03 許可は要らない
お帰りなさいませ、と部屋の主は立ち上がって王子に礼をした。ハルディールは手を振って、座ってよいとアンエスカに示した。
「行ったのですか」
「ああ」
少年はうなずいた。
「お前も見送りにくればよかったのに」
「どうして私があれを見送る必要がありますか」
顔をしかめて、アンエスカは言った。
「友を旅路に送り出すことに、どんな言い訳が要るんだ?」
「生憎ですが殿下、あんな男を友人に持った覚えはありません」
「どうしてお前たちは」
王子は笑った。
「互いに競うような勢いで、互いをけなし続けるんだろうな」
「世の中には相性というものがあります」
アンエスカは肩をすくめた。
「私もタイオスが仕事を果たしたことは認めますが、それは即ち、私が彼を好くという流れにつながらない」
鼻を鳴らして騎士団長はそう説明し、失礼しますと言って再び座ると書類に手を伸ばした。
ハルディールは忙しそうな摂政を少しだけ見ていた。本来ならばこうしたことはアンエスカの仕事でもなければハルディールの仕事でもない。いや、ハルディールの仕事ではあったが、いままでであればもっと簡便だった。物事は口頭で伝わり、処理されることがほとんどだった。
だがアンエスカが書面を要求するようにした。誰がどういう理由で何を求めるか、記録に残して整理するようにしたのだ。
それは、物事を客観的にして公正に取り扱うための提案であり、利害がどこかに偏らぬよう、平均を取るためにも役立った。
だが単純に、手間も増えた。決定に時間がかかってしまうこともある。一長一短と言えた。
「少し、いいか」
「無論です」
「ルー=フィンと話をしたのか」
少年王子は気になったことを尋ねた。
「ええ、少々」
アンエスカは書類を整えながら答えた。それは「大した話をした訳ではない」と示しているようだった。
「大事な話だったのでは?」
王子が続けて尋ねれば、そこで摂政は顔を上げた。
「大事、とは」
「僕がそれを訊いている」
「ごもっともです」
アンエスカは再び立ち上がった。
「そちらへ」
彼は王子を来客用の部屋へと促した。ハルディールは少し緊張した顔でうなずいた。
背のある布張りの椅子に王子が腰を下ろすと、アンエスカは向かいに座った。
「ルー=フィンですが」
「ああ」
「クインダンが行っている自由訓練に参加をしてもかまわないかと」
「自由訓練? 民が好きに参加する、あれのことか?」
シリンドルの自警団は、余所で言えば徴兵制に近いものがある。成人した男たちが持ち回りで国境や町の警備をするのだ。
現実的に、それは「見張り」の域を出ない。何かおかしなことがあれば煙を焚いて王や騎士団に伝えることになっているが、ここ数十年というもの、南からやってきた山賊の事件を除けば、野犬の群れが近くを通った以外の異常事態は起きていなかった。よって、ああした事態になっても石を投げる以上のことができる者はいなかったという訳だ。
だが訓練の機会はあるのだ。希望者がいれば、騎士団は基礎的な訓練を施す。
昨今はその希望者がほとんどいなかったが、ここ半月でぐっと増え出していた。クインダン・ヘズオートはなかなか評判のいい師匠だった。
「だが、参加に許可は要らないだろう」
首をかしげてハルディールは言った。アンエスカはうなずく。
「ええ、要りません。私も彼にそう言いました。好きにすればよいと」
「それで?」
「彼は『判った』と」
「……それで?」
「それだけです」
騎士団長は肩をすくめた。
「お前に、許可を求めにきたのでは?」
「許可は要りません」
アンエスカは再度言った。ハルディールは首を振った。
「自由訓練の話じゃない。騎士団長に、騎士となる許可を求めにきたのではないかと言っているんだ」
「それとて、私の許可など要りませんよ。確かに私には、最終的に、たとえば好みでもってふるい落とす権利はあります。もちろん好悪では判断しませんが、もし『どうかお願いします』といちいち頼んでくる者がいれば、むしろふるい落としますね」
厳しく団長は言った。
「しかし殿下。どうしてルー=フィンが騎士の座を望むとお思いに?」
「タイオスが言ったんだ」
「成程。言いたくありませんが、彼はよく見えていましたね。それとも、そうした知恵をルー=フィンにつけたのがタイオス自身だったのやもしれませんけれど」
アンエスカは正確なところを突き、王子はその通りであったことを伝えた。
「そうですね、ルー=フィンは試験を受けてもよいかと私に尋ねてくるかもしれません。本当は、先ほど言いたかったのもそれだったのかもしれない。実のところは、私もそれを考えていました。その件を殿下に申し上げようかと思ったのですが」
彼は王子を別室へ誘った理由を説明した。
「そうでしたか。タイオスが」
呟いたその様子には、かの戦士が慧眼であるだとか、それとも悪くない提案で未来ある若者の命を救ったであるとか、どちらにせよタイオスの言動を認めるなどしたくない、という反発心のようなものが垣間見えた。
「ですが」
と騎士団長は、タイオスのことをさておいて、首を振った。
「少なくとも口に出しては、ルー=フィンは訓練の参加を求めてきただけです」
そう説明して、アンエスカはじっとハルディールを見た。
「何故、お尋ねに? 殿下は彼を騎士にしたいのですか。それともその逆」
「判らない」
ハルディールは首を振った。
「彼が望むなら、そしてお前が許すならとは思うが、彼は王位に就ける存在であるかもしれないのに」
「そのことはお忘れを」
ぴしゃりと、アンエスカは告げた。
「ヨアフォードの言葉は証拠にならず、ほかに証拠もない。ルー=フィンも真実を求めず、真実は……ラウディール様の名誉を傷つけることになりかねない」
アンエスカは慎重に言ったが、それはつまり――彼は、ヨアフォードの言が真実で有り得ると考えている、証でもあった。
彼は決してそうは言わず、ただ調査を進めるとのみ王子に告げていたが、ハルディールもまた気づいていた。
そう言いながら、アンエスカは調査など進めていない。
もちろん、いまはほかにやらねばならないことがたくさんある、ということもあった。だがラウディールとヨアフォードの間にいた男は、やるべきことをできる限り先延ばしにしたいと、彼らしくないことを感じているようだった。
ヨアフォードの言葉が真実であればラウディールを貶めることになる。それはもちろん、アンエスカにはつらいことだったろう。だが逆に、全てが出鱈目であったならば、それはそれで――ヨアフォードを貶めることだ。
反逆の神殿長は、既に罰された。アンエスカはそれ以上のことを望まなかったのだ。
ハルディールはそれを咎めなかった。ルー=フィンが王位を求めない以上、急いで事実を確認する必要はない。
かと言ってうやむやにすることは望ましくないと思う一方、判らないままでもいいのではないかという気持ちも存在した。アンエスカの躊躇いは、よく判る。
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