07 宮廷魔術師
それで、と男は振り向かずに尋ねた。
「得たものは?」
「伝説、ですかね」
黒ローブの魔術師は肩をすくめた。
「薬草への興味という動機がなかったら、私もシリンドルの神に帰依してしまうところでした」
「笑えない冗談だ、イズラン」
男はやはり、窓の向こうを見たままで呟いた。
「全く、少しも、面白くない」
「そうですか? 私は面白かったですよ、
イズランは、アル・フェイル王オルディウスの背中に丁重な礼をした。
「非常に興味深かった。ですが、どうやら問題の植物は、本当に神の奇跡で生じるものです。こっそり坪庭の土を持ち帰ってみましたが、魔術的要素は何もない。神殿にも調査を依頼しましたが」
「神殿に? お前が?」
「私が直接持ち込んで、妙な噂が上がっても困りましょう。兄弟子に任せました」
「魔術師同士はあまり交流を持たぬと言うが、お前とラドーは仲がいいな」
そこで王は振り向いた。
それは、やや色の残る総白髪に白い顎髭をたくわえた、六十歳を回ったと見える人物であったが、単なる老人と言う感じはしなかった。身に備わる威厳というものは、年を経るだけで得られるものではないが、少なくともオルディウスには、年齢と地位に相応しい風格があった。
体格も、その印象を手助けただろう。たとえ身を飾る装飾品を全て取り払ってしまっても、豊かな暮らしをしていることは判る。
もっとも、太っているという印象はない。むしろ、老戦士のようだと言える引き締まった身体を持っていた。ただ、長身であるためか、細いイズランと並べば、タイオスとハルディールのように「大人と子供」に見えただろう。
「お前がいない間はラドーがよくやった。ライサイの残党が出たが、お前に連絡するまでもなく、片づけたからな」
「それは重畳でした」
王の息子ほどの年齢である魔術師は、ただ丁重に礼をした。
「しかしな、イズラン。私はやはりお前がいい。――我が宮廷魔術師よ」
オルディウス王はそう言って笑った。それはなかなか人好きのする笑顔であり、「王の御前」ということで緊張さえしなければ、たいていの人間は釣られて笑みを浮かべてしまいそうだった。
だが、シリンドル王子やその騎士たち、〈白鷲〉と呼ばれた戦士やシリンドル神殿長らの前でにこにことしていた魔術師は、笑みを浮かべずに嘆息した。
「宮廷魔術師業にはラドーの方が向いていると思うんですけどねえ、まだ彼と換えてくださる気はないんですか」
「あるはずがない」
ふん、と王は鼻で笑った。
「それで、神殿の見解は」
「神界七大神と自然神では教義も理も違う。土に神は宿らない、で終わりです」
「お前はそれで納得したのか?」
「するものですか。もう少し研究を進めます。もっとも、あの出来事から推測されるように、神の意志で植物が突然生えたりするということであれば、それがどんなに珍しい草でも普遍的な魔術薬に応用などできません」
「神秘を研究するなど不敬だとでも思うのか」
「まさか」
魔術師は肩をすくめた。
「この年になって初めていんちきではない神秘に触れたと思いますがね、陛下。シリンドル人のように純粋な信仰心が持てる育ち方はしてきませんでした。たいたい、私は魔術師であって神官じゃない。神様だって研究対象にする人種ですよ。もっとも、系統立つことなどないそれを研究したがる魔術師も珍しいし、大成した者もいませんけれど」
「ならばお前は何を研究する」
「〈峠〉の神は力を持つが、シリンドル土着の神と言っていい。アル・フェイルには利益も害ももたらしません。もし――」
彼は両腕を組んだ。
「神の使いが、アル・フェイルをうろうろするようだと、判りませんけれど」
「〈白鷲〉と呼ばれる男のことか」
「タイオスのことではない。彼は神の望む役割を果たしたと思いますが、彼がアル・フェイルをうろついたからって何か問題が生じるとは思いません。ただ、もし」
イズランはそこで言葉を切った。
「もし、何だ」
オルディウス王は促した。
「いえ」
イズランは首を振った。
「何でもありません」
「俺に隠しごとをするのか」
老王は、若者のようにむっとした。
「不確かすぎることを考えました。これは想像、妄想の域であり、陛下に申し上げるようなことでは」
「ごまかすのか。許さんぞ」
厳しい顔でオルディウスは言った。
「言え、イズラン」
「お断りします」
しかしさらりと、宮廷魔術師は拒否した。
「私に言えますのは、陛下。シリンドルは所詮、小国。風光明媚なだけの田舎だということです。神に近しい土地柄が私欲を持たない、或いは私欲を排除できる高潔な人間を生みますが、彼らはシリンドルに根付き、引き抜きの意味はない。そうした辺りです」
「何だ。噂の騎士のひとりやふたり、見てみたかったのに」
オルディウスはがっかりした顔を見せた。
「子供みたいなことを仰らないでください。彼らは見せ物じゃないですよ」
「うちの
「ですから、そうはできなかったと言っているんです。行間を読んでください」
イズランは息を吐いた。
「近衛に欲しいと思う人材は、二名ほどいました。ですが金では、彼らを買えないんです」
「何だ」
オルディウスは唇を歪めた。
「つまらん」
「私は面白かったです」
イズランはまた言った。
「土産ならば、腕輪をお見せしましたでしょう」
「ああ、猛毒の〈死の腕輪〉か」
アル・フェイル王は厄除けの仕草をした。
「俺はああしたもので臣下を縛る気などないぞ」
「もちろん、そうしてくださいという意味でお持ちしたのではありません。ただ、私はあれのことでタイオスと直接関わったので」
「彼が兵士たちに約束したことをお前が魔術で成したと言うんだろう。その話は聞いた」
腕輪をしたまま雇われ兵たちを解雇しても、もう彼らを脅かす者はいなくなったのだから、問題はなかったかもしれない。だが戦士は約束を重んじて、イズランに話を持ちかけてきたのだ。
「難しくはありませんでしたが、面倒な作業でした。ですが、神殿長越しではなくヴォース・タイオス個人と関わったことは、今後何かを生むやもしれません」
「曖昧な言い方だな」
はっきり言え、と老王はまた命じた。
「――タイオスはいまだ〈白鷲〉です。ただ、彼に何かしらの神秘が宿る訳ではない。その代わり、〈峠〉の神がシリンドルを離れて加護を授ける者がいるとすれば、それは彼だということ」
「ふむ」
王は両腕を組んだ。
「それがお前の土産か」
「ええ。八大神殿は、国に属さない。個人にも、無論。しかし〈峠〉の神は違う。何かの際には、使えるやもしれません」
「具体的には」
「さあ。私は未来を読むことはしませんから」
魔術師はそれで済ませた。王は胡乱そうにそれを見ていたが、追及しても答えは出てこないと気づいていた。
「もっとも、残念にも思います」
イズランは息を吐いた。
「シリンドルとの交流が敷かれれば、私が頻繁に出向くことになったでしょう。そうであれば、ラドーに宮廷での仕事の一部を押しつけられるものと思いましたのに」
「何」
オルディウスは渋面を作った。
「アル・フェイルそのものが絡んでいるのではないとするために宮廷魔術師と名乗らないと言っていたのは、では、嘘八百だったのか?」
「陛下への名目上は、そういうことにいたしました」
「お前はそんなに、この仕事が嫌か」
「嫌です」
イズランは即答した。
「私は表立つことなんて嫌いなんです。ラドーの方が絶対に向いていますし、そつなくやりますのに」
ぶつぶつとイズランは言った。王はそれを無視した。
「もういい。シリンドルの話は終わりだ。こっちにこい、イズラン」
「嫌です」
またしても魔術師は言った。
「何と。我が命令に逆らうか」
「陛下のお近くに寄りますと、何に対しても『嫌です』と答えた瞬間につかまりますから」
「お前がわがままを言うからだ」
「ご命令に従って、陛下の代わりに遠い国を見てきましたでしょう」
「何が命令だ。お前が興味を持ちそうだと思って私はかの神殿長と話をしたのだし、お前がどうしても行ってみたいと言うから、渋々と命令書を綴ったのではないか。俺は大して、シリンドルに興味などなかったのに」
オルディウスは顔をしかめた。
「ええ、おかげさまで。陛下のいらっしゃらないカル・ディアルもシリンドルも、たいそう穏やかで満足のいく日々でした」
イズランは、小昏い陰謀に接していた日々をそんなふうに語った。
「やはりそれが目的だったのか。そんなに俺といるのが嫌か、イズラン」
「嫌です」
宮廷魔術師は繰り返し言った。
「王陛下という存在に必要なだけの敬意は抱いておりますし、仕事ですから、必要なことはいたします。ですが、そこまでです」
「ラドーといる方がいいのか」
「彼は話が通じますから」
「あれは面白くない。俺が何を言っても、無難な返答しかしない」
「陛下の御前で従順な態度を取るのは、アル・フェイルの民として当然のことです」
「俺の後ろでは、舌を出しているという訳か?」
「そんなことを申し上げているんじゃありません。彼も私も、陛下の
「道化師が欲しければ、
「けっこうです。呼んでください」
「呼ぶ必要は感じない、と言っているんだ」
オルディウスは手を振った。
「行間を読め」
イズランは肩をすくめて、
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