳春ではなく、架空の存在である早田猛を即興で演じなければならない。正直、こういう意味のない会話で役柄を演じるのは、自動車にねられたり、派手に斃されたりといった、かつての仕事でやっていた演技よりも精神的に骨が折れた。

 オレは疲れたのか、断片的に意識が飛んだ。

「おい、お前はもう寝ろ」

 一文字の言葉に素直に甘えて、オレは蒲団に潜った。

 体が大きく揺れた。なんだとオレは目を開く。隣の蒲団では、山伏姿の男が眠っていた。後ろ姿しか見えないが、間違いなく伊藤であろう。オレは天井のほうを見た。一文字がオレを見下ろしている。体が揺れたのは、一文字が足でオレを揺らしていたかららしい。相変わらず失礼な奴だ。オレは腹這いになってボンヤリと辺りを見回すと、山寺の姿がない。

「行くぞ」と、一文字が小さな声で告げた。

 とうとう来たか。

 オレは体を起こして一文字と共に外に出る。一文字は素早く戸を閉めた。奴の懐中電燈の光が庭に向く。その真ん中に山寺が背を向けて突ッ立っていた。

「山寺さん、なにをしているんですか?」

 一文字が尋ねた。

「お互い下らない真似事はめましょう」

「なんの事です?」

「早田さんから仲間のニオイがプンプンするんですよ」

 山寺が振り返った。それと同時に庭を囲むように置いてあった石燈籠に火が燈る。突然の現象にオレは「なんだ?!」と戸惑った。

「動じるな」と言って、一文字は懐中電燈をしまう。

 山寺が「ふん!」と気合いを入れる。と、奴の体から筋肉が湧き上がるように増え、着ていた服が破けた。それだけではない。さらに体色の地が黒に近い灰色で、顎の先を中心に耳に向かってV字型を描いた赤い筋、鼻筋の中間を中心にして頬に向かって広がるW型の赤い筋が浮かび上がる。

「へ、変身した!」

「あの色、見た目からすると【№《ナンバー》7】のインパクトだな」

 オレとは違い、一文字はこんな時でも冷静だった。

「お前も夢幻亜人イリュージョノイドに変身しろ」

「へ? どうやって?」

 オレは思わず訊いた。呆れた様子の一文字がポケットから注射器を取り出したと思えば、いきなりオレの首元に刺した。「わッ!」と思わず声を上げてしまったが、注射の痛みは大したことはない。それよりもその瞬間から、脈拍が異常に早くなるのが分かった。全身の筋肉が素早く深呼吸する肺のように膨張と収縮を繰り返す。

「うわああああ!」

 遠吠えのごとく叫んだ。服は破けて、気が付くと全身から黒い毛が湧き立ち、爪が鷹のように鋭くなっている。自分の顔を触ると、み上げと顎鬚が生える箇所に目許、額から鼻先にかけても毛が生えている。口許も犬や熊のように長くなっていた。

「おお。予想通り【№4】とそっくりだ」

 一文字だ。オレは両掌を見た。次に腹を見る。なるほど、確かに【№4】のように、露出している肌が青黒い。腕も脚も信じられないくらい太くなっていた。それにしても、いきなり変な注射を打ってオレを化け物にしやがって。そう思ったのを表情から読み取ったのか、「安心しろ。元に戻す薬もある」と一文字は言った。さらに「あいつは口・掌から衝撃波を飛ばして来るぞ」と続ける。

「衝撃波?」

「ああ。見えないから注意しろ。気付いたら強い衝撃波を受けて吹ッ飛ぶことになるぞ。僕はお前を援護する。さあ、行け」

 そう言うと、一文字は横に向かって走り出した。オレは山寺……いや、インパクトを睨んだ。奴は掌をこちらに向ける。オレは一文字とは逆の方向に走り出す。と、ドンっと音がしたかと思うと、オレになにかが猛烈な勢いで衝突して吹き飛ばされた。大木に叩き付けられて「ぐわッ!」と声が出る。

「早田。貴様がオレの仲間を取り込んだからと言っても、オレは貴様に手加減してやるつもりはない」

 インパクトはそう言った直後、なにかを素早くかわす。二筋の光がインパクトを横切ったのだ。奴が光の筋を辿ると、拳銃を向けている一文字がいた。

「……光の割には、遅いんだな」

「光そのものというよりは、弾が光っているだけだからな」と一文字は返す。

インパクトは一文字に掌を向けた。一文字が石燈籠へ走り出す。衝撃音が轟いたかと思えば、その石燈籠は倒されてしまった。衝撃音が鳴り響くたびに一文字は次の石燈籠へ移動しそれを繰り返す。オレはインパクトに向かって飛び込んだ。返り討ちにしてやると言いたげに、奴はオレのほうを向いて掌を向けた瞬間、頬に光弾を受けて出血し体勢を崩した隙を突いて、オレは奴の脇腹を全力でん殴ると数メートル飛んだ。

 奴は頬と脇腹を押さえて痛がっている。オレは一文字のほうを見た。

「なにをしている。援護するから、早く行けって」

 人遣いの荒い奴だ。オレは再びインパクトを見る。と、インパクトはこちらに突進して来た。オレは両腕を前に出して構えた。インパクトがオレに触れようとして来たので、咄嗟とっさに奴の両手首を掴んだ。

「無駄だ!」

 インパクトが大きな口を開き、こちらに向けた。

かわせ!」

 一文字はそう叫んだが、オレは何をどうしていいのか分からなかった。次の瞬間、奴の口から衝撃音がしたかと思えば、オレは衝撃波を顔から首にかけて浴びてしまい、再び吹き飛ばされた。せっかく掴んでいた奴の手首も放してしまう。一文字は光弾で応戦するが、インパクトは光弾をけたり衝撃波で吹き飛ばす。オレは草木の茂った坂まで飛ばされた。草木が緩衝材になったお陰で、叩き付けられたこと自体は大した事はなかったが、衝撃波を受けたせいでしばらく頭がクラクラした。顔を左右に振って左右の頬を叩いて気合いを入れる。戦闘中の寺は山奥にあるだけあって、生えている周囲の木々は太い。オレはインパクトが一文字に集中しているうちに、近くにあった木に登った。そこから太い枝を力尽くでし折って、別の太い枝からインパクトに向かって再度飛び込んだ。

「コラあ! 化け物お!」

 オレは槍を向けるように、葉の茂った枝をインパクトに向けた。

「馬鹿め! そんなものが盾になるとでも思ったか!」

 インパクトが掌をこちらに向けて衝撃波を放つ。枝葉が飛び散り舞い上がった。奴は得意気に葉が散った枝を見たが、ふとオレが居ないことに気付く。オレは奴が衝撃波を放った瞬間に、枝を押し出すように投げていた。それにより奴から見て死角を作るのと同時に、奴はオレが枝を掴んでいたために吹き飛ばされたと勝手に思い込んでいた。しかも散った枝葉がオレを隠してくれた。インパクトがオレの位置に気付いた時には、オレは奴の懐に入っていた。オレは渾身の力でインパクトを打ん殴った。奴はオレに攻撃しようと口を開き、両手でオレを押さえ付けようとするが、一文字の援護射撃が奴の顔に当たり、一瞬ひるんだ。オレはその瞬間に、奴の脚に蹴りを入れて体勢を崩し、ラリアットを加えるように、つまり奴の首にオレの腕を強く打ち付けて、奴を地面に叩き付けた。オレはとどめに奴の顔を殴ろうとしたとき、奴の手がオレの拳を掴んだ。

 しまった。

 時すでに遅し。奴のもう片方の手がオレの胸に当たり、そして奴の口から放たれる三つの衝撃波を同時に受け、再度吹き飛ばされた。頭部と胸部・右手に衝撃波を同時に受けたオレは飛ばされる最中に意識を失った。

 気が付くと白んだ空が見えた。首を動かしてインパクトがいたほうを見ると、一本のキノコが生えていた。その周囲には、一文字のほかに、迷彩柄のヘルメットと戦闘服を身に付けた自衛隊らしき人と、普通のサラリーマンのようなスーツ姿の人が、それぞれ何人かいた。

 一文字がオレの視線に気づき、近づいて来た。

「途中で気絶したのは落第点だが、初戦にしては、まあ頑張った」

 奴はそう言った。けなしているのか誉めているのか分からない。せっかくだから後者にしておこう。

「正直、使い捨てほどの役にも立たないと思っていたからな」

そう続けやがった。前言を撤回しよう。

「偉そうに……」

 オレは呆れて小さく笑った。

「そんなことより、夢幻亜人イリュージョノイドになると服や破けるとはな」

「え?」

 オレは自分の恰好かっこうを見た。姿はヒトに戻っているが、恥部に掛けられたコート以外はなにも纏っていない状態だった。

「悪いが、予備の服がないんだ。帰るまではその恰好でいてもらうぞ」

 オレは恥ずかしいのか情けないのか、思わず笑いが込み上げた。

 あとから聞いた話だが、伊藤には山寺は早朝に帰ったと、一文字が伝えていたそうだ。よくあんな衝撃音のうるさい場所で眠っていられたと思っていると、どうやら一文字は伊藤にきつめの睡眠薬を打っていたそうだ。機密組織だからそのくらいはするだろうが、なんだか恐ろしい話だ。

 とにもかくにも、こうしてオレの最初の戦いは終わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る