第43話


――景色が広がるとそこは知っている場所だった。屋根瓦の家に、池のほとりにある灯篭。そしてただ一本、悠々と佇む桜。よく見知った弥国の光景の一端。

 そんな中に、一人の少女がこちらへと駆けてきた。


「クロヤ!」

「ヒイラギ……?」


 名を呼ぶと、今にも泣きそうにまつげを濡らしながら、ヒイラギが胸に縋り付いてくる。


「もういい!」

「もういいって、何が?」

「もう戦わなくてもいい。これ以上クロヤが傷つく姿は見たくないよ!」


 ヒイラギが言い放つと、小さな雫が宙を舞った。

 俺はそんなヒイラギの肩をそっと抱くと、ゆっくりと引き離す。


「悪いけど、それはできない」

「どうして……」

「お前を守るのが俺の役目だからな」


 守徒家は神子を守るためにあり続ける。今も、そしてこれからも。


「だったらそんなのいらないっ。私なんて守らなくてもいいから逃げて? 私を盾にすればきっと逃げられるからっ」

「盾ってお前何言って……」

「サルガルタ、だっけ。彼女は私の力が欲してる、ならきっと私が死ぬって言えばクロヤが逃げる時間くらい稼げるはず」

「馬鹿言え。俺が逃げたとしてお前はどうなる? きっと奴は成人の儀を強行するだろう。あれは中秋の十五夜の日に行わないといけない。もしそれを破ればどうなるか知らないわけじゃないだろ?」


 問いかけると、ヒイラギの目が僅かに伏せられる。

 少しの間沈黙が続いたが、やがてヒイラギは俺の方に目を向け微笑を湛える。


「大丈夫。すぐ死んじゃうわけじゃないもん」


 その眼差しは儚げで、今にも散ってしまいそうな危うさを秘めている。明らかな虚勢なのはすぐに分かった。

 でもだからこそ、俺は迷いもなく決断することができる。


「やっぱり俺は戦いをやめないし逃げもしない」


 言うと、ヒイラギが口をきつく結び、装束の袴の裾を握る。


「馬鹿……!」


 返って来たのは悲痛にすら感じる叱咤だった。こちらをきつく見やる目は揺れ、目じりには雫を湛えている。


「クロヤはいつもそうだよ! 私の気持ちなんて何一つ分かってない! 私はね、自分なんかよりもクロヤが一番大事! だからこそ私のために傷ついてほしくない! 復讐だって別にしてほしいわけじゃなかった。だって危ない事だもん。一番の大切な人が自分のために傷つくって一番つらい事だから! それなのにクロヤはいつも……いつも……」


 まくし立てる様に言葉を並べていたヒイラギだが、途中から沈み気味になり、ついに途切れた。


 確かにヒイラギが俺の事を心配してくれているのは知っていた。事の例えだとは思うが、俺の事を一番大切とも伝えられていた。にもかかわらず俺は聞こえないふりをして、復讐の道を歩もうとした。それがヒイラギを苦しめると薄々気づいていたはずなのに。


「二つ、言ってもいいか」


 尋ねるが、ヒイラギから返答はない。俺は無言を肯定と受け取り、口を開く。


「一つ、俺は確かに復讐しようとしていた。でもそれはヒイラギが復讐を望んでいると勝手に押し付けて、それを大義名分に動いていたにすぎない。結局、俺は自分のために復讐しようとしてたんだ。何せ、俺は守徒として神子を守るという役割でしか自分の存在を認識できなかった。自分を失う事が怖かっただけだ。だからお前が気に病むことは無い。それどころか、むしろ俺がお前に謝らないといけない。本当にすまなかった」


 ヒイラギは相変わらず口を開かない。何を思っているのかは分からないが、まだ言う事はあるので続ける。


「二つ、お前は俺の事を大切な人と言ってくれた。素直にうれしい。でもな、それは俺も同じなんだ。この世で何よりも大切な、守るべき相手、それがヒイラギだ。守徒家としてではなく、クロヤ・シラヌイとして俺はお前の事を守りたい。だからこれはお前のための戦いではなく、俺のための戦いだ」

「それじゃあ、また元と同じだよ……」


 ヒイラギが俯いたまま悲し気に呟く。


「その通りだ。独りよがりな考えなのはわかってる。ヒイラギの気持ちを無視する行為なのもわかってる。でもその上で、頼みたい」


 これは俺のためではあるが、それだけじゃない。同時にヒイラギのためでもある。だがそれを言えばきっとヒイラギは苦しむだろう。だから少しだけ嘘を吐いた。


「俺に、もう一度お前の事を守らせてくれないか」

「クロヤ……」


 ヒイラギの綺麗な瞳が上目がちに向けられる。少し涙を浮かべていたからなのか知らないが、その頬は少し朱に染まっている。


「……ありがとう」


 ぽそりと呟くと、ヒイラギは軽やかに身を翻し一歩先へ行く。


「それじゃあ、お願いしよっかな」


 弾んだ声音だった。ヒイラギがくるりとこちらに向き直ると、穏やかな笑みを湛える。


「どうか私を守ってください」

「おう」


 しっかりと頷くと、ヒイラギの背後から暖かな光が差し込む。どうやらここにいれるのはこれまでらしい。

 ヒイラギの肩を一叩きし、光の先へと進むと、ふと服の裾が掴まれた。


「大丈夫、だよね?」


 ああは言ったがやはり不安なのだろう。確かに今から戦う相手は強い。その上俺の身体はボロボロだ。そう感じるのも無理は無い。


 ただ、今の俺は万に一つやられる気がしない。それが空元気なのか自分でも分からないが、一度振り返り不如帰を引き抜く。


「そうだな、この剣にでも誓おうか。俺はお前を絶対に守り抜くと」


 言うと、急激に景色が光で満たされる。あまりにも眩くヒイラギの姿もすぐ見えなくなる。ただ、その口元には微笑が湛えられていたのは視認できた――

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