エピローグ

第45話


 目を開けると、豪奢な木机の上で何やらしゃかしゃかと心地の良いリズムが刻まれていた。


 椅子に座り音を出している主は、弥国の伝統衣装、和服に身を包んヒイラギだ。手には茶筌が握られており、手元からは微かに湯気が立ち昇っていた。どうやら抹茶を立てているらしい。その装いや所作は、弥国の畳の上でよく見る景色なだけあり、ここ西洋の城の客室で見ると、どこか違和感のようなものを感じる。それでも、爽やかな香りが鼻腔を突き抜けると、自然と身体が起き上がった。


「あ、クロヤ」

「おう」

「丁度抹茶立ててたんだけど飲む?」

「いただくか」


 西洋に来てからというもの、抹茶なんて飲む機会は無かった。有り難く頂戴させてもらおうとベッドから降りると、身体がぐらついた。


「大丈夫⁉」


 そそくさとヒイラギが来ると肩を貸してくれる。


「悪い」

「ううん」


 ヒイラギに寄り添われながらテーブルの席に着くと、抹茶がこちらに差し出される。

 作法通り器を回し、ひと煽りすると、ほのかな苦みと爽やかな香りが口の中に広がる。


「どう?」

「やっぱヒイラギのはうまいな」


 俺も茶道については多少心得ているが、ここまで繊細で優雅な味は再現できない。


「よかった」


 ヒイラギが微笑むと、つられてこちらも口元が緩みそうになる。


「でも信じられないなー。クロヤとこんな風に過ごせる時が来るなんて」

「まぁ、そうだな」


 一年前の俺からすれば今の状況は考えられなかっただろう。

 一息つくと、ふとこれまでの事を思い出す。

 サルガルタとの戦いからは既に一週間が経っていた。結局サルガルタ及び【シャドウ】の一部は生きていたらしいが、例外なく捕えられ王が統括する監獄に入れられているという。その事を受け、各地で起きていた暴動も勢いが無くなり全て鎮圧されたという事だ。ちなみにサルガルタ自ら運営していた学院についてだが、まだ何も決まってないという。


 そして俺と言えば気を失ってから城へと運ばれたようで、その時には生きているのが不思議と称される程ボロボロになっていたらしい。現に今も杖か何か掴まる物が無ければ歩くのは困難だ。治療はしてもらったという事だが、起きたのがつい昨日なのでまったく記憶にない。


「あっ」


 ふと何かを思い出したのかヒイラギの爛々とした瞳がこちらに向く。何事かと思ったら俺の背後に回り込んできた。


「久しぶりにクロヤ分補給しよーっと」

「は? ちょっ」


 唐突の言葉に間抜けた声が漏れるが、ヒイラギは間髪入れずに首元に手を回してくる。


「えへへ~」


 暖かみが背中を覆うと、桃のような女の子特有の何か甘い香りに包まれる。どことなく心地よさも感じるが、同時に何ともむずがゆく、俺には耐えられそうになかった。


「そんな汚いもの補給すると毒だぞ。離れろ」

「あ、また言ってる。自分をそんなに卑下しちゃだめだよ?」

「じゃあ傷に触るから離れてくれ。頼む」


 実際本当の事だった。妙に心臓が鼓動するせいで身体中に血液が回り感覚が敏感になってる気がする。


「えーどうしよっかなぁ」


 からかう様な口ぶりはヒイラギのいたずらめいた笑みが脳裏に浮かぶ。

このままでは持たないのでどうしたものかと思案していると、ふと扉を叩く音があった。


「入るぜクロヤ」


 勢いよく扉が開け放たれると、そこにはどこか懐かしさすら感じる二人の姿――フラミィとエクレの姿があった。


「な……っ」


 エクレが何を思ったのか、短く言葉を放ち硬直する。

 そうだな、もし俺がエクレとしてこの光景を客観的視点から見れば……うん、まぁまず誤解するだろうな。


「待て、別にそういうんじゃ……」

「おいおいクロヤよぉ」


 誤解を解くため口を開こうとするが、にやけ面のフラミィによって遮られた。


「大ケガ負ってるって聞いてたから心配してたけど全然元気そうじゃねーか。悪いなぁ、邪魔しちまったみたいで」

「おい待て違う。誤解だ誤解」

「どうだかねぇ? 実はもうヤって……」

「おいそれ以上はやめとけ。そんなわけが無いだろ」


 お前おっさんかよと突っ込みたくなるような悪乗りするフラミィを半目で見ていると、ヒイラギが不思議そうに顔を覗き込んでくる。


「この二人は?」

「ああ……」


 そう言えばこの二人についてはまだ話してなかったか。


「まぁなんていうか、学院でできた知り合いっていうか……まぁ、友達か」


 いざ言葉にするとどうにもむずがゆさを感じ、語気がすぼまる。それでもヒイラギは納得したらしく顔を輝かせ、「そうなんだ!」とフラミィの元へと駆け寄った。


「私はクロヤの幼馴染でヒイラギ。クロヤがいつもお世話になってます」

「ヒイラギって確かクロヤが言ってた……って事はおいおい、もしかしてあんた弥国の神子様か⁉」

「えと、正式にはまだなんだけど、一応そうなるかな……?」


 様付けで呼ばれるのが気恥ずかしいのか、ヒイラギがどこか恥ずかしそうに頬を染める。


「はえ~。なんか色々と大変だったんだよな?」

「うん。でもクロヤが守ってくれたから」


 ヒイラギの言葉に、またフラミィはにやにやする。


「お、やるじゃねーか色男」

「るせ。守徒家なんだから神子を守るのは当然だろ」


 言うと、何故かヒイラギまでどこかいたずらをする前の子供のような笑みを浮かべる。


「でもそう言えばクロヤなんて言ってくれてたっけー? えっと確か守徒家としてではなくクロヤ・シラヌイとして……」

「待て、ヒイラギ」


 そういう事を言うのはあまりよくない。特にフラミィが相手なら尚更だ。


「ほお? ヒイラギ、ちょっと詳しく聞かせてくれよ」 


 ほら食いついた……。いやマジでやめてくれませんかね? 別に嘘言ったわけじゃないけどなんかすごい恥ずかしいし……。


「あ、ちなみに俺の名前はフラミィだ。んで、あっちで立ってるのがエクレ」


 ずっと固まっていたエクレだったが、フラミィに名前を呼ばれ、肩をぴくりとさせる。


「フラミィちゃんとエクレちゃんだね。じゃあ座って座って。エクレちゃんも」

「あっ……えっと……」


 人見知りなのか、エクレは頬を紅くすると視線があちらこちらへと泳ぐ。


「か、可愛い……」


 ふと、ヒイラギがそんな事を呟くと、エクレの背後から大きな人影ぬっと現れる。


「カーライル、さん」


 そういえばレランもそうだがこの人にもまだ会ってなかった。ともあれちゃんと生きていたらしくて良かった。


「カーライルで構わない。それよりすまないなシラヌイ。面会中の上にケガをしているのに悪いのだが王に会ってもらえないか?」

「王に?」

「ああ、直接礼を述べたいそうでな」

「なるほど」


 王じきじきに会ってくれるのか……。少し意外だ。何せ俺は弥国人であり、劣等種族とこちらでは揶揄されている。てっきり適当に建前で治療だけしてそれで終わりかと思ってた。まぁ杖を使えば歩けるから城内を移動するくらい問題ないだろう。


 頷くと、ヒイラギたちに断りを入れて部屋を出る。

 去り際、エクレが何か言いたげな様子だったが、ヒイラギに連行され何も聞くことはできなかった。

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