10 ただの偶然

 太陽リィキアはようやく、高い位置に昇ろうとしているところだった。

 〈峠〉から降りてきた一行はヨアフォードの亡骸を神殿に運び、神官や僧兵らを呆然とさせた。

 ヨアフォードに忠誠を抱いていた者も、こうなってまで王子や騎士たちに刃向かうつもりはなかった。混乱は生じ、誰もがすぐさま王子にひれ伏した訳ではないものの、暴力的なことは何も起こらなかった。

 ハルディールにひざまずくことを躊躇った者もいたが、少し落ち着けば元に戻っただけだと理解するだろう。それがアンエスカの予測だった。

 彼は強い手段を取る気などなかった。それはヨアフォードのやり方であり、ハルディールの望まぬことだからだ。

 タイオスが何を言ったものかアンエスカには判らなかったが、意識を取り戻したルー=フィンは、不気味なほどおとなしく彼らと一緒に歩き、彼らの側に立った。そのことも、神官たちの迷いを払う要因となるだろう。

 魔術師イズランは、彼を雇ったヨアフォード亡きいま、もはやシリンドルにいる意味はないと言って早々に立ち去った。イズランが何を望んだのか、何か手にしたものはあったのか、タイオスにもハルディールにも、アンエスカにも判然としなかった。

 そうして正午を過ぎる頃には、神殿長の訃報と、王子が半年後に即位すること、それまで騎士団長が摂政に立つ旨が、正式な書面で札に建てられた。半刻とせずに、シリンドル国民全員がそれを知るだろう。

 王女と残された騎士たちは、消えた王子と戦士に胃の痛くなる思いを味わっていたが、彼らと神を信じ、下手に騒ぐような真似はしなかった。ハルディールはすぐさま彼らに使いを送り、神殿へと呼んだ。

 生き残ったただふたりの王族と、〈シリンディンの騎士〉三人が揃い、さながら麓の神殿は王家の館のごとくなった。

 起きた出来事を彼らに伝えるのは、本来であればアンエスカが相応しかったが、彼は様々な処理に追われたため、語るのはタイオスの役割となった。

 戦士は不確実なことは何も話さず、王子にも口走らせぬよう注意しながら、事実だけを語った。

 即ち、ヨアフォードが王位を求め、扉に触れて酷い火傷をしたこと。昨夜に彼を案内した子供が現れて、火傷は治らぬと告げたこと。タイオスがヨアフォードを殺害したこと。ルー=フィンが自害しようとしたが、魔術師の力を借りてそれをとめたこと。

 そうしたことだけ。

 ラウディールについてヨアフォードが語ったことは、彼は一切、口にしなかった。ハルディールは躊躇う様子を見せたが、戦士は王子に何も言わせなかった。

 嘘とまで言わずとも、あれらが神殿長の思い込みであれば、王女たちが知る必要はない。たとえ事実であったところで、ハルディールが罪悪感を抱くことではない。

 いずれ落ち着いて、ハルディールが彼らに話したい、話すべきだと思えば、それはタイオスのとめることではない。だがいまは、王子はまだ感情的だろうと彼は判断した。

「結局のところ、神様が好きなようにやった、ってな感じもなくはない」

 タイオスは肩をすくめて、そんなふうに言った。

「少し前の俺なら、そんな馬鹿なと言うんだが、いまはもう言えなくなっちまったな」

「終わった……いいえ、少なくとも一段落はした、というところかしら」

 エルレールが呟いた。

「これからね」

 その言葉にハルディールはうなずいた。

「けれど、いいかしら」

 彼女はゆっくりと言った。

「話していないことが、あるわね」

 王女は戦士にとも弟にともつかぬ調子で言ったが、すぐに首を振った。

「でも、かまわないわ。私が知るべきであれば、いつか知る」

「有難う」

 ハルディールは短く礼を言い、秘密があること自体は明らかにした。姉がそれを教えろとせっついてくることはない。弟にはそのことがよく判った。

「だが、このことだけは言っておかなくてはならない」

 次に王子はそう続けた。

「おい、ハル」

 タイオスは厳しい顔を見せた。

「確実でないことを一時の感情で口にするんじゃない。お前は、まだ位こそ継いでいなくても、王と同じだ。お前の言葉は、その口から出た瞬間に、王の言葉になるってことをよく」

「判っています。だからこそ」

 ハルディールはタイオスの手を取った。それは思いがけなかったことで、戦士は何ごとかと目をしばたたいた。

「エルレール。クインダン。レヴシー。言っておく。タイオスこそが、本当の――〈白鷲〉だった」

「それかい」

 タイオスはげんなりとした。

「俺はそんなんじゃないと何度言えばいい」

、なんですよ」

 澄ました顔で少年は言った。

「どれだけ否定しても、全ての出来事はあなたを神の使いだと指している」

「気のせいだ」

「否定し続けるならそれでもいいですが、事実は変わりません。遠い町で護符を手にし」

「お前が勝手によこしたんだろうがっ」

「あれも神の導きです」

「それで済ませる気か、それでっ」

「ヨアティアの落とした護符を拾い上げ」

「偶然だ。落ちてたもんを拾うくらい、俺じゃなくても」

「しかし、あなただった」

 ハルディールは指摘した。タイオスはうなる。

(あのとき、まあ、拾ったのは俺だ)

(だが、たまたま)

(たまたま……?)

 彼は思い返した。護符との接点。

 ハルディールが、彼の腰帯に結びつけた。それは王子の意志とも神の意志とも取れない。

 そのあと、路地裏で彼の腰に護符を見つけたヨアティアから、タイオスはそれを奪い返した。

 アンエスカの死を偽装したとき、それを持っていくべきだと主張した。

 それから、シリンドルの街路で、拾い上げた。

 三度。彼は三度に渡り、自らの意志で、それを手にしたことになる。

「偶然……」

 あくまでもタイオスは、そう主張しようとした。

「――この件に関わってから、あなたは一度も、神に導かれていると感じませんでしたか?」

 静かに、王子は問うた。

「感じるはずが」

 中年戦士が即答しようとした、そのときであった。

 タイオスの脳裏に、不意にはっきりと蘇った光景があった。

 いまは遠い、馴染みの町コミン。

 仕事を終えて、いい気分でいたのだ。

 どこに行くとも決めておらず、町をぶらついた。

 そう、決めていなかった。ハルディール少年がうずくまっていた、カンディアン広場を通りかかったのはただの偶然だ。

(――偶然)

(たまたま、俺の前を歩いていた奴が角を曲がって、それで、俺は釣られるように)

 蘇った。そのときの光景。鮮明に。

 彼の前を歩き、角を曲がる前に、まるで誘うように振り返ったのは――黒い髪をした、子供だった。

「あ……あのガキ」

 呆然とタイオスは叫んだ。

「ほら」

 ハルディールはにこっと笑った。

「あるでしょう、心当たりが」

 したり顔で言われ、タイオスはうなった。

「ハルディールがそう考えていることは判っていたわ」

 王女はただうなずいた。

「民もそれを信じている」

 よく似た笑顔で王女が言った。

「ねえ、レヴシー?」

「はい、殿下。クインの医者を呼びに、ちょっと出たんですよ。そうしたら町は、護符を持った戦士の話で持ちきりだった」

 にやにやとレヴシーは言い、タイオスは苦い顔をした。

「あれは……何つうか、そうでも言わなけりゃ連中の突進をとめられそうになかっただけで」

 歯切れ悪く戦士は言い訳をした。

「でも町ではみんな、信じている」

 レヴシーが告げた。

「本当のことだからな」

 ハルディールがうなずいた。

「あー」

 タイオスは頭をかきむしった。

「何でもいいさ、もう」

 投げやりな台詞に王子たちは顔を見合わせ、声を出して笑った。

「クインダン、調子はどうだ」

 ハルディールは青年騎士を見やった。クインダンは、王子を前に腰を下ろしたままでいる非礼を詫びる仕草をした。もっとも、立ち上がることを禁じたのは王子なのだが。

「今日一日だけ休ませていただければ治ります」

「そんなはずが」

「あるか」

 タイオスとレヴシーが異口同音に言った。

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