10 演じてやるくらいは

(まずったか)

 彼は内心で舌打ちした。

(つまらん意地は捨てて、ほかの奴らに倣えばいいものを)

道化者バルーガにされたと、感じたのかもしれん)

「オクラン」

 戦士は慎重に、僧兵の名を呼んだ。

「もう一度、よく考えろ」

 その言葉に、オクランはキッとタイオスを睨んだ。

(――こいつ)

 はっとなってタイオスは身を引こうとした。だが一リア、反応が遅れた。

(間に合わん)

 オクランは剣を強く握って、素早く下方からタイオスを襲った。それに剣を合わせるには、間に合わない。彼は飛びすさるしかなかったが、見境をなくした僧兵の踏み込みには躊躇いがなく、戦士は左わき腹に鋭い痛みを覚えた。

「くそ」

「よせ、剣を引くんだ、オクラン」

 ハルディールが声を張り上げたが、僧兵は聞く耳を持たなかった。

「やめとけよ」

 再三、タイオスは言った。だがオクランが剣を引く様子はなかった。

(嫌な目の色、しやがって)

 かっとなり、視界と思考が狭まっている。追い詰められた獣のように、ここを切り抜けなければ死以外ないと、そう信じ込んだ目の色。もはやハルディールの声も聞こえていまい。

(こういうのもまた、狂信的と言うのかもしれん)

 戦士は僧兵に相対しながら、そんなことを考えた。

 傍から見れば馬鹿らしかったり、相手にする価値もないと思うような、ささいな相違――信仰に限らず、ちょっとした趣味嗜好の違いであっても、まるで言葉の判らない動物を相手にしているように話が通じないことがある。

 自分が正しいという価値観に立てば、いつだって相手が異常だ。

 オクランにしてみれば、タイオスが狂ったことを言っているとしか見えまい。信じられるはずがないと。

(もっとも、俺のよく知る姿勢でもある)

(――自分の命のために自分の命を賭ける、ってのはな)

 どうしたものか、とタイオスはオクランを観察した。

 決して、手練れではない。いくばくかの訓練は受けたと見えるが、タイオスの敵ではない。

 だがここは、殺さない方がいい。ここでオクランを始末すれば、即ち「王子に逆らう者に死を」との主張になり、つまりはヨアフォードと同じ恐怖を強いるだけだからだ。

 タイオス個人としては、それもやり方のひとつだと思う。

 だがハルディールは望むまい。

(王子殿下の望まないことは)

(〈白鷲〉は、やらんだろう)

 自分がそうだと認めたのではないが、少年のために演じてやるくらいはかまわないかと、中年戦士はそう思った。

 殺さず、できれば深手も負わせず、しかし効果的にオクランの抵抗力を削いで降参させ、追随者を出さぬように。

(考えるのは、簡単だ)

 びゅん、びゅんとオクランは剣を振ってくる。大振りだ。戦い慣れた戦士からすれば太刀筋は判りやすい。だがもちろん、もし当たってしまえば、洒落にならない。

(俺向きじゃないが、ここは説得か)

 オクラン、と彼は呼びかけた。

「落ち着け。こんなことをして何になる。殿下には、お前らを罰するおつもりなんかないんだぞ」

 僧兵がヨアフォードにつき従ったのは、致し方ないこと。神殿長の命令を聞くことが、彼らには忠誠の証であったのだから。

 勇気ある反対者は、噂の毒でもって殺されただろう。反逆者の旗を持つくらいならば死ぬという誇りは立派とも言えるが、何かの解決にはつながらない。屈辱を受けても生きてこそだ。戦士はそう思った。

 ハルディールはそれを理解している。ヨアフォードへの忠誠心からでも、怖れを抱いたためであっても、神殿長に従った彼らを糾弾はしない。彼らの選択肢はあまりにも少なかったのだ。

 だが、この場は違う。

 ハルディールか、ヨアフォードか。

 ヨアフォードの姿があれば、ハルディールに膝をつかない僧兵もいただろう。だが神殿長の名代たるヨアティアは倒れ、ハルディール王子が立っている。

 ここでまだヨアフォードを選ぶというのは、一種の勇気であるかもしれなかったが、救いの手が差し伸べられる余地をなくすことでもある。

「オクラン」

「黙れ、何も知らぬ余所者が!」

 ぎりぎりと僧兵は歯を食いしばり、繰り返し刃を振り下ろした。

(くそ)

(ちっとも、話を聞く気はないな)

 やめろと呼びかける王子の声も、耳に届いた上で無視をしているのか、はたまた完全に頭に血が上って、タイオスをやっつけることしか考えられないのか。

(どっちにせよ)

(俺がどうにかしなけりゃ)

(……抜くか)

 左腰の剣を意識した。だが武器を手にすれば、殺さないで済ませる自信がない。

 熟練の戦士と、実戦をほとんど知らない僧兵では、実力に大いに差があった。だが、向こうは我を忘れて死に物狂いだ。軽くあしらってやるつもりで、思わぬ重傷を負わせる危険性も高い。

(かと言って、俺がやられるなんてのは笑えない冗談だが)

 単純に「怪我などしたくない」ということもあれば、ここで〈白鷲〉が敗れる訳にはいかないということもある。

 神の加護が誰にあるのか、僧兵たちにきっちり、見せてやらなければ。

(よし)

 心を決めると、タイオスはぱっと剣を抜いた。オクランの表情が険しくなり、勢いが増す。戦士は数合ほど、その攻撃を受け流すにとどめていたが、不意にその場に踏ん張った。強い音がして、剣と剣の間に火花が散った。

(効果的、かつ)

(殺さんように!)

 タイオスは力ずくでオクランの武器を押しやり、左手で僧兵の右手首を掴んだ。それを思い切り握り締め、オクランに剣を落とさせるよう目論む。

 僧兵は短いうなり声を上げて抵抗を試みたが、力較べに乗った時点で彼の負けだった。タイオスの左手などにかまわず、剣での攻撃を続けていれば戦士に傷を負わせたかもしれなかったのに、僧兵は戦士の作戦にまんまとはまった。

「ぐう」

 悔しそうにオクランは剣を取り落とした。タイオスはそのままオクランの腕をひねり続け、自らの刃の先に気遣いながら、半ば強引に僧兵を投げ飛ばした。バァン、といい音がして、地面に叩きつけられた僧兵は、完全に伸びた。

「ふう、びびらせやがる」

 それを認めると、戦士は額を拭った。

「どうだ。誰か、次にやる奴はいるか」

 言って見回せば、彼と視線を合わせようとする僧兵はいなかった。

「本当にいいのか? 苦情があるなら、言うのはいまのうちだぞ。なあ」

 タイオスは念を押した。

 結局、力頼みの脅迫をやっているようなものだとも思った。だが斬りつけずに、投げ飛ばすだけにとどめたことは大きい。「逆らえば即、処刑」ではない証になっただろう。

「どうやら、もう異議はないようだな」

 戦士はうなずいた。

「けっこう。名乗りを上げられると、正直、面倒だった」

 にやりと笑ってタイオスは腰に手をやった。べっとりと血糊がつく。オクランの苦し紛れの一撃は、思ったよりも深かった。

「タイオス」

 顔を青くして駆け寄ったのは、少年王子だった。

「たいへんだ。あなたも、医者に」

「俺はいい。こんなのはかすり傷だ」

 強がりも混じっているが、本気でもある。

「それより、お前たち。何をぐずぐずしてんだ。死にたいのか」

 ふたりの騎士と王女は、まだその場にいた。

「タイオス。あんたからも言ってやってくれよ」

 困ったようにレヴシーが戦士を見た。

「これは使えないって、クインが」

「団旗を、包帯代わりになんか、できるか。先輩騎士の、勇退の証でも、あるのに」

 切れ切れの声で言うクインダンに、タイオスは呆れた。

「阿呆。お前たちのどっちもだ」

 タイオスはレヴシーの手から騎士団旗を奪うと、剣も使って思いきり横に破った。

「怪我人の戯言に耳を貸すな、レヴシー。クインダンも、お前が逆の立場だったら同じことをするはずだと判るな」

 言いながら戦士は団旗のなれの果てを使い、慣れた風情で青年騎士の脇から肩をぎゅっと縛った。クインダンはいまにも気を失いそうな白い顔でうめき声を洩らした。

「どれだけ血ぃ流してんだ。痛みも尋常じゃなかろうに。失血か激痛か、どっちかだけでも人間は死ぬんだぞ」

「あなたもです!」

 ハルディールが叫んだ。

「ひとのことを言っている場合ですか。レヴシー、タイオスの止血も」

 王子の命令に、少年騎士はうなずいた。ハルディールはぱっと周囲を見回す。

「マイトーサ、ウェズレイ。彼らのために、診療所から医師を呼んできてくれ」

 顔を青くしながら少年が呼べば、ふたりの僧兵が目を見交わした。

「殿下、われわれの名をご存知で」

「お前たちはよく仕えていると聞いた」

 ハルディールが聞いたとき、それは「ヨアフォードに仕える」の意味であったかもしれない。だが王子はいまそれを忠誠心と考え、それが神に対するものでも神殿長に対するものでも、立派だと讃えた。

「は、承りました、ハルディール王子殿下」

「〈シリンディンの騎士〉は、〈峠〉の神に仕える、我らが同志です」

 男たちはそう答え、さすがにもう立つこともままならなくなっているクインダンを一瞥すると、心配するなとばかりにうなずいて走り出した。

 それを見ていたタイオスは、節操のないことだと苦笑しかけたが、どうにかこらえた。

 打算も、皆無ではないだろう。だが、王子に名を覚えられていたということが、彼らの誇りを刺激した。

 無意識のうちに、少年王子は彼らを惹きつけてしまった。

 大したものだ、と戦士は思った。

「これでエルレールも、クインダンの傍を離れずに済みますね」

 彼もここで、姉と青年騎士の抱き合う思いに気づくことになった。少し笑って、そんなことを言う。

「ハルディール!」

 姉王女が叫んだのは、何も弟王子が彼らをからかうような口を利いたからではない。

「よく……無事で」

「アンエスカとタイオスのおかげです」

 ハルディールは姉の抱擁に少し照れた顔をしながら言った。

「彼らがいなければ、僕はここまでに何度死んだか」

「殿下、アンエスカは」

 そこでレヴシーがはっとなった。

「あいつ、口は達者だけど俺にだって負けるんですぜ。そいつらが協力してくれるんなら、早く助けに」

「どうだ。お前たち」

 王子はひざまずいたままの僧兵たちを見た。

「お前たちは僕を正統なる継承者と認めた。ルー=フィンを新王として担がんとするヨアフォードに、彼を選び続ける仲間に、刃を向けることができるか」

 ハルディールが言うと、僧兵たちは迷うような――最初に声を上げることはしたくないと思うような、困惑した顔を見せた。

「――無論、ヨアフォードは反逆者だ。神の代弁者を騙り、お前たちの純粋な信仰心を利用した」

 新たな声が上がった。彼らは声の主を見る。

「ヨアフォードは必ず神の罰を受ける。それ故、怖ろしければわざわざ刃など向けずによい。奴に味方しないという約束だけで充分だ。まだヨアフォードについている仲間のことは、説得してやれ。戦いになれば難しかろうが、お前たちがみな、同志討ちを避けたいと考える真っ当な感性の持ち主なら、きっと巧く行く」

 僧兵たちは互いを見回し合い、ぽつぽつとうなずいた。

 それを認めると、全員を見渡して告げた人物は、それからハルディールに礼をした。

「お待ちしておりました、王子殿下。――遅いぞ、タイオス」

「こちとら精一杯だよ、クソ野郎」

 タイオスは唇を歪めて、アンエスカを睨んだ。

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