第13話 約束

 最終的に、セナにお姫様抱っこをされながら、四個目のサンドイッチへ手を着けたフレッドに見送られた。

 セナは軽い足取りで迷うことなく歩き続け、たどり着いた所は例のレールガンの真下だ。遠目で見た時は鉄塔のように思えたが、やはり実際は威圧感を放つ純然たる兵器だった。

 中心に銀色の鉄柱がそびえ、五本のダークグレーの鉄柱がそれを取り囲むように立っている。高さは一〇〇メートルに満たない程度であるが、他の建物と比べれば破格の大きさで、天を貫く槍のようだ。

 躊躇なく規制ロープをくぐったセナは、颯爽とレールガンの方へ走っていく。

 レールガンの周囲は金属製の地面になっていた。おそらくこの土台ごと動いて照準を定めるのだろう。

近くまで来ると、メンテナンス用の階段や通路が上へと伸びているのが確認できた。まさか、これを上っていくというのか。

「おいおい、疲れてるって言っただろうが」

「大丈夫、私がやるから」

 何でもないという様子でさらりと言い切ったセナは、クロウを抱いたまま屈伸運動を数回すると、

「じゃ、しっかり掴まっててね」

 全速力で階段を駆け上がり始めた、一段飛ばしで。

 しかし、掴まれと言われても掴まるところがない。人間の女が同じ状況になったら相手の首に腕を巻き付けるのがセオリーなんだろうが、クロウには腕の長さが圧倒的に足りていない。かと言って胸の辺りに手を伸ばすのも気が引ける。

 そっと顔を動かして下を見ると、すでに地面ははるか遠く。落ちたら猫といえど間違いなく即死だろう。

 何かの拍子にセナから放り出され、そのまま地面で潰れる自分の姿を想像したら四の五の言ってられなくなった。間違いなくセナにも深い心の傷を負わせることにもなるだろう。それを避けるためにも、クロウは彼女のシャツの第三ボタン辺りをがっつりと両手で掴んだ。あくまでセナのために。

 鉄柱と同じくダークグレーに塗られた階段を、小気味の良いリズムで高く響かせながらしばらく上がり続けた。

 クロウが怖くて目を開ける余裕すら失った頃にセナの足が止まり、クロウをゆっくりと会談の踊り場に降ろす。全体の半分ぐらいまで来たようだ。

「はあ~、疲れちゃった」

 セナは頬を軽く上気させ、肩で息をしていた。クロウが掴まっていた部分のボタンが外れ、胸元が露わになっている。


「私、この場所が好きなんだ」


 手すりに肘を載せ、もたれかかりながら、セナがぽつりと呟いた。

 クロウにとっては手すりの隙間が広過ぎるのであまり近付く気は起きなかったが、今の位置からでも、眼下に広がる光景を見渡すことはできる。

 壁に囲われたこの街はとても小さく、その外には農地、さらにその向こうには延々と森に覆われていた。ひたすら一面の緑に囲われている。いや、侵食されていると言った方が適切かもしれない。おそらく、以前の地球にここまでの森林は存在していなかっただろう。

「ここに来れば、しっかり世界が存在してることを確認できるから。私は外に出られないけど、それでも『外』は在るんだ、って」

 地球に来たばかりのクロウが、軽々しく分かったようなことを言うのは憚られた。シティの中も外も、セナの歩んできた人生も何も知らない。

「だから、クロウのおかげで『外』に出られることになって……本当に感謝してる。いや、それはちょっと違うかな、今までは私が出ようとしなかっただけだから」

「どういうことだ?」

 思い返してみれば、ルーカスはセナが遠征に同行することをあっさり許可していた。セナが最初に話した「出られなかった」ということとは矛盾している。

「私のお母さん、キースと同じ調査員だったの。それで、二年前の遠征で土砂崩れに巻き込まれて……、それ以来『外に行きたい』って言い出せなくなった。母さんの死から学ぶべきものはあるはずだし、何より、みんなを困らせたくなかった」

 先ほど格納庫での話の最中に見せた暗い表情の理由はそれか。

 セナは何かを振り払うようにはにかんで、クロウの方に向き直った。


「なんか私ばっかり話しちゃったね。クロウのことも聞かせてよ、子供の頃の話とかさ」

「子供の頃……覚えてないな」

 いつまでが子供なのかハッキリしないが、両親や他の兄弟と過ごした記憶は持っていなかった。

「嘘つけ、あんなによくわからないこと覚えてるくせに」

 そう言われても本当に思い出せないのだから仕方がない。必要のないことはすぐに忘れてしまい、逆に覚えていないと思っていることでも、必要に迫られると思い出せるのが〈喋る猫〉の性質だった。

 詰まるところ、過去や未来に対する意識が希薄なのだ。遠い昔のことに思いを馳せることもなければ、遥か先の将来を思い描くこともない。

「ま、今の俺に幼少期の思い出は必要ないってことさ」

「ふーん、なんか寂しいな、そういうのって」

 セナはがっかりした様子で肩を落とし、どこか遠くを見つめる。

「なんでお前が寂しがる。そんなことより、さっさと食べようぜ」

 クロウはそうセナを促し、自分もサンドイッチの包装を剥がし始めた。ふんわりとしたパンに薄くスライスされたハムが挟まっている。

 適当に端の方からパンをかじっているクロウに、セナがおずおずと尋ねてきた。

「クロウは……これが終わったら宇宙に帰るの?」

「さあな、別に行くアテがあるわけじゃない」

 彼女が求めている答えが判断つかなかったのと、実際問題ちゃんと考えていたわけではないので明言はしなかった。

 クロウが地球に残ることを望んでいるのか、いや、セナがクロウを気に入っているのは、「言葉を話す奇妙な猫だから」という理由だけではないだろう。「宇宙から来た」という枕詞が非常に重要だ。

 それを考慮すると、セナはクロウとともに宇宙へ飛び立つことを望んでいると考えるのが妥当だろう。


「もし、宇宙に帰るんだったらさ、私も」

 ほら、やっぱり。


「残念だが……それは無理な約束だ」

 クロウはセナの言葉を遮る。


「それは、私が子供だから?」

「いや、俺が無力だから、だな」


 自分の身すらロクに守れないクロウに、何かを守る資格も力も無かった。無論、大人がクロウとともに破滅の道を歩みたいというのなら、さして止めはしないが、子供にそれは許されない。

「そうしょんぼりするな。同じ宇宙にはいるんだ、会おうと思えばいつでも会える。お前が大人になったら迎えに来てやるよ」

「……絶対だからね」

「ああ、その前に一仕事終わらせよう」

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