*ひとかい

 アオギリ町の片隅。カワセミ番地にある古道具屋はオオカミの獣人が店主を務めている。客入りは相変わらずで、今日も閑古鳥が鳴いていた。暇な店主、アオイはいつものように店先に出したパイプ椅子に腰掛けて、ぷかりと一服。くゆる煙は風に吹かれて静かな店内へと舞い込んでいった。


 ***


 読みかけの小説を開いたり閉じたりして無為に時間を潰していると、知り合いが訪ねて来た。

 黒くがっしりとした図体に、派手な色合いのアロハシャツを羽織ったクマ。ヒワダだった。胸元の白い月の輪と、顔に刻まれた爪痕がやたら目を引く。とてもカタギのクマに見えない風体だなあとしみじみ眺めていると、ヒワダは屈託なくにっかりと笑い、挨拶もそこそこに持ってきた話題を切り出した。

 人間を飼うのが流行っているんだ、と。

 わたしの出方を伺うように、ヒワダは黙っていたが、目はきらきらと少年のように輝きを放っていて、それはもはや語っているのと同じことだった。しかし残念なことに、その話題に心底興味がわかなかったので、見せつけるように小説を開き、ヒワダの顔から未読の頁へと視線を移した。すると彼は本を取り上げて、強引にわたしの手を引っ張り立たせてしまう。

 昔からだった。ヒワダは人の意見なんぞどうでもいいと考えているらしく、なんと答えようと、自分がやりたいこと──けれど一人では踏ん切りがつかないこと──に必ず人を、わたしを巻き込もうとする面倒な性格の持ち主だった。今回もどうせそうなるのだろうと、半ば冗談で無視してたがやはりこうなった。

 ここで拒否し続けたとしても最後には抱えられて連れていかれるのがオチだと、わたしは乱暴に手を引かれても大した抵抗はせずに、はいはいと連れられるがままに歩いて行った。


 電車に揺られること三十分、わたしはシシカイ市場に連れてこられた。

 駅から出た途端、くしゃみが出た。辺りに漂う薬草のような独特な匂いのせいだ。くしゅん。立ち止まるわたしに構うことなく、ヒワダはずんずんと活気のある市場の雑踏へと踏み入っていく。

 やはりこいつはカタギには見えないらしく、すれ違う人たちが少しばかり気を遣って多めに隙間を作ってくれるので、歩きやすかった。

「確かなぁ、うん、こっちだな」

「迷ったら即帰るからな」

「大丈夫だって。下調べはしてんだ」

 わたしは前行く彼を見失わないように、その背を追う。元から人混みが得意じゃない上に、呼び込みの声がうるさくて、気づけばイライラしながら歩いていた。あれも仕事なのは分かっているが、それでもうるさいものはうるさい。かといって不機嫌になっても仕方がないので、できるだけ無でいようと心がけた矢先。

「ねえねえ、そこの、オオカミのお姉さん。ちょいと寄って行かないかい、新鮮な肉が入っているよ」

「すみません。菜食主義なもので」

「けっ、なんだいひやかしかい。いらねえならハナから来んじゃねえよ。さっさと家に帰って大豆でも食ってな」

 口の悪いカメの店員から必要以上に文句をつけられた。努めて冷静でいたわたしだったが、それに気がついたヒワダが、こちらを振り向きニタニタと気持ちの悪い顔で笑っていたので、思いきり尻を蹴ってやった。ヒワダはクマのくせにキャンと鳴いて「冗談なのになあ」と尻をさすりぼやいていたが知ったことではない。


 目的地。バイバイとペンキで雑に書かれただけの看板が、いかにもやばそうな雰囲気を醸し出していた。

「やっぱりやめようかなあ」

「ここまで来て何言ってんだよ。ほら行くぞ」

 尻込みするヒワダの背を押して店内へと踏み込む。するとどこかで見ていたのか、すぐに黒服のヒョウが現れた。わたしが客だと伝えると、無言のままエレベーターに案内され「地下へ」と一言残して去っていった。

「やばそう」

「はっ。何を今更。まともなやつがヒトの売りなんてやるかよ。下調べしたんだろ?」

「住所はね。でも流行ってるって聞いたからさ、もっと明るくオープンに売ってるのかと思ってたんだよう。まさかこんな厳つい店でなんてよ。まるきりヤクザの店だわ。薬でも買いに来た気分になる。買ったことないけど」

「帰るか?」

「いやあでもなあ、かわいいんだってよ。慣れると喋ったりしてよ」

 エレベーターの扉が開くと、赤い絨毯の廊下にちょこんと、ナマズの店主が待ち受けていた。つらつらと形式的な世辞を述べながら、店主はわたしたちを奥へ奥へと導いていく。よく喋る店主と反対に、ヒワダは緊張している様子できょどきょどしていて、生来の肝の小ささが顔を出していた。

 廊下を歩いていくと、厳重にロックされた鉄の扉に行き着いた。かけられた電子錠と古めかしい南京錠を、店主は慣れた手つきで外していく。

「さあさあ、こちらです」

 扉の先は、豪奢な大広間だった。緻密な飾り細工が入った柱、龍虎が描かれた壁。床には黒地に金の刺繍がどわっと施された絨毯が敷かれ、天井には巨大なシャンデリアが輝いている。それだけでも十分下品なのに、中央にずらりと並び積まれた檻がさらに趣味の悪さを際立たせていた。一目見ただけで胸焼けしそうなほど濃い部屋だ。

 「さて」と咳払いをして、店主は焦らすように商売の説明を始めた。はなから聞く気がなかったので触りしか耳に入ってこなかったが、どうにもこれは同意の上で行っている商売らしい。訳者を介して、ペットになりたいだとかそんな理由で自らを売りに出し、人生を買い手に任せるのだとかなんとか。わたしにはよく分からない思考だが、世の中にはそんなやつもいるらしい。いい加減話にも飽きてきたわたしは、興味深そうに話を聞くヒワダを置いて、煙草をふかしながら部屋の中へと入った。

 檻に入れられているヒトは、大きさや色別で分けられていたり、綺麗に着飾ってたり裸だったりとさまざまだったが、どれも高額で買う気も起きなかった。中身よりも値札に目がいき、この値段なら何ができるだろうかと考えていると、突然、服の裾を掴まれた。

 見るとぼさぼさ髪の少女が、檻の隙間から伸ばした骨の浮いた貧相な手でしっかりと私の服を握っていた。何か言っていたが、生憎ヒト語は分からない。睨んでも離す気配がないので、顔に向かって煙草の煙を吹きかけてみた。少女は汚い顔を梅干しのように顰め、ぱっと手を離して檻の奥へと引っ込んでいった。


 少しして、話を聞き終わったらしいヒワダがわたしに声を掛けてきた。悩んでいるような顔をしていたので、わたしは「どれでも一緒だろ。じゃあ、これは?」と先程の少女を指さしたが、気に入らなかったらしく、首を傾げて違うヒトを物色し始めた。

 ようやく決まったヒトは身綺麗な少女だった。わたしたちと視線を合わせようとせずに、じっと床を見据え、動かないその様子から怯えていることは一目瞭然だった。しかしヒワダはよく分かっていないらしく、がちゃがちゃと柵を掴んで揺さぶったりなんかするので、少女の顔がさらに強ばっていく。

「お前が怖いんだろ」

「お、そうか」

 わたしのアドバイスを素直に受け止めたヒワダは、不機嫌そうに下がった口角を人差し指で持ち上げて、笑顔を無理に作った。不似合いすぎてわたしは吹き出してしまい、それに釣られるようにしてその少女も少しだけ硬い表情を崩した。ヒワダは嬉しそうに少女を見ると、店主に向かって、「これにする」と告げて、どこで稼いだのか大層な金額を現金で支払って少女を引き取った。

 電車の中では手を繋ぎ、帰り道では肩車なんかしていて、よほど気に入ったらしい。少女も少女で、店の檻の中で座り込んでいた時とは比べ物にならないぐらい、生き生きとしていた。



 数日後、再びヒワダが訪ねてきた。「美味かったなあ」と、とろけた顔で言うものだから、わたしは呆れてしまった。

「もう食ったのか?」

「おう。炭火で一杯。月がさ、綺麗でなあ」

「はー、よくもまあ。あんな大金はたいといて、良くあっさり食えたな。もったいなくてわたしにゃ無理だわ」

「初めは長く買う気でいたんだけどな、腹が減っててついつい」

 そう言うと、ヒワダは背負っていたずた袋を地面に下ろした。訝しげにみていると、ヒワダにやりと表情を変えた。

「誕生日だろう?」

「あん?」

 確かに今日はわたしの誕生日だが。ヒワダが袋の口を解いた。もぞもぞと、脱皮するようにして袋の中から出てきたのは、あの日の少女だった。髪はぼさぼさ、痩せっぽっちで風が吹けば倒れそうなほどの貧弱具合。わたしは眉を顰めた。

「なんだこいつ」

「プレゼント」

「いらねえ」

「まあまあ、食ってみろって。美味いから」

「……」



 ***


 アオギリ町の片隅。カワセミ番地にある古道具屋はオオカミの獣人が店主を務めている。客入りは相変わらずで、今日も閑古鳥が鳴いていた。暇な店主、アオイはいつものように店先に出したパイプ椅子に腰掛けて、ぷかりと一服。すると箒を持った少女が店内から顔を出し、ずかずかと近寄ってきたかと思うと、なにやら文句をつけ、店主の煙草を摘んで捨てた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る