*魔法のランプと主人
仕事で疲れ果てた日は、どうにもミスが多くなる。今日だって、会計で出す小銭を間違えたり、降りるバス停を間違えたり。炊飯スイッチを押し忘れてたり、カップ焼きそばの蓋を初手で全部剥がしてしまったり。
と、やることなすこと上手くできない自分がどうしようもなく愚かに思えて、自然と笑いが込み上げて来るそんな日に、私は強く実感してしまう。共に笑ってくれる人も慰めてくれる人もない、一人暮し生活の真の寂しさを。
重力にさえ耐える気力を失った私は、ずるずると座椅子の背もたれから滑り落ちるようにして怠惰に寝転んだ。
かさり。ふいに、手の先がビニール袋に触れた。ああ忘れてた。私は指先でそれをつまみ引き寄せ、中身を確かめる。
くすんだ金色をしたランプ。日本人の私からすれば、これを『ランプ』と呼ぶよりは、カレールーを入れる器に似た急須と呼ぶ方がしっくりくる。だってこれがランプって。どこに火を。
私はうつ伏せになり、袋の中からそれを取り出していろんな角度から眺めてみたりしてみたが、すぐに飽きてしまった。
帰宅途中。古道具屋の店先で雑然と行われていたワゴンセールで偶然見つけたこのランプ。魔法のランプ大特価、と派手な字体で仰々しく書かれた札が目にとまってしまい、いつもならば鼻で笑って流すのだがとても疲れていた私は、あら素敵と気づけばレジに立っていた。値段は百円。後悔はないが、これをどこに置こうかと悩んでしまう。
とりあえず、と声を出しながら私は起き上がった。
「魔法のランプだし、擦らなきゃ……」
義務感に駆られるようにして、私はランプを擦った。一応ティッシュを使って。
私が知っている話では、ランプの口からもくもくと雲みたいな煙が出てきて、さらには愉快な魔人が出てきて、願いを叶えてくれていた。現実にはなにも起こらないと分かってはいながら、ほんの少し、砂糖一粒ほどのファンタジーを期待しながら私は擦った。
なにも起こらなかった。なんてことはなくて。その時私は、この世知辛い世界は意外にも、不思議な出来事を容認しているらしいことを知った。
ランプの口から、沸騰したヤカンの湯気のように勢いよく煙が吹き出したので、私は咄嗟に床に投げつけた。ごつんと鈍い音を立てそれは転がり、停止してもなお煙を噴き続けていた。
状況が理解できない私は、とにかく距離をとろうと壁際ぎりぎりへと避難した。疲労困憊の使えぬ頭を叱咤し考える。
「まさか魔法のランプ型の殺虫剤……?」
そう思い至った瞬間、両手で口と鼻を覆い、窓を開けるために移動を試みた。煙のせいで部屋中か真っ白になりつつあったので、早く早くと気が急く私を、片付けずに放置していた洗濯物が雑誌が邪魔をする。
ゴミ箱に躓いて、前のめりに転けそうになったとき、誰かに腕を掴まれた。おかげで転けずにすんだけれど、この部屋には私以外誰もいないはずなのに。誰。
顔色を失う私と反対に、白かった部屋がだんだんとその色を取り戻していき、おまけに私の腕を掴んだ犯人が明らかになっていく。
イケメンだった。
「ご購入くださいましてありがとーございまーす!」
背景に花でも咲きそうな素敵な笑顔が眩しくて、私は言葉を失った。条件反射のように無言で携帯を取り出してそのご尊顔を写真に収めようとしたら、彼は満更でもなさそうにピースなんかしてくれた。しかし、画面には彼の姿はない。私は叫び出しそうになる自分を必死に抑えて、喉から絞り出したかすかすな声で彼を問いただす。
「だれ。あなた」
「ランプの魔人でーす!……あ、あれ?おねーさんもしかして嬉しくない?というより怖がって、る?」
頭がもげるぐらい首を縦に振る。彼はあちゃあ、と大袈裟な手振りで古いリアクションをとり、いそいそとランプの蓋を開け、中からカードを取り出して私に差し出した。
ランプの魔人認定カード。カードに印刷された写真と自身の顔を交互に指さし、ほらこれ僕だよと言いたげにこちらを見てくるが、いやこの人何しているの、としか私は思えなかった。
「僕ね、魔人なんですよ。このランプ担当なんですけど、運の悪いことにいままで擦ってくれる人がいなくて。もう無理かなー、僕の魔人人生ってこんなものなのかなーって思ってたら、おねーさんが!そうあなたがついに!!」
がっしりと両手を握られた。驚いて身をひくが離してくれず、より一層強く手を握ってくる。
「だから、おねーさんが初めての主人なんですよね!至らぬ点がございましたら御手数ですがご指摘下さいませ!」
そういうと魔人は、用意していたのかフリップを使い、非常にわかりやすくランプの魔人について説明してくれた。内容はよく知ったあれそれで、話を聞いているうちにいつのまにか、この不思議な現状を疑うことをやめていた。それどころか魔人の存在に納得してしまい、叶えて欲しい願いを考えている自分が浅ましい気もしたが、人間欲望あってなんぼだろう仕方ない仕方ない。
さてさて、一つ目はやっぱり。
「イケメンに癒されたい」
「はいはーい了解しました!」
ぱんぱんっ!と魔人が手を叩くと、端正な顔の男性が現れた。清潔感のあるスーツ姿。低く甘い声で自己紹介をしてくれる。しかしぴくりとも表情が動かないので、マネキンのようだった。
「どうですか?」
「全然ダメ」
「えー」
「ほかのイケメンがいい。あ、これって願いにカウントされないわよね?訂正を求めてるだけだし」
「うっ……そうですね、僕の未熟さが原因ですので良しとしましょう」
渋々といった感じで魔人は再度手を叩く。するとスーツの男性が消え、次に現れたのは長髪が良く似合う男性。目を細め、余裕たっぷりに微笑む口許の色気たるや。キュンとしそうになるが、輩のような横柄な態度が私好みではなかった。
次、と私が言えば、魔人は嫌そうな顔をしてまた違うイケメンを……、と何回も何回も試してみたが、どれもこれも、良い点があれば悪い点があって。私は大きくため息をつく。
「もういい。あなたには無理」
「そんな」
「だって、何回やっても違うんだもの。見た目と性格と態度の組み合わせが大事だって何回も言ってるのに」
「お、お言葉ですが!あなたの望む組み合わせが複雑ででしてね?!五十年ランプに引きこもってた僕にとってはそんなの些細な違いであって、顔がよければみなイケメンですよぅ……」
「なによう。口答えする気?」
「うぐっ……」
「例えば。例えばよ」
私は魔人が出したイケメンのひとりに近づいて肩を叩く。
「こういう見た目のイケメンは、こんな甲斐甲斐しい態度じゃなくて、もっとこうスマートに、一見冷たい対応に見えるんだけど心の中では愛情が、みぞおちを温めるときのカイロみたいな愛情がね、あるわけよ!」
「わ、わかりませーん!何を言っているんですか?失礼ですけど、あなたがなにを求めているのか本当に理解できないです」
「そう。じゃあまずは勉強ね」
「べんきょう?」
「私の好みを把握して、最高のイケメンを作れるように勉強して」
「ええー」
「魔法のランプに出会うなんて奇跡、これからさき絶対ないんだから悔いのないように使わなきゃね」
「うう……もっと単純な人がよかった」
「あら、単純よ。ただイケメンが欲しいの」
「イケメン……いけめんとは…いけめん…」
ぶつぶつ言いながらランプに戻っていく魔人の姿が、とても私好みだったが内緒にすることにした。
こんな夢みたいな出会いが本当にあるなんて。夢じゃないことを確かめるように、ランプをそっと擦ってみると。
「わっ。なんですか?なにかご用ですか?」
「別にー」
困り顔の魔人は、やっぱりとってもかっこよかった。
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