05 誰にも、死んでほしくない
クインダンの友人宅という家は、シリンドルの平均的な民家だった。
ここならひと晩くらい隠れていられると思うのは、楽観的であったかもしれない。
だがふたりの騎士はどうしても少し休まなければならなかった。負傷したクインダンは言うに及ばず、レヴシーだって監禁が解けたばかりだ。
「まあ、見張りは俺に任せとけ」
大まかな話を聞いて、タイオスはぽんと胸を叩いた。
王家の館にルー=フィンらが近づくより前に、王子は決断を下していたらしい。
まずハルディールは彼に忠誠を誓った僧兵たちに、町に身を隠すよう命じた。と言うのも、シリンドル人同士で血を流させたくなかったからだ。
動かせないヨアティアと、神殿長の息子から離れないミキーナを残し、彼らは隠し通路を使って館を離れた。
そうして、クインダンが信頼する知人の家をひと晩だけ借りることにしたのだと、ざっとそんな話だった。
「心強い、タイオス」
ほっとしてハルディールは感謝の仕草をした。
気丈に振る舞っているが、まだ子供だ。自分の決断が臣下の生死を決めるという局面に立つのに、少年は年齢も経験も足りなさすぎた。
タイオスはせいぜい数名の戦士の頭になったことがあるくらいだが、少なくとも戦いにおいては玄人だ。任せろ、と言い切った。
「それにしてもどうやってここが判った?」
不思議そうにハルディールは尋ねた。
「それがな」
タイオスは見知らぬ子供の話をした。
「王子はこっちだ、と俺を案内したんだが」
女の子だか男の子だかもよく判らなかった子供は、この建物の前までくると玄関を指差した。タイオスが遠慮がちに玄関の戸を叩き、名乗りを上げて振り向くと――。
「いなかった」
彼は肩をすくめた。
子供はまるで、彼をここに案内するよう言いつかっていたかのようだった。
タイオスはてっきり、ハルディールか誰かがあの子に彼を探して連れてくるように言ったのだと思ったが、少し考えればそんなはずはないと判った。あんな子供に託す仕事ではない。
「走り去る足音も聞こえなかった。何者だったのか判らん」
正直に彼は言った。
「思い返すと、ぞっとする。
人を騙す妖怪狐には、尻尾が二本あると言う。信じられないものを見たとき、人はそれを「二本目の尻尾」と表現した。
「少し、違うだろう。ぞっとするようなことじゃない」
ハルディールはしたり顔で言った。タイオスは片眉を上げる。
「心当たりがあるのか?」
「あると言えば、ある」
「どういう意味だ。はっきり言えよ、ハル」
「はっきり」
王子は苦笑めいたものを浮かべた。
「僕がはっきり言えば、あなたは否定する」
「はあ?」
「それとも、狂信者だと言うだろう」
「……ああ」
タイオスは紛う方なき苦笑いを浮かべた。
「神の使い、だとでも言いたい訳か」
「
簡単にシリンドル王子は答えた。
「僕が思うことだ。是が非でも同意してもらわなければ、とは考えないが」
「まあ、王子殿下を守るため、そろそろ神様も動いてくれてもいいとは思うけどな」
〈峠〉の神にどうやって祈ればいいのか知らないタイオスは、一般的な神界七大神に共通する印を切った。
「少なくとも
ハルディールがそう信じていたからと言って、タイオスはそれを闇雲に否定はしなかったが、やはり――当たり前ながら――自分はシリンドル人ではないな、と感じた。
エルレールもレヴシーも、負傷を押して起きているクインダンもいまの話を聞いていたが、胡乱そうな表情などは浮かべていない。
神が王子を助ける。それは彼らにとって、至極自然な話なのだろう。
もっとも、実際にはどうであるのかなど、誰にも確認することはできない。
「何であろうと合流できた。それでいい」
タイオスはその話題を切り上げた。仮にあれがどうしてかハルディールの居場所を知っただけの普通の子供であったとしても、あの調子なら道に迷うこともなく帰り着けるだろう。
「お前さんたちは休み、俺が見張りをする」
再び戦士が主張すれば、王子は再び礼を言った。
「情けないが、僕では見張りをしたところで役に立たないし、どうしたら彼らを休ませられるかと悩んでいたんだ」
「お前さんにゃお前さんの役割がある。それは少なくとも見張りじゃない」
タイオスは笑って言ったが、すぐにそれを納めた。
「なあ」
「うん?」
「クソ眼鏡の顔が見えんようだが」
「アンエスカのことか」
王子は苦笑と困惑とが混じり合ったような複雑な表情を浮かべた。
「神殿の様子をうかがう、すぐ戻ると言ったきり……まだ戻らないんだ」
「何?」
戦士はぽかんと口を開け、それから思い切りアンエスカを罵った。
「もっとも……俺も人のことは言えなかったようだが。あいつも魔術師にしてやられたんじゃなかろうな」
「魔術師だって? タイオス、何が」
驚いた王子に戦士は帰着が遅れた理由をざっと説明した。ハルディールらは顔を曇らせた。
「魔術か。正直、どう対抗すればいいのか判らない」
「おそらく、このなかで一番判ってるのは俺だろうと思う。だがそれでも、正面切って一対一で術を使われれば、避けようがない。幸運を神様に祈るか、気合で何とかするか」
それくらいしかない、と戦士は肩をすくめた。
「お前さんたちは神様に祈っとけ。得意だろ」
助言なのか冗談なのか判然としないことを言って、タイオスは息を吐いた。
「アンエスカがいるならあの野郎も揃ってからと思ったんだが。先に言っとかなけりゃならんことがある」
彼は真剣な表情で、四人を眺め渡した。
「俺が何をしに出て行ったか、覚えてるよな。――ニーヴィスは死んだ」
エルレールが悲鳴を上げるまいと両手を口に当てた。ハルディールは唇を噛み締め、レヴシーは下を向いた。少しの間ののちにクインダンが、釣られていない左手を上げた。
「〈シリンディンの騎士〉に」
青年はゆっくりと、タイオスの知る哀悼の仕草に似たものを行った。みな、頭を垂れてそれに倣う。タイオスは自分の知る形で、同じ意味合いの仕草をした。
「必ず」
ハルディールは呟いた。
「――シリンドルに平和を取り戻す」
亡き騎士に、少年王子は誓った。
「あまり、悲壮なツラぁすんな」
雰囲気が重くなりすぎないように、タイオスはわざと気軽な調子で声を出した。
「誓いや決意も時には重要だが、思い詰めすぎちゃ足が動かなくなる。ああ、それから休み足りなくてもな」
ぱん、と戦士は両手を打ち合わせた。
「もう休め。話があるなら、朝にしよう。気持ちばかり急いても何にもならない」
タイオスは何だか父親になった気分――いや、子守でもしている気分になった。近所の子供をまとめて預かり、怖いことは起きないからと寝かしつけようとする役割。
もちろん、最年少のハルディールでも十四だ。悪夢を見てぐずる年齢ではない。あくまでも「そんな気分」になっただけである。
彼は孤児の面倒を見る七大神の神官よろしく全員を床につけ、自分は宣言通り窓辺に座り込んで夜番をはじめた。
(アンエスカは――捕まったと見るべきだろう)
(連中の前じゃ言えんが、殺された可能性も視野に入れておくべきだな)
彼らもそれを全く考えていない訳ではない。ただ王子も王女も騎士たちも、はっきりと述べることを避けていた。まるで、口に出したらそれが本当になってしまうと怖れるかのように。
(あの野郎が死んだのだとすれば……痛いな)
(いや、俺は痛くもかゆくもないんだが)
彼は正直なところを考えた。
(シリンドルにとって。ハルにとって……大きすぎる負要素だ)
成人前のハルディール王子を支えることのできる人物は、アンエスカだけだ。「反逆に遭い、思わぬ苦労の道を進むことになってしまった気の毒な王子殿下」を支持する若手はほかにもいるだろう。だが経験ある、主立った人間はみな殺された。
時と場合によって裏に表に立ち回り、少年王子――少年王を叱咤激励し、自らの利害を考えずにハルディールを盛り立てていける人物は、ほかにいないのだ。
アンエスカが死ねば、仮にハルディールがいますぐ王になるべく即位を宣言をしても、続かない。タイオスはそう見ていた。仮にヨアフォードが何らかの取り引きによってハルディールの即位を認めたとしても、裏ごとを知らぬ少年王は老獪な神殿長の傀儡にならざるを得ないだろうと。
(まあ、ヨアフォードをぶっ殺しちまえばその心配は要らないが)
(現状じゃ、忍び込んで暗殺、以外に手はないからなあ)
正直、難しいと戦士は思っていた。やるとしたら金で暗殺者を雇うしかない。王子は肯んじないだろう。相談してみなくても判る。
「――タイオス」
小さく、声がかけられた。中年戦士は渋面を作る。
「こら、クソガキ。寝てろ」
王子殿下に言い放つと、少年は笑った。
「眠れないんだ」
「それでも横になって目を閉じてろ。休むことも重要な任務だと、俺は散々、旅の間に言ってきたよな?」
「何度も聞いた。よく判っている。でも」
眠れないんだ、と彼は繰り返した。
「少し話を聞いてくれないか」
「……少しだぞ」
仕方なくタイオスは応じると、窓辺にもうひとつ椅子を運んできて、ハルディールに示した。有難う、と少年は礼を言う。
「アンエスカが心配なんだ」
ハルディールはそう口火を切った。
「だろうと思ったよ」
タイオスは相槌を打った。
「捕まったのではないかと思っている」
顔色を悪くしながらも冷静に、彼は呟いた。
「ただ、殺されてはいないだろうと――思う」
王子は両の拳をそっと握り締めながら言った。
「もしそうであれば、ヨアフォードはそれを喧伝するだろうから」
「それは、有り得るな」
公正にタイオスは判定した。
「その代わり、彼の処刑をするなどと言って、僕をおびき出そうとするかもしれない」
「十二分に、有り得る」
うなずきながらタイオスは、少し驚いた。
(ただ、案じてるだけじゃない)
(きちんと考えてるな)
戻ってこないアンエスカは、捕らわれたか殺されたか。そのどちらかであることはほぼ間違いない。捕らえたのであれば、神殿長はそれをどう使うか。ハルディールの考えたことは、確かに有り得そうな話だ。
「もしそうされたら、どうするんだ?」
「僕は……」
そこで王子は、沈黙した。タイオスは何も言わず、ハルディールの言葉が出てくるのを待った。
「僕は、そうした形でおびき出されるべきではない。それは、判っている」
「だが自信がない、というところか」
「誰にも、死んでほしくないんだ」
「そう思ったところで、死ぬときゃ死ぬ。平時ならともかく、いまはそうじゃない。ニーヴィスは、お前がのこのこと出向いて捕らわれ、殺されるために戦ったんじゃないぞ」
死んだ騎士のことを持ち出すのは卑怯だと思ったが、既に王子を守って逝った命があることをはっきりと告げておこうと戦士は考えた。
「判っている」
もう一度、ハルディールは言った。
「しかし僕は、アンエスカを救わなければならない」
「馬鹿野郎」
唇を歪めて、彼は軽く王子の頭をはたいた。
「俺は騎士じゃないがな、それでも判ることがある。連中がお前を守るんだ、お前が連中を守るんじゃない」
「騎士に王家を守ってもらうため、救うんだ。アンエスカがいなかったら、僕はここで即位宣言をしてみても、ヨアフォードに言い負けてしまう」
「――そういうことも、考えてたか」
またしてもタイオスは少し驚かされた。
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