04 黒髪の子供

 〈白鷲〉の護符。

 彼をこの件に巻き込んだモノ。

 タイオスは近頃、ハルディールが彼を巻き込んだと言うよりも、「護符が」それとも「〈峠〉の神が」そうしたのだと思うようになっていた。

(シリンドル国民に毒されてきたか)

 苦笑が浮かぶ。

 この場ではかまわないが、気をつけないとカル・ディアルに戻ってからもうっかり神様神様と連発してしまいそうだ。信心深いのは悪徳ではないが、信心深い戦士となれば嘲笑の対象になりかねない。

(〈魔術師協会では魔術師の言うことに従え〉と言うが、シリンドルではシリンドルの常識に、カル・ディアルではカル・ディアルの)

 この年になって価値観を覆される――とまでは言わないにしても、もしかしたら自分が非常識なのかと迷うことになるとは。

(何も、シリンドルが非常識だと言い立てる訳じゃないが)

 と彼は内心で言い訳したが、少しは思っているからこそ、常識はその文化や人々によりけりだ、などと改めて考えるのである。

(ああ、そんなことより)

(考えるべきことは山積みなんだが)

 ニーヴィスの死をどう伝えるか、などというのは、もはや些細な悩みだ。

 魔術師イズラン。これを抑えておかなくては、どんなに優位な場面でもいつ何時ひっくり返されるか判らない。早くけりをつけたいのはハルディールもヨアフォードも同じ。彼が呑気に寝ていた間に何が起きていたとしても、最終的にハルディールが王位に就ければ問題はない。ただ、少年王子が少年王となるには、「悪の親玉」をやっつけておくことが必須。

(結局、そこだ)

 タイオスは思った。

(重要なのは組織の頭という訳)

(いっそ、俺が)

 そこで彼が思ったのは、アンエスカがほのめかしたのと同じことだった。

 ハルディール王子、エルレール王女、アンエスカ、クインダン、レヴシーら騎士たち、これらの重要性――と、華々しさ――に比べたら、ヴォース・タイオスなんてごみみたいなものである。

 ご丁寧にもヨアフォードはイズランを使って彼をにしようとしたが、騎士を牢に閉じ込めたようには彼を警戒していない。

 隙を突けるとしたら自分だろう、とタイオスは考えた。

(だが問題は)

 真剣な顔で戦士は町並みを睨んだ。

(俺は、神殿の場所を知らんということだ)

 そんなものは誰にでも訊けばよいのだが、うろついていた連中は片っ端から家に帰れと言ってやっており、通りはがらんどうだ。いまさらどこかの戸を叩くのも間が抜けている。

 間抜けに見られようと痛くもかゆくもないものの、少なくとも、と中年戦士は顔をしかめた。

(クソ眼鏡にだけは、相談しとかんとな)

 個人的好みに左右されて物事を決める訳にはいかない。その辺りが割り切れる程度には、タイオスは冷静な判断力を持っていた。

 いまシリンドルを動かすのは、表向きにはハルディールでも実際にはアンエスカだ。少年が傀儡だと言うのではなく、眼鏡男はあくまでも助言者だが、ハルディールは基本的にアンエスカに反対しない。タイオスはそう感じていた。

 よって、自分が動く前にアンエスカに話を通さなくてはならない。彼の命令に従うと言うのでもなく、連携が大事ということだ。

 タイオスは知らないながら、これは戦士がヨアティアに再度雇われたふりをしていたとき、アンエスカが王子に語ったことと同じだった。

 何にせよ、館に戻ることが先決である。タイオスはそう判断すると、もちろんと言うのか今度は道が判らなくなることもないまま、王家の館へと向かった。

(いったい、どれくらい時間が経ったもんかな)

(これも、さっきの奴らに訊いておけばよかったか)

 それもまた間が抜けているだろうが、時間を知ることくらいには誰の許可も要らなかった。

 夜空を見上げてみたものの、生憎なことに、タイオスの知る特徴的な星座は浮かんでいない。だが、先ほどの民たちの様子から見て、王家の館が襲われたというようなことはなさそうだと判断できた。

(経ったのが半刻にせよ、三刻にせよ)

(少し様子を見てくると言って出てきたにしちゃ、時間がかかりすぎだ)

 ハルディールのことだ、ニーヴィスの様子を見に行ったタイオスの様子を見に行けと誰かに――レヴシーしかいない――命じかねない。アンエスカがいれば馬鹿な真似はさせないだろうが、もしまだ、アンエスカも不在のままであれば。

 急いで戻らねば、と戦士は足早に歩き、最後の角を曲がろうとしたところで、慌てて身を隠した。

(やばい)

 ちょうどそこに、ルー=フィン率いる僧兵団がいたのである。何とも幸いなことに、彼らはタイオスがいるのとは反対を向いており、ひょいと姿を見せて泡を食った戦士の姿を見た者はいなかった。

 タイオスはそのままそっと様子をうかがい、だいたいのところを把握した。即ち、彼らはここへハルディールを捕らえに、或いは殺しにやってきたが、目論見を果たせずにすごすごと帰るところである、と。

 僧兵たちの間に、ミキーナを隣においたルー=フィンと、即席の担架に乗せられたヨアティアの姿が垣間見えた。

(と、言うことは)

 戦士は考えた。

(前後の事情はともかく、ハルたちは館を抜け出した。裏口か、それとも秘密の通路とやらを使ったんかね)

 彼らの戦力は、〈古柳の根っこ〉亭から逃げ出したときと同じように、いや、それよりも少なくなっている。僧兵たちに命令を下す者がいなければ彼らを王子側に転ばせることも可能だというのは証明済みだが、ルー=フィンの前ではなかなかそうはいくまい。王子に正義ありと感じたところで、銀髪の剣士に背中から斬られたい者もいないだろうからだ。

 ハルディールの判断にしろアンエスカのものにしろ、ルー=フィンがやってきた以上、館を捨てたのは賢明だとタイオスは考えた。

(どこに行ったのか)

(俺はどうしたもんか)

 ルー=フィンについていけば、神殿の位置は知れる。だがタイオスがひとりで神殿に乗り込む前にはやはりアンエスカとの相談が要る。

(まずはハルの居場所を確認するべきか)

(だが)

 どうしたもんか――と彼の思考が堂々巡りをしかけたときである。

 くいっと腰の辺りが引っ張られて、タイオスはみっともなく悲鳴を上げるところだった。

「なっ、何だ何だ」

 どうにか声をひそめる理性を発揮し、彼は僧兵団に気づかれずに済んだ。

「何だ、どうした」

 次に彼は困惑した。

 少しばかり思いがけない姿があったからである。

「おいおい。何だ、迷子か? いまが何刻なのかよく判らんが、少なくともガキがふらふらする時間じゃないぞ。父ちゃんか母ちゃんはどこだ」

 まだ十にもならなさそうな子供がそこにいた。打倒神殿長とばかりに意気込んだ若い親が子供を放り出してしまったのではと、中年戦士はそう考えた。

「悪いがお前の親御さんを探す手伝いはできん。ケチってる訳じゃないぞ。俺はこの町のことはほとんど知らなくて……まあ、ほかに探し人があることも確かだが」

 タイオスは彼の腰帯を掴んだままの手をそっと離そうとした。

 そこで既視感を覚える。

 薄汚れた、しかしそれでも品のあったハルディール王子が、まるで迷子の子供のように、タイオスの腰帯を放さなかったこと。

「気のせいか、お前、少しハルに似てるな」

 狭いシリンドルである。数代は血縁関係のない家系に、不意に遠い先祖の血が見え隠れすることもありそうだ。この子供の血脈には、ごく薄くとも、ハルディールと近いものが流れているのかもしれない。

 もっともハルディールは金髪で、この子供は黒髪だ。タイオスが最初にハルディールを見たとき、少年は髪を黒くしていたから、それでなおさら既視感を覚えたのだろうか。

 戦士はそんなことを思いながら、誰かシリンドルの子供を託せるシリンドルの大人がいないかと周囲を見回した。

「こっち」

 黒髪の子供が、不意に声を出した。

「何? お、おい、引っ張るな」

 子供は思いがけない力で、職業戦士を引き寄せた。もっとも、子供が怪力だというのではなく、腰帯がほどけるのではないかと焦ったタイオスが近づいたと言うのが正しいが、その手に遠慮がちなところはなかった。

「こっち」

「迷ってないならひとりで帰れ。こっちにゃ僧兵の気配もなし、もとより奴らも、意味もなくガキを殺すほどイカレてはいなさそうだが」

「こっち」

「おい、いい加減に」

 子供相手と優しく接していたタイオスだったが、こうしつこくされては困る。すぐ近くであればつき合ってやるもやぶさかではないが、彼にはほかに心配ごとが。

「……何だって?」

 タイオスは聞き返したが、聞き取れなかった訳でもない。

 確かに子供は、王子と言った。

「ハルの居どころを知ってるのか。それならそうと早く言え」

 ぽんと軽く子供の頭を叩き、大きな戦士は小さな道案内人に従った。

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