ヒーローの夢を経て
枯尾花
第一回 融合
妻子が死んだ。今まで色んな不幸を味わい、そのつど立ち上がって来たつもりだったが、今度ばかりは何もかもが真ッ暗になった。
土曜日の夜中である。オレが運転する軽自動車の助手席には二つ年上の妻が座り、後部座席には今年で四歳になった息子の
道は混んでいて、前方の大型トラックは、ある時は止まり、ある時はチンタラと動いては、それを繰り返す。オレの車は無数の車で出来た行列の最後尾らしかった。虫の知らせといっては大袈裟だが、渋滞で苛立つのとは異なる焦燥を感じていた。オレが指でハンドルを何度も叩くと、妻の
突然、どこからかクラクションの音が響き渡った。背後にある十字路の
オレは慌てた。すぐに逃げようとしたが、前方には大型トラックが通せん坊、右側の対向車線も渋滞していて入れる余裕がない。左側に至っては二メートルほどの段差があり、その下は
小さい頃、オレは特撮ヒーローになりたかった。銀河の
大学卒業後、オレはスーツアクターを抱える俳優事務所に入ったが、当然それだけでヒーローを演じられる訳ではない。長い下積みの中で、出番など殆どない小物や、大勢いるうちの
だが、現実は厳しかった。二十八歳での結婚を機に、オレはスーツアクターをやめたのだが、結局は憧れのヒーローを演じる機会が無いどころか、スーツアクターや役者の仕事だけでは生計を立てることが出来ずにアルバイトをしていた。
早い話が、オレにはヒーローになれるだけの才能が無かったのだ。
気付けば事故から六ヶ月も経っていた。
どうやら大惨事だったそうだ。手許には、それを伝える新聞記事があるが、茫然としていたせいか、誰から聞いたのかも、事故の細かな内容もまるで覚えてはいない。だが、正直そんなことなど頭に入って来れる訳がなかった。オレとって重要なのは、この事故によって妻の千春と、息子の佳秋が死んだということなのだ。
誰かが言った。
「あの事故で後遺症らしい後遺症が無いなんて、奇跡ですよ」
オレにはそう思えなかった。
妻と子が死んでしまったのなら、いっそ一緒に死にたかったとすら思う。これから一緒に生きていこうと誓った妻も、人生を懸けて立派に育てなければならない息子も、もう自分の傍にいないどころか、この世界のどこにも存在しない。
弔ってやることすら出来なかった。
夢であって欲しかった。だが、夢は覚めなかった。
もう、なんのために生きてきたのかすら、分からなくなっていた。
不幸にしてオレは生き延びた。だが、妻と子はほぼ即死の状態だったそうだ。それはそうだろう。二台の大型トラックに挟まれて潰されたのだ。自分のように生きているほうが不思議だ。
妻と子は、オレの親の実家近くにある墓地に埋葬されたそうだ。親の実家といえば、すでに他界しているオレの祖父母の家である。成人して十四年になるが、大人になって祖父母の家を訪れたのは、オレが結婚する以前に死んだ祖母の葬儀以来である。
集落から少し離れた小高い丘を、オレは
妻と息子の名が、それぞれ刻まれている。
正直、これを見るまでは、実は生きていましたなんて、下らないオチが実際には有り得ないのに少しばかり期待していた。「笑えない冗談するな」って、泣きながら笑って怒れるんじゃないかと、心のどこかで思っていた。
オレは静かに花束を捧げ、線香に火を
「千春……佳秋、ごめんな……ごめんな」
目を覆い、
どれだけ時間が経ったのか分からない。気が付くとすでに日は沈み、西の彼方から頼りない残光が、墓地に闇を落とすのを僅かに阻んでいた。丘を
山道をしばらく走り続ける。自動車一台分しか通れないほどの狭い車道の左右には、鬱蒼と木々が生い茂っており、オレはその枝葉のトンネルを抜けて、穏やかだが長めの曲がり道に来る。片側は崖になっていて、その下には川が流れている。
「わああああ!!」
オレは土砂崩れに巻き込まれて河原に転げ落ちた。その途中、視界に入った川が段々と大きくなっていったのは覚えているが、そこから意識が途切れた。気付いたときには顔面が
「……最悪」
シートベルトを
「まあいいか」
オレに絶望は無かった。無理に助かる気は無かったし、死んだら死んだで構わない。むしろ、そのほうがいい。そう思うと気が楽になった。オレは仰向けになり空を見た。河原の周囲は木々もなく、枝葉から解き放たれた星空をオレは全身で受け止めることが出来た。
このままオレは死ぬのだろうか。死んだらどうなるのか。あの世はあるのか。あるとすれば天国・極楽のようなところへ逝くだけだろうか。家族と……妻と子と再会できるだろうか。それとも、やはりあの世は幻想で、オレの意識は消えて無くなるだけなのか。オレの体はここで腐り果てるのか。獣か虫かなにかに喰われるのだろうか。ぼんやりとそんなことを考えていると腹の虫が鳴った。そういえば、今日はなにも食べていない。家族の死で食欲なんて湧かなかった。今でもそんなものは無いが、腹の虫は素直らしい。
ふと、頭を向けていた方向に目をやる。手を伸ばしても届きそうもない距離に、見慣れないキノコを見つけた。笠がピンク色で、そこに赤・青・黄色の斑点があり、輪郭は緑色である。形そのものは子供が絵に
「そんなに腹が減っているのか」
オレは苦笑する。オレはキノコを掴み、そして食べた。毒キノコだったとしても構わなかった。キノコの味は
自宅のリビングで、息子の佳秋が両手に握った特撮ヒーローを戦わせて遊んでいる。光の巨人とベルトの戦士の夢の共演である。ただ、自分が親しんだ古いヒーローではなく、二〇〇〇年以降に登場した比較的新しいヒーローである。なんとか光線、なんとかキック。どんな技かは知らないが、その息子の姿に幼き日の自分が重なって見えた。
「なんで正義のヒーロー同士が戦っているんだ?」
「だって
真面目に返す息子の姿に思わず頬笑んだ。息子が振り回しているヒーローの一体を見て、オレはふと思い出したことがある。
「お父さん、そのヒーローの友達のヒーローと友達だったんだぞ」
「え?! ホント!」
「ああ。昔、一緒に仕事をしたことがある」
「え! すごーい! ねえ、その人だれ?! どんな感じだった?!
「お父さんは、悪い奴と会うことが無かったから、ヒーローになった姿では会わなかったけど。えっと、変身したときは……なんて名前だっけ?」
「ホントにあったの?」
「本当だって」
もちろん嘘ではない。実際にオレの先輩がスーツアクターとして、そのヒーローを演じていた。残念ながら主役のヒーローではなく、主役を補佐する脇役のヒーローではあったが。ただ、いわゆる『中の人』と知り合いだったとは、小さな子供に言う訳にもいかなかったので、結局は息子に嘘っぽいと不審がられた。
意識が戻る。最初に目に映ったのは純白の天井だった。病院だろうか。オレは上体を起こして、ぼんやりと辺りを見る。自分が載っているベッド以外はなにも無い。殺風景な部屋だ。病棟でも棚とかテレビとか、そのくらいは有りそうなものだが、本当に何も無い。窓すら無いのだ。と、天井に目をやると、監視カメラらしきドーム型の物が付いている。
病院、なのだろうか。まるで見当が付かなかった。
妙なことだが、別に怖いとか不気味とか、そういう感情は持たなかった。ただ、状況に流されているといった感じである。オレは自分の姿を見た。
扉からノックの音がする。オレは黙って扉のほうを見ると扉が開いた。スーツ姿の
「初めまして、
なんてことを目が合うなり言われた。どうしていいのか分からず、オレは素直に彼に付いて行った。
やはり真ッ白な廊下を歩き、途中エレベーターに乗って、オレは研究所のようなところに連れて来られた。SF映画などで見るような、妙な実験用の装置が並び、やけに大きなコンピューターが置かれている部屋である。ガラス越しに見える隣の部屋では、白衣を着た研究者らしき人達が、なにかの研究をしている。オレが入った部屋では、スーツ姿の女性と傍には白衣を着た七十歳ほどの老人が立ってオレを待っていた。
「
優男が言った。うむと老人は答えた。
「君が、酒井佳春くんだね」と続けて尋ねてきた。
「ええ。はあ」
状況が読めず、オレはどうしていいのか分からなかった。
「あの、なんで私の名を?」
「お前のことは調べた」
優男だ。
「酒井佳春、三十四歳。体育大学卒。元は売れないアクション俳優で、現在は親の酒屋を手伝っている。半年前に交通事故に遭い、半年間意識不明に陥るが奇跡的に復活し、しかも後遺症らしい症状もない。だが、その事故が原因で三十六歳になる妻・酒井千春と、四歳の息子の酒井佳秋を亡くす。違うか?」
すべて当たっている。
「なんなら、もっと細かなお前の学歴・病歴、かつての友達連中の名前も言おうか?」
オレは困惑した。一体こいつら何なんだ。そう思っていると今度は芹沢だ。
「まあ、混乱するのも当然だ。だが、今から君が知る現実は、常識を逸脱した摩訶不思議なものなのだ。しっかりと聞いてくれ。
……君は、山で事故に遭い、そのあとに奇妙な色をしたキノコを食べたね?」
「ええ。はい……。それがなにか?」
「それが大問題なのだよ」
「や、やっぱり毒キノコでしたか?」
「それならまだマシだった」
またあの優男だ。
「ダンくん。……まあいい」
オレはダンとやらを見た。芹沢はまだ話し続ける。
「彼は
「公安? 機密捜査?」
「公安とは、警察の中でも機密性が高い職務を行う部署であり、ほかの警察官は公安がなにをしているのかすら知らない」
「ええ。ドラマとかで見たことあります」
「うむ。その公安の中でも、一般的に心霊現象や怪奇現象と呼ばれる、現在の科学において未知の存在・現象とされるものに関わる事件を対象に捜査するのが、我々……機密特殊科学捜査課という訳だ」
「つまり、幽霊とか宇宙人とか?」
「まあ、多少意味合いや理解に差はあるかも知れないが、基本的にそう思ってくれて構わない」と、ここで芹沢が一息ついた。
「それで、君についてはどこまで話たかな?」
「キノコを食べたところです」と岬だ。
「そうだ、そうだ。ここから奇想天外な話になるから、覚悟して聞いてくれ」
すでに十分、奇想天外なのだが。
「君が食べた、あのキノコ。あれは休眠状態に入った『
「Illusionoido《イリュージョノイド》?」
「最近発見された知的生物だ。彼らの生態は極めて特殊で、人間でいう死の状態になると、休眠しキノコの形態になる。そして再生するまで力を蓄えるのだ」
オレは自分が食べたキノコを思い出す。
「あの変なキノコが、その
「そうだ。岬くん。例の映像を」
岬と芹沢が振り返るのに釣られて、オレも彼女らの後ろにあったモニターを見た。岬がリモコンを操作すると、モニターに映ったのはピンク色の笠に、赤・青・黄色の斑点、そして緑色の輪郭をした、あのキノコ。間違いない。オレが食べた変なキノコだ。
「これは……」とオレは尋ねた。
「これがお前が食べた
一文字の言葉に思わず吐きそうになる。
「ベニクラゲというクラゲは、有名だから名前くらいは知ってるだろ? クラゲは幼生期にポリプという植物のような形態になり、そこから一般的に認識されるクラゲの姿になる。だが、ベニクラゲは成長した段階からポリプの状態に戻ることが出来る。早い話が、
「ああ。なにかで聞いたことがある。キノコも、その蛹なんですか?」
芹沢に尋ねたのだが、一文字が答える。
「そうだ。
「恐らく?」
「キノコから元の状態に戻った
岬だ。続けて言う。
「ですが、我々はすでに二体の
「人間に近い姿……」
今度は芹沢が言う。
「まあ、ベニクラゲはポリプからクラゲの姿になるときに、無性生殖で大量に個体が発生するが、幸いなことに
「あの、私が食べたキノコが奴らの脳味噌だというのは?」
岬が答える。
「キノコを構成する細胞の構造や反応が、人間の脳と近く、恐らくは脳と同様の働きとしているものと推測できます」
「ということは、意識は?」
「恐らくあるだろう」
芹沢だ。
「研究の過程で、キノコの状態の
「そうだ。お前が
一文字が結んだ。オレは顔を
「確かに脳味噌を食べるなんて、狂気的で異常だが気にするな。こんな猟奇的なことは特にフランス料理だが、欧米では牛や豚の脳みそを
「もう
オレは思わず呟いた。
「おっと、失礼」
一文字が悪びれる様子もなく、そう
「ここで問題が発生するわけだが、酒井佳春くん。君には二つの選択肢がある」などと突然言われた。
「え?」
「あなたが
岬が淡々と言うが、オレは驚いた。
「当然だろう。お前は
「だからって!」
「無事に治療して逃がすだけなら、わざわざ親切丁寧に説明する訳がないだろう」
「まあ、待て」
芹沢だ。彼は再び咳払いをする。
「酒井くん。君の選択肢なんだが、一つは『
安楽死。心地いい言葉だった。オレの心は死に傾いた。
芹沢が言う。
「先の説明でも分かる通り、今は
オレは目を丸くした。続きは岬が話す。
「現在では虫などの下等生物に限られますが、
「つまり生き返るということだ」と一文字。
「でも、妻と子はすでに火葬されてしまっています」
オレは芹沢に言ったが、一文字が話を続ける。
「無論、まだ研究の過程であり、人間のように複雑な臓器や高度な知能を持った生き物にも応用が可能かどうかは不明であり、あくまでの可能性の話だ。だが、現に下等生物では、まあ原理こそ不明だが、体の一部から記憶の復元にも成功している。それにお前の家族がすでに火葬されているといっても、骨自体も体の一部にすぎない。よって復元……つまり、お前の家族の蘇生は『可能だと思われる』、というのが我々の現在の見解だ」
話を聞いているうちに、オレの中にあった死への欲求が綺麗に消えていった。
「もちろん、我々としてもお前という恰好な研究材料を見つけたんだ。
一文字の言葉で、オレは覚悟を決める。
再度、芹沢が訊いてくる。
「では、酒井くん。我々に協力してくれないだろうか。そうすれば、我々は君も、君の家族も救い出せるかも知れないのだ」
妻と子が、千春と佳秋が生き返るかも知れない。その望みがあるだけで、オレはなにも悩むことはなかった。
「はい! 宜しくお願いします!」とオレは頭を下げた。
芹沢博士と岬の顔は
すぐに芹沢博士が言う。
「では、早速だが、君は我々公安の機密特殊科学捜査課の臨時職員となってもらう訳だが、それに際して君には酒井佳春という名前を捨ててもらう」
「え?」
「安心しろ。お前と
また芹沢博士が言う。
「それでは酒井くん。我々が君に用意した名前だが、これから君の名は『
早田猛。その名前を貰ったオレは、妻と息子を生き返らせるため、
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