02 明日になれば

 昼間の騒ぎが嘘のように、町は夜の静けさに包まれていた。

 義憤を燃やす者も、勝ち馬に乗ろうとする者も、息をひそめて成り行きを見守っているようだった。

 ルー=フィン、ログト、そして僧兵たちは無言で大通りを進み、何の邪魔もされぬままで王家の館にとたどり着いた。

 閉ざされてもいない門は、無人の館を思わせる。だがいくつかの部屋で明滅する灯りは、内部に人間のいることを語っていた。

 銀髪の剣士は手下を前庭の中央で一旦停止させると、ひとり、そのまま歩を進めた。

「――ハルディール・イアス・シリンドル!」

 館の真正面に立ったルー=フィンは、腹の底から声を出した。静かな夜に、その声は〈峠〉まで届くかと感じられた。

「ラウディールの神への冒涜行為を認め、父親に代わって謝罪をしろ! さもなくば、神を軽視するものとし、〈峠〉の神の名において、過ちを継がんとする王子を成敗し、シリンドルを正しき道に戻す」

 館は、しんとしていた。

「ハルディール!」

 彼は呼んだが、もとより、王子が父王の非を認めて涙ながらに謝罪するなどとは思っていない。むしろ、そのように血迷われては困るくらいだ。

「沈黙は態度を改めぬ意志の現れと解釈する」

 剣士は堂々としていた。胸を張り、兵らの持つ角灯の光に銀の髪が照らされる様は、彼自身の思いとは裏腹に、若き権力者として相応しく見えた。

「このルー=フィン・シリンドラスが、腐った王家の掃討を行い、シリンドル国を浄化する!」

 返るはやはり、沈黙ばかりだった。

「覚悟は、決めたか」

 ルー=フィンは答えのない窓に語り続けた。

「神の名と、それから、理不尽に殺害された我が母の名誉にかけて」

 腰の細剣が、鞘走る。

「ハルディール王子に天罰を下す!」

 采配のごとくルー=フィンが剣を振り下ろせば、それを合図にログトが突入を命じる。

 わああ――とときの声を上げながら、シリンドルの僧兵はシリンドルの王位継承者を入れ換える戦いに身を投じて行った。

 玄関の扉は、かつてなかったほど乱暴に開かれ、入り口の広間は荒々しく踏みしだかれた。

 先頭を切った僧兵は血気盛んな若者であったが、敵――半日前の同志――と出会う覚悟を決めていた。先陣を切ることは、最初に殺される危険を冒すことだとも、理解していた。

 だからこそ、彼は呆然とすることになる。

「誰も……いない」

 表に見張りがいないだけではない。

「団長、ルー=フィン様」

 続いた兵士たちもがらんどうの広間を見つけ、目をしばたたいて指揮官たちを振り返る。

「上だろう。調べろ」

 ログトは手を叩いた。僧兵はうなずいて、階段を昇っていく。

「これは……」

 館内に入り込んだルー=フィンも、困惑した表情を浮かべた。

「隠れているのか? しかし」

 王子や王女だけが隠れるならまだしも、僧兵たちもいないというのは奇妙だった。

「い……いません!」

「ハルディール王子も、エルレール王女も」

「騎士たちも……僧兵も」

「ルー=フィン様! ここに」

「いたか!」

 発見の報に、銀髪の若者は一段飛ばしで階段を駆け上がった。

 だが、ひとつの扉の前にいた僧兵は、王子を見つけたと逸っている感じではなかった。

「――ヨアティア」

 そこにいたのは、包帯を巻かれて昏睡状態の男と、同じように顔を白くした、よく見覚えのある娘だった。

「ミキーナ」

「ルー=フィン様」

「これはどういうことだ。何故、お前が」

「イズラン様にお願いして、ヨアティア様のご看護をさせていただいておりました」

「何だと。イズランの奴め、そのようなことは何も」

 ルー=フィンは憤り、それからはっとした。

「もし……館に火を放っていたら」

 動けないヨアティアを置いてミキーナが逃げるなどしなかっただろう。その考えは、若者をぞっとさせた。

(ヨアフォード様はご存知だったのか?)

(いや……まさか)

 神殿長が冷徹に、失態を犯した息子を切り捨てることはあるかもしれない。だが、純粋に神に仕える彼女を見捨てることはしないはずだと、若者はそう思った。

「王子は」

 それから彼は、そこを尋ねた。

「逃げ、逃げました」

 娘は答えた。

「私たちも逃げるように言われましたが、ヨアティア様を動かすことができませんので、私は残ると申しました。王子殿下は、あとで必ずいいようにするから、と」

「あとで、だと」

 若者はうめいた。

「逃げただと」

 では既に、ハルディールはここにいなかったのか。

 いない王子を相手に、彼はとうとうと語っていたのか。

 馬鹿にされた――との思いがルー=フィンの内に湧き上がったが、冷静な若者は、それを逆恨むようなことはなかった。

 ただ、感じていた。

 王子はこう思っただろう。神殿長は息子や敬虔な彼女を見捨てたのだと。いや、王子らにしてみれば、彼らを見捨てたのはヨアフォードだけではない。ルー=フィンも同様だ。〈化け狐アナローダ惑わし鼬マギローフ〉のような、軽蔑すべき同類と思ったのに違いない。

 そして、ハルディールが寛大なる英雄のごとく、彼らを助けると。

 彼の両親を殺した男の息子が正義面をして、彼と彼の恩人を大悪党のごとく考え、振る舞っている。

 その思いは、彼から「冷静」の仮面をはがした。

「どこへ行った!」

 ルー=フィンはやり場のない怒りを覚え、壁を殴って叫んだ。

「わか、判りません」

 気の毒に、ミキーナは悲鳴のような声を上げた。

「ただ……明日になれば、何もかも元通りだと、そのようなことを」

「明日」

 ルー=フィンはミキーナを見つめ、彼女の、それとも王子の言葉を繰り返した。

「あ、ル、ルー=フィン様、どこへ」

 無言で踵を返した彼に、ログトが慌てた声を出した。

「ログト、引き上げだ。ヨアティアとミキーナを連れろ」

 剣士は言った。

「奴らはもういない。――明日、神殿へ乗り込んでくるつもりだ」

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