11 これからのこと

「お医者様は、起き上がって屋内を歩くだけならかまわないと言っただけよ」

「先生は大げさに仰っただけですよ、殿下」

 青年騎士は苦笑した。

「それとも、騎士の体力を甘く見ていらっしゃる」

「専門家の言うこたあ聞くもんだ、クインダン」

 しかめ面でタイオスは忠告した。

「騒乱が続くようなら、お前が無理を押す必要もあったろうが、幸いにして大筋は片づいた。今日明日のためじゃない、来年再来年、十年後のシリンドルのために、まじでしっかり治しておけ」

「そうさ、クイン」

 レヴシーが胸を張った。

「俺とアンエスカに任しとけよ」

「……仕方ない」

 実に渋々と、クインダンはうなずいた。

「〈白鷲〉の助言に従います」

 「何でもいい」と言ってしまったタイオスは、それに異論を唱えることができなかった。

「問題は、確かに大筋で片づいた」

 ハルディールはタイオスの言い方を使った。

「だが早急に決定しなければならないことがある。……ヨアティアだ」

 エルレールがぴくりとした。クインダンもレヴシーも、表情を引き締める。

「ルー=フィンを許すのであれば、ヨアティアも同様とするべきなのか」

「余所者が客観的に助言するなら、あいつはヨアフォードの代わりに処刑すべきだ」

 戦士は冷徹に言った。

「親玉は死んだが、民たちはお触れでそれを知っただけ。目に見えてよく判る『悪の終焉』が要る」

「しかし……」

「死なせたくない、か? まで? 聖職者並みに立派だがな、ハル。あれが心を入れ替えてシリンドルのために身を粉にして働くとは、とてもじゃないが思えんぞ」

「彼に情けをかける理由は見当たらない」

 うつむいて王子は言った。

 もしヨアフォードをとめることのできた者がいたとしたら、それは息子だけだった。父親殺しの汚名を着てでもヨアティアが王の殺害を阻止していれば、混乱は一夜で済んだろう。

 もちろん、ヨアティアにそれが可能だったとは誰も思わない。ただ、可能な位置にいたはずだった。

 だが息子はそうしなかった。彼は、たとえばルー=フィンのように、神殿長の信条に共感して心酔しているというのでもなかった。ただ彼の子供である故に、その権力に庇護され、好き放題をやってきた。王女に乱暴を働こうとするまでに。

 知識はあっても知性はない。教義は知っても信仰心もない。シリンドル人として生まれ育った以上、皆無ということはないが、それでも非常に表面的だった。父親は逆に、神を崇めるからこそ――あの日まで――後ろ指を指されることのない神殿長であったのだと、ヨアティアは理解していない。

 ヨアティアは、タイオスが感じていたように、とても「普通」だった。シリンドル人らしからぬ、という点で。

「タイオスの言うことは判る。ヨアティアには果たさなかった責任をここで果たしてもらうべきだと。エルレールのことでも、許せるものではない」

 だが――と王子はうつむいたままで迷いを見せた。

「あのことは、除いて考えてちょうだい」

 エルレールは弟にそう告げた。

「思い返せばおぞましいわ。けれど……ニーヴィスが」

 その名を口にしながら王女は哀悼の仕草をし、全員が倣った。

「彼が助けてくれたわ。罰は、クインダンが命懸けで与えた」

 王女は彼女の騎士の傍らに寄ると、その腕に触れた。

「どうか、私怨は除いて」

 気丈に、それとも聖女のように、巫女になる娘は言った。

「殺っちまえばよかったなあ」

 対するように、戦士は物騒なことを言った。

「俺がそうしとけば、いまになって面倒臭い処理に頭を悩ませずに済んだろうが。素知らぬ顔で、いまから殺る訳にもいかんしな」

「ヨアティアと話をする必要があるな」

 ハルディールは乗り気でない風情で続けた。

「彼の父が死に、もはや彼に庇護の手はないこと。態度如何によっては、父親の代理のように、処刑台に送らなければならないだろうこと」

 少年は、その決断自体はもとより、そう口にするのも気が重く感じていた。

 として斬ること、吊るすことが必要な首もある――ということを彼は理解せざるを得なかったが、進んでそうしたいとは思えない。

 それは彼が神の国の王子であるからかもしれないし、いまだ若いためであるかもしれなかった。

(もっとも)

(そのままでいてくれた方が、好感が持てるってもんだ)

 大国の王では家臣や他国に舐められかねないが、ここシリンドルならば、そんな王様だってだろう。異国の戦士はそんなふうに思った。

「話ができるくらいには、回復しているんだろうか」

「どうだろうね。クインより深手な上、クインみたいな根性はないだろ」

 馬鹿にするようにレヴシーは笑った。

「ちょっと見てくるよ。あの姉さんの献身的な介護が奇跡的な何かを生んでいるかもしれないし」

「軽口が過ぎるぞ、レヴシー」

 先輩騎士ははしゃいでいる様子の後輩を少したしなめた。少年騎士は素直に謝罪の仕草をした。

「では、レヴシー・トリッケン、虜囚の健康状態を確認に行ってまいります」

 それから彼は大国の軍兵のように敬礼をしたが、それだってあまり真面目だとは言えなかった。年上の騎士も年下の王子も、苦笑めいたものを浮かべる。

「安心したんだろうな」

 タイオスもまた笑った。十代の少年らしく見える反応を微笑ましく思ったのだ。

(大変なのは、目に見える判りやすい敵なんていない、これからの戦いだぞ)

 はそんなふうに思ったものの、たしなめたり説教したりは団長の仕事だろうと、何も余計なことを言わずにおいた。

 苦いものはある。だが、勝利は勝利。

 喜びに水を差すのも野暮というものだ。

 そんなふうに、思った。

「これからのことを考えなくてはならない」

 レヴシーを見送ってから、ハルディールはまた真剣な顔をした。

「まずは神殿長のことだ。たとえヨアティアが心から反省したとしても、彼に継がせることはできない。シリンドレンの血筋を探すべきだろうか」

「そうね、それがいいと思うわ。身内たるヨアフォードの取った行動に嘆きを覚えていたシリンドレンの人間はきっといるはず。年齢や経歴も考えに入れるべきだけれど、何よりも信仰心を持ち……平和を望む人であってほしいわ」

「僕も同じように思う」

 若い彼らは心から言い合った。

 所詮、理想だな――とタイオスは思ったが、理想が実現できるなら、それは悪いことではない。

「大臣は、新たに選出しなくてはならないな」

「任期を終えて次の大臣を選ぶときと同じようにしましょう」

「それがいいだろうな」

「ちなみに、どうするんだ?」

 余所者の戦士は尋ねた。王の独断であれば簡単だが、大臣とやらが後継を認めるなどという手順もあるのではないかと思ったのだ。大臣がいないいま、そうしたことをどうするのかと。

「選挙です」

 答えは、思いがけなかった。

「……は?」

 聞き慣れない言葉に、戦士は口を開けた。

「民たちから、民たちが、選びます」

「え?」

 次にはタイオスは、目をしばたたいた。

「王政、だろ? 王が大臣を任命するんじゃないのか」

 南のラスカルト地方では、領主不在の時代があって、そのときに貴族政治ではなく民衆政治が敷かれるようになったのだと彼も聞いたことがある。いまでは領主の血筋も帰還したが、遠くリンシア地方やミランド地方のように、各街町は貴族ではない選出制の総督が治めているのだとか。

 だがマールギアヌ地方はほとんどが、王侯貴族の支配する国で成り立っている。民たちが大臣を決めるなど、タイオスには冗談ごとのようにしか聞こえなかった。

「シリンドル家からはシリンドルの王が出ますが、シリンドルはシリンドル家のものじゃありませんから」

「民のものだもの」

 彼らにはそれが当然のことだった。

「は」

 タイオスは驚き、そして笑った。

 神と、古典のような王子様と、古臭い騎士制度のある国は、民たちと共に生きているのだ。

(小国故に可能なことかもしれんが)

(ずいぶんと変わった、面白い制度だな)

 神秘と現実。

 ここは、相反するように見えるそれらが普通の顔をして同居する国だ。

 改めて戦士は、そのことを知った。

「選挙まで、通常のように長い期間は設けられないな」

「一時的に、経験者を呼び戻すというのはどうかしら」

「それは悪くない――」

 十代の若いふたりが語り出したことは、もはやタイオスには理解不能と言おうか、彼の畑からは遠ざかってしまった。戦士は肩をすくめ、青年騎士に目をやった。

「どうだ」

「すぐに治ります」

「そればっかりだな。気持ちは判るが、気持ちだけじゃ怪我は治らん。無茶をして古傷を残すようなことはするなよ」

「そうですね……アンエスカにも厳しく言われそうです」

 クインダンは釣られていない右肩をすくめた。

「彼が剣を苦手とするようになったのは、負傷を押して動き続けた結果ですからね」

「騎士になるには厳しい試験があるって話だからな。最初から不得意じゃ、騎士にはなれんだろうと思ったが」

「見事な剣士だったそうです。二十年前の〈白鷲〉が、背中を預けるなら彼だと言ったとか」

「へえ」

 噂に聞く〈白鷲〉サナース・ジュトン。彼はかなりの使い手だったと言う。それに認められたとなれば大したものであったはずだ。

「あなたは、どうです?」

「何が」

「我らが騎士団長をどう思いますか、ということです」

「どうもこうも」

 剣士として、いまのアンエスカがどれだけの力を持っているのかなどタイオスは知らない。本人も周囲も言うのだから、「ある程度はやれるが、実戦では厳しい」という辺りなのだろう。

 もちろんクインダンはそれを知っているはずであり、戦士としてアンエスカに背中を預けられるかと尋ねたのでは、ない。

 実際の剣技についてではなく――信に足るかと。

「生憎だが」

 中年戦士は肩をすくめた。

「あのクソ眼鏡野郎に、二代に渡る〈白鷲〉から信頼された、なんて能書きをつけてやる気は、ない」

 それは、信頼していると言いたくないだけだ、という台詞であった。クインダンは笑った。

「タイオス殿、あなたは」

 クインダンが何を言おうとしたのか、タイオスには判らなかった。

 と言うのも、戦士と騎士はかすかに聞こえた何かに、ぴくりと反応したからだ。

「……いまのは?」

「女性の悲鳴です!」

 ぱっとクインダンが立ち上がった。

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