弾く強さ、撥水。

有給休暇

弾く強さ、撥水。

 「人間みんな傘になってしまえばいいのに。」 太陽が照って、遠くの方で陽炎が揺らめき、日陰にあったベンチに一緒に座っていた彼女は、途端にこんなことを言い始めたのが懐かしい。

 空には積乱雲が強烈な白を放っていて、地上には他人の足音と囁きや幼児たちのはしゃぐ声などと騒がしい。 もし晴れていなくて雨などが降っていたら、彼女はそんな理解に苦しむような事を言わなかったかもしれない。晴れの日はどことなく賑やかで、目に飛び込んでくる色がよりはっきりと刺さらんばかりに鋭く感じる。葉の優しい緑色すらも目に厳しい。それが川沿いにだらっと一列に並んでいるのだから堪ったもんではない。深緑の葉が付いている木、灰色の地面に散乱しているゴミと、気持ち悪くなりそうになればなるほどより鮮やかになっている。けれども、そんなことも打ち消すように、日差しは強かった。 日々の運動不足を懸念し、休みの日はひとまず散歩などで体を動かそうと、つい先日決めた自分は、その思いのままに近くの場所を歩いていた。

 自分はいつも、三日坊主になる癖があった。今回こそはならないと、固く決心しているのだが、それでも何処かに三日坊主になるのだろうという諦めが忍んでいる。恥ずかしいけれども、今まで長く続いたものといったら、学校生活の部活だけ。強制力がなかったら、あんなものも、すぐに辞めていた。 やはり心が弱いといつも気が滅入ってしまう。とにもかくにも、今回は頑張ろうと決意していた。 ではなぜ、歩いているべきな自分が呑気に、ベンチなどに座っているかというと、疲れたのだ。すこし飽きたというのもある。 汗は滾々と止まらない。いいようもない倦怠感。まただ、この感覚がいつも俺を三日坊主へと引きずりこむ。疲れたのもあってか、その倦怠感に抵抗したくもない。三日坊主でもいいだろう、ベンチに座って酷く眩しい太陽がそう諭している気もする。 遠い方でぽつんと黒い点の様に見える烏が鳴く、暑いのに元気な事だ。疲れなんて感じさせない朗々とした声。あの小さな真っ黒の身体の何処に、あそこまでの声を発する事が出来る物があるのだろう。

  暫くベンチに座って何も考えないで時間を浪費する。考えるだけ疲れるように思えたせいもある。人の気配がして、その方向へ向けば白い半袖の女性がペットボトルのお茶を左手に弱々しく掴んで立ち止まっていた。見つめる俺に気付いているはずの女性は無表情、無関心のまま、俺との間を開けてゆっくりとベンチに座った。そのままずっと完全に直視するのは、不審がられる心配があると、自分は興味のないようなふりをして横目で時折見ていた。今考えてみると、これこそが一番不審がられるのだろう。 彼女は、持っていたお茶を飲み干し、空になった容器を手で触って遊んでいた。いや、遊んでいるよりもあれは無心で弄っていると言った方がいいのかもしれない。彼女の眼は、容器の方ではなくて集まっている子どもたちの方にぼうっと向いていた。 すこし経てば、汗もおさまり、気分も整った。喉は以前よりも渇いている、先ほどから唾液が口内にへばりついていて、早く洗い流したい気分だ。だけれども、体は動くのを億劫がっている。いや、気持ちが億劫がっているのだろう、動きたくない。その一心で自分はベンチに根を張っているかのように、動かなかった。 なんであんなにも少年、少女たちは元気に走り回れるのだろうか。中になにか特殊なエンジンでも内蔵されているのか。そうとしか思えない。そうでなければあんなにも、体力を無駄な動きで消費するなんて考えが思いつかないはずだ。枯れた人間だな。少年たちを見ながら考えていた事を思い返してみて、自分を嘲笑うことしかできない。 動きたくないと駄々をこねても、逆らいようはなく喉は乾いていく。ぐっと足に力を入れると、思ったよりも楽に身体は立った。周りを見渡して、自販機らしきものを見渡す。近くにある自販機を探すのに遠回りなんてあほな理由で、身体を疲れさせたくない。ちょっとの休憩でそんなにも、疲れが癒えるとは思えない、要は気の持ちようなのだろう。今は、そんな気も持てそうにない、どっと疲れが雨の様に身体にまとわりついた。 お茶を買って、さっきと同じベンチに座る。普通だったら、そのまま散歩をするべきなのだろうけども、どうにも気がすすまない。ベンチにはさっきと同じように、女性が座っている。お茶の容器は隣にぽつんと置いてあった。 彼女はぼんやりと何処かに目を向けている。

 空は相変わらず、シミ一つない雲がまとまって浮かんでいる。飛行機雲が、その雲に向かってぐちゃっと伸びている。そして彼女がふと言い出した。 「人間みんな傘になってしまえばいいのに。」 何を言い出すんだ、この人はと。恐怖感を感じるのと同時に、なぜ傘なのか。そこに少しだけだが、興味を持ってしまう。その興味のせいで、このベンチから余計に出ていく気力が失せた。 彼女はそれを言ったきり、何もしゃべらずに黙ってしまう。独り言なのだからしょうがないけれども、無責任だと心の中で悶えた。 彼女を盗み見てみた。ぶらっと遠くを見ているだけで、その遠くを見ている目には、絶望感のようなものがあるようにも感じる。見た感じ、まだ若い人の様だ。その若さで何を経験して、そんな独り言を言わせるまでに追い込んだのか。全くの他人の自分には分からない。だが、なんとなく気にいらない。まだまだ若いくせに、何をそんなに悩んでいるのだろうか。一番の絶望は、時間がない事とそれに伴う老化だ。やりたい時が多い時に、身に染みてそれが理解できた。時間があればある程、人はぜいたくが出来る。時は金なりというが、上手に言い表しているなと今考える。 そう思うと、なんだかこのぼんやりしている時間がもったいなく感じてくる。よいしょと、年じみた言葉を無意識に吐いている自分に、懐かしむような気持が芽生えた。 明日も、運動をしよう。運動と言っても歩くだけなのだけれども、意外にそれを運動と感じる事が出来るぐらいに、疲れはある。誰か、自分の事を背負って運んでくれるような人はいるだろうか? 家までに、ちゃんと帰れる気がしない、実際は帰れるはずだが、なんだか不安がポツポツと心に打ってくる。さっきの言葉が、ずっと頭に残っているせいか、傘になったら楽なんだろうな。というような不思議な気持ちが芽生えた。

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